「おしらせ」カテゴリーアーカイブ

ATEM(映像メディア英語教育学会)東日本支部 2023年度夏季例会発表募集

例会日時:2023年7月1日(土)                        

会場麗澤大学新宿キャンパス

開催形態:ハイブリッドの予定ですが、状況によっては開催形態を変更する可能性がありますので、HP等でご確認ください。

発表募集期間:2023年5月22日~6月5日      

内容:例会テーマは特に固定はしておりません。「映像メディア英語教育学会」という学会名が示す通り、各種映像/音声メディアと英語教育が関連していれば受け付けます。領域も授業実践、教材開発、英語教育論(異文化理解教育等を含む)と幅広く捉えていただければと思います。ご不明な点などあればご相談ください。

発表時間:発表20分+質疑応答5〜10分を予定しておりますが、発表数や企画の有無などによって多少調整する場合があります。なお、発表のお願い(採否)については、応募締め切りから1週間程度でご連絡します。

尚、発表者については、なるべく会場にお越しいただければ幸いです。会場外からのオンライン発表を希望される方は発表申し込み時にご相談ください。

応募方法:以下の必要事項を電子メール本文に掲載し、ATEM東日本支部宛(ej-seminar@atem.org)にお送りください。なお、送信後3日経っても返信がない場合は、再度ご連絡いただけますようお願いいたします。

1.メール表題に「ATEM東日本支部発表申し込み」と記載

2.発表タイトル

3.発表者の氏名(複数名で1つの発表の場合はそれぞれの氏名)       

4.発表者の所属(複数名で1つの発表の場合はそれぞれの所属)

5.連絡先(メールアドレス; 複数名で1つの発表の場合はその発表の代表者の連絡先)

6. 使用言語

7.発表概要(日本語の場合は400字程度、英語での発表は200-300 words)

(日本語発表の場合は、簡潔な英語の説明文をお願いできれば幸いです。)

———————————————————————————————————-

Call for Presentations at the ATEM Higashinihon Chapter Study Meeting on July 1, 2023  

Dear ATEM Members:

ATEM Higashinihon Chapter will hold a Study Meeting at Reitaku University Shinjuku Satelite Campus, on July 1 (Sat.), 2023. We are planning on making the meeting hybrid, but this is subject to change depending on circumstances, so please check the website for details.

We are calling for presentations on English education (language education) that uses visual and/or audio multimedia including movies, TV dramas, 

Youtube, etc. Your presentation should focus on class activities, the 

development of language teaching materials, theoretical or empirical 

studies, or cross-cultural communication studies, etc. 

Each presentation will be 20 minutes with 5 to 10 minutes of Q and A. (This may be adjusted depending on the number of presentations and the related projects. Please note that you will be notified of your presentation request (acceptance or rejection) approximately one week after the application deadline. 

We will contact you about the details later. 

Application Period: May 22 to June 5, 2023

Acceptance notice will be sent by email around a week after the application deadline. 

We would appreciate it if presenters could come to the venue as much as possible to avoid possible networking problems. If you wish to make an online presentation from outside the venue, please inform us at the time of application.

When submitting a proposal, please provide the following information by an attached Word file to the ATEM Higashinihon Chapter Office 

(ej-seminar@atem.org). 

1 Please title your email as “ATEM Higashinihon Presentation Proposal.” 

2 Presentation title 

3 Name 

4 Affiliation 

5 Email address

6 Language of presentation

7 Abstract (400 letters in Japanese or 200 to 300 words in English; As for a presentation in Japanese, we would appreciate a very brief description in English.) 

忘れられない映画の、あの場面       —『ファイト・クラブ』のレイモンド K. ハッセル君の獣医の夢 —

小泉 勇人 東京工業大学

Gonna check in on you. I know where you live. If you’re not on your way to becoming a veterinarian in six weeks, you’ll be dead. 

お前は見張っとく。住所はわかってる。6週間たっても獣医の勉強してなきゃ、お前はもう死んでいる。

——Fight Club (1996)

 誰にでも、忘れたくても忘れられない映画の場面の記憶がある。カメラの角度や動き、演技、台詞、編集、照明etc.が渾然一体となった演出が、観客の脳裏にこびりつく。自分にとっては『ファイト・クラブ』におけるレイモンド K. ハッセル君が登場するくだりが忘れられない。

 そもそも『ファイトクラブ』とはどんな映画であったか?それは実存の不安にファイトを仕掛ける物語ではなかったか。現実感を上手く感じ取れず、日々の楽しみと言えば食べることや寝ること、消費を繰り返すくらいで(まだそれができれば良い方だけれど)、ふと、自分が自分である意味がわからなくなる瞬間は誰にだってある。思いっきりカッコつけて言えば「実存の不安」というやつだ。そんな不安に襲われてハムレットはこう叫ぶ——

What is a man

If his chief good and market of his time

Be but to sleep and feed? A beast, no more.

人間とは一体なんだ?

生きている間にすることといえば

ただ眠って食べることだけ? まるでケダモノじゃないか。 (第四幕第四場)

<参考映像資料:『ハムレット』当該台詞の場面>

Hamlet (‘How All Occasions Do Inform Against Me’) (Andrew Scott)

(https://www.youtube.com/watch?v=EyFfCT_nPuE&ab_channel=ZsuzsannaUhlik)

Hamlet Act IV Scene IV Speech (KennethBranagh) 

(https://www.youtube.com/watch?v=easWqy08wr8&ab_channel=LawrenceTemple)

Shakespeares Hamlet – Soliloquy Act 4 Scene 4 

(https://www.youtube.com/watch?v=lM9XU10oRGw&ab_channel=SweetspotStudio)

21世紀を生きる現在人にとっての戯曲『ハムレット』は映画『ファイトクラブ』かもしれない。観客に銃口を突きつけ、挑発し、胸ぐら掴んで喧嘩を売る稀代の猛毒映画、世紀末を前にして腐り切ってタガの外れた90年代最後の映画的咆哮だと言えよう。

 戦争も飢餓もなく(無い方が間違いなく良いとは思うが)、とにかく「大きな物語」を得られない世代に落ち込んだ語り手(narrator)が抱える闇は深い。「僕」は大手自動車会社のリコール調査部門で働く若手。アメリカ中を出張して、北欧家具に囲まれた自宅のコンドミニアムで不自由ない生活。冷静に考えれば(考えなくても)、不況に喘ぐ我々からすれば安定しきった生活だ。しかし実際はひどい不眠症にかかって眠れず、日中はぼんやり。「この世にはな、君より不幸な人がわんさといるよ」と医者に言われ、より不幸な人の話を聞いたら憐憫で安心感を得られると思ったか、難病患者同士が悩みを打ち明け合う自助グループに夜な夜な潜り込んではじっと耳を傾けたり、癒しプログムの流れで互いに抱き合ったりする(この行動力自体はすごいと思うが)。

 何も不幸じゃないのに、不幸だ。You’ll be dead、お前はもう死んでいる。殺されるまでもなく、心が死んでいる。そして、ついに「僕」は無二の親友タイラー・ダーデンと劇的な出会いを果たす。バーでぬるそうなビールを飲む二人。物を所有することにしか楽しみを見いだせないと呟く「僕」にタイラーは遠慮しない———The things you own end up owning you” (てめえの持ちもんに支配されてどうする)。 おまけに、バーの外でタイラーは “I want you to hit me as hard as you can” (できるだけ力強く俺を殴れ)と僕に奇怪な頼み事をしてくるじゃないか。

 “Hit me as hard as you can”がファイト・クラブ始動のきっかけだった。戸惑いながらヒョロついたパンチを繰り出すと、間違ってタイラーの耳を殴りつけちゃった。仕返しとばかりみぞおちを思いっきり殴り返された僕は、なんとも言えない高揚感を覚える。また殴りたい。いや殴られたい。もっとだ、もっとやってくれ。もっとやろうぜ。ファイトクラブ創設の瞬間だ。「僕」とタイラーがバーの地下を借りて主催するファイトクラブに鬱憤を抱えた男たちが夜な夜な集まり、素手で一対一の殴り合いに興ずるようになる。最高に絶望だ。

 タイラーは日常を生きる人々にさえファイトを仕掛ける。ある夜、タイラーは「僕」を連れてコンビニに押し入り、レイモンド K. ハッセルという名の若い店員を外に引きずり出して頭に銃口を押し当てる。“What did you want to be, Raymond K. Hassell?” (お前は何になりたいんだ?)と尋ねるタイラー。「じ、じっ、、じゅ獣医ですっ!」と無我夢中で答える気の毒なハッセル君。顔は恐怖に引き攣り、死がもう目の前に迫る。弾丸が脳髄にめり込んでぐちゃぐちゃに破壊するまで一秒もない——タイラーは銃を下ろす。

Gonna check in on you. I know where you live. If you’re not on your way to becoming a veterinarian in six weeks, you’ll be dead. 

お前は見張っとく。住所はわかってる。6週間たっても獣医の勉強してなきゃ、お前はもう死んでいる。

なぜか解放されたハッセル君、泡くって逃げる。タイラーの銃には弾が込められていなかった。「僕」は尋ねる、「タイラー、お前なんでこんなことしたんだよ?」

 本作の監督はデヴィッド・フィンチャー、まごうことなき次世代のスタンリー・キューブリック。『エイリアン3』(1992)でデビュー後、『セブン』(1995)と『ゲーム』(1997)を公開し、本作に至る。いずれの作品も舞台設定は全く違えど、危機的な状況において善悪の彼岸を見、変貌を迫られる人間ばかりを描いてきた。『ファイトクラブ』は『タクシー・ドライバー』(1976)と『ジョーカー』(2019)の間に位置付けられる鬼子なのかもしれない。

 冒涜的で反社会的な描写に満ちた『ファイト・クラブ』は案の定、1999年の公開時に大きな物議を醸す。高名な映画評論家ロジャー・イーバートをして「最も率直かつ快活な、売れる俳優を起用したファシスト映画(the most frankly and cheerfully fascist big-star movie)」で、「暴力礼賛(a celebration of violence)」で、「マッチョポルノ(macho porn)」だと言わしめる(rogerebert.com, 1999)が、もはや褒めているのか貶しているのかよく分からない。しかし大事なことは、イーバートにファイトする気持ちがあるかどうかだ(イーバートにはあると思う)。To fight, or not to fight – that is the question; ————世界一高名なデンマークの王子がかつて僕らに問うていたことは、つまりはそういうことではなかったかTo be, or not to be – that is the question;の後に続く台詞はどうであったか。

Whether ‘tis nobler in the mind to suffer

どちらが人間らしい生き方だろう、

The slings and arrows of outrageous fortune,

不条理な運命に殴られても黙ったままでいるべきか、
Or to take arms against a sea of troubles,

押し寄せる困難の大波に向かって無謀にも殴りかかって
And by opposing end them?

決闘を挑むべきか? (以上、筆者による意訳)

確かに『ファイト・クラブ』は多様な解釈に耐えもすれば殴りかかりもする、実に刺激的な映画だ。消費主義社会と現代人の共依存関係に鋭く切り込む批評性はその一例であり、冒頭に引用したタイラー・ダーデン(Brat Pitt)の台詞“Gonna check in on you. I know where you live. If you’re not on your way to becoming a veterinarian in six weeks, you’ll be dead.”は観客の脳味噌にへばりつく。直訳すれば「お前のことを見ているからな。お前の住んでいる所はわかっている。もし6週間経っても獣医になる勉強をしていなかったら、お前は死ぬことになる」といったところ。you’ll be deadとは言ったものの、you(ハッセル君)を殺すのはタイラーその人である(ちなみに戸田奈津子は「ブッ殺す」と訳している)。check in on…は「(人・物の様子を積極的に)うかがう」、be on your way to …ingは「…をしている途中だ」で良いが、「お前の道の上(on your way)にいる」と直訳する方がむしろ格好いい。veterinarianは「獣医」。

 さてタイラーの言葉の力強さを上手く日本語に変換できないものか。「お前は見張っとく。住所はわかってる。6週間たっても獣医の勉強してなきゃ、お前はもう死んでいる。」としてみたが、これではまだまだひよっこの日本語か。タイラーにボコられるのがオチである。台詞を解釈するなら、「明日があると思うな、今日の内にお前が本当にやりたいことをやれ!」ということになる。なんのことはない、『今を生きる』(Dead Poets Society, 1989)で提唱されたcarpe diem(Seize the day)がファイト・クラブの本質だったのか。『今を生きる』と『ファイト・クラブ』に近似性があるだって?冗談もほどほどにしなさいという向きもあろうが、しかし遡及的に見れば、あの生徒達はキーティング先生にcarpe diemを教えられるまではどことなく「僕」のように見えやしないだろうか。現に、彼らが最終場面で果敢にファイトを仕掛けることで映画の幕が閉じるのが『今を生きる』である。同じロビン・ウィリアムズ主演でも、『パッチ・アダムズ』(Patch Adams, 1998)が「もう一つのファイト・クラブ」こと『セシル・B/ザ・シネマ・ウォーズ』(Cecil B. Demented, 2000)に喧嘩を売られた事態とは大違いである(後者の映画に出てくる映画テロリスト達が『パッチ・アダムズ』の上映館に乗り込んで映画テロリズムをかますくだりがある。何を言っているかわからないと思いますがその通りのことが起こります。気になる方はご覧ください)。

 話を元に戻すと、気の毒なハッセル君は獣医になりたかったにも関わらず、(環境のせいか本人のせいかはともかく)コンビニバイトで日銭を稼ぎ、勉強時間も捻出できずに日々を(死んだように)生きている。タイラーはそんなハッセル君に銃口を突きつけ、危機的状況に突き落とすことで真の欲望を強烈に再認識させる。実現に向かって死に物狂いで現実に立ち向かうよう発破をかける漢タイラー・ダーデン。だから、解放されて全力疾走で逃げるハッセル君の背中を見送る「僕」に理由を聞かれてタイラーはうそぶく——Tomorrow will be the most beautiful day of Raymond K. Hessel’s life. His breakfast will taste better than any meal you and I have ever tasted. (明日はレイモンド K. ハッセル君にとって極上の1日になるだろうよ。奴の朝飯は、俺達がこれまでに食ったどんな飯よりも美味いに違いない)。

 タイラーの極端すぎる「教育」は現実には到底容認できない。これを教育現場でやらかす狂人を見たければ『ブラックスワン』(Black Swan 2010)や『セッション』(Whiplash, 2014)を見よう。しかし、この場面を見た我々は、日々の雑務の中で人生の使命を見失いそうになっているかもと訝しみ、ほんの僅かでも、それでも前に向かって踏み出そうとする。“If you’re not on your way to becoming a veterinarian in six weeks, you’ll be dead.”を自分自身に向かって呟く言葉として、脳味噌に書き付けよう。“becoming a veterinarian”を自分がしたいこと、なりたいものを示す言葉に、“six weeks”を実現のための目標期限に置き換えれば、自分を鼓舞するパワフルな英語が出来上がる。英借文だ。ここでの代名詞“you”は、もちろんファイトを仕掛ける者、つまり我々を指す。ファイトしようぜハッセル君。『ファイト・クラブ』は今でもなおTo fight, or not to fight?と問いかけている。 

学生による映画レビューの魅力



原田知子  武蔵野音楽大学

2007年から授業で映画やドラマを使い始め、夏休みに「好きな映画を英語音声で観てレビューを書く」課題を出すようになりました。ヒントになったのは、映画『スクール・オブ・ロック』で主人公のデューイがロックを教えるため生徒たちにCDを渡し、聴く宿題を出す場面です。「これを映画でやったらどうだろう。学生自身に映画を選んでもらったら、さらに楽しいのでは」と思いつきました。

当初は夏休みの必修課題でしたが、2017年から英語が半期科目になったので、任意参加のレビューコンテストに変更しました。前期最後の授業で趣旨を説明し、GoogleフォームのURLを履修者全員に知らせておきます。書式には「映画の原題、邦題、おすすめ度(星1~5で評価)、映画の感想、印象に残ったセリフ」を入力してもらいます。

視聴媒体は自由ですが、劇場での視聴だと印象に残ったセリフを書き留めるのが難しいため、DVDかストリーミングでの視聴をすすめています。映画視聴時は日本語字幕、印象に残ったセリフを書く際は英語字幕を利用し、英語字幕がない場合は自分でできるだけ聴き取るよう指示しています。感想は英語でも日本語でもかまいません。

優秀作は本人の同意を得て、私の担当するクラスの授業で発表し、扱われた映画の予告編を見せます。おすすめ度の星を集計したランキングも紹介します。16年間の1,500名の学生による評価ランキングは以下の通りです。(カッコ内は映画製作年)

1 魔法にかけられて(2007)

2位 プラダを着た悪魔(2006)

3位 塔の上のラプンツェル(2010)

4位 チャーリーとチョコレート工場(2005)

5位 アナと雪の女王(2013)

6位 サウンド・オブ・ミュージック(1965)

7位 オペラ座の怪人(2004)

8位 レ・ミゼラブル(2012)

9位 パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち(2003)

10位 ヘアスプレー(2007)

10位まで紹介しましたが、実は1位の映画について書いた学生は37名、2位は25名、10位にいたっては13名のみです。過去に1〜2名だけが取り上げた映画も多くあり、製作年、ジャンル、内容などバラエティに富んでいます。ただ、音大なのでやはりミュージカル映画や音楽を題材にした映画は人気があり、製作年が1965年と古い『サウンド・オブ・ミュージック』が6位にランクインしているのが特徴的です。ミュージカル以外の映画のレビューでも音楽への言及が多く、専門的なコメントも見られます。

任意参加にしてから提出者の人数は減ったものの、意欲のある学生ばかりで、以前だったら最終選考クラスの優秀なレビューが集まるようになりました。「今まで日本語吹き替えだけで洋画を観ていたが、この課題をきっかけにオリジナル音声のおもしろさを初めて知った」という学生もいます。同じ大学の学生が選んだ映画ということで学生の関心は全体に高く、レビューに惹かれて映画を観たという声もよく聞かれます。

  映画レビューを通じて学生の嗜好や心理を知るだけでなく、知らなかった映画に出会えたり、知っていた映画の新たな魅力に気づかせてもらえたりするなど、私自身が学ぶことが多くあり、非常に有意義です。授業をお持ちの先生方にヒントになれば幸いです。

<食>を巡る映画で学ぶことばと文化ー 『マダム・マロリーと魔法のスパイス』(The Hundred-Foot Journey, 2014)の場合

題名 

日影尚之 麗澤大学  

 大学の授業で<食>を巡る映画を扱っているのですが、今回はその中からラッセ・ハルストレム監督の『マダム・マロリーと魔法のスパイス』(The Hundred-Foot Journey, 2014)の場合を例として取りあげたいと思います。(以下、ネタバレがありますのでご了承ください。)

 インドからヨーロッパに移住した Kadam家の次男 Hassan は、フランスの地方でインド料理のレストランを開きますが、通りを挟んで真向かいにはマダム・マロリーの由緒あるフレンチレストランがあり、この両レストラン(両家)間のバトルが展開します。フランス料理を独学で勉強し、能力を認められた Hassan はやがて、敵対する両レストランを隔てる通りーインド文化とフランス文化を隔てる壁ーを超えて、マダム・マロリーのレストランの厨房で活躍することになります。

 ある先生からもご指摘いただいたことですが、英語のタイトルの “hundred-foot journey” 「徒歩で百歩の旅」とは、通り一本超えるだけの短い距離でも、その文化的壁を超えることの困難さを“journey” という英語で表現しているのです。同じ「旅」や「移動」を意味する英語でも、例えば travel, trip, journey, tour, voyage, pilgrimageなどがありますが、journeyは比較的長い困難を伴う旅の場合に使ったり、何かを学ぶプロセスの比喩として使ったりします。「精神的な旅」のような使い方です。

 さて、Hassanの評判は地方を超え、彼は前衛的な料理の発明(innovation)の最前線であるパリの研究所に招聘されますが、最終的に彼はまた地方に戻り、マダム・マロリーからフレンチレストランを引き継ぐという、移民男性のサクセスストーリーです。

 さて、話題をジェンダーに移します。フランスに移住してきた Kadam 家を最初に助けたり、Hassan にフランス料理の教科書を借してくれたりしたのは、フレンチレストランで働くMarguerite という若い女性です。Hassanは彼女をビジネスパートナーそして人生のパートナーとして、2人でフレンチレストランを引き継ぎます。また、まだインドにいた当時、Hassanに料理の “こころ”を教えてくれたのは亡き母ですし、母の形見である「秘密のスパイス」一式を彼は大切にします。亡き母が彼の人生の成功を陰から支えています。<食>つまり料理を通じた移民のサクセスストーリーの表に出るのは Hassanという男性、重要な役割を果たすが、陰でサポートするのが女性という構図になるでしょう。もちろんここでいう料理は、いわゆる“家庭料理”ではなく、キャリアとしてのプロの料理であることにも注意する必要があるでしょう。

参考文献:Laura Lindenfeld & Fabio Parasecoli, Feasting Our Eyes: Food Films and Cultural Identity in the United States, Columbia University Press, 2017.

食事の場面から異文化を楽しむ

大月敦子(専修大学)

 アフタヌーンティーは、夕食の前の午後のひと時に紅茶と共にサンドウィッチ、スコーン、ケーキなどを食べる英国上流階級の人々の習慣であるが、もともとは夕食の時間帯に観劇、オペラ鑑賞、パーティーがあったため、その前に軽くお腹を満たすための軽食として始まったものだ。菓子やサンドウィッチが2段、3段に重ねたティースタンドに載せられて運ばれる。ヒッチコック監督の映画『レベッカ』Rebecca(1940)の中で、ジョーン・フォンテン演じる「わたし」が窓際のソファーに座っているときに、メイドが紅茶の次に運んでくるのが、このティースタンドである。アフタヌーンティーはダイニングではなく、ラウンジでソファーに座って食べるのが正式だ。 近年、日本でもこのアフタヌーンティーが人気らしく、提供するレストランやホテルが増えているようだ。優雅な気分で美味しく食事ができる、ヴィクトリア朝時代の文化遺産だ。一度くらい経験してみたいものだが、働かずして贅沢な生活をするイギリス上流階級の人々の遺産でもある。

  TVドラマ『アンという名の少女』 ANNE with an‟E”(2019)では、カナダ開拓時代の興味深い料理を見ることができる。主人公のアンやマリラ達が作る朝食、昼のお弁当、夕食、クリスマスディナー等、ほとんどの食材が自給自足によるものである。台所の流し台の脇には井戸があり水を汲む。また収穫したベリーやプラムから作った自家製ジャムやクッキーを、友人や隣人たちにおすそ分けをする。そしてその友人や隣人たちが病気になれば、行って食事を作る。ひと昔前の日本でも似たような光景があったと思うが、開拓者同士の深い絆を物語る。また興味深い習慣として、学校に通う生徒達が、持参した水筒を校庭の脇の冷たい湧き水に浸す。さらに蜂蜜が傷薬に利用できることをネイティブカナディアンから教わり、ギルバートが医療を学ぶきっかけとなる。食事や食物の場面から開拓時代の人々の生活を垣間見ることができる。

 次にアメリカの代表的料理として日本でも馴染みのフライドチキンについて、よく分かる映画『ヘルプ』The Help(2011)がある。この作品は公民権法制定(1964)直前のミシシッピー州ジャクソンを舞台とした、アフリカ系アメリカ人女性達がヘルプ(メイド)として働き差別と闘った話だ。そもそもフライドチキンは、メイドたちが、それまで捨てられていた鶏の手羽先や内臓等の部位を味付けし、油で揚げて食べたのが始まりという。この映画の中でヘルプの一人ミリが、フライドチキンはクリスコ(Crisco)というショートニング(豚の油)で揚げるのが定番で、‟The most important invention since they put mayonnaise in a jar.”と言う。そしてこのクリスコで揚げたフライドチキンがミリの子供達の食卓に並ぶ。現代のテキサスを舞台とした映画『リトル・ミス・サンシャイン』Little Miss Sunshine(2006)でも、少女オリーヴの母親が夕食にフライドチキンを箱ごとテーブルの上にドンと置く。それに対して少女の祖父が「また今日もフライドチキンかよ!」と怒鳴り散らす。だが結局のところ一家は美味しそうに食べる。かつてはメイドたちが自分たちのためにクリスコで揚げたフライドチキンが、今では広くアメリカ社会に根付いていることがわかる。

 最近の映画やTVドラマの中には必ずと言っていいほど食事の場面が映し出され、時には登場人物たちが食べている料理の中身や料理法まで詳しく描かれる。人々の食に対する興味の高まりが背景にあるのだろう。それぞれの時代や地域の興味深い料理を映像から見ることができ、さらにそこから文化を知ることができる。おかげで映画やTVドラマを観る楽しみが増え、異文化を知ることができ嬉しい限りである。

参考資料

『レベッカ』Rebecca(1940).株式会社オルスタックソフト販売                       『アンという名の少女』 ANNE with an‟E”(2019).NHKエンタープライズ                     『へルプ』The Help(2011).ウォルトディズニー・スタジオ・ジャパン                    『リトル・ミス・サンシャイン』Little Miss Sunshine(2006) .20世紀フォックス ホームエンターテイメント ジャパン株式会社

第13回 ATEM東日本支部大会プログラム

東日本支部 支部大会プログラム

2022年12月17日(土)

13th ATEM Higashinihon Chapter Hybrid Conference 12/17/2022

日時:2022年12月17日(土)13:00~16:30

場所:東京工業大学大岡山キャンパス 西3号館 W331教室

Place: Tokyo Institute of Technology, Ookayama Campus, West Bldg. 3, W331

オンラインで参加される方は以下のGoogle Form1215日(木)までにご登録ください。後日ZoomURLをお知らせします。

You are kindly asked to register through the following Google Form by December 15 (Th.) if you would like to join the meeting online. You will be informed of Zoom ID & Pass later.

https://forms.gle/RebLpxFGRVPcDv3r8

対面で参加される方はマスクを着用の上、感染対策にご協力ください。 

If you join the meeting in person, please be sure to wear a mask and cooperate with other COVID-19 infection prevention

  ————————————————————

   13:00~13:15 開会挨拶と支部総会(Opening & General Meeting)

その後 発表者リハーサル(希望者のみ)

  113:30~13:55

NAKAMURA SachikoTohoku University

Title:

How can we make the best use of pattern practice in the digital era?

Abstract: Pattern practice is one part of the audiolingual method, which was once popular but now tends to be considered “obsolete.” Pattern practice in the audiolingual method, also called the Army Method or Michigan Method, was created based on the theory of Behaviorism (Skinner, 1957) and Structuralism, and reached its peak in the 1960s. It has received a lot of criticism, most famously by Norm Chomsky, namely that it has limited effects.

However, in the current digital era, the method seems to have an enormous potential via internet audio files to promote language acquisition when used for autonomous study. This is because it includes multiple aspects that could have positive effects on language learning when used effectively. Specifically, it could help with: 1) information retention, 2) changing declarative knowledge to procedural knowledge and promoting language automatization, 3) vocabulary and phrase acquisition, 4) understanding grammar, 5) segmentals and suprasegmentals in pronunciation, and 6) the acquisition of the ability of learners to monitor their own language in real communication. Based on this, using pattern practice for autonomous study and increasing opportunities to use English in communication could create a positive spiral.

In this presentation, I will explore what was wrong with the audiolingual method in the past and how we can improve it in the new, digital era.

        Q&A: 13:55~14:00 

2.14:05-14:30  

SPRING, RyanTohoku University

Title:

Statistics for Linguistics and Language Education Made Easy

Abstract: Many language educators and theoretical linguists have an allergy to statistics. While I understand that statistics can be daunting and therefore sticking with theoretical, qualitative, and descriptive methods can be appealing, there are many studies that could benefit from one of a few simple statistical tests. For example, in the 2018 edition of the ATEM Journal, I identified 3 (out of 8) papers (37.5%) that took numerical data and could have bolstered their arguments or discovered new insights by including statistical testing but did not (2019 = 30%; 2020 = 20~30%). Furthermore, some papers choose the wrong test, or either fail to report or to make an interpretation of the effect size.

I am by no means suggesting that all studies have to be quantitative or include statistics, nor am I suggesting that my colleagues papers are not good. Conversely, I find that many of these papers were very commendable, but that with just a little bit of help, the papers could have been expanded even further. Therefore, I created a simple, free, online tool (webpage) that can help language educators and linguists, specifically, to perform simple statistics tests for their research or educational purposes. The webpage helps researchers to choose the proper statistical test and to interpret their results in several ways. First, it provides simple explanations for each choice with practical examples of experiments and research designs that are common in linguistics and language education, that will hopefully be familiar to the user. Furthermore, it provides several computerized checks to ensure that users have made the correct selection.

For example, if users choose that their data is paired, but the number of data points in the data sets are different, it alerts the user. Furthermore, if a user selects that their data is continuous, a Shapiro-Wilks test of normalcy is conducted before allowing the use of parametric tests. Finally, the tool provides the user with: (1) an explanation of which tool was used and why, which can be included in the “methodology: analysis” section of a paper, (2) the test statistic, p value, and an appropriate measurement of effect size, (3) an interpretation of the effect size based on Plonsky and Oswald (2014). By showing the tool and how easy it is to use, I hope I can convince others to add simple statistical tests to their research to help them find new insights and bolster their arguments.

      Q&A: 14:30~14:35 

314:40~15:05 [Online presentation] 

Kavanagh, BarryTohoku University

Title:

The potential of satire to introduce global issues and enhance critical thinking skills

Abstract: With the advancement of globalization, Japan’s Ministry of Education, Culture, Sport, Science and Technology (MEXT) has strived to reform English language education. One of its main aims is to nurture globally minded university graduates who excel in English communication, media literacy and critical thinking skills.

Satire within visual media can be described as the use of irony to mock and ridicule human vices within the context of contemporary politics and global issues. Satire also aims to criticize in order to evoke some sort of change and through traditional and social media outlets university students can be exposed to satire on a regular basis. 

This talk looks at the work of the illustrator and animator Steve Cutts who has created a body of work that satirizes human behavior on a broad range of issues from materialism, animal cruelty, environmental issues and the corporate lifestyle. His satirical commentary on the excesses of society can be used as a tool to develop students’ media literacy and analytical skills within the EFL classroom. This talk will give some examples of classroom practice on how the animations of Steve Cutts were used to introduce Japanese university students to global issues, develop their understanding of visual media as a tool for satire and promote critical thinking skills.

      Q&A: 15:05~15:10 

415:15~15:40  

高橋亮太(兵庫県立大学)

発表タイトル:

『ボス・ベイビー』(Boss Baby, 2017)にみる家族の絆を深める英語

発表概要:

2017年公開の『ボス・ベイビー』は、世代を超えて楽しめるコメディ映画であり、家族の在り方についても考えさせられる作品となっている。冒頭、ボス・ベイビー(弟)の登場によって、7歳の少年ティム(兄)が感じていた両親からの愛が薄れてしまう。ボス・ベイビーはビジネスのため、そしてティムは両親からの愛情を取り戻すため、一つの任務を遂行する二人。任務の中で立ちはだかる数々の選択は、立場の違う二人の関係に変化をもたらす。ボス・ベイビーとティムの使うフレーズや単語は、普段映画を見ない人にとっても明確なプロットの役割を果たすと同時に作品のメッセージを強調する要素にもなっている。そこで彼らの使う言葉に着目していき、絆をメッセージとした作品へどのように影響しているのか具体例を用いて考察する。また今後は、アカデミックな場での『ボス・ベイビー』のようなコメディ・ファミリー映画の活用の可能性についても考えていきたい。

[“Boss Baby”(2017) is a comedy film that can be enjoyed by all generations and makes one think about the nature of family. The phrases and words used by Boss Baby and Tim serve as a clear plot for those who do not usually watch movies, and at the same time, they are elements that emphasize the message of the film. Therefore, I will focus on the words they use and discuss how they influence the message of the bond in the film using specific examples. In the future, I would also like to consider the possibility of using comedy family films such as “Boss Baby” in academic settings.]

       Q&A: 15:40~15:45

  

515:50-16:15

小泉勇人( 東京工業大学リベラルアーツ研究教育院)

発表タイトル:

英語音読用教材としてのA.シュワルツェネッガー英語ウクライナ侵攻から想起される父のトラウマと、陰謀論への抵抗

発表概要:

本発表は、発表者が初年次教育にて担当した「口語英語」での実践に基き、とりわけ音読テキストの有効性という観点から、アーノルド・シュワルツェネッガーの映像・音声素材を検証する。2022年2月、露プーチン大統領によるウクライナ侵攻の開始に伴い、各国首脳に限らず、多くの著名人がSNSを通じて世界に声明を発信してきた。この著名人には、元カリフォルニア州知事のアーノルド・シュワルツェネッガーも含まれる。ボディビルダーから俳優となり、政治家経験もある彼の声明からは複雑な背景が読み取れ、ロシアのボディビルダーへの憧憬、オーストリア兵士として第二次大戦を体験した父について、そして米議事堂事件とウクライナ侵攻の類似性を巡る議論を展開するものであった。本発表ではこの声明を取り上げ、その英語教材化の要点、授業への導入にあたり必要な背景知識、そして音読指導に基づく教育効果を論じる。

[Based on classroom practice in the first-year experience in higher education, this paper examines a speech by Arnold Schwarzenegger, who criticizes the Russian invasion of Ukraine as an English teaching material. It identifies what, to some extent, can be effective for shadowing English. The teaching process consists of reading comprehension of the text, the practice of reading the text aloud, and recitation in each class. In addition to some teaching methods for recitation training, this paper also focuses on Schwarzenegger’s father’s background and opinion about the 2021 United States Capitol attack revealed in the text.]

     Q&A: 16:15~16:20 

 6 16:25-16:30  閉会挨拶 (Closing)

第13回 ATEM(映像メディア英語教育学会)東日本支部 支部大会発表募集

日時:2022年12月17日(土)                        

会場:東京工業大学大岡山キャンパス

開催形態:ハイブリッドの予定ですが、状況によっては開催形態を変更する可能性がありますので、HP等でご確認ください。

発表募集期間:2022年11月1日~11月20日      

内容:例会テーマは特に固定はしておりません。「映像メディア英語教育学会」という学会名が示す通り、各種映像/音声メディアと英語教育が関連していれば受け付けます。領域も授業実践、教材開発、英語教育論(異文化理解教育等を含む)と幅広く捉えていただければと思います。ご不明な点などあればご相談ください。

発表時間:発表20分+質疑応答5〜10分を予定しておりますが、発表数によっては多少調整する場合があります。なお、発表のお願い(採否)については、応募締め切りから1週間程度でご連絡します。

応募方法:以下の必要事項を電子メール本文に掲載し、ATEM東日本支部宛(ej-seminar@atem.org)にお送りください。なお、送信後3日経っても返信がない場合は、再度ご連絡いただけますようお願いいたします。

1.メール表題に「ATEM東日本支部発表申し込み」と記載

2.発表タイトル

3.発表者の氏名(複数名で1つの発表の場合はそれぞれの氏名)       

4.発表者の所属(複数名で1つの発表の場合はそれぞれの所属)

5.連絡先(メールアドレス; 複数名で1つの発表の場合はその発表の代表者の連絡先)

6. 使用言語

7.発表概要(日本語の場合は400字程度、英語での発表は200-300 words)(日本語発表の場合は、簡潔な英語の説明文をお願いできれば幸いです。)

—————————————————————————–

Call for Presentations at the 13th ATEM Higashinihon Chapter Conference 

Dear ATEM Members:

ATEM Higashinihon Chapter will hold the 13th Chapter Conference at Tokyo Institute of Technology, Ookayama Campus, on December  17 (Sat.), 2022. We are planning on making the meeting hybrid, but this is subject to change depending on circumstances, so please check the website for details.

We are calling for presentations on English education (language education) that uses visual and/or audio multimedia including movies, TV dramas, 

Youtube, etc. Your presentation should focus on class activities, the 

development of language teaching materials, theoretical or empirical 

studies, or cross-cultural communication studies, etc. 

Each presentation will be 20 minutes with 5 to 10 minutes of Q and A. 

We will contact you about the details later. 

Application Period: November 1 to November 20, 2022

Acceptance notice will be sent by email around a week after the application deadline. 

When submitting a proposal, please provide the following information by an attached Word file to the ATEM Higashinihon Chapter Office 

(ej-seminar@atem.org). 

1 Please title your email as “ATEM Higashinihon Presentation Proposal.” 

2 Presentation title 

3 Name 

4 Affiliation 

5 Email address

6 Language of presentation

7 Abstract (400 letters in Japanese or 200 to 300 words in English; As for a presentation in Japanese, we would appreciate a very brief description in English.) 

“Collections of Idiomatic Expressions on YouTube”

Ryan Spring (ATEM East, Tohoku University)

There is a YouTube channel called “As Easy As Pie.” It has a nice collection of various phrases and idiomatic expressions that appear in popular American and British TV shows. Each video contains an explanation of what the phrase or idiomatic expression means and then shows at least one clip from a television show where it is being used in context. Some video contain multiple examples. This channel is potentially useful for use either in the classroom (i.e., showing specific examples to students) or for guided study outside of the classroom. Students could also use the channel for self-study, as it includes definitions, explanations, and practical examples of the phrases and expressions in use. 
Here are the benefits and drawbacks to this particular channel:
Benefits:
1. Being a YouTube channel, you can search for specific phrases or expressions WITHIN the channel. Any videos will follow the same easy-to-use format. 2. There are a wide range of phrases and expressions.3. There are explanations, definitions, and practical examples created from authentic video materials 
Drawbacks:1. The channel has a limited number of phrases and expressions, so teachers may have to plan their lessons/quizzes/etc. around what exists on the channel.
2. There is no way to add your own
Overall, this can be a powerful tool either for encouraging students to study, or to provide easy to understand examples when one of the phrases or expressions that you want to teach appears within the channel. Here is the channel link:https://www.youtube.com/channel/UCfG86_GaWYrGZlj05TArkrg

An interesting future study could be to link this to corpus studies, or to create our own ATEM channel that would be based on the expressions and phrases that we think are important or that might supplement or compliment this channel.

『96時間』(Taken, 2008)における英語の「脅し文句」

小泉勇人(東京工業大学)

『96時間』(Taken, 2008)で役者リーアム・ニーソンが捲し立てる脅し文句を耳にして震え上がらない観客がいるでしょうか。『96時間』は、周りから心優しく無害だと思われていた人間の劇的な変貌を描いた傑作活劇だと言えましょう。中年男ブライアン・ミルズ(ニーソン)は離婚した後、溺愛する娘キムのパリ旅行をハラハラして見送ります。心配性の彼は、パリに到着し次第、彼が住むアメリカの自宅に電話をかけるようキムに頼みます。ところが、キムがパリのホテルからミルズに電話をかけたまさにその時、誘拐犯が侵入しキムを闇の売春組織の元へ連れ去ろうとするのです(原題がTakenなのはこれが由来)。キムが連れ去られた後、携帯を拾い上げた犯人の息遣いがミルズの耳に伝わります。ミルズがそこで取った行動は、1ミリも怯むことなく、退官した鬼のCIA工作員としての冷酷な脅し文句を誘拐犯に突きつけることだったのです:

Bryan Mills:

If you’re looking for ransom, I can tell you I don’t have money but what I do have are a very particular set of skills. Skills I have acquired over a very long career. Skills that make me a nightmare for people like you. If you let my daughter go now, that will be the end of it. I will not look for you, I will not pursue you. But if you don’t, I will look for you, I will find you and I will kill you. (参考YouTube動画:https://www.youtube.com/watch?v=jZOywn1qArI)

映画は時に強烈な「脅し文句」を教えてくれます。このわずか1分程で、ミルズは誘拐犯に自分の意思・能力・条件・宣告を誘拐犯の耳に叩き込むのです:

①身代金を払う余裕はない点(I don’t have money)

②誘拐犯を追い詰める能力がこちらにはある点(Skills that make me a nightmare for people like you)

③娘を返せば不問にする点(I will not look for you, I will not pursue you.)

④娘を返さないなら絶対に追い詰めて、殺すという揺るぎない決意(I will look for you, I will find you and I will kill you.)

この脚本術の骨子は、ミルズが何百回となく修羅場を乗り越えてきた人物であることを観客(と誘拐犯)に瞬時に理解させることにあります。強烈なのは①-③から続く④の宣告、話者の決意表明と、これから怒涛のように展開される鬼の追跡劇を予告する発言だと言えるでしょう。事実『96時間』は、優しい優しい好人物を絵に描いたような俳優リーアム・ニーソンが鬼と化し、愛娘を救出せんと拷問と破壊の限りを尽くしながらパリを激走する物語なのです。

 ところで本作は、ミルズを演じるリーアム・ニーソンの役者傾向が鮮やかに戯画化された映画でもあります。ニーソンが演じる役は、喜怒哀楽で言えば哀と怒の振り幅が異常に大きい傾向にあるのです。確かにニーソンと言えば『シンドラーのリスト』(Schindler’s List, 1993)でユダヤ人救出に命をかける静かなる男を演じたことでも、よく知られた名優です。『ラブ・アクチュアリー』(Love Actually, 2003)での、死別した妻の連れ子の世話を焼く優しい継父も記憶にあります。『スター・ウォーズ エピソード1/ ファントム・メナス』(Star Wars: Episode I – The Phantom Menace, 1999)にて弟子を導く雄大なジェダイを演じてもいました。

 一方、キレる役者芸もニーソンの強みだったに違いありません。『ロブ・ロイ/ロマンに生きた男』(Rob Roy, 1995)では静かに怒りをために貯めこんでついには爆発させるスコットランドの英雄を演じたのもニーソンです。サム・ライミ監督作『ダークマン』(Darkman, 1990)で、心根の優しい科学者が異常なまでの怒りを爆発させる難役を嬉々としてこなしていたのも、ニーソンです。(参考動画:景品のぬいぐるみをくれない意地悪な射的場の店員にキレるニーソン。https://www.youtube.com/watch?v=lbdeAhpIPhE&ab_channel=Movieclips)。つまりニーソンは研究を重ねてきていたのです、一見穏やかで実際にそうなのだけれと一度キレると止まらない男の役を・・・。その一つの到達点こそが他ならぬ『96時間』だったのではと、今になって見れば納得も行こうものです(振り返れば『シンドラーのリスト』ですら、ホロコーストに無関心だった男がやがてユダヤ人の救世主へと変貌していくという、「豹変する怒りのニーソン」的話型として読めてしまうから不思議なものです)。

 改めて『96時間』は、役者リーアム・ニーソン固有の十八番演技をこれでもかと生かした活劇であり、その口から発せられる「脅し文句」は、2000年代ジャンル映画史上において絶大なインパクトを残しました。この台詞に込められたニーソンの揺るがない意思を読み取り、音読し、暗唱しましょう。力強い英語です。あなたが何かと闘わなければならない時、心の中の鬼のニーソンがきっと背中を押してくれることでしょう。

第12回 ATEM東日本支部      オンライン大会プログラム           12th ATEM Higashinihon       Chapter Online Conference                              2022年3月13日(日)                March 13, 2022                                                  

以下のGoogle Formで3月12日までに登録ください。           後日ZoomのURLをお知らせします。

You are kindly asked to register through the following Google Form by March 12 in order to join the meeting. You will be informed of Zoom ID & Pass later.
URL   https://forms.gle/uLBen7BmyCdP7hKcA

  ————————————————————

 *12:30 ~ Zoomのリハーサル(*発表者のみ)
     Zoom Rehearsal (*Presenters only)




   1.13:00~13:25 開会挨拶と支部総会(Opening & General Meeting)

2.13:30~13:50 

  Ryan SPRING (Tohoku University), 

  Shizuka SAKURAI (Tohoku University), 

Sachiko NAKAMURA (Tohoku University)

        Use of interactive videos in university EFL learning

   Interaction in the target language is one of the key elements in improving speaking

proficiency. However, EFL classrooms sometimes provoke Foreign Language Anxiety

(FLA), which may make learners feel reluctant to communicate in the target language

and lead to lack of willingness to communicate. To lower students’ anxiety, we

attempted a pedagogical solution that would give them ample opportunities to practice

English communication by themselves in advance and prepare for the real use of

English in class. By doing so, we hoped their affective filter would be lowered, and they

could feel more confident, which would in turn encourage them to interact more with

other students in class. The pedagogical solution we implanted was interactive videos

for self-practice of communication.

    We created interactive videos, with which students can practice English discussions by themselves. In the videos, two L1 English speakers talk to each other and the camera, making the students feel that they are a part of the conversation and must respond. Students speak their response to a speech recognition system, which types out what they say. Through this process, students can learn how they should respond properly in English and practice comprehensible pronunciation without any societal pressure. In this presentation, we demonstrate how each of us used the videos in and out of class. We also introduce students’ reactions to the use of interactive videos.  

                           ≪Q&A: 13:50~14:00≫ 

3.14:05-14:25  

Satomi YOSHIMUTA (Kwassui Women’s University)

The Color Purple (1985): A Woman’s Self-Realization and the American Women’s History around the early 20th Century      [SIG]

     The Color Purple (1985), a film based on a novel authored by Alice Walker, depicts a life of an African American woman and sisterhood in the South about 40 years spanning from the 1900s. The time was amid the very first wave of feminism in the United States. In 1920, the 19th Amendment was ratified, and it has guaranteed all American women’s rights to vote. Celie, the main character of the story, connects with three women, who represent relationships with society and the changing women’s status and inspire her to change.

     One of them is described as an iconic flapper girl, who is a representative of a liberal woman in the 1920s. She can express herself as she likes and never gives herself to a man. As a flapper, she is engaged in a nightlife activity as a jazz singer in a glittering costume.

   Another woman whom Celie encounters represents the dilemma between an African American’s freedom and the harsh reality that surrounds an African American woman without backing. Sophia talks back on a street to a white lady, which puts her into lifelong persistent adversity. The paradox in creating interracial sisterhood is included in her episode.

     In this presentation, posterior to discussing the author’s point of view toward the setting and the era, I will illustrate a model of teaching how Celie experiences transformation through encountering three women based on the American women’s culture and history through this film.

      ≪Q&A: 14:25~14:30≫ 

4.14:35~14:55  塚田三千代(翻訳・映画アナリスト)

映画 『ラスト・クリスマス』(Last Christmas, 2019)に観る文化諸相 [SIG]




1980年代に世界中で大ヒットした“Last Christmas”のメッセージが、現在も人々の心の奥底まで響くWHAM!のGeorge Michael作詞作曲と同名の映画である。 “Heal the Pain” “Last Christmas” “Praying for Time” などをBGMに流し、英国のEU離脱に直面する移民家族(旧ユーゴスラヴィアを脱出)、多様国籍のロンドン在住者が英語習得に苦労…、主役歌手オーディションに挑戦するケイトは心臓移植後に情緒不安定になるが、不思議なアジア系の青年トムとの出会いが鍵となって他者を認識するVR(Virtual Reality)などが描かれる。映画全体に明るいユーモアと痛恨の極みが漂う。

研究で考察した知見は語学教育現場の手引きとなり、授業で活用できて適切な教材になる。MCDBキーワード検索: 異文化理解、文化差異、英国の贈答文化、VR(Virtual Reality)

[The movie “Last Christmas” (2019) in view of Cultural Aspects

 The message of the film “Last Christmas” comes from the song of the same name written by George Michael of WHAM! It was a worldwide hit in the 1980s and still resonates deep in people’s hearts today. Many George Michael songs including “Heal the Pain,” “Praying for Time,” and a previously unreleased single, play as background music, and the title song is performed in the finale. The film is about an immigrant family who fled the breakup of Yugoslavia and now live in London as the UK faces the exit from the EU, focusing on an aspiring singer Kate, who is emotionally unstable after a heart transplant. Her encounter with a mysterious young British-Asian man, Tom, is the key to her growing self-maturity. We see as well life among diverse nationalities in London including struggles with learning English. The whole movie has a cheerful humor and a poignant reveal. ]

      ≪Q&A: 14:55~15:00≫ 

5.15:05~15:25  呉春美(神奈川大学)

  映画『グラン・トリノ』に見る異文化理解と社会的背景

【授業実践例】

異文化理解の授業で、映画『グラン・トリノ』を副教材として導入しています。主人公は、元フォード車の組立工で、一人暮らしのイタリア系移民の白人男性です。隣家に引っ越してきたモン族との交流を通して、ノンバーバル・コミュニケーションなどの相違点が浮き彫りになり、その文化的背景について考察します。またこの映画は銃の所持、人種差別や貧困、退役軍人のトラウマなどの社会問題を提示しており、アメリカ文化の理解にも有効な教材であるとも言えます。最後に、映画を使った語学学習とコンテクストラーニングがいかに効果的であるか、マルチモーダリティの観点から検証します。

[In this presentation, I would like to discuss how the film, “Gran Torino,” is effective for cross-cultural understanding.  The film shows how the main character, a white Italian immigrant and retired Ford car assembler, came to accept the Hmong family living next door and made them a part of his life. Themes of racism, immigrants, poverty, war trauma and so forth are also broached, and students can learn about these social problems in American culture. Finally, the effectiveness of multilingualism and multimodality in film-based language learning is considered.]

       ≪Q&A: 15:25~15:30≫

 

6.15:35-15:55  山本五郎(法政大学 現代福祉学部) 

 辞書開発の観点から見たCOVID-19の語法分析

本発表では、2019年の年末から現在に至るまでニュースメディア等で高頻度に用いられているcoronavirus と COVID-19に注目する。COVID-19 (coronavirus disease 2019)と上位語であるcoronavirusは同様に用いられることが多いため,これらの語法分析を目的として,英語雑誌メディアの記事と医学系を中心とした学術論文に基づくコーパスを新たに構築した。

本発表では、 まずBiber(1995)等に触れながら、コロナウイルスに焦点をあてて開発された既存のコーパス(The Coronavirus Corpus)と本研究で構築したコーパスの違いについて述べる。その上で、使用頻度、コロケーション、それぞれの語が用いられる文脈などについて比較分析し、語彙特性を明らかにする。これらの語彙は,Wisdom4版(2019)のような比較的新しい英和辞典を含め,多くの辞書では見出し語項目としては扱われていないものであるため,辞書開発の観点から,今後出版される英和辞典で見出し語として収録する際の語義や用例,サインポスト等について考察し,提示法を提案する。

[This presentation focuses on the usage of “COVID-19” and “coronavirus.” These two synonymous vocabulary items have been frequently used in a variety of media since the end of 2019, but they have yet to be listed in many English dictionaries. To shed light on the common features and differences between these two items, the presenter developed a corpus based on English journal articles and academic research papers. This presentation first gives some insights about the existing corpus, the Coronavirus Corpus (Davies, 2021), and the corpus newly developed for the purpose of this research. Second, definitions, example phrases, and a signpost of these two vocabulary items for inclusion in a future dictionary will be proposed.]

      ≪Q&A: 15:55~16:00≫ 

   

7.16:05~16:25  日影尚之(麗澤大学)

 石油、家族、血ーPaul Thomas AndersonのThere Will Be Blood (2007) を英語・リベラルアーツの授業で教える場合について     [SIG]

Paul Thomas Andersonの There Will Be Blood(2007)を英語・リベラルアーツ専攻の授業で教える場合について考えている。主人公Daniel Plainviewの掘削と埋葬のパターンに病理的内面を読むGeorge Toles(2015)のようなアプローチもあるが、Daniel Worden (2012)は、石油と家族の密接な関係およびその断絶として読む。主人公は “I’m a family man, and I run a family business. This is my son and my partner, H.W. Plainview.”というが、DanielとH.W.の関係は本当の血縁ではなく「石油縁」である。Danielとの血縁を騙る男が登場し、採掘中の事故で聴力を失うH.W.はやがてDanielの言うことを聞かなくなり、最終的には独自に石油ビジネスを始めると言って2人は縁を切る。アメリカの生命線(lifeblood)である石油と血(血縁/暴力)そして宗教の物語は、父、息子とも大統領として米軍主導で中東での戦争を指揮したGeorge Bush 親子およびその背景の大手石油資本の話になる。石油と家族と戦争を扱うGeorge Stevens監督のGiant (1956 )と比較しながら扱うのも良いだろう。授業で教える場合を想定して気をつけるべき点などについて検討したい。

[Oil, Family, and Blood: Approaches to Teaching Paul Thomas Anderson’s There Will Be Blood (2007) in an English and Liberal Arts Major Class

 I’m thinking of teaching Paul Thomas Anderson’s There Will Be Blood (2007) in an English and Liberal Arts Major class. In this presentation I would like to focus on the narrative web of oil, family, and blood in this film based on Daniel Worden (2012) because this approach leads to another important subject of American studies—presidency, oil and religion (George W. Bush and George H. W. Bush). Another approach is to compare George Stevens’ Giant (1956) and TWBB. What and how do we need to teach TWBB in order to promote discussion in a class?]

                                   ≪Q&A: 16:25~16:30≫ 

8.16:30~16:35  閉会挨拶 (Closing)

Informal Virtual Get-together (~17:00)ドキュメント設定を開く公開パネルを開く

  • 文書

通知投稿を下書きに戻しました。