「東日本支部便り」カテゴリーアーカイブ

映画『メッセージ』(Arrival, 2016)に見る人生の選択


日影尚之  麗澤大学


 『ブレードランナー2049』や『デューン 砂の惑星』などでも知られるドゥニ・ヴィルヌーヴ監督のSF映画『メッセージ』(Arrival, 2016)について少し考えてみたいと思います。この映画の始まりと終わりは、同じ悲壮な弦楽曲にオーバーラップする主人公の言語学者Louise Banksの語りで繋がっています。プロット的には、宇宙船で地球の12か所に同時にやってきたまま宙でじっとしているエイリアン(heptapod)たちに対して、Louise が謙虚な態度で文字によるコミュニケーションを積み重ねながら、彼らの言語(つまり外国語)を学んでいきます。新しい言語を学ぶことは思考方法(Louise に関して言えばその時間認識や「原因ー>結果」などの固定観念)を変える(複眼化する)ことであり、次第に彼らのメッセージに気づいていき、大切なことばを知る/思い出す/伝えることで人類を戦争の危機から救うことになります。
 

エイリアン(alien:見知らぬ相手、馴染みのない存在、異なる者、外国人、宇宙人などの意味)に対して、Louise の方は必要以上に怖がることなく、防護服(鎧兜)を脱いでコミュニケーションを取ろうとするのに対して、「見知らぬ存在」を極度に警戒し、軍事力を誇示したり、勝敗や敵味方などの二項対立的思考(zero-sum game)にとらわ
れたりする軍および安全保障関係者(主として男性たち)の態度が対照的です。同じように、エイリアンが言う“weapon”を「武力」ととらえ、警戒と敵対関係・分断を強める地球各国の指導者に対して、そういう意味ではない、信頼と協力の方向に舵を切るようにと人類が異星人に教えられる経験をします。
 

 しかし、異星人とのコミュニケーションを通じてLouiseの人生には、物理学者Ianとのロマンスが生まれます。Hannahという回文のような名前をつけられた、やがて生まれ若くして亡くなるらしい娘のビジョンをはさんで、エイリアンたちの真意を理解しようと奮闘するLouiseの姿は、一人の人間として、先の運命を知っていてもその娘を産み育てる選択をする(そのことを受け容れた上で日々を生きていこうとする)物語にもなっています。映画の最後に主人公が語る静かな決意 “Despite knowing the journey and where it leads, I embrace it, and welcome every moment of it.”(どうなるかがわかっていたとしても、人生の瞬間瞬間を大切に生きていく)は、Everett Hamner (2017)が示唆するように、例えば、遺伝子研究の進展やそれに基づく確立的データの蓄積などにより、未来がある程度の確率で予想できるかもしれない時代を生きる我々が、そうした情報をどう受け止め、どう生きていくのかについて考えるヒントになるのかもしれません。


主要参考文献
Hamner, Everett. (2017). Editing the Soul: Science and Fiction in the Genome Age.
Pennsylvania State University Press.

家電機器と多機能な高校英語 ~学習指導要領における「英語」の変遷~


濵中 啓子(東京都立忍岡高等学校)


日本製家電機器はたいへん優秀である。第二次世界大戦後の復興時期、国産品は安かろう悪かろうと言われたこともあったが、高度経済成長期を迎えるまでに性能的に申し分のないものになった。実際、職場の英語科職員室で使用している電子レンジと冷蔵庫は20年、30年の使用に耐え、今も現役である。それらはいずれもいたって単純な作りをしていて、電子レンジは温める機能のみ。冷蔵庫は冷蔵と冷凍の2ドアタイプである。故障しない理由は、そのシンプルさにあるのだろう。


シンプルという言葉で思い出すのは、現行の文部科学省平成30(2018)年告示の高等学校学習指導要領(以下、平成30年要領)で定められている外国語(英語)の科目である。学年が上がるのに合わせて「Ⅰ」「Ⅱ」「Ⅲ」と深化するが、「英語コミュニケーション(以下、英コミュ)」と「論理・表現(以下、論表)」の二種類のみである(専門学科は除く)。ここまでシンプルに科目数が少なかったことが過去にもあったのだろうか。疑問に思い、国立教育政策研究所教育研究情報データベースのサイトで過去の英語の科目について調べてみた。



高等学校学習指導要領における英語の科目の変遷(括弧内の数字は単位数) (https://erid.nier.go.jp/guideline.html)
昭和35年:英語A(9) 英語B(15)
昭和45年:初級英語(6) 英語A(9) 英語B(15) 英会話(3)
昭和53年:英語I(4) 英語Ⅱ(5) 英語ⅡA(3) 英語ⅡB(3) 英語ⅡC(3)
平成元年:英語I(4) 英語II(4) オーラルコミュニケーションA(2) オーラルコミュニケーションB(2) オーラルコミュ二ケーション(2) リーディング(4)ライティング(4)
平成11年:オーラル・コミュニケーションI(2) オーラル・コミュニケーションⅡ(4) 英語Ⅰ(3) 英語Ⅱ(4) リーディング(4) ライティング(4)
平成21年:コミュニケーション英語基礎 コミュニケーション英語Ⅰ コミュニケーション英語Ⅱ コミュニケーション英語Ⅲ 英語表現Ⅰ 英語表現Ⅱ 英語会話
平成30年(現行):英語コミュニケーションⅠ(3) 英語コミュニケーションⅡ(4) 英語コミュニケーションⅢ(4) 論理・表現Ⅰ(2) 論理・表現Ⅱ(2) 論理・表現Ⅲ(2)

以上の調査から、高校英語の科目が二種類のみというのは昭和35年要領と同様だと判明した。ただしそのシンプルさとは裏腹に、英コミュも論表も深化科目で、一つの科目で扱う内容は多種多様だ。英コミュでは、「聞く、読む、話す[やり取り]、話す[発表],書く」の五つの領域を、論表では、「話す[やり取り]、話す[発表]、書く」の三つの領域を扱うことになっている。家電に例えると、「英コミュ」ボタンを押すと五つの機能が、「論表」ボタンを押すと三つの機能が働くようなものか。その扱う量の多さをイメージし易くするために、学習指導要領の「外国語」部分の文字数を比較してみた。


学習指導要領「外国語」部分の文字数
昭和35年:  9,145字(そのうち約3000字はドイツ語とフランス語について)
平成30年: 21,983字

説明部分の単純比較で結論を出すのは多少乱暴であるが、高校英語が扱う内容は約60年で約3倍に増えていると言っても過言ではない。一方、授業に費やす時間は24単位から17単位に減っているのだから、どう考えても、高校英語というボタンに機能を詰め込み過ぎだ。

いくら多機能な電子レンジでも、トーストを焼きながら、ごはんの温めをすることはできない。また、時代が多機能を求めているからと言って、全ての生徒に多機能を求めるのは非現実的だ。日本製の家電や携帯電話が世界市場で優位に立てなかったのは、一つの製品に多機能を追求し過ぎたせいもあったはず。 ひとまず良し悪しは別としても、多機能であることを求められている高校英語。教師は何を教えるのか、どのタイミングでどう導入するのか、何をどのように評価するのか、それらの判断は、結局、教師一人ひとりに委ねられている。だから私は今、英語科職員室で何十年も重宝されてきた単機能の冷蔵庫や電子レンジを横目にしながら、4月からできる限り単純明快に英コミュや論表を教えられるよう、平成30年告示学習指導要領の完成年である2024年度の年間授業計画を立てている。

ATEM(映像メディア英語教育学会)東日本支部 2024年度・夏季例会発表募集

例会日時:2024年5月26日(日)                        

会場:麗澤大学新宿キャンパス

開催形態:対面開催(発表は会場で行います。オンライン発表はありません)

※遠隔参加する聴講者向けに、リアルタイム中継(配信)を検討しています。

対面開催で実施するため、発表者は会場にお越しください。聴講につきましては、会の盛況のためにもなるべく会場にお越しいただけましたら幸いです。

発表募集期間:2024年4月30日まで      

内容:例会テーマは特に固定はせず、各発表内容は発表者に一任いたします。「映像メディア英語教育学会」という学会名が示す通り、各種映像/音声メディアと英語教育が関連していれば受け付けます。領域も授業実践、教材開発、英語教育論(異文化理解教育等を含む)と幅広く捉えていただければと思います。そうした分野やトピックに関するワークショップ(※)のご提案も含みます。ご不明な点などあればご相談ください。

発表時間:発表20分に加え質疑応答5-10分を予定しておりますが、発表数や企画の有無などによって多少調整する場合があります。なお、発表のお願い(採否)については、応募締め切りから1週間程度でご連絡します。

※ワークショップ:発表者がファシリテーターとなり、特定のトピックに関する解説、および聴衆も含めた活動の実施、とお考えください。これまでに実施された例として、映像使用に関する著作権についての理解を深める講義、英語学習アプリの使い方に関する講座、英語で映画を撮る授業の実践体験、映画撮影技術の講座および実践体験等があります。なお、アクティビティなどが含まれる可能性も鑑み、ワークショップの実施時間は20-40分の枠内でご計画ください。

応募方法:以下の必要事項を電子メール本文に掲載し、ATEM東日本支部宛(ej-seminar@atem.org)にお送りください。なお、送信後3日経っても返信がない場合は、再度ご連絡いただけますようお願いいたします。

1.メール表題に「ATEM東日本支部発表申し込み」と記載

2.発表タイトル

3.発表者の氏名(複数名で1つの発表の場合はそれぞれの氏名)       

4.発表者の所属(複数名で1つの発表の場合はそれぞれの所属)

5.連絡先(メールアドレス; 複数名で1つの発表の場合はその発表の代表者の連絡先)

6. 使用言語

7.発表概要(日本語の場合は400字程度、英語での発表は200-300 words)

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Call for Presentations at the ATEM Higashinihon Chapter Study Meeting on May 26, 2024

Dear ATEM Members:

ATEM Higashinihon Chapter will hold a Study Meeting at Reitaku University Shinjuku Satelite Campus, on May 26 (Sun.), 2024. We are planning on making the meeting Face-to-face (Presentations will be made at the venue, no online presentations). Also, real-time live broadcast (streaming) is being considered for remote participants, but this is subject to change depending on circumstances, so please check the website for details.

We are calling for presentations on English education (language education) that uses visual and/or audio multimedia including movies, TV dramas, Youtube, etc. Your presentation should focus on class activities, the development of language teaching materials, theoretical or empirical studies, or cross-cultural communication studies, etc. We also welcome proposals for workshops on those fields or topics.

Each presentation will be 20 minutes with 5-10 minutes of Q and A. (This may be adjusted depending on the number of presentations and the related projects. Please note that you will be notified of your presentation request (acceptance or rejection) approximately one week after the application deadline. 

We will contact you about the details later. 

Application Period: To April 30, 2024

Acceptance notice will be sent by email around a week after the application deadline. 

We would appreciate it if presenters could come to the venue as much as possible to avoid possible networking problems. If you wish to make an online presentation from outside the venue, please inform us at the time of application.

When submitting a proposal, please provide the following information by an attached Word file to the ATEM Higashinihon Chapter Office 

(ej-seminar@atem.org). 

1 Please title your email as “ATEM Higashinihon Presentation Proposal.” 

2 Presentation title 

3 Name 

4 Affiliation 

5 Email address

6 Language of presentation

7 Abstract (400 letters in Japanese or 200 to 300 words in English)

「聖なる鹿殺し」(2017) ~秀逸なサイコホラー~

藤田久美子 進学塾TOMAS講師

(*注意:この文章には、物語の核心に触れる部分があります。映画をご覧になってからお読みになることをお勧めします。)

最近「哀れなるものたち」が公開され、いろいろ話題を呼んでいるギリシャ出身のヨルゴス・ランティモス監督だが、同監督によるサイコホラー、「聖なる鹿殺し」(The Killing of a Sacred Deer)は、公開(2017)からほとんど7年が経過した現在でも、様々に取りざたされる映画である。ギリシャ神話からヒントを得た、一種の寓話であると言えるかもしれないこの映画だが、見終わった後には、何とも言えない嫌な感じを残す、所謂、“イヤミス”の類の映画である。その“いやな感じ”は、同時に、不気味な感じに繋がっていく。その不気味さとは、結局人間そのものの不気味さなのだが、その不気味さをいや増すために、様々な仕掛けが作られているのだ。

この映画は、心臓の手術という、かなりショッキングな場面から始まる。そしてそのバックに流れるのは、荘厳なレクイエムである。初めてこの映画を見た人は、“一体これはどんな映画なのだろう?”と、一種の怖いもの見たさに駆られて、見続けるのではないだろうか。

映画の主な登場人物は、ある心臓外科医と彼を慕うように見える少年、及び外科医の家族であり、初めのうちは、外科医と少年は一体どんな関係なのだろう、というミステリーが支配する。コリン・ファレルが演じる外科医は、一見したところ如何にも真面目な、家族思いの医者で、全米の心臓外科医の中でも相当な地位についている人物だということが示される。

ニコール・キッドマン演じる美しい妻も眼科医で、一家は二人の子供と共に、郊外の豪邸に住んでいる。しかし、この家族の会話の様子は単調で冷たく、家族の間に暖かい血が通っているようには感じられないのだ。こうした会話の調子は、話が進むにつれて時々流れる不気味な不協和音と共に、この映画の主旋律を作り上げる効果として出色である。

外科医は時々病院に訪ねてくる少年(バリー・コーガン、素晴らしい演技である!)に、かなり高価な腕時計をプレゼントしたりするので、観客は、“少年は医者の隠し子なのか?”と想像するかもしれないが、そうではないことが、物語の中盤ごろに明らかになる。少年は、医者を母と二人で暮らす小さな家に招き、母と彼とを結びつけようとする。頻繁に病院にやってきては、“母は最近魅力的になってきたし、先生を恋している。先生が母と結婚してくれたら嬉しい”などと言って、医者を悩ませる。少年の話には、父親のことがよく出てきて、父親は心臓の病気で死んだようだ、ということがはっきりしてくる。

あまりにも頻繁に自分を呼び出すようになった少年にうんざりし、同時に恐怖も感じるようになった医者に対し、少年は、“先生の子供たちに災いが起きる、それが正義なんだから”と言う。その後、先ず息子が突然歩けなくなり、娘も同じ状態になる。医学的には何の問題もないのに、そんな状態になった子供たちのことを不審に思った妻は夫の同僚の医者(麻酔医)から、夫が少年の父の手術の前に酒を飲んでいたこと、しかも、そうしたことは頻繁にあったことを聞き出す。

何年か前の出来事であり、証拠があるわけでもないが、医者に非があるのは明らかであるのに、彼は少年を家の地下室に監禁して、殺そうとさえする。その間にも、少年の予言の通り、息子の両目からは出血が始まる。医者を脅迫する少年は、家族の誰かを殺せば、何もかもが元に戻ると言う。恐ろしい少年の脅迫の言葉を聞いた医者夫婦の関係は最悪になる。妻は夫を“元はと言えば、皆あなたのせいだ”と言って、夫をなじるが、同時に、まるでマクベス夫人のように、夫に恐ろしいことを囁く。

「残酷だけど、息子に犠牲になってもらいましょう。私たちは、また、子供が作れるし、体外受精も可能だわ。」 ”I believe the most logical thing, no matter how harsh this may sound, is to kill a child. Because we can have another child. I still can and you can.  And if you can’t, we can try IVF, but I’m sure we can.”  (IVF=体外受精)

そして、遂に、医者は、家族皆を居間に集め、自分にも家族にも目隠しをして、銃を構えてぐるぐる回り、最後に息子を殺してしまう。この場面は、“家族の誰かを殺す”という、信じられないほど悲惨な、悲劇的な場面のはずなのに、何故か滑稽ですらある。何故なら、最も罪あるものであるはずの夫が、罪なき子供を殺すことになるのに、それほど苦しんではいないように見えるからだ。自分の行為が原因で子供たちが苦しむのだから、普通は、何よりも自分自身を責め、ひたすら後悔すべきではないだろうか。そして、少年に対して心から謝罪すべきではないだろうか。

最後の場面は、町のダイナーで食事を済ませた医者の家族が、少年を見かけて、何も言葉を交わさずに、店を出ていくところである。もちろん、息子の姿はもうない。家族は息子の命を犠牲にして生き延びたのだ。しかし一体、このままですべて終わりだろうか、という疑問が残る。いや、決してこのままでは終わらないだろうと誰もが感じるはずである。

少年は、ギリシャ神話の、宿命を司る神モイライの化身であろうか?ともあれ、この話は、一種の風刺的なファンタジーであろう。予言通りのことを実現させる少年も不気味だが、医者とその妻こそ不気味だという感じがぬぐえない。さらに言えば、自分さえよければ、と考える人間こそ、不気味なのだ。

“それぞれの関係が真の愛に基づいたものではないことを如実に示す、抑揚のほとんどない会話”、“宿命の神の手(あるいは悪魔の手)が下される時に流れる不気味な不協和音”、“やり場のない不安に駆られているのに無表情な医者夫妻”、そして何より、“医者夫妻をじりじりと恐怖に陥れる少年の存在”などが、この映画のサイコホラーの重要な要素として挙げられるであろう。

監督が意図したと言われるギリシャ悲劇との関連などが今一つはっきりしないなど、作品としての出来という点では十分ではない点もあるが、優れた脚本とこうしたサイコホラー要素、そして勿論、俳優たちの優れた演技に支えられて、この映画は、“罪と罰、“職業意識”、“家族の関係”、“経済的格差”等の問題、そして何より“人間とは何か?”についてのメッセージを見るものに突きつける、見ごたえのある映画に仕上がっている。

    

Using the work of Banksy within the EFL classroom

Barry Kavanagh (Tohoku University)

Banksy is an enigmatic and prolific street artist who rose to prominence in the early 2000s

with his thought-provoking creations that blend social commentary, satire, and wit.

Many of Banksy’s pieces carry a strong social or political message. He often addresses issues such as war, poverty, government surveillance, and corporate greed. Banksy’s art has reached a global audience and has appeared in various cities worldwide. Despite his anonymity, his impact on the art world and popular culture is significant.

Banksy’s work is primarily found in public spaces like walls, bridges, and buildings. This choice of canvas allows his art to be accessible to a wide audience, transcending the traditional confines of galleries and museums. However, this has sparked debates about the role of street art in contemporary society, the boundaries between vandalism and art, and the power of visual communication to convey important messages.

His artwork can provide an interesting and engaging topic for an ESL class, especially at the University level. Utilizing Banksy’s work can help students explore various aspects of language, culture, and critical thinking. Most university students have heard of Banksy and are familiar with some of his more popular and famous artwork, including “Mobile Lovers” (2014), which depicts a couple embracing while checking their smartphones. It comments on the impact of technology on human relationships. “The Flower Thrower” (2003) is another iconic piece that shows a man in a rioter pose, but instead of throwing a Molotov cocktail, he is throwing a bunch of flowers. It’s a powerful image that contrasts violence with beauty. “There Is Always Hope” (2002) is another one of his famous works, which you can find sold as merchandise. Often referred to as the “Balloon Girl,” this image features a girl letting go of a balloon with the words “There Is Always Hope” next to her. It’s a widely recognized symbol of optimism.

Using Banksy’s art in the ESL classroom can be a creative and engaging way to teach students how to make inferences and learn about connotative vocabulary in context. Banksy’s works often contain social and political messages, making them rich material for discussion and possible interpretation. Students can be pre-taught the vocabulary and the background context needed to interpret his work and then make inferences based on what they see in his artwork, along with the student’s prior knowledge that they bring to their exploration of his artwork.

Students can also be provided with original reading passages covering the polarizing nature of Banksy’s work into passages that praise and are critical of him. It is a good opportunity for students to see how positive and negative connotations are used in context to convey opinions and interpretations of his work. For example, the social commentary of Banky’s work is sometimes described as insightful, but is it thought-provoking or superficial and simplistic? Students can also use such vocabulary to formulate their own opinions, and it lends itself well to student discussion and opinion essays such as ‘Banksy is just a vandal. Do you agree or disagree?

I have used Banksy’s work in the above ways, and students have found it engaging and interesting. If the activities are adequately scaffolded and level-conscious, it can give students a chance to express themselves as well as review language skills such as making inferences and using positive or negative connotations in context.

With the advancement of globalization, one of the objectives of Japan’s Ministry of Education, Culture, Sport, Science and Technology (MEXT) is to nurture globally-minded university graduates who excel in English communication, media literacy, and critical thinking skills.

The emphasis, therefore, is on developing students’ ability to think and express themselves in English. The focus is not only on their acquisition of knowledge of the English language but also on what they can do in English. Using works such as Banksy’s, which address many contemporary and global issues, can challenge students both cognitively and linguistically.

映像メディア英語教育学会(ATEM)東日本支部      第14回支部大会発表募集

日時:2023年12月17日(日)                        

会場および開催形態:麗澤大学新宿キャンパスおよびハイブリッド

発表募集期間:2023年11月12日~12月3日(日曜)      

内容:例会テーマは特に固定はしておりません。「映像メディア英語教育学会」という学会名が示す通り、各種映像/音声メディアと英語教育が関連していれば受け付けます。領域も授業実践、教材開発、英語教育論(異文化理解教育等を含む)と幅広く捉えていただければと思います。ご不明な点などあればご相談ください。

発表時間:発表20分+質疑応答5〜10分を予定しておりますが、発表数や企画の有無などによって多少調整する場合があります。なお、発表のお願い(採否)については、応募締め切り後、数日程度でご連絡します。

会場外からのオンライン発表を希望される方は発表申し込み時にお伝えください。

応募方法:以下の必要事項を電子メール本文に掲載し、ATEM東日本支部宛

ej-seminar@atem.org)にお送りください。なお、送信後3日経っても返信がない場合は、再度ご連絡いただけますようお願いいたします。

1.メール表題に「ATEM東日本支部発表申し込み」と記載

2.発表タイトル

3.発表者の氏名(複数名で1つの発表の場合はそれぞれの氏名)       

4.発表者の所属(複数名で1つの発表の場合はそれぞれの所属)

5.連絡先(メールアドレス; 複数名で1つの発表の場合はその発表の代表者の連絡先)

6. 使用言語

7.発表概要(日本語発表の場合は400字程度、英語発表は200-300 words)

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Call for Presentations at the 14th ATEM Higashinihon Chapter Hybrid Conference on December 17 (Sun), 2023  

Dear ATEM Members:

ATEM Higashinihon Chapter will hold the 14th Chapter Hybrid Conference at Reitaku University Shinjuku Satellite Campus on December 17 (Sun.), 2023.

We are calling for presentations on English education (language education) that uses visual and/or audio multimedia including movies, TV dramas, Youtube, etc. Your presentation should focus on class activities, the development of language teaching materials, theoretical or empirical studies, or cross-cultural communication studies, etc. 

Each presentation will be 20 minutes with 5 to 10 minutes of Q and A. (This may be adjusted depending on the number of presentations and the related projects. Please note that you will be notified of your presentation request (acceptance or rejection) in a few days after the application deadline. 

We will contact you about the details later. 

Application Period: November 12(Sun) to December 3(Sun), 2023

If you wish to make an online presentation from outside the venue, please inform us at the time of application.

When submitting a proposal, please provide the following information by an attached Word file to the ATEM Higashinihon Chapter Office 

(ej-seminar@atem.org). 

1 Please title your email as “ATEM Higashinihon Presentation Proposal.” 

2 Presentation title 

3 Name 

4 Affiliation 

5 Email address

6 Language of presentation

7 Abstract (400 letters in Japanese or 200 to 300 words in English)

玄関ギャグについて考える

中村 佐知子(東北大学 高度教養教育・学生支援機構 講師)

吉本新喜劇の桑原和男さんが亡くなりました。87歳の大往生。幼い頃に見ていた吉本新喜劇のスターの方々(島木譲二さん、チャーリー浜さん、井上竜夫さん、中山美保さん…)の訃報を、ここ数年、聞くことが多くなりました。当たり前のようにテレビで見てきた芸人さんが鬼籍に入られるのは、やはりとても寂しいものです。

桑原和男さんと言えば、玄関ギャグとでも言うべきこのギャグが有名です。

「ごめんください」

「どなたですか」

「〇〇〇〇〇です」

「お入りください」

「ありがとう」

(共演者全員コケる)

一連のやりとりを、桑原和男さんが全て一人で演じてしまうのが面白さのポイントです(ギャグを説明するのは非常に無粋で、なんだかムズムズしますが)。このように、分かり切ったお決まりの展開を愛でるのが、吉本新喜劇の典型的な楽しみ方です。

英語にも定番玄関ギャグが存在します。それがknock knock jokesです。その中でも最も有名なもののひとつを紹介します。

Mike: “Knock, knock!” (トントン)

Patty: “Who’s there?” (そこにいるのは誰?)

Mike: “Lettuce.”(レタス)

Patty: “Lettuce who?” (レタス・何さん?)

Mike: “Lettuce in. It’s cold out here.” (中に入れてよ。外は寒いんだ。)

いったい何が面白いのでしょうか。またしても、無粋ながらこのギャグを簡単に解説致します。

Mike: “Knock, knock!”

Patty: “Who’s there?”(“Knock, knock!”に対して必ず”Who’s there?”と聞き返すのがお決まり。)

Mike: “Lettuce.”

Patty: “Lettuce who?”(聞こえた語に”who?”をつけて聞き返すのがお決まり。Lettuceをファースト・ネームに見立て、ファミリー・ネームは何かを尋ねている。)

Mike: “Lettuce in. It’s cold out here.”(この部分がオチ。)

“Lettuce in.”と “Let us in.”がpun(ダジャレ)になっています。場面が玄関であること、そしてお決まりのフレーズが使われることから、桑原和男さんの「ごめんください」ギャグを妙に想起させます。

knock knock jokesが、映画やドラマで使われることもあります。『The Office』公式YouTubeチャンネルにアップされているワンシーンを見てみましょう。

Knock Knock  – The Office US https://youtu.be/ez6Xdf_p7Yg @YouTubeより

Michael: Knock, knock!

Pam: Who’s there?

Michael: Buddha.

Pam: Buddha who?

Michael: Buddha this bread for me, won’t you?

Buddha(仏陀)とbutter(~にバターを塗る)がpun(ダジャレ)になっています。knock knock jokesという定番玄関ギャグがある、という背景知識があってこそ楽しめるシーンだと言えるでしょう。このknock knock jokesからはbutterの動詞用法も学ぶこともでき、映画やドラマは学びの宝庫であるとの認識をさらに深めさせてくれるシーンでもあります。

大人気ドラマ『The Big Bang Theory』のメインキャラクターの一人であるSheldonも、定番玄関ギャグの使い手です。

(knock, knock, knock) “Penny.”

(knock, knock, knock) “Penny.”

(knock, knock, knock) “Penny.”

アパートの向かいの部屋に住むPennyを訪ねる際、Sheldonはドアを3回ノックした後「Penny」と呼び、さらに必ずこれを3回繰り返す、というのがお決まりです。Sheldonの偏執的な性格がよく表れており、思わずにやりと笑ってしまうシーンです。

玄関は、コメディーの世界に生きる人を惹きつけて止まない磁場のような場所なのかもしれません。今回は、桑原和男さんの訃報に触れ、玄関ギャグについて考えてみました。

戴冠式の切り花からみる映像と社会―70年の時を経て―

濱上桂菜(立命館大学嘱託講師)

2023年5月6日にチャールズ3世の戴冠式がありました。その様子は、英国公共放送BBCによって生放送で世界中に配信されました。また、式が終わった今も、世界各国の放送局によって配信されたユーチューブ動画を見ることができます。そういった意味では、70年前のエリザベス女王戴冠式よりも、世界の人々にとって近い戴冠式となったといえるでしょう。

エリザベス女王の戴冠式と異なる点は他にもあります。それは、映像がカラーであることです。また、式を飾る草花にも異なる特徴がありました。このような映像の違いと草花の違いは、案外深く関わりあっているようです。そして、式に使われた草花は、面白いことに、その時の社会を反映しているようにも思えます。今回は、2つの戴冠式でウェストミンスター寺院を彩った草花から見る映像と社会についてお話します。

エリザベス女王の戴冠式で記録に残っている装飾草花は、女王が手にしていたブーケです。ブーケには、4種類の白い花があしらわれていました。写真を見てわかるように(参考URL (1))、白黒の世界の女王の手に白色の花が美しく浮かび上がっています。もしここで赤色や黄色の花を選んでいれば、これほど鮮明に美しく花が映ることはなかっ
たでしょう。当時の映像にいかに映えるかを考慮して、白色の花が選ばれたように思えてなりません。

また、4種類の白い花(ランとスズラン、ジャスミン、ラン、カーネーション)は、それ
ぞれ、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドとマン島から摘み取
ったものでした。つまり、当時の戴冠式は、大英国とその地域の結束を強く意識して行わ
れたといえます。

一方で、今回のチャールズ国王の戴冠式では、(ブーケこそなかったものの)祭壇、無名戦士の墓、寺院の出入口などに、様々な色の草花が飾られました(参考動画:https://www.youtube.com/watch?v=_exIPOs9DLM)。映像では、ワインレッド、紫、赤褐色、アース系の色の草花が時折映り込みます。(祭壇の草花は2:40、無名戦士の墓の草
花は4:57、寺院出入口のトピアリーは7:23に確認できます。)もし70年前の白黒のカメラで映したら、草花は黒く映ってしまい、背景と同化していたかもしれません。今回の草花の色は決して華美ではありません。しかし、ウェストミンスター寺院の石壁や金の装飾と一緒になって、歴史の重みを感じさせるような深みのある色合いでした。

また、チャールズ国王が環境保護に取り組んでいることから、草花の装飾においても地球環境やサステナビリティが意識されていました(参考URL (2))。装飾のためにプラスチックは一切使われませんでした(あの生花用吸水スポンジでさえ、です!)。そして式の後にはブーケになって、高齢者施設やホスピスなどに送られ、再利用されたとのことです。

このように、戴冠式に飾られた草花からは、映像のあり方と私たちの社会が改めて明らかになります。次の戴冠式を迎えるときは、私達はどのような映像を受け取るのでしょうか。もしかしたら、VRとして配信され、参列者であるかのように体験できるようになっているかもしれません。そして、その映像には、どのような草花が映り込み、それは未来のどんな社会を反映しているのでしょうか。楽しみに待っていようと思います。

参考URL (1):https://www.housebeautiful.com/uk/garden/plants/a42778137/king-charles-coronation-flowers/
参考URL (2):https://www.harpersbazaar.com/celebrity/latest/a43796956/flowers-queen-elizabeth-prince-philip-king-
charles-coronation-2023/
参考動画:https://www.youtube.com/watch?v=_exIPOs9DLM

Videos to Contextualize Indirect Speech Acts

Ryan Spring TOHOKU UNIVERSITY


Indirect speech acts can be difficult for learners. This is especially true in Japan, where students are often told that English is a ‘straight’ language where people express their true thoughts and feelings very directly. However, this is not really true, and English does employ indirect speech, especially for politeness. Furthermore, although the expressions
seem very simplistic, EFL learners do not always recognize the intent of the speaker when one of these expressions is used. For example, “I don’t know” is often used to express disagreement, dissatisfaction, or refusal, and is signaled in part by the fact that the speaker very much DOES know. Consider example (1) below:

(1) I don’t know if I like that color.

Of course, the speaker knows whether or not they like the color (in fact, they are the only one who possibly COULD know whether or not they like it). Therefore, this expression is likely not being used to signal uncertainty so much as disagreement or dissatisfaction with the given color. However, since “I don’t know” is a very common phrase, many learners assume they already know the phrase and all of the situations and contexts it can occur in, despite not being aware that it does not always indicate uncertainty.

Since indirect speech is often used as a politeness strategy in conversations in English, it is important to understand the context in which the phrase or expression is used. Therefore,
the ATEM East Japan Branch SIG on “How the English of Movies, TV Dramas, and YouTubes Can Contribute to the Development of Practical English Education” used the COCA corpus to find several examples of expressions commonly used in indirect speech and examples of these used in spoken contexts (i.e., mainly from the television and movies
section of the corpus). We recontextualized the examples to be in very neutral settings and to have just enough information that they could be made into short video clips. We then filmed two short videos for each expression and uploaded them to a searchable YouTube channel:

https://www.youtube.com/@englishvideomaterials9242

We also implemented these videos within a series of multi-modal flashcards that allow users to check what type of indirect speech act each expression is, hear and practice speaking an example, and also provide the video clips that represent the expressions being used in conversational contexts. The multi-modal flashcards are also available here:

https://springsenglish.online/flashcards/isfc.html

We hope the videos and flashcards might be helpful for other learners in the future!

-Ryan Spring,
on behalf of the members of the ATEM East Japan Branch SIG “How the English of
Movies, TV Dramas, and YouTubes Can Contribute to the Development of Practical English
Education” (Atsuko Otsuki, Keina Hamagami, Sachiko Nakamura, Ryan Spring)

忘れられない映画の、あの場面       —『ファイト・クラブ』のレイモンド K. ハッセル君の獣医の夢 —

小泉 勇人 東京工業大学

Gonna check in on you. I know where you live. If you’re not on your way to becoming a veterinarian in six weeks, you’ll be dead. 

お前は見張っとく。住所はわかってる。6週間たっても獣医の勉強してなきゃ、お前はもう死んでいる。

——Fight Club (1996)

 誰にでも、忘れたくても忘れられない映画の場面の記憶がある。カメラの角度や動き、演技、台詞、編集、照明etc.が渾然一体となった演出が、観客の脳裏にこびりつく。自分にとっては『ファイト・クラブ』におけるレイモンド K. ハッセル君が登場するくだりが忘れられない。

 そもそも『ファイトクラブ』とはどんな映画であったか?それは実存の不安にファイトを仕掛ける物語ではなかったか。現実感を上手く感じ取れず、日々の楽しみと言えば食べることや寝ること、消費を繰り返すくらいで(まだそれができれば良い方だけれど)、ふと、自分が自分である意味がわからなくなる瞬間は誰にだってある。思いっきりカッコつけて言えば「実存の不安」というやつだ。そんな不安に襲われてハムレットはこう叫ぶ——

What is a man

If his chief good and market of his time

Be but to sleep and feed? A beast, no more.

人間とは一体なんだ?

生きている間にすることといえば

ただ眠って食べることだけ? まるでケダモノじゃないか。 (第四幕第四場)

<参考映像資料:『ハムレット』当該台詞の場面>

Hamlet (‘How All Occasions Do Inform Against Me’) (Andrew Scott)

(https://www.youtube.com/watch?v=EyFfCT_nPuE&ab_channel=ZsuzsannaUhlik)

Hamlet Act IV Scene IV Speech (KennethBranagh) 

(https://www.youtube.com/watch?v=easWqy08wr8&ab_channel=LawrenceTemple)

Shakespeares Hamlet – Soliloquy Act 4 Scene 4 

(https://www.youtube.com/watch?v=lM9XU10oRGw&ab_channel=SweetspotStudio)

21世紀を生きる現在人にとっての戯曲『ハムレット』は映画『ファイトクラブ』かもしれない。観客に銃口を突きつけ、挑発し、胸ぐら掴んで喧嘩を売る稀代の猛毒映画、世紀末を前にして腐り切ってタガの外れた90年代最後の映画的咆哮だと言えよう。

 戦争も飢餓もなく(無い方が間違いなく良いとは思うが)、とにかく「大きな物語」を得られない世代に落ち込んだ語り手(narrator)が抱える闇は深い。「僕」は大手自動車会社のリコール調査部門で働く若手。アメリカ中を出張して、北欧家具に囲まれた自宅のコンドミニアムで不自由ない生活。冷静に考えれば(考えなくても)、不況に喘ぐ我々からすれば安定しきった生活だ。しかし実際はひどい不眠症にかかって眠れず、日中はぼんやり。「この世にはな、君より不幸な人がわんさといるよ」と医者に言われ、より不幸な人の話を聞いたら憐憫で安心感を得られると思ったか、難病患者同士が悩みを打ち明け合う自助グループに夜な夜な潜り込んではじっと耳を傾けたり、癒しプログムの流れで互いに抱き合ったりする(この行動力自体はすごいと思うが)。

 何も不幸じゃないのに、不幸だ。You’ll be dead、お前はもう死んでいる。殺されるまでもなく、心が死んでいる。そして、ついに「僕」は無二の親友タイラー・ダーデンと劇的な出会いを果たす。バーでぬるそうなビールを飲む二人。物を所有することにしか楽しみを見いだせないと呟く「僕」にタイラーは遠慮しない———The things you own end up owning you” (てめえの持ちもんに支配されてどうする)。 おまけに、バーの外でタイラーは “I want you to hit me as hard as you can” (できるだけ力強く俺を殴れ)と僕に奇怪な頼み事をしてくるじゃないか。

 “Hit me as hard as you can”がファイト・クラブ始動のきっかけだった。戸惑いながらヒョロついたパンチを繰り出すと、間違ってタイラーの耳を殴りつけちゃった。仕返しとばかりみぞおちを思いっきり殴り返された僕は、なんとも言えない高揚感を覚える。また殴りたい。いや殴られたい。もっとだ、もっとやってくれ。もっとやろうぜ。ファイトクラブ創設の瞬間だ。「僕」とタイラーがバーの地下を借りて主催するファイトクラブに鬱憤を抱えた男たちが夜な夜な集まり、素手で一対一の殴り合いに興ずるようになる。最高に絶望だ。

 タイラーは日常を生きる人々にさえファイトを仕掛ける。ある夜、タイラーは「僕」を連れてコンビニに押し入り、レイモンド K. ハッセルという名の若い店員を外に引きずり出して頭に銃口を押し当てる。“What did you want to be, Raymond K. Hassell?” (お前は何になりたいんだ?)と尋ねるタイラー。「じ、じっ、、じゅ獣医ですっ!」と無我夢中で答える気の毒なハッセル君。顔は恐怖に引き攣り、死がもう目の前に迫る。弾丸が脳髄にめり込んでぐちゃぐちゃに破壊するまで一秒もない——タイラーは銃を下ろす。

Gonna check in on you. I know where you live. If you’re not on your way to becoming a veterinarian in six weeks, you’ll be dead. 

お前は見張っとく。住所はわかってる。6週間たっても獣医の勉強してなきゃ、お前はもう死んでいる。

なぜか解放されたハッセル君、泡くって逃げる。タイラーの銃には弾が込められていなかった。「僕」は尋ねる、「タイラー、お前なんでこんなことしたんだよ?」

 本作の監督はデヴィッド・フィンチャー、まごうことなき次世代のスタンリー・キューブリック。『エイリアン3』(1992)でデビュー後、『セブン』(1995)と『ゲーム』(1997)を公開し、本作に至る。いずれの作品も舞台設定は全く違えど、危機的な状況において善悪の彼岸を見、変貌を迫られる人間ばかりを描いてきた。『ファイトクラブ』は『タクシー・ドライバー』(1976)と『ジョーカー』(2019)の間に位置付けられる鬼子なのかもしれない。

 冒涜的で反社会的な描写に満ちた『ファイト・クラブ』は案の定、1999年の公開時に大きな物議を醸す。高名な映画評論家ロジャー・イーバートをして「最も率直かつ快活な、売れる俳優を起用したファシスト映画(the most frankly and cheerfully fascist big-star movie)」で、「暴力礼賛(a celebration of violence)」で、「マッチョポルノ(macho porn)」だと言わしめる(rogerebert.com, 1999)が、もはや褒めているのか貶しているのかよく分からない。しかし大事なことは、イーバートにファイトする気持ちがあるかどうかだ(イーバートにはあると思う)。To fight, or not to fight – that is the question; ————世界一高名なデンマークの王子がかつて僕らに問うていたことは、つまりはそういうことではなかったかTo be, or not to be – that is the question;の後に続く台詞はどうであったか。

Whether ‘tis nobler in the mind to suffer

どちらが人間らしい生き方だろう、

The slings and arrows of outrageous fortune,

不条理な運命に殴られても黙ったままでいるべきか、
Or to take arms against a sea of troubles,

押し寄せる困難の大波に向かって無謀にも殴りかかって
And by opposing end them?

決闘を挑むべきか? (以上、筆者による意訳)

確かに『ファイト・クラブ』は多様な解釈に耐えもすれば殴りかかりもする、実に刺激的な映画だ。消費主義社会と現代人の共依存関係に鋭く切り込む批評性はその一例であり、冒頭に引用したタイラー・ダーデン(Brat Pitt)の台詞“Gonna check in on you. I know where you live. If you’re not on your way to becoming a veterinarian in six weeks, you’ll be dead.”は観客の脳味噌にへばりつく。直訳すれば「お前のことを見ているからな。お前の住んでいる所はわかっている。もし6週間経っても獣医になる勉強をしていなかったら、お前は死ぬことになる」といったところ。you’ll be deadとは言ったものの、you(ハッセル君)を殺すのはタイラーその人である(ちなみに戸田奈津子は「ブッ殺す」と訳している)。check in on…は「(人・物の様子を積極的に)うかがう」、be on your way to …ingは「…をしている途中だ」で良いが、「お前の道の上(on your way)にいる」と直訳する方がむしろ格好いい。veterinarianは「獣医」。

 さてタイラーの言葉の力強さを上手く日本語に変換できないものか。「お前は見張っとく。住所はわかってる。6週間たっても獣医の勉強してなきゃ、お前はもう死んでいる。」としてみたが、これではまだまだひよっこの日本語か。タイラーにボコられるのがオチである。台詞を解釈するなら、「明日があると思うな、今日の内にお前が本当にやりたいことをやれ!」ということになる。なんのことはない、『今を生きる』(Dead Poets Society, 1989)で提唱されたcarpe diem(Seize the day)がファイト・クラブの本質だったのか。『今を生きる』と『ファイト・クラブ』に近似性があるだって?冗談もほどほどにしなさいという向きもあろうが、しかし遡及的に見れば、あの生徒達はキーティング先生にcarpe diemを教えられるまではどことなく「僕」のように見えやしないだろうか。現に、彼らが最終場面で果敢にファイトを仕掛けることで映画の幕が閉じるのが『今を生きる』である。同じロビン・ウィリアムズ主演でも、『パッチ・アダムズ』(Patch Adams, 1998)が「もう一つのファイト・クラブ」こと『セシル・B/ザ・シネマ・ウォーズ』(Cecil B. Demented, 2000)に喧嘩を売られた事態とは大違いである(後者の映画に出てくる映画テロリスト達が『パッチ・アダムズ』の上映館に乗り込んで映画テロリズムをかますくだりがある。何を言っているかわからないと思いますがその通りのことが起こります。気になる方はご覧ください)。

 話を元に戻すと、気の毒なハッセル君は獣医になりたかったにも関わらず、(環境のせいか本人のせいかはともかく)コンビニバイトで日銭を稼ぎ、勉強時間も捻出できずに日々を(死んだように)生きている。タイラーはそんなハッセル君に銃口を突きつけ、危機的状況に突き落とすことで真の欲望を強烈に再認識させる。実現に向かって死に物狂いで現実に立ち向かうよう発破をかける漢タイラー・ダーデン。だから、解放されて全力疾走で逃げるハッセル君の背中を見送る「僕」に理由を聞かれてタイラーはうそぶく——Tomorrow will be the most beautiful day of Raymond K. Hessel’s life. His breakfast will taste better than any meal you and I have ever tasted. (明日はレイモンド K. ハッセル君にとって極上の1日になるだろうよ。奴の朝飯は、俺達がこれまでに食ったどんな飯よりも美味いに違いない)。

 タイラーの極端すぎる「教育」は現実には到底容認できない。これを教育現場でやらかす狂人を見たければ『ブラックスワン』(Black Swan 2010)や『セッション』(Whiplash, 2014)を見よう。しかし、この場面を見た我々は、日々の雑務の中で人生の使命を見失いそうになっているかもと訝しみ、ほんの僅かでも、それでも前に向かって踏み出そうとする。“If you’re not on your way to becoming a veterinarian in six weeks, you’ll be dead.”を自分自身に向かって呟く言葉として、脳味噌に書き付けよう。“becoming a veterinarian”を自分がしたいこと、なりたいものを示す言葉に、“six weeks”を実現のための目標期限に置き換えれば、自分を鼓舞するパワフルな英語が出来上がる。英借文だ。ここでの代名詞“you”は、もちろんファイトを仕掛ける者、つまり我々を指す。ファイトしようぜハッセル君。『ファイト・クラブ』は今でもなおTo fight, or not to fight?と問いかけている。