「東日本支部便り」カテゴリーアーカイブ

忘れられない映画の、あの場面       —『ファイト・クラブ』のレイモンド K. ハッセル君の獣医の夢 —

小泉 勇人 東京工業大学

Gonna check in on you. I know where you live. If you’re not on your way to becoming a veterinarian in six weeks, you’ll be dead. 

お前は見張っとく。住所はわかってる。6週間たっても獣医の勉強してなきゃ、お前はもう死んでいる。

——Fight Club (1996)

 誰にでも、忘れたくても忘れられない映画の場面の記憶がある。カメラの角度や動き、演技、台詞、編集、照明etc.が渾然一体となった演出が、観客の脳裏にこびりつく。自分にとっては『ファイト・クラブ』におけるレイモンド K. ハッセル君が登場するくだりが忘れられない。

 そもそも『ファイトクラブ』とはどんな映画であったか?それは実存の不安にファイトを仕掛ける物語ではなかったか。現実感を上手く感じ取れず、日々の楽しみと言えば食べることや寝ること、消費を繰り返すくらいで(まだそれができれば良い方だけれど)、ふと、自分が自分である意味がわからなくなる瞬間は誰にだってある。思いっきりカッコつけて言えば「実存の不安」というやつだ。そんな不安に襲われてハムレットはこう叫ぶ——

What is a man

If his chief good and market of his time

Be but to sleep and feed? A beast, no more.

人間とは一体なんだ?

生きている間にすることといえば

ただ眠って食べることだけ? まるでケダモノじゃないか。 (第四幕第四場)

<参考映像資料:『ハムレット』当該台詞の場面>

Hamlet (‘How All Occasions Do Inform Against Me’) (Andrew Scott)

(https://www.youtube.com/watch?v=EyFfCT_nPuE&ab_channel=ZsuzsannaUhlik)

Hamlet Act IV Scene IV Speech (KennethBranagh) 

(https://www.youtube.com/watch?v=easWqy08wr8&ab_channel=LawrenceTemple)

Shakespeares Hamlet – Soliloquy Act 4 Scene 4 

(https://www.youtube.com/watch?v=lM9XU10oRGw&ab_channel=SweetspotStudio)

21世紀を生きる現在人にとっての戯曲『ハムレット』は映画『ファイトクラブ』かもしれない。観客に銃口を突きつけ、挑発し、胸ぐら掴んで喧嘩を売る稀代の猛毒映画、世紀末を前にして腐り切ってタガの外れた90年代最後の映画的咆哮だと言えよう。

 戦争も飢餓もなく(無い方が間違いなく良いとは思うが)、とにかく「大きな物語」を得られない世代に落ち込んだ語り手(narrator)が抱える闇は深い。「僕」は大手自動車会社のリコール調査部門で働く若手。アメリカ中を出張して、北欧家具に囲まれた自宅のコンドミニアムで不自由ない生活。冷静に考えれば(考えなくても)、不況に喘ぐ我々からすれば安定しきった生活だ。しかし実際はひどい不眠症にかかって眠れず、日中はぼんやり。「この世にはな、君より不幸な人がわんさといるよ」と医者に言われ、より不幸な人の話を聞いたら憐憫で安心感を得られると思ったか、難病患者同士が悩みを打ち明け合う自助グループに夜な夜な潜り込んではじっと耳を傾けたり、癒しプログムの流れで互いに抱き合ったりする(この行動力自体はすごいと思うが)。

 何も不幸じゃないのに、不幸だ。You’ll be dead、お前はもう死んでいる。殺されるまでもなく、心が死んでいる。そして、ついに「僕」は無二の親友タイラー・ダーデンと劇的な出会いを果たす。バーでぬるそうなビールを飲む二人。物を所有することにしか楽しみを見いだせないと呟く「僕」にタイラーは遠慮しない———The things you own end up owning you” (てめえの持ちもんに支配されてどうする)。 おまけに、バーの外でタイラーは “I want you to hit me as hard as you can” (できるだけ力強く俺を殴れ)と僕に奇怪な頼み事をしてくるじゃないか。

 “Hit me as hard as you can”がファイト・クラブ始動のきっかけだった。戸惑いながらヒョロついたパンチを繰り出すと、間違ってタイラーの耳を殴りつけちゃった。仕返しとばかりみぞおちを思いっきり殴り返された僕は、なんとも言えない高揚感を覚える。また殴りたい。いや殴られたい。もっとだ、もっとやってくれ。もっとやろうぜ。ファイトクラブ創設の瞬間だ。「僕」とタイラーがバーの地下を借りて主催するファイトクラブに鬱憤を抱えた男たちが夜な夜な集まり、素手で一対一の殴り合いに興ずるようになる。最高に絶望だ。

 タイラーは日常を生きる人々にさえファイトを仕掛ける。ある夜、タイラーは「僕」を連れてコンビニに押し入り、レイモンド K. ハッセルという名の若い店員を外に引きずり出して頭に銃口を押し当てる。“What did you want to be, Raymond K. Hassell?” (お前は何になりたいんだ?)と尋ねるタイラー。「じ、じっ、、じゅ獣医ですっ!」と無我夢中で答える気の毒なハッセル君。顔は恐怖に引き攣り、死がもう目の前に迫る。弾丸が脳髄にめり込んでぐちゃぐちゃに破壊するまで一秒もない——タイラーは銃を下ろす。

Gonna check in on you. I know where you live. If you’re not on your way to becoming a veterinarian in six weeks, you’ll be dead. 

お前は見張っとく。住所はわかってる。6週間たっても獣医の勉強してなきゃ、お前はもう死んでいる。

なぜか解放されたハッセル君、泡くって逃げる。タイラーの銃には弾が込められていなかった。「僕」は尋ねる、「タイラー、お前なんでこんなことしたんだよ?」

 本作の監督はデヴィッド・フィンチャー、まごうことなき次世代のスタンリー・キューブリック。『エイリアン3』(1992)でデビュー後、『セブン』(1995)と『ゲーム』(1997)を公開し、本作に至る。いずれの作品も舞台設定は全く違えど、危機的な状況において善悪の彼岸を見、変貌を迫られる人間ばかりを描いてきた。『ファイトクラブ』は『タクシー・ドライバー』(1976)と『ジョーカー』(2019)の間に位置付けられる鬼子なのかもしれない。

 冒涜的で反社会的な描写に満ちた『ファイト・クラブ』は案の定、1999年の公開時に大きな物議を醸す。高名な映画評論家ロジャー・イーバートをして「最も率直かつ快活な、売れる俳優を起用したファシスト映画(the most frankly and cheerfully fascist big-star movie)」で、「暴力礼賛(a celebration of violence)」で、「マッチョポルノ(macho porn)」だと言わしめる(rogerebert.com, 1999)が、もはや褒めているのか貶しているのかよく分からない。しかし大事なことは、イーバートにファイトする気持ちがあるかどうかだ(イーバートにはあると思う)。To fight, or not to fight – that is the question; ————世界一高名なデンマークの王子がかつて僕らに問うていたことは、つまりはそういうことではなかったかTo be, or not to be – that is the question;の後に続く台詞はどうであったか。

Whether ‘tis nobler in the mind to suffer

どちらが人間らしい生き方だろう、

The slings and arrows of outrageous fortune,

不条理な運命に殴られても黙ったままでいるべきか、
Or to take arms against a sea of troubles,

押し寄せる困難の大波に向かって無謀にも殴りかかって
And by opposing end them?

決闘を挑むべきか? (以上、筆者による意訳)

確かに『ファイト・クラブ』は多様な解釈に耐えもすれば殴りかかりもする、実に刺激的な映画だ。消費主義社会と現代人の共依存関係に鋭く切り込む批評性はその一例であり、冒頭に引用したタイラー・ダーデン(Brat Pitt)の台詞“Gonna check in on you. I know where you live. If you’re not on your way to becoming a veterinarian in six weeks, you’ll be dead.”は観客の脳味噌にへばりつく。直訳すれば「お前のことを見ているからな。お前の住んでいる所はわかっている。もし6週間経っても獣医になる勉強をしていなかったら、お前は死ぬことになる」といったところ。you’ll be deadとは言ったものの、you(ハッセル君)を殺すのはタイラーその人である(ちなみに戸田奈津子は「ブッ殺す」と訳している)。check in on…は「(人・物の様子を積極的に)うかがう」、be on your way to …ingは「…をしている途中だ」で良いが、「お前の道の上(on your way)にいる」と直訳する方がむしろ格好いい。veterinarianは「獣医」。

 さてタイラーの言葉の力強さを上手く日本語に変換できないものか。「お前は見張っとく。住所はわかってる。6週間たっても獣医の勉強してなきゃ、お前はもう死んでいる。」としてみたが、これではまだまだひよっこの日本語か。タイラーにボコられるのがオチである。台詞を解釈するなら、「明日があると思うな、今日の内にお前が本当にやりたいことをやれ!」ということになる。なんのことはない、『今を生きる』(Dead Poets Society, 1989)で提唱されたcarpe diem(Seize the day)がファイト・クラブの本質だったのか。『今を生きる』と『ファイト・クラブ』に近似性があるだって?冗談もほどほどにしなさいという向きもあろうが、しかし遡及的に見れば、あの生徒達はキーティング先生にcarpe diemを教えられるまではどことなく「僕」のように見えやしないだろうか。現に、彼らが最終場面で果敢にファイトを仕掛けることで映画の幕が閉じるのが『今を生きる』である。同じロビン・ウィリアムズ主演でも、『パッチ・アダムズ』(Patch Adams, 1998)が「もう一つのファイト・クラブ」こと『セシル・B/ザ・シネマ・ウォーズ』(Cecil B. Demented, 2000)に喧嘩を売られた事態とは大違いである(後者の映画に出てくる映画テロリスト達が『パッチ・アダムズ』の上映館に乗り込んで映画テロリズムをかますくだりがある。何を言っているかわからないと思いますがその通りのことが起こります。気になる方はご覧ください)。

 話を元に戻すと、気の毒なハッセル君は獣医になりたかったにも関わらず、(環境のせいか本人のせいかはともかく)コンビニバイトで日銭を稼ぎ、勉強時間も捻出できずに日々を(死んだように)生きている。タイラーはそんなハッセル君に銃口を突きつけ、危機的状況に突き落とすことで真の欲望を強烈に再認識させる。実現に向かって死に物狂いで現実に立ち向かうよう発破をかける漢タイラー・ダーデン。だから、解放されて全力疾走で逃げるハッセル君の背中を見送る「僕」に理由を聞かれてタイラーはうそぶく——Tomorrow will be the most beautiful day of Raymond K. Hessel’s life. His breakfast will taste better than any meal you and I have ever tasted. (明日はレイモンド K. ハッセル君にとって極上の1日になるだろうよ。奴の朝飯は、俺達がこれまでに食ったどんな飯よりも美味いに違いない)。

 タイラーの極端すぎる「教育」は現実には到底容認できない。これを教育現場でやらかす狂人を見たければ『ブラックスワン』(Black Swan 2010)や『セッション』(Whiplash, 2014)を見よう。しかし、この場面を見た我々は、日々の雑務の中で人生の使命を見失いそうになっているかもと訝しみ、ほんの僅かでも、それでも前に向かって踏み出そうとする。“If you’re not on your way to becoming a veterinarian in six weeks, you’ll be dead.”を自分自身に向かって呟く言葉として、脳味噌に書き付けよう。“becoming a veterinarian”を自分がしたいこと、なりたいものを示す言葉に、“six weeks”を実現のための目標期限に置き換えれば、自分を鼓舞するパワフルな英語が出来上がる。英借文だ。ここでの代名詞“you”は、もちろんファイトを仕掛ける者、つまり我々を指す。ファイトしようぜハッセル君。『ファイト・クラブ』は今でもなおTo fight, or not to fight?と問いかけている。 

学生による映画レビューの魅力



原田知子  武蔵野音楽大学

2007年から授業で映画やドラマを使い始め、夏休みに「好きな映画を英語音声で観てレビューを書く」課題を出すようになりました。ヒントになったのは、映画『スクール・オブ・ロック』で主人公のデューイがロックを教えるため生徒たちにCDを渡し、聴く宿題を出す場面です。「これを映画でやったらどうだろう。学生自身に映画を選んでもらったら、さらに楽しいのでは」と思いつきました。

当初は夏休みの必修課題でしたが、2017年から英語が半期科目になったので、任意参加のレビューコンテストに変更しました。前期最後の授業で趣旨を説明し、GoogleフォームのURLを履修者全員に知らせておきます。書式には「映画の原題、邦題、おすすめ度(星1~5で評価)、映画の感想、印象に残ったセリフ」を入力してもらいます。

視聴媒体は自由ですが、劇場での視聴だと印象に残ったセリフを書き留めるのが難しいため、DVDかストリーミングでの視聴をすすめています。映画視聴時は日本語字幕、印象に残ったセリフを書く際は英語字幕を利用し、英語字幕がない場合は自分でできるだけ聴き取るよう指示しています。感想は英語でも日本語でもかまいません。

優秀作は本人の同意を得て、私の担当するクラスの授業で発表し、扱われた映画の予告編を見せます。おすすめ度の星を集計したランキングも紹介します。16年間の1,500名の学生による評価ランキングは以下の通りです。(カッコ内は映画製作年)

1 魔法にかけられて(2007)

2位 プラダを着た悪魔(2006)

3位 塔の上のラプンツェル(2010)

4位 チャーリーとチョコレート工場(2005)

5位 アナと雪の女王(2013)

6位 サウンド・オブ・ミュージック(1965)

7位 オペラ座の怪人(2004)

8位 レ・ミゼラブル(2012)

9位 パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち(2003)

10位 ヘアスプレー(2007)

10位まで紹介しましたが、実は1位の映画について書いた学生は37名、2位は25名、10位にいたっては13名のみです。過去に1〜2名だけが取り上げた映画も多くあり、製作年、ジャンル、内容などバラエティに富んでいます。ただ、音大なのでやはりミュージカル映画や音楽を題材にした映画は人気があり、製作年が1965年と古い『サウンド・オブ・ミュージック』が6位にランクインしているのが特徴的です。ミュージカル以外の映画のレビューでも音楽への言及が多く、専門的なコメントも見られます。

任意参加にしてから提出者の人数は減ったものの、意欲のある学生ばかりで、以前だったら最終選考クラスの優秀なレビューが集まるようになりました。「今まで日本語吹き替えだけで洋画を観ていたが、この課題をきっかけにオリジナル音声のおもしろさを初めて知った」という学生もいます。同じ大学の学生が選んだ映画ということで学生の関心は全体に高く、レビューに惹かれて映画を観たという声もよく聞かれます。

  映画レビューを通じて学生の嗜好や心理を知るだけでなく、知らなかった映画に出会えたり、知っていた映画の新たな魅力に気づかせてもらえたりするなど、私自身が学ぶことが多くあり、非常に有意義です。授業をお持ちの先生方にヒントになれば幸いです。

<食>を巡る映画で学ぶことばと文化ー 『マダム・マロリーと魔法のスパイス』(The Hundred-Foot Journey, 2014)の場合

題名 

日影尚之 麗澤大学  

 大学の授業で<食>を巡る映画を扱っているのですが、今回はその中からラッセ・ハルストレム監督の『マダム・マロリーと魔法のスパイス』(The Hundred-Foot Journey, 2014)の場合を例として取りあげたいと思います。(以下、ネタバレがありますのでご了承ください。)

 インドからヨーロッパに移住した Kadam家の次男 Hassan は、フランスの地方でインド料理のレストランを開きますが、通りを挟んで真向かいにはマダム・マロリーの由緒あるフレンチレストランがあり、この両レストラン(両家)間のバトルが展開します。フランス料理を独学で勉強し、能力を認められた Hassan はやがて、敵対する両レストランを隔てる通りーインド文化とフランス文化を隔てる壁ーを超えて、マダム・マロリーのレストランの厨房で活躍することになります。

 ある先生からもご指摘いただいたことですが、英語のタイトルの “hundred-foot journey” 「徒歩で百歩の旅」とは、通り一本超えるだけの短い距離でも、その文化的壁を超えることの困難さを“journey” という英語で表現しているのです。同じ「旅」や「移動」を意味する英語でも、例えば travel, trip, journey, tour, voyage, pilgrimageなどがありますが、journeyは比較的長い困難を伴う旅の場合に使ったり、何かを学ぶプロセスの比喩として使ったりします。「精神的な旅」のような使い方です。

 さて、Hassanの評判は地方を超え、彼は前衛的な料理の発明(innovation)の最前線であるパリの研究所に招聘されますが、最終的に彼はまた地方に戻り、マダム・マロリーからフレンチレストランを引き継ぐという、移民男性のサクセスストーリーです。

 さて、話題をジェンダーに移します。フランスに移住してきた Kadam 家を最初に助けたり、Hassan にフランス料理の教科書を借してくれたりしたのは、フレンチレストランで働くMarguerite という若い女性です。Hassanは彼女をビジネスパートナーそして人生のパートナーとして、2人でフレンチレストランを引き継ぎます。また、まだインドにいた当時、Hassanに料理の “こころ”を教えてくれたのは亡き母ですし、母の形見である「秘密のスパイス」一式を彼は大切にします。亡き母が彼の人生の成功を陰から支えています。<食>つまり料理を通じた移民のサクセスストーリーの表に出るのは Hassanという男性、重要な役割を果たすが、陰でサポートするのが女性という構図になるでしょう。もちろんここでいう料理は、いわゆる“家庭料理”ではなく、キャリアとしてのプロの料理であることにも注意する必要があるでしょう。

参考文献:Laura Lindenfeld & Fabio Parasecoli, Feasting Our Eyes: Food Films and Cultural Identity in the United States, Columbia University Press, 2017.

食事の場面から異文化を楽しむ

大月敦子(専修大学)

 アフタヌーンティーは、夕食の前の午後のひと時に紅茶と共にサンドウィッチ、スコーン、ケーキなどを食べる英国上流階級の人々の習慣であるが、もともとは夕食の時間帯に観劇、オペラ鑑賞、パーティーがあったため、その前に軽くお腹を満たすための軽食として始まったものだ。菓子やサンドウィッチが2段、3段に重ねたティースタンドに載せられて運ばれる。ヒッチコック監督の映画『レベッカ』Rebecca(1940)の中で、ジョーン・フォンテン演じる「わたし」が窓際のソファーに座っているときに、メイドが紅茶の次に運んでくるのが、このティースタンドである。アフタヌーンティーはダイニングではなく、ラウンジでソファーに座って食べるのが正式だ。 近年、日本でもこのアフタヌーンティーが人気らしく、提供するレストランやホテルが増えているようだ。優雅な気分で美味しく食事ができる、ヴィクトリア朝時代の文化遺産だ。一度くらい経験してみたいものだが、働かずして贅沢な生活をするイギリス上流階級の人々の遺産でもある。

  TVドラマ『アンという名の少女』 ANNE with an‟E”(2019)では、カナダ開拓時代の興味深い料理を見ることができる。主人公のアンやマリラ達が作る朝食、昼のお弁当、夕食、クリスマスディナー等、ほとんどの食材が自給自足によるものである。台所の流し台の脇には井戸があり水を汲む。また収穫したベリーやプラムから作った自家製ジャムやクッキーを、友人や隣人たちにおすそ分けをする。そしてその友人や隣人たちが病気になれば、行って食事を作る。ひと昔前の日本でも似たような光景があったと思うが、開拓者同士の深い絆を物語る。また興味深い習慣として、学校に通う生徒達が、持参した水筒を校庭の脇の冷たい湧き水に浸す。さらに蜂蜜が傷薬に利用できることをネイティブカナディアンから教わり、ギルバートが医療を学ぶきっかけとなる。食事や食物の場面から開拓時代の人々の生活を垣間見ることができる。

 次にアメリカの代表的料理として日本でも馴染みのフライドチキンについて、よく分かる映画『ヘルプ』The Help(2011)がある。この作品は公民権法制定(1964)直前のミシシッピー州ジャクソンを舞台とした、アフリカ系アメリカ人女性達がヘルプ(メイド)として働き差別と闘った話だ。そもそもフライドチキンは、メイドたちが、それまで捨てられていた鶏の手羽先や内臓等の部位を味付けし、油で揚げて食べたのが始まりという。この映画の中でヘルプの一人ミリが、フライドチキンはクリスコ(Crisco)というショートニング(豚の油)で揚げるのが定番で、‟The most important invention since they put mayonnaise in a jar.”と言う。そしてこのクリスコで揚げたフライドチキンがミリの子供達の食卓に並ぶ。現代のテキサスを舞台とした映画『リトル・ミス・サンシャイン』Little Miss Sunshine(2006)でも、少女オリーヴの母親が夕食にフライドチキンを箱ごとテーブルの上にドンと置く。それに対して少女の祖父が「また今日もフライドチキンかよ!」と怒鳴り散らす。だが結局のところ一家は美味しそうに食べる。かつてはメイドたちが自分たちのためにクリスコで揚げたフライドチキンが、今では広くアメリカ社会に根付いていることがわかる。

 最近の映画やTVドラマの中には必ずと言っていいほど食事の場面が映し出され、時には登場人物たちが食べている料理の中身や料理法まで詳しく描かれる。人々の食に対する興味の高まりが背景にあるのだろう。それぞれの時代や地域の興味深い料理を映像から見ることができ、さらにそこから文化を知ることができる。おかげで映画やTVドラマを観る楽しみが増え、異文化を知ることができ嬉しい限りである。

参考資料

『レベッカ』Rebecca(1940).株式会社オルスタックソフト販売                       『アンという名の少女』 ANNE with an‟E”(2019).NHKエンタープライズ                     『へルプ』The Help(2011).ウォルトディズニー・スタジオ・ジャパン                    『リトル・ミス・サンシャイン』Little Miss Sunshine(2006) .20世紀フォックス ホームエンターテイメント ジャパン株式会社

  『ブルックリン』(Brooklyn)が描く、人間への温かい眼差し

学習塾TOMAS 講師(元白梅学園大学講師)

藤田久美子

2016年度公開の映画「ブルックリン」は、派手なアクションも、サスペンス的要素もないヒューマン・ドラマであるが、何度見ても感動的な映画である。第二次大戦後間もない頃にアイルランドからアメリカに渡った一人のアイルランド人女性の苦悩と成長を描くこの映画は、実際にアイルランド系であるシアーシャ・ローナンが主役のエイリッシュを演じ、アカデミー主演女優賞に輝いたが、単なる移民女性の話にとどまらない深さを持っている。

戦争には直接参加しなかったアイルランドだが、戦後の経済の停滞は、どの国とも同じで、エイリッシュのような若い女性には明るい未来が描けるような仕事もなく、彼女は、姉の知り合いの神父のつてで、アメリカに渡り、プルックリンで生活を始める。相当大きなデパートで店員として働けることになった彼女は、ホームシックの他に、客や同僚とのコミュニケーションがうまくできないことで苦労することになる。真面目な性格のせいもあるが、アメリカ人なら何でもなくできるはずのコミュニケーションが、彼女にはなかなかできない。その様子が次のような場面に、ユーモラスに描かれる。

           同僚:Did you go out last night?

   エイリッシュ:No.

             同僚:”I saw a movie with my boyfriend.”

                    “What did you see, Dorothy?”

                    “I saw The Quiet Man, Eilis.  They filmed it in Ireland.”

                    “Oh, I’m from Ireland.

                    “I know you are.  That’s why I thought you might be interested.”

こうした、”あるべき問答”まで教えてくれる親切な同僚だが、エイリッシュは、ただThank you.”と返すのみである。私たちには面白いこのような状況を乗り越えつつ、彼女は、段々にブルックリンでの暮らしに慣れ、ブルックリン・カレッジの夜間クラスで簿記を学び、無事卒業する。

地味だが、真剣に彼女を愛してくれるイタリア系のトニーという恋人を得て、彼女は漸く本当の幸せを感じるようになったが、その頃、最愛の姉のローズが急死し、彼女はアイルランドへ戻ることになる。故郷のエニスコーシーの町には、一人残された母がおり、懐かしい景色、懐かしい友人たちとの出会いがあったが、彼女は、この故郷で、人間としての成長を一段と促されることになる。

実は、エイリッシュは、アイルランドへ帰る直前に、トニーと結婚していたのだが、それは、二人きりの秘密で、だれにも知らせてはいなかった。母と再会して、本当は真っ先に話さねばならないことであったが、すぐには話せなかったのだ。姉娘を急に失った母に、アメリカ人と結婚して、この先ずっとアメリカで暮らすとは言いにくかったし、友人仲間の一人で、彼女に好意を持っているジムと結婚してくれたら、という母の願いを分かってもいたからだ。

しかし、なかなか本当のことを打ち明けられず、ジムと何度かデートする彼女を責められるであろうか?彼女はジムの気持ちをはっきり受け入れることはなかったのだから。アメリカでの暮らしで、周りの人々から羨望の目で見られるほど一段と美しく、洗練された自分を多少誇らしく思い、男性にもてることを楽しんだとしても、それは、人間としての当然の弱さではあるまいか?

そうした浮かれた気分に水をかけられ、真実の自分に向き合わねばならなくなる時がやがて訪れる。アメリカでのトニーとの結婚を知っている人がいたのだ。いわば目が覚めたようになったエイリッシュは、すぐにニューヨークへの船を予約し、母に真実を話す。自分がアメリカで結婚し、その人は自分を心から愛する素晴らしい人であること。彼のところへ帰りたいこと。自分のそばにずっといてくれると思っていた母にとっては辛いことであろうが、それこそが彼女の真実であった。

ニューヨークへ向かう船の中で、彼女は、初めてのアメリカに不安を感じている若い娘に、以前この娘と同じ立場だった時、同じように船上で年上の女性に言われたことを話す。

            Stand up straight.

                 Polish your shoes….

                 Think like an American

                 You have to know where you’re going.

「人間とは、何度も間違いをする存在であるが、そうした間違いを何度も犯しながら、自分の弱さを知り、許されて成長してゆく存在でもある」。この映画は、見るものに、このようなメッセージを送っているように思われる。

字幕アプリで英語を勉強しよう

吉牟田聡美(ATEM東日本支部、活水女子大学)

昨今は、自宅で観たい映画を選び楽しめる時代になりました。コロナ禍で外出を自粛せざるを得ない日々になって一層Amazon Prime VideoやNetflix, YouTube等々の動画配信サービスで映画を楽しむ機会が増えたのではないでしょうか。世界中の映画やテレビ番組を無尽蔵に観られるのですから、英語の勉強に活用しない手はありません。

 本コラムでは、動画配信サービスを外国語学習に用いる方法について考察してみます。ATEMにつながる映画・動画の専門家の方々は、既にご存じかと思います。どうか御笑覧ください。

 今回、外国語学習の一助として紹介するのは、私がAmazon Prime Videoを視聴する学生に紹介しているSubtitles for Language LearningというGoogle Chrome のextensionアプリです。Chrome上でダウンロードして無料で使用できます。

 このアプリに備わっている主な機能は、低速から二倍速までの再生速度変更、10秒早送り・巻戻し再生、言語字幕表示、表示タイミングの調整、辞書と連携した語義の表示、AI翻訳によるセリフの戻し訳等々です。

 二倍速再生は(真の映画ファンには邪道と怒られそうですが)一本の映画を短時間で観る際に用いて概略をつかみます。

 低速再生や10秒巻き戻しは、聞き取りの難しい部分に使います。脳内で聞こえた単語をタイプで打ち出すように強く認識しながら視聴します。私はこれを『脳内ディクテーション』と読んでいます。巻き戻しは「あ、今のセリフ何と言った?」という時、即時強化できます。

 字幕表示機能は、Prime Videoで映画の字幕版を選び、このアプリで映画字幕を表示させれば、映画は日本語字幕、アプリで英語字幕とひとつの画面に二言語の字幕表示が可能です。これは今まで高価な再生ソフトでしかかなわなかったので、画期的です。

 表示のタイミングを調整する機能も秀逸で、二秒程度遅く字幕を表示するように設定すれば脳内ディクテーションの答え合わせを即時に行えます。また、二秒先に再生すれば、目で見た英単語句の発音を確認することができます。

 辞書機能では、字幕の英単語の上にマウスオーバーさせれば、意味が自動表示されます。

 最後に、このアプリが表示するセリフにはDeepLとGoogle翻訳のアイコンがついているのでクリックすればセリフの直訳(機械翻訳)へと導いてくれます。

このように、本アプリには言語学習に有益な機能が満載なのですが、懸念のひとつは、こうした動画配信サービスでは字幕翻訳・吹替翻訳を担当した翻訳者名が明示されないことです。

 今回、DVDの戸田奈津子氏の字幕と同一の翻訳であるかどうか『ドリームガールズ』(2007年日本公開)で検証して、一貫して戸田氏の訳が使用されていることが判明しました。市販のDVDと同一の可能性が高いとしても、留意すべき点かと思われます。

 最新のアプリを使ったところで映画を聞き流して脳が活性化しなければ意味がありません。映画を用いた言語学習ストラテジー(オクスフォード、1990年)注1)が必要となるわけです。一本の作品の気に入っているシーンを含む10分程度のパートを音声と字幕の組み合わせを変えながら何度も視聴することを学生には勧めています。日本語音声ー日本語字幕、日本語音声ー英語字幕、英語音声ー日本語字幕、英語音声ー英語字幕などです。私もかつて『ハリーポッターと賢者の石』(日本公開2001年)をレンタルして一週間違う組み合わせで視聴し、返却するころにはラストシーンのセリフをイギリス英語の発音でそらんじていました。

 学習者の適性にもよりますが、一般的には多くの言語材料を一度にインプットするよりも、むしろ繰り返し同じ刺激を与えたほうが記憶には効果的かと思います。

 

 また、上で述べた視聴中のセリフの脳内ディクテーションは聴覚の集中力を高め、聞こえた英単語句の答え合わせは即時強化の強化子となり次へのモチベーションにつながると予想されます。またセリフ集を手元に置き、聞き取れなかったところに印を付け、再度聞き直すというアクションは地味ですが有効なストラテジーです。

 またリスニングだけではなく、アプリの字幕を2秒程度先に見ながら登場人物になったつもりでオーバーラップやシャドーイングすると目、耳、口という三つの感覚器官を使う刺激的な訓練になります。ある研究によると、字幕の先行表示と字幕の精度を比較した時に、前者が後者よりも内容理解の正確さを高める要因となるという結果が出ています(下郡他、2010年)。

 つまり、上手な字幕がタイムリーに表示されるより、下手な字幕でも先に表示されたほうが内容をより理解できるということです。字幕の先行と遅延表示、どちらが合うか試してみてはいかがでしょうか。

 本コラムで述べたAmazon Prime Video以外の配信サービスでも、同様の機能を有する言語学習アプリがあります。(例えば、NetflixにはLanguage Learning for Netflixなど)また複数の配信サービスで使用できるアプリもありますので、興味がおありでしたら環境に合うものを探してみてください。

【参考文献】

下郡信宏、池田朋男、関矢陽子:英語字幕による会議支援:字幕の制度と表示タイミングが理解に及ぼす影響, 情報処理学会研究報告, Vol. 2010-GN-75, No. 5, pp. 1-6, (2010).

Oxford, R. (1990). Language Learning Strategies: What Every Teacher Should Know. New York: Newbury House Publishers.

【注】

1.ストラテジーとは、レベッカ・オクスフォード(1990)が提唱する、言語学習効率向上のための直接的・間接的なコツである。例えば、直接的なストラテジーは、記憶を補強するのに連想法を使うなど。間接的なストラテジーは、仲間と励ましあいながら学習する、好きな俳優の作品を選びモチベーションを上げるなど。

A glimpse into modern life through    the work of Steve Cutts

Barry Kavanagh (Tohoku University)

Steve Cutts is an illustrator and animator from the UK. He can be described as a social media Banksy. Much like Banksy, his artwork is a satirical commentary on the excesses of society.

His work is inspired by vintage cartoons of the 1930’s and graphic novel art. His most notable animations that have been watched millions of times on YouTube include ‘Happiness’, ‘The Turning Point’ ’Man’ and ’Man 2020’.

These short animations have no dialogue but use a soundtrack that compliments a visual feast that conveys multiple messages in each frame. In this respect, the adage ‘A picture is worth a thousand words’ is very much applicable here. His animation ‘Happiness’ looks at how we have become a rat race consumed by materialism and are never satisfied with what we have. ‘The Turning Point’ examines a world where humans and animals have changed places and it is humans who are on the verge of extinction. The video is a damming comment on what mankind has done to its environment but from the perspective and position of animals. ‘Man’ follows similar themes and portrays 500.000 years of destruction that man has caused the world from his contempt of the environment and cruelty to animals that stems from viewing the world as something that is to be consumed.

His sequel, ‘Man 2020’ sees our protagonist in lockdown at home with a huge amount of toilet roll in the background. Animals outside are rejoicing in a festival of song and dance as man’s absence has meant that nature has had a chance to flourish. However, it ends with man leaving his house and killing a bug in the process. The animals are seen to quickly vanish in fear as man once again is back to his old bad habits after lockdown. This video is a satirical take on the recent events that have surrounded the COVID-19 pandemic and reminiscent of news stories that illustrated how the environment and nature thrived when we were all under lockdown or running out to buy toilet paper based on the spread of misinformation on social media.

I have used the animations of Steve Cutts in content-based lessons that have looked at global issues, consumerism, media literacy and SDGs. Students have found them intriguing and with the right amount of context and scaffolding these animations can complement content or theme-based classes. English lessons can be made around these animations and be used as a tool for critical thinking and debate.

His work can be found freely on YouTube or at his website

https://www.stevecutts.com

東日本支部便り 7月号    『未来世紀ブラジル』と“Voila!”

中村佐知子(東北大学)

何かが完成したとき、日本語で「じゃーん!」や「じゃじゃーん!」と言いますが、英語では“Voila!”と言います。英語と言ってもこの単語の響きからも推測できるようにフランス語の借用語です。この言葉がとても印象的に使われているのが、テリー・ギリアム監督のディストピアSFの傑作『未来世紀ブラジル』(Brazil, 1985)です。主人公サムの母親が若返り手術を受けるシーンで、担当医が手術完了とともに「どうだ!」と言わんばかりの得意顔で“Voila!”と言います。この映画を初めて見たとき「私もこんなふうに得意気に“Voila!”と言ってみたい…」と感じたことを覚えています(のちに実践しました)。映画は、「使える英語表現」にあふれた最高の教材です。

単語やフレーズが、どのような場面で使われているのか知りたい。こんなとき、とても役に立つのがYouGlishです。

YouGlish

https://youglish.com/

YouGlishで単語やフレーズを検索すれば、YouTube内の動画でどのように使われているのかがすぐ分かります。ためしに“voila”で検索すると、1572件の動画がヒットしました。詳しく見ていくと、“voila!”と言うとき、両手を広げるジェスチャーをする人がいることが分かります。ただ、全員がおおげさにジェスチャーつきでこの表現を使う、というわけでは決してなく、まったく強調せずに、とてもさりげなく使う人も見られます。TEDTalkなどのスピーチでもよく使用されているようです。

“no offense”「気を悪くしないでもらいたいのだけど」というフレーズも見てみましょう。988件のYouTube動画がヒットしました。こちらも詳しく見てみると、“no offense to 人”という形でよく使われています。そして、この表現の意味から当然推測されることではありますが、 “no offense”と言ったあとには苦言や批判が述べられています。興味深いのが、笑いが起こる場面がしばしば見られたということです。まじめなシチュエーションで使われることもあれば、ユーモア交じりに使われることもある表現だと言えそうです。

もうひとつ見てみます。“Are you with me”で検索すると2283件ヒットしました。この表現は、何かを説明している途中で「話についてきていますか?」と、理解を確認するために使われています。また“Are you with me so far?”「今のところ話についてきていますか?」や“Are you with me still?”「まだ話についてきていますか?」などの形でもよく使われることが分かります。プレゼンをする際にとても効果的なフレーズです。

言葉がどのように使われているか。個々の使用例を動画で詳細に観察することで、大きなデータで傾向を分析するだけでは把握できない、その言葉の特性が浮かび上がってきます。単語やフレーズの性格を踏まえた上で、会話でそれらをうまく使えたときの喜びは格別です。英語の一学習者としてこれからも英語を観察し、トライアル&エラーを繰り返しながら果敢に使っていきたい、こう考えています。

※YouGlishの検索件数はすべて2022年6月17日時点のものです。

助動詞 “may” から見えるアンの魅力(『ローマの休日』(Roman Holiday, 1953))

濱上桂菜(獨協大学)

2022年5月13日、『ローマの休日』の新しい吹替版がテレビで放送されました。映像と効果音・音楽はそのままで、次世代の声優たちが登場人物に新たな声を吹き込みました。以前の吹替版に馴染みのある方にとっては違和感があったかもしれません。しかし、新しい吹替版では、多くの人にとって聞き覚えのある声優さんが一人は見つかったかと思います。白黒映画を見たことがない人であっても、親しみを持って見ることができたのではないでしょうか。

この映画で英語の勉強になるのは、助動詞のmayです。mayの意味の一つとして、「許可」を思い出す人も多いでしょう。主人公の王女アンは次のように言っています。(以下例文の日本語訳は5月13日放送の吹き替え版です。)

・You may sit down.「さぁ お掛けになって。」

・You may call me Anya.「では こう呼んでください。アーニャと。」

これらの文中のmayは「許可」を意味します。しかも主語がyouですから、聞き手に対して許可を与えています。

ただし、このようにmayを使って聞き手に許可を与えるのは、今風に言うと上から目線の言い方です。封建制度下のような身分の違いが明らかな社会では用いられていましたが、現在社会では使われていません。たとえ1953年に制作された『ローマの休日』の頃であっても同様に、ずいぶん高圧的な上から目線の言い方です。確かにアンは王女ですから「許可」のmayを使う立場ではあります。しかし、しがない記者のアパートに押し込んで眠りこけていたパジャマ姿の来客が言うのですから、滑稽ですね。

聞き手に許可を与えるmayの使用は今日廃れましたが、聞き手に許可を求めるmayは今日も使われます。

・May I have some?「私にもください。」

上の文は、ジョーがお酒を飲んだときに、王女アンの言葉です。アンがお酒を貰う許可を求めているのです。このmayの使い方は一般的ですから、mayで笑うところではありません。(ただし、フラフラの状態でもなおアルコールを飲もうとするアンの姿に笑うところではあります。)

このように同じ「許可」を意味するmayであっても、You may …(聞き手に許可を与える表現)は高圧的すぎて今日使われませんが、May I … ?(聞き手に許可を求める表現)は今も使うことができます。

身分を隠してたった1日の「休日」を楽しむ王女アン。最初はmayを使うなどして王女らしさを隠せずにいるので滑稽です。いかにも王女らしいこのようなセリフは、この映画では重要な役割を果たしていると思いませんか? 最初に王女らしさが目に付くぶん、徐々に現れてくる少女としての自然体のアンに私達は強く惹かれていくように思うのです。

“Collections of Idiomatic Expressions on YouTube”

Ryan Spring (ATEM East, Tohoku University)

There is a YouTube channel called “As Easy As Pie.” It has a nice collection of various phrases and idiomatic expressions that appear in popular American and British TV shows. Each video contains an explanation of what the phrase or idiomatic expression means and then shows at least one clip from a television show where it is being used in context. Some video contain multiple examples. This channel is potentially useful for use either in the classroom (i.e., showing specific examples to students) or for guided study outside of the classroom. Students could also use the channel for self-study, as it includes definitions, explanations, and practical examples of the phrases and expressions in use. 
Here are the benefits and drawbacks to this particular channel:
Benefits:
1. Being a YouTube channel, you can search for specific phrases or expressions WITHIN the channel. Any videos will follow the same easy-to-use format. 2. There are a wide range of phrases and expressions.3. There are explanations, definitions, and practical examples created from authentic video materials 
Drawbacks:1. The channel has a limited number of phrases and expressions, so teachers may have to plan their lessons/quizzes/etc. around what exists on the channel.
2. There is no way to add your own
Overall, this can be a powerful tool either for encouraging students to study, or to provide easy to understand examples when one of the phrases or expressions that you want to teach appears within the channel. Here is the channel link:https://www.youtube.com/channel/UCfG86_GaWYrGZlj05TArkrg

An interesting future study could be to link this to corpus studies, or to create our own ATEM channel that would be based on the expressions and phrases that we think are important or that might supplement or compliment this channel.