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映画『天国から来たチャンピオン』に見る音楽と魂の結びつき

原田知子(武蔵野音楽大学)

映画『天国から来たチャンピオン』(Heaven Can Wait)は1978年に制作されたアメリカ映画です。監督のウォーレン・ベイティ(当時の表記はビーティ)が主役を務め、明るいアメリカン・フットボール選手を溌剌と演じています。大学1年の時、英語劇の仲間からこのノベライズ本を借り、生まれて初めて英語の本を夢中で読む経験をしました。その意味でも思い出深い作品ですが、現在、音楽大学で英語を教え、端唄を演奏する者として、映画に描かれた音楽と魂の深い結びつきに改めて心を惹かれています。

主人公のジョーは交通事故に遭い、天国への中継地で目を覚まします。ところが実は、新人天使の手違いで予定より早く命を奪われ、本来の死は50年後だったことが判明します。ジョーは天使長とともに地上に戻りますが、体はすでに火葬されていました。そこで、ジョーは代わりの体を探す羽目になります。

ジョーと天使長は大富豪レオの屋敷を訪れ、殺害されたばかりのレオを発見しました。ちょうどそこに、環境保護運動家のベティがレオの会社による公害に抗議しに来ます。ジョーはベティを助けるため、レオの体を一時的に借りることにします。会社の部下や使用人たちは、レオの言動の変化や、他人には見えない天使長と話している様子に戸惑いますが、レオ(の中のジョー)は環境を守る方針を次々と決定していきます。レオを悪徳経営者とばかり思っていたベティは驚き、二人は互いに惹かれていくのでした。

ジョーはレオの体を鍛えてフットボールの試合に出るため、昔馴染みのフットボール・トレーナーのマックスを屋敷に呼びます。自分がジョーであると主張するレオの話をまったく信じないマックスでしたが、レオのサックスを聞いた瞬間、彼の魂がジョーであることを悟ります。

ジョーは試合に出場できることになりますが、なんとここでレオの体を使える期間が尽きたことを天使長から告げられます。ジョーはベティに、いつか、きみを知っているように見える人が現れるかもしれないと言い残します。レオの体を失ったジョーは試合に出られるのか、再び別の体に入ったジョーにベティは気づくのか。ぜひ映画でご覧ください。

この映画では、サックスの音色が、単なる楽器の響きを超え、まさにジョーの魂そのものとして描かれています。姿形が変わっても、その音色こそがジョーの本質を伝え、昔馴染みのマックスに彼の存在を確信させます。また、後のほうでは、ある人物の体からジョーの魂が去ったことにマックスが気づくシーンがあり、それもサックスへの無関心が決め手になっていました。

生前のジョーはソプラノ・サックスを吹いていましたが、注目すべきは、死後のジョーが魂の姿になってもなおサックスを手にしている描写です。これは、音楽がいかに彼の魂と不可分であり、彼自身のアイデンティティの中核を成しているかを象徴しています。音楽がその人の魂そのものであるという描写は、単なるプロットの一部にとどまらず、音楽に携わる人々の心に響きます。劇中で流れる美しいサックスのメロディーと相まって、深く心に残ることでしょう。