「2023年4月号」カテゴリーアーカイブ

忘れられない映画の、あの場面       —『ファイト・クラブ』のレイモンド K. ハッセル君の獣医の夢 —

小泉 勇人 東京工業大学

Gonna check in on you. I know where you live. If you’re not on your way to becoming a veterinarian in six weeks, you’ll be dead. 

お前は見張っとく。住所はわかってる。6週間たっても獣医の勉強してなきゃ、お前はもう死んでいる。

——Fight Club (1996)

 誰にでも、忘れたくても忘れられない映画の場面の記憶がある。カメラの角度や動き、演技、台詞、編集、照明etc.が渾然一体となった演出が、観客の脳裏にこびりつく。自分にとっては『ファイト・クラブ』におけるレイモンド K. ハッセル君が登場するくだりが忘れられない。

 そもそも『ファイトクラブ』とはどんな映画であったか?それは実存の不安にファイトを仕掛ける物語ではなかったか。現実感を上手く感じ取れず、日々の楽しみと言えば食べることや寝ること、消費を繰り返すくらいで(まだそれができれば良い方だけれど)、ふと、自分が自分である意味がわからなくなる瞬間は誰にだってある。思いっきりカッコつけて言えば「実存の不安」というやつだ。そんな不安に襲われてハムレットはこう叫ぶ——

What is a man

If his chief good and market of his time

Be but to sleep and feed? A beast, no more.

人間とは一体なんだ?

生きている間にすることといえば

ただ眠って食べることだけ? まるでケダモノじゃないか。 (第四幕第四場)

<参考映像資料:『ハムレット』当該台詞の場面>

Hamlet (‘How All Occasions Do Inform Against Me’) (Andrew Scott)

(https://www.youtube.com/watch?v=EyFfCT_nPuE&ab_channel=ZsuzsannaUhlik)

Hamlet Act IV Scene IV Speech (KennethBranagh) 

(https://www.youtube.com/watch?v=easWqy08wr8&ab_channel=LawrenceTemple)

Shakespeares Hamlet – Soliloquy Act 4 Scene 4 

(https://www.youtube.com/watch?v=lM9XU10oRGw&ab_channel=SweetspotStudio)

21世紀を生きる現在人にとっての戯曲『ハムレット』は映画『ファイトクラブ』かもしれない。観客に銃口を突きつけ、挑発し、胸ぐら掴んで喧嘩を売る稀代の猛毒映画、世紀末を前にして腐り切ってタガの外れた90年代最後の映画的咆哮だと言えよう。

 戦争も飢餓もなく(無い方が間違いなく良いとは思うが)、とにかく「大きな物語」を得られない世代に落ち込んだ語り手(narrator)が抱える闇は深い。「僕」は大手自動車会社のリコール調査部門で働く若手。アメリカ中を出張して、北欧家具に囲まれた自宅のコンドミニアムで不自由ない生活。冷静に考えれば(考えなくても)、不況に喘ぐ我々からすれば安定しきった生活だ。しかし実際はひどい不眠症にかかって眠れず、日中はぼんやり。「この世にはな、君より不幸な人がわんさといるよ」と医者に言われ、より不幸な人の話を聞いたら憐憫で安心感を得られると思ったか、難病患者同士が悩みを打ち明け合う自助グループに夜な夜な潜り込んではじっと耳を傾けたり、癒しプログムの流れで互いに抱き合ったりする(この行動力自体はすごいと思うが)。

 何も不幸じゃないのに、不幸だ。You’ll be dead、お前はもう死んでいる。殺されるまでもなく、心が死んでいる。そして、ついに「僕」は無二の親友タイラー・ダーデンと劇的な出会いを果たす。バーでぬるそうなビールを飲む二人。物を所有することにしか楽しみを見いだせないと呟く「僕」にタイラーは遠慮しない———The things you own end up owning you” (てめえの持ちもんに支配されてどうする)。 おまけに、バーの外でタイラーは “I want you to hit me as hard as you can” (できるだけ力強く俺を殴れ)と僕に奇怪な頼み事をしてくるじゃないか。

 “Hit me as hard as you can”がファイト・クラブ始動のきっかけだった。戸惑いながらヒョロついたパンチを繰り出すと、間違ってタイラーの耳を殴りつけちゃった。仕返しとばかりみぞおちを思いっきり殴り返された僕は、なんとも言えない高揚感を覚える。また殴りたい。いや殴られたい。もっとだ、もっとやってくれ。もっとやろうぜ。ファイトクラブ創設の瞬間だ。「僕」とタイラーがバーの地下を借りて主催するファイトクラブに鬱憤を抱えた男たちが夜な夜な集まり、素手で一対一の殴り合いに興ずるようになる。最高に絶望だ。

 タイラーは日常を生きる人々にさえファイトを仕掛ける。ある夜、タイラーは「僕」を連れてコンビニに押し入り、レイモンド K. ハッセルという名の若い店員を外に引きずり出して頭に銃口を押し当てる。“What did you want to be, Raymond K. Hassell?” (お前は何になりたいんだ?)と尋ねるタイラー。「じ、じっ、、じゅ獣医ですっ!」と無我夢中で答える気の毒なハッセル君。顔は恐怖に引き攣り、死がもう目の前に迫る。弾丸が脳髄にめり込んでぐちゃぐちゃに破壊するまで一秒もない——タイラーは銃を下ろす。

Gonna check in on you. I know where you live. If you’re not on your way to becoming a veterinarian in six weeks, you’ll be dead. 

お前は見張っとく。住所はわかってる。6週間たっても獣医の勉強してなきゃ、お前はもう死んでいる。

なぜか解放されたハッセル君、泡くって逃げる。タイラーの銃には弾が込められていなかった。「僕」は尋ねる、「タイラー、お前なんでこんなことしたんだよ?」

 本作の監督はデヴィッド・フィンチャー、まごうことなき次世代のスタンリー・キューブリック。『エイリアン3』(1992)でデビュー後、『セブン』(1995)と『ゲーム』(1997)を公開し、本作に至る。いずれの作品も舞台設定は全く違えど、危機的な状況において善悪の彼岸を見、変貌を迫られる人間ばかりを描いてきた。『ファイトクラブ』は『タクシー・ドライバー』(1976)と『ジョーカー』(2019)の間に位置付けられる鬼子なのかもしれない。

 冒涜的で反社会的な描写に満ちた『ファイト・クラブ』は案の定、1999年の公開時に大きな物議を醸す。高名な映画評論家ロジャー・イーバートをして「最も率直かつ快活な、売れる俳優を起用したファシスト映画(the most frankly and cheerfully fascist big-star movie)」で、「暴力礼賛(a celebration of violence)」で、「マッチョポルノ(macho porn)」だと言わしめる(rogerebert.com, 1999)が、もはや褒めているのか貶しているのかよく分からない。しかし大事なことは、イーバートにファイトする気持ちがあるかどうかだ(イーバートにはあると思う)。To fight, or not to fight – that is the question; ————世界一高名なデンマークの王子がかつて僕らに問うていたことは、つまりはそういうことではなかったかTo be, or not to be – that is the question;の後に続く台詞はどうであったか。

Whether ‘tis nobler in the mind to suffer

どちらが人間らしい生き方だろう、

The slings and arrows of outrageous fortune,

不条理な運命に殴られても黙ったままでいるべきか、
Or to take arms against a sea of troubles,

押し寄せる困難の大波に向かって無謀にも殴りかかって
And by opposing end them?

決闘を挑むべきか? (以上、筆者による意訳)

確かに『ファイト・クラブ』は多様な解釈に耐えもすれば殴りかかりもする、実に刺激的な映画だ。消費主義社会と現代人の共依存関係に鋭く切り込む批評性はその一例であり、冒頭に引用したタイラー・ダーデン(Brat Pitt)の台詞“Gonna check in on you. I know where you live. If you’re not on your way to becoming a veterinarian in six weeks, you’ll be dead.”は観客の脳味噌にへばりつく。直訳すれば「お前のことを見ているからな。お前の住んでいる所はわかっている。もし6週間経っても獣医になる勉強をしていなかったら、お前は死ぬことになる」といったところ。you’ll be deadとは言ったものの、you(ハッセル君)を殺すのはタイラーその人である(ちなみに戸田奈津子は「ブッ殺す」と訳している)。check in on…は「(人・物の様子を積極的に)うかがう」、be on your way to …ingは「…をしている途中だ」で良いが、「お前の道の上(on your way)にいる」と直訳する方がむしろ格好いい。veterinarianは「獣医」。

 さてタイラーの言葉の力強さを上手く日本語に変換できないものか。「お前は見張っとく。住所はわかってる。6週間たっても獣医の勉強してなきゃ、お前はもう死んでいる。」としてみたが、これではまだまだひよっこの日本語か。タイラーにボコられるのがオチである。台詞を解釈するなら、「明日があると思うな、今日の内にお前が本当にやりたいことをやれ!」ということになる。なんのことはない、『今を生きる』(Dead Poets Society, 1989)で提唱されたcarpe diem(Seize the day)がファイト・クラブの本質だったのか。『今を生きる』と『ファイト・クラブ』に近似性があるだって?冗談もほどほどにしなさいという向きもあろうが、しかし遡及的に見れば、あの生徒達はキーティング先生にcarpe diemを教えられるまではどことなく「僕」のように見えやしないだろうか。現に、彼らが最終場面で果敢にファイトを仕掛けることで映画の幕が閉じるのが『今を生きる』である。同じロビン・ウィリアムズ主演でも、『パッチ・アダムズ』(Patch Adams, 1998)が「もう一つのファイト・クラブ」こと『セシル・B/ザ・シネマ・ウォーズ』(Cecil B. Demented, 2000)に喧嘩を売られた事態とは大違いである(後者の映画に出てくる映画テロリスト達が『パッチ・アダムズ』の上映館に乗り込んで映画テロリズムをかますくだりがある。何を言っているかわからないと思いますがその通りのことが起こります。気になる方はご覧ください)。

 話を元に戻すと、気の毒なハッセル君は獣医になりたかったにも関わらず、(環境のせいか本人のせいかはともかく)コンビニバイトで日銭を稼ぎ、勉強時間も捻出できずに日々を(死んだように)生きている。タイラーはそんなハッセル君に銃口を突きつけ、危機的状況に突き落とすことで真の欲望を強烈に再認識させる。実現に向かって死に物狂いで現実に立ち向かうよう発破をかける漢タイラー・ダーデン。だから、解放されて全力疾走で逃げるハッセル君の背中を見送る「僕」に理由を聞かれてタイラーはうそぶく——Tomorrow will be the most beautiful day of Raymond K. Hessel’s life. His breakfast will taste better than any meal you and I have ever tasted. (明日はレイモンド K. ハッセル君にとって極上の1日になるだろうよ。奴の朝飯は、俺達がこれまでに食ったどんな飯よりも美味いに違いない)。

 タイラーの極端すぎる「教育」は現実には到底容認できない。これを教育現場でやらかす狂人を見たければ『ブラックスワン』(Black Swan 2010)や『セッション』(Whiplash, 2014)を見よう。しかし、この場面を見た我々は、日々の雑務の中で人生の使命を見失いそうになっているかもと訝しみ、ほんの僅かでも、それでも前に向かって踏み出そうとする。“If you’re not on your way to becoming a veterinarian in six weeks, you’ll be dead.”を自分自身に向かって呟く言葉として、脳味噌に書き付けよう。“becoming a veterinarian”を自分がしたいこと、なりたいものを示す言葉に、“six weeks”を実現のための目標期限に置き換えれば、自分を鼓舞するパワフルな英語が出来上がる。英借文だ。ここでの代名詞“you”は、もちろんファイトを仕掛ける者、つまり我々を指す。ファイトしようぜハッセル君。『ファイト・クラブ』は今でもなおTo fight, or not to fight?と問いかけている。