「2022年10月号」カテゴリーアーカイブ

  『ブルックリン』(Brooklyn)が描く、人間への温かい眼差し

学習塾TOMAS 講師(元白梅学園大学講師)

藤田久美子

2016年度公開の映画「ブルックリン」は、派手なアクションも、サスペンス的要素もないヒューマン・ドラマであるが、何度見ても感動的な映画である。第二次大戦後間もない頃にアイルランドからアメリカに渡った一人のアイルランド人女性の苦悩と成長を描くこの映画は、実際にアイルランド系であるシアーシャ・ローナンが主役のエイリッシュを演じ、アカデミー主演女優賞に輝いたが、単なる移民女性の話にとどまらない深さを持っている。

戦争には直接参加しなかったアイルランドだが、戦後の経済の停滞は、どの国とも同じで、エイリッシュのような若い女性には明るい未来が描けるような仕事もなく、彼女は、姉の知り合いの神父のつてで、アメリカに渡り、プルックリンで生活を始める。相当大きなデパートで店員として働けることになった彼女は、ホームシックの他に、客や同僚とのコミュニケーションがうまくできないことで苦労することになる。真面目な性格のせいもあるが、アメリカ人なら何でもなくできるはずのコミュニケーションが、彼女にはなかなかできない。その様子が次のような場面に、ユーモラスに描かれる。

           同僚:Did you go out last night?

   エイリッシュ:No.

             同僚:”I saw a movie with my boyfriend.”

                    “What did you see, Dorothy?”

                    “I saw The Quiet Man, Eilis.  They filmed it in Ireland.”

                    “Oh, I’m from Ireland.

                    “I know you are.  That’s why I thought you might be interested.”

こうした、”あるべき問答”まで教えてくれる親切な同僚だが、エイリッシュは、ただThank you.”と返すのみである。私たちには面白いこのような状況を乗り越えつつ、彼女は、段々にブルックリンでの暮らしに慣れ、ブルックリン・カレッジの夜間クラスで簿記を学び、無事卒業する。

地味だが、真剣に彼女を愛してくれるイタリア系のトニーという恋人を得て、彼女は漸く本当の幸せを感じるようになったが、その頃、最愛の姉のローズが急死し、彼女はアイルランドへ戻ることになる。故郷のエニスコーシーの町には、一人残された母がおり、懐かしい景色、懐かしい友人たちとの出会いがあったが、彼女は、この故郷で、人間としての成長を一段と促されることになる。

実は、エイリッシュは、アイルランドへ帰る直前に、トニーと結婚していたのだが、それは、二人きりの秘密で、だれにも知らせてはいなかった。母と再会して、本当は真っ先に話さねばならないことであったが、すぐには話せなかったのだ。姉娘を急に失った母に、アメリカ人と結婚して、この先ずっとアメリカで暮らすとは言いにくかったし、友人仲間の一人で、彼女に好意を持っているジムと結婚してくれたら、という母の願いを分かってもいたからだ。

しかし、なかなか本当のことを打ち明けられず、ジムと何度かデートする彼女を責められるであろうか?彼女はジムの気持ちをはっきり受け入れることはなかったのだから。アメリカでの暮らしで、周りの人々から羨望の目で見られるほど一段と美しく、洗練された自分を多少誇らしく思い、男性にもてることを楽しんだとしても、それは、人間としての当然の弱さではあるまいか?

そうした浮かれた気分に水をかけられ、真実の自分に向き合わねばならなくなる時がやがて訪れる。アメリカでのトニーとの結婚を知っている人がいたのだ。いわば目が覚めたようになったエイリッシュは、すぐにニューヨークへの船を予約し、母に真実を話す。自分がアメリカで結婚し、その人は自分を心から愛する素晴らしい人であること。彼のところへ帰りたいこと。自分のそばにずっといてくれると思っていた母にとっては辛いことであろうが、それこそが彼女の真実であった。

ニューヨークへ向かう船の中で、彼女は、初めてのアメリカに不安を感じている若い娘に、以前この娘と同じ立場だった時、同じように船上で年上の女性に言われたことを話す。

            Stand up straight.

                 Polish your shoes….

                 Think like an American

                 You have to know where you’re going.

「人間とは、何度も間違いをする存在であるが、そうした間違いを何度も犯しながら、自分の弱さを知り、許されて成長してゆく存在でもある」。この映画は、見るものに、このようなメッセージを送っているように思われる。