斎藤珠代(東北学院大学)
映画はとても良い英語の教材になると思いますが、様々な洋画の中でも私はアメリカ映画をよく使います。振り返ると大学時代、多くの映画を観ていました。フランス映画なども気に入って小さな映画館を巡ったりしていたものです。以前、あるフランス文学の先生と話していた時「映画が好きなんです」とおっしゃったので愚問かな、と思いつつも「映画って、フランス映画ですか?」とお聞きしたところ「当り前じゃないですか!ハリウッド映画なんか馬鹿らしくて観てられますか!」とのこと。アメリカ映画のあまりにもシンプルなハッピーエンドの構成に苦笑してしまう人も多いのでしょう。ですが、ある時ディズニー映画の『ムーラン』を見て私は意外なほど感動し、「シンプルだけど、これで良いんじゃないか」と思うようになりました。アメリカ映画に開眼した瞬間でした。
その後、多くのアメリカ映画が神話の型を踏んでいることを知るようになります。詳しくは、ATEMジャーナルの30号に拙稿「教室におけるディズニー映画の魅力―アメリカニズムにとどまらないディズニーの価値―」としてまとめましたが、神話には古今東西の人間を感動させるストーリーの型があるのです。それを踏んでいるわけですから、多くの人がアメリカ映画に感動するのは当然とも言えるでしょう。その最大のものが「英雄の旅」で、これは主人公が日常の世界を離れ、試練を経験し、最後にまた故郷に戻り仲間を救うという3ステップの型です。実に、『スターウォーズ』や多くのディズニー映画などのヒット作がこの型を基に編まれています。
私は感動的な映画を観た後は、That makes my day.という気持ちになります。「今日はこの映画を観たからよい一日だった」と。私が人生に一番求めているのは「感動」なのかもしれません。そして、私は学習にも感動が伴うのが理想的だと考えています。どうせ勉強するなら感動があったほうがいい。私のこのポリシーには科学的根拠を求めることができそうだということに最近気づきました。感情が大きく動くときに学習効果が上がるということが脳科学で知られているらしいのです。嫌々ながら勉強しても、授業の後何も覚えていないけれど、心を躍らせながら聴いた話ははっきり覚えている。そんな経験は誰にでもあるのではないでしょうか。薬学者・脳研究者の池谷裕二氏は人間の記憶力を強化するLTPという現象を起こすには脳のシータ波と扁桃体がキーとなると言っています。シータ波は対象に興味を持っているときに出るそうです。そして扁桃体は喜怒哀楽などの感情が生まれる場所です。面白い映画を興味を持って鑑賞し、喜怒哀楽を強く感じれば、その時に脳はシータ波が出ている状態になり、扁桃体の神経細胞も活動しているはずです。その意味では、大きな感動を伴うアメリカ映画を観て心を動かされながら聴いた英語は頭に強く焼き付くと言えるでしょう。アメリカ映画を使った授業にモチベーションを上げるのみでなく記憶に残るという効力もあると私は考えています。
最後に、私にとって印象に残っている場面を一つご紹介したいと思います。『ムーラン』において体を壊してしまった父親の代わりに秘かに男装して徴兵に応じ、軍隊に入る父親思いの娘、ムーラン。軍隊の中で女性であることを隠しながらも隊長に思いを寄せるようになります。その隊長の父親にあたる将軍が戦死する場面で、周りの隊員は隊長を気遣って、彼を一人にします。ここにはアメリカの価値観である「相手が助けを求めない時には助けない。もし求めていないのに助けの手を差し伸べたら相手の自立という観念を否定することになる」という心的態度が隠れていると考えられます。一人になった隊長は地面に積もった雪に刀を立て、その上に亡くなった将軍の兜を載せ、一人で父親の弔いの時間を持ちます。その時ムーランが恐る恐る近づき、ためらいがちに “I’m sorry.”と一言だけ言うのです。「ごめんなさい」以外の「残念です」の I’m sorry。ここでもしI feel sorry「あなたが気の毒です」と言ってしまったら相手の自立という大切な概念を打ち砕いてしまいます。I’m sorryの使い方がよくわかる場面です。文化も含めたコンテクストのなかで言語を学習できる映画という教材は大きな可能性をもっていると感じたシーンでした。
日々の生活の中で心を動かされる映画に出会い、それを授業で学生と共有すること——それは私にとって、教える仕事の醍醐味の一つでもあります。そうした出会いは、私自身にとっても多くの気づきをもたらし、文化の多様性、そして普遍性について改めて考える契機となっています。