2018年

【投稿一覧】
2018年12月1日
「be willing toとbe ready to」田畑圭介
2018年12月1日
「<いいですよ>のバリエーション」蘒寛美
2018年11月1日
「Poetic justiceを日本語に訳すと?-ドラマ『キャッスル』のセリフから-」角山照彦
2018年10月1日
「1本の映画も世界や人生を変えるのです!―映画『わたしはマララ』―」山内 圭
2018年9月1日
「『グラン・トリノ』に見る男らしさ」深津勇仁
2018年9月1日
「『マイ・インターン』に見る間投詞の発音」野中泉
2018年8月3日
「<暑さ>を表す英語表現あれこれ」山本五郎
2018年8月1日
「2つの語形を持つ動詞や形容詞」飯田泰弘
2018年7月1日
「あなたのpreceptは何ですか?~『ワンダー君は太陽』で考える処世訓~」松田早恵
2018年7月1日
「Ladies and Gentlemenは何処へ?」福井美奈子
2018年6月1日
「“its own beauty” それぞれの美しさ」藤倉なおこ
2018年6月1日
「宗教的語りと科学的語り」北本晃治
2018年5月6日
「アメリカのママ友事情」ルッケル瀬本阿矢
2018年5月1日
「映画で学ぶ地球科学」井村誠
2018年4月1日
「レジスターと呼ばれる言葉の環境」吉川裕介
2018年3月9日
「現代に通じる『ハンナ・アーレント』の視点」佐藤弘樹
2018年3月1日
「枕詞のように使われる英語の条件節」衛藤 圭一
2018年2月1日
「Dudeって何?」松井夏津紀
2018年2月1日
「日本語タイトルにご用心!」國友万裕


2018年12月1日

タイトル:be willing toとbe ready to
投稿者:田畑圭介(神戸親和女子大学)

近年の英和辞典では、各語の使い方に関する解説が充実しています。特に類似表現の使い分けの解説が非常に有用です。かつての英和辞典ではbe willing toという表現には「喜んで…する」という訳語が最初に掲載され、readyと同意語であると記されていました。しかしながら、現在の英和辞典ではbe willing toは、積極的に…しようとする強い意志は示さないと解説されています。

[be willing to do] <人が> …する意志[気]がある, …するのをいとわない(要望・必要性などに応えて行為を行うことを表し, readyほど強い積極性を示さない)
(ウィズダム英和辞典第4版)

話者がどれほど積極的なのかは、映像作品の実際の使用場面を確認することで明確に判断できます。be willing toが用いられている場面としてテレビドラマ『24』(24, 2001-2014)のワンシーンを取り上げてみます。ここでは、アメリカ合衆国の黒人大統領を目指しているDavidとその妻Sherry、また過去に殺人事件を犯してしまっている息子Keithが対話しています。

David: Listen to me.(よく聞きなさい)
Nobody’s defending what Keith did.(キースの行為をだれも擁護はしない)
He acted on the moment. It wasn’t right.
(とっさのことだったが間違った行動だった)
That doesn’t make you right for covering it up, or make me right for not being there.
(それをもみ消したお前(Sherry)も悪いし、そばにいなかった俺も悪い)
So we’re all to blame.(だからみんなに非がある)
Keith: That’s right, Mom. I’m willing to pay the price for this, even if it means going to jail.
(その通りだよ。僕は覚悟はできている。刑務所行きになってもいい。)
『24』(24, Season 1, Episode 19, 2001)

be willing toを用いているKeithは自身の過去が大統領を目指す父親にどれほどの迷惑をかけることになるか十分理解しています。そうした中でI’m willing to pay the price for thisと発言しており、「喜んで…する」状況ではありません。実際の映像では、大変重々しい空気が流れるシーンとなっています。「覚悟はできている」という日本語訳がKeithの心理を表すのに適切といえる場面です。

次にbe ready toの使用場面を見てみます。次のシーンは『デスパレートな妻たち』(Desperate housewives, 2004-2012)からのものです。上司Lynetteとその部下Stuとの対話です。映像では上司Lynetteに対して終始にこやかで積極的に受け答えしているStuの表情が印象的です。

Lynette: Hey, Stu. You busy?(ねえ、ステゥ。忙しい?)
Stu: Nah, just updating my blog.(いえ、ブログをアップしていただけです。)
Lynette: ‘Cause I’ve got an important assignment for you.(実は大事な仕事を頼みたいの。)
Stu: Great! I’m ready to take on more responsibility around here.(やった!ここでもっと責任のある仕事をやりたかったんです)
Lynette: I applaud that.(すばらしいわ)<00:26:47>
『デスパレートな妻たち』(Desperate housewives, Season 2, Episode 8, 2005)

本映像ではStuのしぐさを通して、上司Lynetteへの積極的な応対姿勢が視聴者に伝わってきます。また本場面でのStuの表情の中にもbe ready toが表出する積極性が明確に表現されています。文字媒体ではなく、映像を通して英語表現を学習することで、各表現の本質的なニュアンスが感じ取れます。

be ready toと違い、be willing toはそれほど強い積極性は示さない表現であることがわかりましたが、willingはwillに-ingがついただけの表現だと考えると、willing =「…する意志がある」の語義が理解しやすくなります。


2018年12月1日

投稿者:蘒寛美(京都産業大学)
タイトル:「いいですよ」のバリエーション

「いいですよ」という返答は、話し相手から依頼を受ける、許可を求められた際の合意の意思を示す、表現のひとつです。では、今回はそのバリエーションを見てみましょう。一般的に、英語でのその表現には以下のような英語表現が知られています。

You bet. / Okay. / Absolutely. / Definitely/ / Why not? / Be my guest. / Go ahead. / By all means. / Sure. / No problem. / Certainly. / It shouldn’t be a problem. / Not at all. / Yes, sir. / My pleasure.

映画の中での対話4例をあげます。映画の中には、 “Can I have your autograph?” “No, problem.”(「サインもらえますか」「いいですよ」)(『ティン・カップ』 (Tin Cup, 1996) ) のようにおなじみの “No, problem” という表現も出てきますが、他にも以下のような例が出てきます。

① Eddie: Hey, fellas, can you give us a few minutes, please? (ねえ、みんな、少し時間くれないか?)
  Jordy: You bet. (いいよ)
  Eddie: Thanks. (ありがとう)<01:02:07>
  『15ミニッツ』(15 Minutes, 2001)

② Man: Let me ask you something, John. (聞きたいことがあるんですが)
  John: Be my guest, Martin. (どうぞ、いいですよ)<00:10:08>
  『ビューティフル・マインド』(A Beautiful Mind, 2001)

③ Woman: Please, sir. Mind if I ask you a few questions? (2,3質問してもよろしいですか?)
  Steven: Not at all. (いいですよ)<00:52:21>
  『ダイヤルM』(A Perfect Murder, 1998)

④ Byron: May I have a word with you, please, William? I mean, Mr. President? (ウィリアム、少しお話ししてもいいですか?いや、大統領。)
  President: Certainly, Byron. (いいですよ、バイロン)<01:03:05>
  『ウォーカー』(Walker, 1987)

了解した場合の「いいですよ」には、日本語より多くのバリエーションがあります。例①は、「いいよ」「当然ですよ」「もちろん」などの意味があり、友人や近しい人に使えます。例②は、元々、お客になってください、という意味から生じて、「どうぞご自由に」という意味です。例③の “Not at all” は、否定の応答のように見えますが、依頼文に “mind” があり、「気にする」という意味ですので、気にしますか、と聞かれているのに対して、“yes” で返答すると、「はい、気にします」と断る意味になります。

また、こんなに多くの応答があるなかでも、丁寧さのレベルもあり、気をつけないといけません。
例① は、大変くだけた表現ですので、フォーマルな場面では避けたほうがよいですね。
一方、例④は、カジュアルな場面からフォーマルな場面まで使える表現です。大統領が使っているくらいですので、汎用性の高い表現です。はじめに列挙した例の “Certainly” .以降がフォーマルな場面で使えます。

お願い事をされたら、TPOを考えて使い分けるのがいいですね。


2018年11月1日

タイトル:Poetic justiceを日本語に訳すと?-ドラマ『キャッスル』のセリフから-
投稿者:角山照彦(広島国際大学)

英語には日本語に直訳しても意味がわかりづらい表現がありますが、poetic justice(詩的正義)もそうした表現の1つではないでしょうか。ジャネット・ジャクソンの主演映画やケンドリック・ラマーのヒット曲のタイトルにも使われていますが、いずれも『ポエティック・ジャスティス』とカタカナ表記のままであり、訳しづらい表現であることがわかります。今回は人気ドラマ『キャッスル/ミステリー作家のNY事件簿』(Castle, Season 2, Episode 3, 2009)のセリフを用いながらその意味を紹介したいと思います。

まず、poetic justiceの語源は、英国の歴史家トーマス・ライマーの著作The Tragedies of the Last Age(1678)に遡ります。善良な者は最後には救われ、邪悪な者は最後に罰を受けるよう演劇は描かれるべきだという主張の中で、彼はpoetic justiceという表現を用いました。そこから「文学作品、特に劇で、登場人物がその行為に基づいて受ける正当な因果応報の原理」という意味で使われるようになりました。

『キャッスル』では、主人公の作家キャッスルとベケット刑事がファッションモデルの殺人事件を解決した後、被害者のジェナに悪質な嫌がらせをしていたモデルのシエラとカメラマンのモンローについて、次のようなやり取りをします。

Castle: Well, what about Sierra? What about Wyatt Monroe? That doesn’t sound like justice.(じゃあ、シエラはどうなるのかい? それにワイアット・モンローは? 2人が罪を逃れるのは正義じゃないよ。)
Beckett: Well, I spoke with Teddy Farrow this morning. Now that he understands what those two did to Jenna, he’s gonna launch a very different kind of campaign. He’s gonna get them blackballed in the industry. No one will hire them again.(今朝テディ・ファロー(有名ファッションデザイナー)と話したわ。あの2人がジェナにしたことを知って、彼もまったく違う種類の運動を始めるらしく、2人を業界から追放するみたいよ。これでもう誰もあの2人を雇ったりしない。)
Castle: You mean poetic justice. Well, as a writer, I guess I can live with that.(つまり因果応報か。まあ、作家として、そういう結末なら受け入れられるかな。)<0:38:55>

DVDでは、吹き替え音声、日本語字幕共に「詩的正義」となっていますが、その意味が理解できるのはストーリーの助けがあってこそのように感じます。一般の視聴者には「因果応報」などのように訳した方がわかりやすいかもしれません。

因みに、冒頭に挙げた映画『ポエティック・ジャスティス/愛するということ』(Poetic Justice, 1993)では、主人公の名前がJusticeで、しかも詩人(poet)であるという設定ですから、タイトルには上記の意味以外にもさまざまな思いが込められていそうです。

そう考えると、翻訳とは本当に難しいものだと感じます。


2018年10月1日

タイトル: 1本の映画も世界や人生を変えるのです!―映画『わたしはマララ』―
投稿者:山内圭(新見公立大学)

2014年に史上最年少でノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイ (Malala Yousafzai)さんを取り上げた映画『わたしはマララ』 (He Named Me Malala, 2015) を授業で使う上での利点をご紹介します。この映画は様々な点で学生に気づきを与えます。以下、具体的なセリフを挙げつつ、3つの点に分けてご紹介します。

①異文化理解
多くの学生にとってあまりなじみが深くないイスラム教の一端を知ることができる表現も出てきます。

Malala: Islam teaches us humanity, equality, forgiveness. (イスラム教は慈悲心や平等や寛容を説いている)<00:16:08>

Malala: But covering my face was something that made me feel like I was just hiding my identity, who I was. (でも私は顔を覆うと自分の本質を隠しているように感じる)<00:28:53>

②教育(のありがたさ、すばらしさ、そして自分たちが受けている教育)についてあらためて考える機会となる
この映画を教育系の学生に見せた時はもちろん、その他の専門の学生でも自分たちが教育を受けているというありがたみを再確認する機会となります。

Narrator: Education was a threat to them. Education gives you the power to question things. The power to challenge things. To be independent. (教育は彼らの脅威だ。教育は女性に疑問を抱かせ 挑戦する力を与え 自立させる)<00:55:26>

Malala: Put a lot of effort in your studies, okay. And when the teacher gives you homework, make sure do it on time, okay? (頑張って勉強を続けてね。宿題を出されたらすぐやるのよ)<00:56:04>

Malala’s father: Idream that one day I’ll go back and I will meet all my students, my people. That would be the greatest day, the happiest day of my life. (いつか故郷へ戻って教え子たちに会うのが夢だ。素晴らしい1日だろう。人生で1番幸せな日だ)<00:56:55>

Malala: It was school where I would see my friends every day. Where we would learn every day. It was school which was giving me hope which was building up my future. (毎日友達と顔を合わせた学校だ。毎日勉強した学校だ。学校で希望を与えられ将来の展望を描いた)<01:06:51>

③学生たちの人生へのアドバイス
私が最も重要視するのが、学生の人生へのアドバイスになる点です。この映画では、多くの学生たちと同世代である少女マララが語っているので、学生たちに与える影響は大きいと考えます。

Malala: It is so hard to get things done in this world. You try, and too often it doesn’t work. But you have to continue, and you never give up. (物事を全うするのは困難だ。努力してもなかなか成功しない。でも決して諦めずに続けていくことだ)<40:52>

Girl: Malala was a girl like us. She’s inspiring us. (同じ女の子として元気づけられる)<00:53:36>

Malala: There is a moment when you have to choose whether to be silent or to stand up. (人には決断する瞬間がある。沈黙を守るか声を上げるか)<01:07:40>

Malala: I chose this life. It was not forced on me. It was not told to me to live such kind of life. I chose this life and now I must continue it. (私が選んだ人生よ。この人生を歩むことを誰にも強制されていない。私が選んだ人生をこれからも歩んでいくわ)<01:22:46>

Malala: One child, one teacher, one book and one pen can change the world. (1人の子供、1人の教師、1冊の本、1本のペンが世界を変えるのです)<01:20:54>

ちなみに、最後に引用したマララの言葉はニューヨークの国連本部の書店の入り口横の壁に大きく書かれています。映画鑑賞後の学生たちの感想を読んでみても、教育のありがたみ、比較的平和な日本に生まれ育っていることへの感謝、男女の差や違いなど(この映画を見せているクラスは大抵女子学生の方が多い)、この映画がいろいろな意味で学生たちに影響を与えそうなことが予想できます。1本の映画が世界を、そして学生の考え方や人生を変える、これからもそんな映画を学生たちに紹介していきたいと思います。


2018年9月1日

タイトル:『グラン・トリノ』に見る男らしさ
投稿者: 深津勇仁(学習院女子大学・非)

今回は、クリント・イーストウッド主演、監督作品で現代アメリカの諸問題を投影した 『グラン・トリノ』(Gran Torino, 2008)について男らしさの観点から見ていきます。

同作品は米国人としての誇りを胸に、フォードの自動車工として勤務したポーランド系アメリカ人の主人公コワルスキーと隣人のモン族のタオとスーの触れ合いを描いた作品です。

作品で、コワルスキーは庭仕事ばかりしているタオを男らしく見せるため様々な工夫を凝らします。彼の男らしさの定義では、1.仕事に就く、2.彼女を作る、3.車に乗る、の三点が必須条件です。以下は、コワルスキーがタオに建設業の現場責任者を紹介するにあたって、男らしい振る舞いをレクチャーするシーンです。

Kowalski: Course, I have to make a little adjustment and man you up a little bit.(もちろん少し調整を加えて男らしくしなきゃな)
Thao: Man me up?(僕を男らしく?)
Kowalski: Yeah. (そうだ) <01:12:45>

このman は名詞ではなく動詞で一般的な日本の学校英語ではあまり見なれない使い方ではありますが、男に磨きをかけるという意味で使われます。床屋でもタオの男磨きは続きます。

Kowalski: Yeah, just come in and say: “Sir, I’d like a haircut, if you have time.”(そうだ、入ってきてこう言え、もしお時間があれば散髪をお願いできないでしょうか、とな)
Barber: Yeah, be polite, but don’t kiss ass.(そうだ、丁寧に、だが媚びは売るなよ)
Kowalski: In fact you could talk about a construction job you just came from and bitch about your girlfriend and your car.(実際、いま終わったばかりの建設作業員の仕事や彼女の愚痴や、車について話せばいいんだ)<01:14:46>

このシーンでは、real man つまり「真の男」になるためのロールプレイが床屋と馴染み客のコワルスキー、そしてタオとの間で繰り広げられます。コワルスキーは、床屋での会話は仕事、彼女、車の話などをするとよいとタオに助言を与えます。次は、コワルスキーが顔なじみの建設関係の責任者にタオを紹介する場面を見ていきます。

Construction manager: You Speak English?(英語は話すのか?)
Thao: Yes, sir.(はい、もちろんです)
Manager: Were you born here?(アメリカ生まれか?)
Thao: You bet… (そうです)
Thao: Thanks, Mr. Kennedy.(ありがとうございます。ケネディさん)
Manager: It’s Tim. And what’s your name again?(ティムだ、名前をなんていった っけ?)<01:18:08>

このシーンでは、コワルスキーはタオに面接前のアドバイスとして、しっかりと目を見て、力強く握手することを伝えています。またこの場面で、タオは床屋で習得したポライトネスを踏まえた表現を使用しています。敬称であるSirを返事のあとにつけ、名字の前にMr.をつけることも忘れていません。コワルスキーの的確なアドバイスもあって、タオの顔つきや振る舞いが変わっていきます。次に、タオがユアをデートに誘ったことを告げたシーンの台詞を見てみましょう。

Sue: They’re taking the bus.(バスを利用するそうよ)
Kowalski: No, you can’t take the bus….(やめとけ、バスなんか)
Thao: You’d let me take the Gran Torino?(グラントリノを使わせてくれるのか)
Kowalski: Yeah, I’d let you take the Gran Torino.(そうだ、私のグラントリノを貸すよ)
<01:25:56>

この台詞からもわかるように、コワルスキーの価値観によると女性とのデートではバスよりも車を使用することが常識であるため、愛車をタオに貸すことまで申し出ます。このように同作品では、米国人の男らしさは立ち居振る舞いや話し方だけでなく、車や仕事、彼女の有無が重要であることが示唆されています。


2018年9月1日

タイトル:『マイ・インターン』に見る間投詞の発音
投稿者:野中泉(東邦大学)

今回は、『マイ・インターン』(The Intern, 2015) に見る間投詞の発音について二つ取り上げます。アン・ハサウェイがニューヨークのファッションサイトの社長・ジュールズを演じ、彼女の下にシニア・インターンとしてロバート・デ・ニーロ演じるベンが雇われます。怪演で鳴らしてきたデ・ニーロですが、この映画では定年後に慣れない業界で働く70歳の実直な紳士(ベン)をコミカルに演じています。

一つ目に紹介するpsstは、ベンの若い同僚であるジェイソンが、自分の思いを寄せる女性とベンが話しているのを見て、ベンの注意をひそかに引くために言った間投詞です。

Jason: Psst! Say something about me to her.(ちょっと!彼女に僕のことを話して)
Ben: (口だけ動かして:No, you have to do it.) (いいや、自分でやれ)<00:26:20>
『マイ・インターン』(The Intern, 2015)

psstは発音記号/ps(t)/からも分かるように、子音だけで成り立つ単語なので、母音をつけ加えないように発音することがポイントです。/p/は両唇音ですから、しっかり上下の唇を閉鎖して息をせき止め、すぐにその息を爆発的に吐き出しながら摩擦音/s/を作ります。最後の/t/は舌先を歯茎につけて吐く息をせき止めるだけにとどめ、/t/の発音をせずに終わらせます。psstは相手の注意をひそかに引くための間投詞です。目立たせずに、しかし確実に響かせるために、息を鋭く吐き出して高周波の/s/の音を作らなければなりません。ただの/s/だけでも良さそうですが、語頭で/p/の口構えをすることで、上下の唇で息がせき止められて口内の圧が高まります。その勢いで息を一気に解放させ鋭い摩擦音/s/が作られるので、/p/は必要なのです。さらに/t/が息のストッパーになってパタッと発音を終わらせることで、さらにインパクトのある音に仕上がります。

この強烈な息の音を確かめられる映画が他にもあります。『34丁目の奇跡』 (Miracle on 34th Street, 1994) では、デパートに現れたサンタクロースが、勝手に子どもにクリスマスプレゼントを安請け合いしそうになり、母親がサンタクロースを制するためにpsstを使う場面があります。

Mother: Psst! No. Psst! Can Mother have a word with Santa, please? (ちょっと!だめ。ちょっと!ママもサンタとお話しできますか)<00:18:55>

二つ目に紹介する間投詞は、急成長したジュールズの会社に外部からCEOを迎えるべきだと部下から進言され、不本意ながらもCEO候補者であるタウンゼントと面会した直後に、ジュールズがベンに言ったduhという語です。

Jules: You know if, uh, we disagree, he’s the tiebreaker?(もしね、私とタウンゼントの間で意見の衝突があれば、決定を下すのは彼よね?)
Ben: Of course. He’s the CEO.(そうですよ。彼がCEOですから)
Jules: Yeah. Duh.(そうよね。当たり前よね)<01:44:19>
『マイ・インターン』(The Intern, 2015)  

duhはわかりきったことを言われた場合などに使われる表現で、発音は/də/です。この場合、タウンゼントがCEOになれば、会社の経営に関する決定権が彼に移るのは当たり前だ、という意味でduhを使っています。/də:/と母音を長めに発音したり、イントネーションを変えたりすると、皮肉が込められることがあります。その良い例を『ミーン・ガールズ』 (Mean Girls, 2004) で聞くことができます。

Karen: I’m a mouse. Duh! <00:25:35>
『ミーン・ガールズ』 (Mean Girls, 2004)

ハロウィンでネズミの仮装をした女子高生のカレンが、友達から何の仮装のつもりかを尋ねられた時に、ネズミのつけ耳を指差して「見ればわかるでしょ!」の意味で放つ Duh! は、相手を小バカにしたようなイントネーションです。ぜひ映画を見て確認してみてください。


2018年8月3日

投稿者:山本五郎(法政大学)
タイトル:「暑さ」を表す英語表現あれこれ

この夏は記録的な猛暑です。観測史上最高となる摂氏41.1度を埼玉県熊谷市で記録し、その暑さは連日ニュースでも取り上げられています。暑さのせいで仕事や勉強に集中できない方も多いのではないでしょうか。

さて、この「猛暑」は英語でどのように表現するのでしょう。気象に関するニュースや新聞の見出しでは、heatwave(熱波)が目につきますが、会話などでよく用いられる他の表現をいくつか見てみましょう。

「暑い」はhotですから、「暑い日」はa hot dayです。「猛暑日」であれば、このhotに意味を強める単語を加えることで表すことができます。意味を強める英単語と言えば「とても」を表すveryや「本当に」を表すreallyが一般的ですから、a very hot dayやa really hot dayがまず思いつくでしょう。実際これらは「すごく暑い日」と言いたい時に最もよく用いられる表現です。暑さをさらに強調したいのであれば、「非常に、きわめて」を意味するextremelyを加えたan extremely hot dayという言い方で、尋常ではない暑い日を表すことができます。また、次の (1) のセリフのように、“It’s extremely hot!”(ものすごく暑いね)のような形で、「猛暑日」に限らずひどい暑さを表現することもよくあります。

(1) Alicia: It’s extremely hot in here with the windows closed and extremely noisy with them open.(ここは窓を閉めているとものすごく暑くて、開けているとひどくうるさい)<00:31:28>
『ビューティフル・マインド』 (A Beautiful Mind, 2001)

また、extremelyの代わりに「沸騰している」を意味するboilingを加えてboiling hotとすれば、うだるような暑さを表現することができます。このboiling hotは、温度の高さだけではなく、(2) に見られるように期待の高さなどを表す場合にも用いられる面白い表現です。

(2) Quince: Two, possibly three, new and boiling hot prospects for merger. (2つか、ひょっとしたら3つ、新たな非常に有望な合併先がある)<01:28:58>
『ジョー・ブラックをよろしく』 (Meet Joe Black, 1998)

また、scorcherという「暑い日」そのものを表す便利な単語もあります。動詞のscorchは、「焦がす」という意味ですから、体や地面が焦げるような暑さを表して、What a scorcher today! 「今日はなんて暑い日だ」と言うことができます。上で述べたa hot dayの強調表現として、a scorching hot dayと言えば、じりじりと焼けるような暑い日を表すことができます。ギラギラした強い日差しを連想させますね。次の (3) では、砂漠の厳しい暑さを描写する際にscorchingが用いられています。

(3) Narration: One by one, they slowly perished under the scorching sun. ( 一人そしてまた一人と、彼らは焼けつく太陽の下で倒れた)<00:02:41>
『ハムナプトラ2 / 黄金のピラミッド』 (The Mummy Returns, 2001)

他に「暑い日」を表す単語としては、sizzlerがあります。こちらは名詞として用いるよりも形容詞のsizzling「とても暑い(熱い)」を使ってa sizzling summer(とても暑い夏)などの表現で使われることが多いようです。
まだまだ暑い日は続きますが、映画やTVドラマでリフレッシュしてa long hot dayを乗り切りましょう!


2018年8月1日

2つの語形を持つ動詞や形容詞
飯田泰弘(岐阜大学)

英語の単語には、同じ語源から複数の語形や意味が作られるケースがあります。今回はそのような語形の変化パターンを、動詞と形容詞でみてみましょう。

まず動詞の場合は、shineやhangがその例です。たとえば、中学・高等学校の英語教材によく載っている「不規則動詞変化表」では、shine「輝く」やhang「~を掛ける」の変化が、それぞれshine-shone-shone、hang-hung-hungと示されています。もちろん不規則変化の活用はこれで正しいのですが、忘れてはならないのは、shinedやhangedという規則変化の形も存在しているという点です。

shineの場合、「輝く」という自動詞用法の過去形や過去分詞形はshoneですが、「(靴など)を磨く」という他動詞用法の場合はshinedとなります。またhangの場合は、同じ他動詞用法でも意味による差が出て、「~を掛ける」という意味ではhungになりますが、「~を絞首刑にかける」という場合の語形はhangedです。たしかに日常生活では、両単語ともに前者の用法のほうが使用頻度は高そうです。しかし、shineやhangは「常に」不規則変化をする動詞だと覚えてしまうのは危険です。そうでないと次のような映画のセリフを理解できなくなってしまいます。

(1) Dickham: You’re a shined-up wooden nickel, Mr. Palmer. (君はメッキ塗装の偽物だよ、パルマー君)<01:27:33>
『ザ・ジャッジ 裁かれる判事』(The Judge, 2014)

(2) Narrator: The Iranian people took to the streets outside the U.S. embassy demanding that the shah be returned, tried, hanged.(イラン国民は米国大使館に押し寄せ、指導者を引き渡すこと、裁判にかけ、絞首刑にすることを要求した) <00:02:29>
『アルゴ』(Argo, 2012)

(1) では、「~を磨く」のshineの受身形としてshined-up「磨き上げられた」が出ており、(2) では「~を絞首刑にする」という意味でhangedが使われているのが分かります。

同様に、このようなケースは形容詞でも見られます。たとえば、名詞beautyを形容詞にするには、多くの人が接尾辞の-fulを付けたbeautifulを思い浮かべると思います。しかし実際には、接尾辞-ousをつけたbeauteousという形容詞もあり、beautifulが唯一の形容詞の形とは言えません。この2種類の形容詞を比べると、一般的にはやはりbeautifulのほうが使用頻度が高いようです。一方beauteousは、今では古語や雅語として扱われ、beautifulでは表しえないほどの魅惑的な美しさを際立たせたり、印象づけたりする場合に使用されるようです(参照:『英語接辞の魅力』西川盛雄、2013)。

この差は辞書の訳にもしばしば見られ、『ウィズダム英和辞典』では、beautifulが「美しい」、beauteousが「うるわしい」という訳があてられています。この日本語訳の区別からも、両者の微妙なニュアンスの差が感じられると思います。

実例としては、映画にもbeauteousが登場する次のようなシーンがあります。ここでは登場人物たちが、小説に登場する18世紀頃のイギリス人のマネをして会話をしているため、あえて少し古めかしく、堅い表現であるbeauteousを使っているものと予測できます。

(3) Heartwright: My, Miss Charming, what beauteous skin you possess.(チャーミング嬢、なんて美しいお肌をしていらっしゃるの)<00:29:54>
『オースティンランド 恋するテーマパーク』(Austenland, 2013)

このように、「より使用頻度が高い」などの理由から、片方の語形だけが学校で導入されたり、その結果、もう片方が単語帳のみでしか見ない語になってしまったりすることがあります。しかしながら、やはり複数の語形がある場合は、使用法を誤らないためにもそれぞれの語形に対する正確な理解が必要です。加えて、(3) のbeauteousのような映画のセリフにおいては、なぜあえてより日常的な語(ここではbeautiful)を使わなかったのかなど、話者の意図を読みとってみても面白いかもしれません。


2018年7月1日

タイトル:あなたのpreceptは何ですか?~『ワンダー君は太陽』で考える処世訓~
投稿者:松田早恵(摂南大学)

2018年6月現在劇場公開中の『ワンダー君は太陽』(Wonder, 2017)は、R. J. Palacioが著した児童文学Wonder(2012)を基にしています。主人公のオギーは、顔部がひどく変形した状態で生まれ、何度も手術入院を繰り返しました。そのため学校には通えず、母親からホームスクーリングを受けて育ったのですが、10歳のときにミドルスクール5年生に編入することになります。初めて通う学校で、文字通り特別(extraordinary)な存在となったオギーは、いじめ、友情、裏切りなどを体験するのですが、そこに英語を教える教員として関わるブラウン先生が非常に影響力の大きい存在として描かれています。子どもたちと初めて出会った日に、ブラウン先生はpreceptとは何なのかを以下のように説明します。

Mr. Browne: Precepts are rules for really important things. Like mottos. Or like famous quotes. Or like lines from a fortune cookie… Precepts can help motivate us. They can help guide us when we have to make decisions about really important things.(preceptsとは、とても大切なことのルールです。モットーや格言みたいな。あるいは、フォーチュンクッキーに入っている一節のような。preceptsは、我々をやる気にさせてくれたり、大事なことで決断を迫られたときに導いてくれたりします。)

そして、最初の「今月のprecept」として “When given the choice between being right or being kind, choose kind.”(正しくあることと親切であることの選択肢があるなら、親切であることを選びなさい)を紹介します。ブラウン先生は毎月異なるpreceptを提示し、生徒たちに「大事なこと」を考えるきっかけを与えます。映画はブラウン先生の「最後のprecept」で終わりますが、原作では最後の授業でブラウン先生は次のように言います。

It’s been a great year and you’ve been a wonderful group of students. If you remember, please send me a postcard this summer with YOUR personal precept…(p.288)(素晴らしい1年でした。あなたたちも素晴らしい生徒でした。もし覚えていたら、この夏、あなたたち自身が考えたpreceptを葉書に書いて送ってください。)

オギーと仲間たちは最終的にどのようなpreceptを送ったのでしょうか。そちらは本でご確認ください。

R. J. Palacioは、関連本として365 Days of Wonder: Mr. Browne’s Precepts(2014)やAuggie & Me(2015)も書いています。前者は有名人や生徒たちのpreceptsを1年分集めたものです。6月のpreceptsの中で個人的に好きなものを3つ挙げてみます。

June 2
Ignorance is not saying, I don’t know. Ignorance is saying, I don’t want to know. ―Unknown
(無知とは、知らないと言うことではなく、知りたくないと言うことだ。―作者不明)
June 8
The only person you are destined to become is the person you decide to be. ―Ralph Waldo Emerson(あなたがなるべき運命にある人というのは、あなたがなると決めた人だ。―ラルフ・ウォルドー・エマソン)
June 26
Life is not colorful. Life is coloring.―Paco(人生は色彩豊かなものではなく、色付けしていくものだ。―パコ)

皆さんの個人的なpreceptは何ですか?


2018年7月1日

タイトル:Ladies and Gentlemenは何処へ?
投稿者:福井美奈子(京都産業大学)

ニューヨーク州立都市交通局(MTA)は、2017年11月3日、Political correctnessを意識した措置として、車内放送などにおけるジェンダーに配慮した表現を使用することを職員に指令しました。これにより、今後はLadies and Gentlemenの表現を廃止するそうです。

ちなみに、ジェンダーフリーが意識されている一つの例として、TOEIC Listening & Reading Testが挙げられます。TOEICにおいては、Ladies and Gentlemenは2007年発売のTOEICテスト新公式問題集<Vol.2>に2度出現したのを最後に、以後一貫して公式問題集での出現はありません。

今回のMTAの措置については賛否両論あるようですが、Ladies and Gentlemen廃止の流れは、他の分野にも広まっていくのでしょうか。

映画ファンであれば、毎年誰もが「オスカーは誰の手に?」とワクワクすることでしょう。また、アカデミー賞授賞式のホストが誰であり、授賞式が始まるとともに登場するホストがどんなオープニングトークをするのかも注目すべき点です。というのも、このトークは、ホストのエンターテイナーとしての実力を示すとともに、その時々のアメリカの情勢や世論の反映を意識したものであるからです。そこで、この世界中が注目するアカデミー賞のオープニングでは、どのような呼びかけ表現が使用されているのかを調べてみました。

1989年から2012年の間にアカデミー賞授賞式を9回も務めたBilly Crystalは、1998年と2004年の授賞式で、下記のように発言しています。

1. Ah, what a night, ladies and gentlemen, best actor category is unbelievable(ああ、なんて夜なんだ、皆さん。主演男優賞候補はすごいメンバーだ)(YouTube: Billy Crystal Oscars Opening — 1998 Academy Awards, 2011)
2. Good evening, everybody. (YouTube: Billy Crystal’s Opening Monologue: 2004 Oscars,2011)
3. So, let’s get going, gentlemen. (YouTube: Billy Crystal’s Opening Monologue: 2004 Oscars,2011)

 Billy Crystalは、ノミネートされた女優や男優を前に、1998年にはladies and gentlemenと呼び掛けているにも関わらず、2004年にはジェンダーフリーなeverybodyと呼びかけています。しかし、興味深いことに同じ相手に向かって約20秒後にはgentlemenと呼びかけており、揺れがあることがわかります。

今年度のアカデミー賞授賞式のホストであるJimmy Kimmelのトークでは呼びかけ表現が確認できませんでしたが、昨年度もホストを務めた彼のトークでは、どうでしょうか。

4. Congratulations, everyone, who’s nominated tonight(今夜ノミネートされた皆さん、おめでとうございます)(YouTube: Jimmy Kimmel’s Oscars Monologue, 2017)

同じくノミネートされた女優や男優を前に、呼びかけ表現にはeveryoneが使用されていました。このようなジェンダーフリー表現の使用が来年以降も続くのか、あるいはホストが代われば呼びかけ表現も変わるのか、今後も注目してみたいと思います。


2018年6月1日

タイトル:“its own beauty” それぞれの美しさ
投稿者:藤倉なおこ(京都外国語大学)

映画の舞台は緑が美しいイギリスの小さな町ヨークシャーです。町の婦人会のメンバーであるアニーは夫、ジョンを白血病で亡くしました。婦人会はジョンの想い出にと病院にソファを贈る計画をします。その資金集めのために彼女たちは、なんと前代未聞の自分たちの写真を使った中高年女性のヌード・カレンダーを婦人会で販売します。ヘレン・ミレン、セリア・イムリー、ジュリー・ウォルターズなどイギリスを代表する実力派女優が出演する映画、『カレンダー・ガールズ』(Calendar Girls, 2003)は、実話をもとにしています。実際のカレンダーは30万部を売り上げ、白血病研究のために多額の寄付がなされました。

ところで、なぜ中高年女性のヌード・カレンダーはセンセーショナルだと見なされるのでしょうか?それは若さにしか価値がない、若い姿しか美しくないのだとメディアなどにすり込まれた影響が大きいのではないでしょうか。テレビや雑誌などのあらゆるところにシワ、シミ、白髪を隠すための商品の広告があり、そのための方法はつねにどこかで取り上げられています。メディアは、いかに中高年の姿がみにくいものなのかを繰り返します。しかしそれでも年を重ねてシワが刻まれた表情がなんとも美しいと思ったことはありませんか?

亡くなったジョンが婦人会で行うはずだったスピーチ原稿にこのような一節がありました。

Chris: The flowers of Yorkshire are like the women of Yorkshire, every stage of their growth has its own beauty, but the last phase is always the most glorious, then very quickly they all go to seed.
(ヨークシャーの花はヨークシャーの女性に似ている。成長のそれぞれのステージにそれぞれの美しさがある。しかしなんと言っても最後に絢爛に咲き誇る。そしてその後はあっという間に枯れるのだ。) 〈00:19:00〉

人は生まれて子どもから青年、中年、高齢へと人生それぞれのステージが美しく、価値がある、しかも散りぎわが一番美しいとするこの言葉は深く心に響きます。寿命が延びて多くの人が「高齢者」になるまで生きる現代、知識、経験を蓄積した人生のこの時期に外見、内面にいろいろな意味で価値を見いだせないことは、自分にとっても不幸が待ち構えていると言うことです。年齢だけでなくお互いの特性を “its own beauty” (それぞれの美しさ)として尊重できる社会になればもっと幸せになれるのではないでしょうか。


2018年6月1日

タイトル:宗教的語りと科学的語り
投稿者:北本晃治(帝塚山大学)
 
ギャラップ社の行っている世論調査では、例年大多数のアメリカ人が神の存在を信じると回答しています。アメリカは、仮説の検討と証明に基づく科学技術の最先端をいく国ですが、各自の信仰においては、神の存在は科学的に証明されるものではなく、それを信じることが求められます。それでは彼らは、神の存在から始まる壮大な物語としての聖書の「宗教的語り」と、論理的、客観的分析を基にした「科学的語り」との間に、どのような折り合いをつけているのでしょうか。この点を考える上で大変示唆に富む映画として、『コンタクト』(Contact, 1997)があります。以下は、宇宙の知的生命体に関する気鋭の科学研究者、エリーと、彼女が強い好意を寄せている男性、パーマーとの会話です。パーマーは神を感じる絶対的体験をきっかけとして神学者となり、現在ではホワイトハウス(大統領)のスピリチュアルカウンセラーを務めるまでになっています。エリーはそんな彼の人となりには大きく魅かれてはいるものの、科学的思考が絶対の無神論者として、論戦を挑みます。

Ellie: I got one for you. “Occam’s Razor.” Ever heard of it?(ひとついい?「オッカムのかみそり」って、聞いたことある?)
Palmer: “Occam’s Razor.” Sounds like some slasher movie.(「オッカムのかみそり」、ホラー映画みたいだな)
Ellie: No, “Occam’s Razor” is a basic scientific principle. It says all things being equal, the simplest explanation tends to be right one.(いいえ、「オッカムのかみそり」は基本的な科学の原理よ。それは、もしすべての事柄が同じなら、最もシンプルな説明が正しいとするものよ)
Palmer: Makes sense to me.(分かるよ)
Ellie: So what’s more likely? An all-powerful, mysterious God created the universe then decided not to give any proof of His existence? Or that He doesn’t exist at all and that we created Him, so we wouldn’t feel so small and alone.(それじゃ、どちらがより妥当かな?全能の神秘的な神が宇宙を創造し、自分自身が存在するという証明はしないと決めたこと、あるいは、神は全く存在せず、私たち人間が自分たちがちっぽけで孤独な存在だと感じないように、神を創り出したということ)
Palmer: I don’t know. I couldn’t imagine living in a world where God didn’t exist. I wouldn’t want to.(分からない。でも、神の存在しない世界に暮らすことは想像できないし、そんなことはしたくもないな)
Ellie: How do you know you’re not deluding yourself? I mean, for me I’d need proof.(あなたが自分自身を欺いていないって、どうやって分かるの。つまり、私には証明が必要よ)
Palmer: Proof? Did you love your father? Your dad, did you love him?(証明?お父さんのこと、愛していたかい?君のお父さん、彼を愛していた?)
Ellie: Yes. Very much.(ええ、勿論とても愛していたわ)
Palmer: Prove it.(それを証明してくれ)〈01:13:47〉

ここで、エリーは、全ての現象が同じなら、その説明はよりシンプルな方が正しいとする「オッカムのかみそり」という概念を持ち出します。「世界が存在する原因はそれ自身の存在を証明できない神なのか、それとも、それは人間の弱さゆえの幻想なのか?」この問いに対して、パーマーは、「分からない、でも、神のいない世界で暮らすことは想像できないし、したくもない」と答えます。前述のように、科学者で無神論者のエリーは、さらに「神が幻想でないとどうしていいきれるのか」と畳み掛け、その証明を求めます。ここで、パーマーは、「すでに亡くなってしまったあなたの最愛の父を、あなたが本当に愛していたという自明性を証明しろ」と言う意味をこめた発言“Prove it”で見事に切り返し、人間の根源を支える愛は(神と同様に)、存在証明という問題を超えた絶対的本質であることを暗に示します。この「科学的語り」“Prove it”を逆手に取った反駁には、エリーも言葉を継ぐことができませんでした。

この映画の中で、パーマーの言葉と物腰には一貫して、「神の存在そのものが愛であり、それは科学的には証明不可能であっても、私達の全身に満ちている。大切なことはそれに気づくことである。」というメッセージが込められているように感じられます。「科学的語り」の本質が考えることだとすれば、「宗教的語り」の本質は感じとることのようです。両者は時に鋭く対立しながらも、アメリカ人のアイデンティティのコアを形成する大きな動因になっていると考えられます。『コンタクト』は、これらの語りの矛盾とそれを突き抜けていく衝撃と感動を、エリーと一緒に追体験することのできる、大変貴重な映画だと思います。


2018年5月6日

タイトル:アメリカのママ友事情
投稿者:ルッケル瀬本阿矢(京都大学)

子供を持つ女性の皆さん、「ママ友」と仲良くできていますか。特に、仕事をしている女性にとっては、仲の良い「ママ友」は子育ての上で大変心強い存在ですが、子供を持つ女性の中には、仕事と育児を両立する女性を批判する人もいるようです。それは世界共通のようで、例えばアメリカ映画にも、理解のない「ママ友」に悩む働く女性がよく描かれます。

例えば、『マイ・インターン』 (The Intern, 2015) では、会社の社長をしている主人公ジュールズが、専業主婦のママ友であるジェーンとエミリーに嫌味を言われている場面が描かれています。アメリカでは、ランチ会に持参する料理が手料理か出来合いの料理かできちんと「母親」をしているかいないかが評価されるようで、映画では保育園に持参する手料理についてよく描かれます。

Jane: “We’re doing a fiesta lunch next Friday, and we thought you could bring the guacamole. Uh, you probably won’t have time to make it, so you can buy it. Which is fine. Enough for 18.”(金曜日のランチ会、ワカモーレ持ってきてね。作る暇ないだろうから市販のでいいわ。18人分ね。)
Jules: “No, I can make it. It’s not a problem.”(作るわ。大丈夫)
Emily: “Great. Matt can bring it.”(よかった。マット[ジュールズの夫]に持たせて)
Jules: “Totally.”(そうね)<00:44:45>
『マイ・インターン』 (The Intern, 2015)

その後、車に戻ったジュールズは以下のように独り言を言います。

Jules: “It’s 2015. Are we really still critical of working moms? Seriously? Still?” (2015年だっていうのにまだ働くママを批判?)<00:45:42>
『マイ・インターン』 (The Intern, 2015)

ジュールズは、他の主婦たちから「どうせ仕事を優先して、料理なんかしないだろうから、買ってきたらいいわよ」と言われたように感じ、憤慨するのです。

ランチ会に持参する料理に関する悩みは、コメディ映画『ケイト・レディが完璧(パーフェクト)な理由(ワケ)』(I Don’t Know How She Does It, 2011)にも描かれています。本映画の冒頭に、投資会社で働いている主人公ケイトが、幼稚園のバザーに持っていくお菓子を作れなかったため、出来合いのパイを潰して手作り風に細工をしている場面があります。他の母親に否定的な態度を取られ、子供が恥ずかしい思いをしないようにしたいという思いのもと、主人公のケイトが次のような発言をするシーンがあります。

Kate: Well, you know, I just… I just want Emily to feel proud of what she brings to the bake sale. I don’t want her to feel different from the other kids because her mother has to travel for work, you know?(エミリー [主人公の娘]にはみんなに持たせても恥ずかしくないものを持たせたいの。母親が出張で忙しいからって子供に惨めな思いだけはさせたくない。)<00:01:02>
『ケイト・レディが完璧(パーフェクト)な理由(ワケ)』(I Don’t Know How She Does It, 2011)

家族のために働く母親によって子供が惨めな思いをするのは本末転倒です。女性の社会進出が進んでいるアメリカでさえこの問題が存在することを考えると、なかなか簡単に解決できる問題ではなさそうですが、女性が活躍できるより良い社会を形成するためには、環境の異なる女性同士がいがみ合うのではなく、お互いが理解し合うこと、そして助け合うことが重要な鍵となりそうです。


2018年5月1日

タイトル:映画で学ぶ地球科学
投稿者:井村誠(大阪工業大学)

77万年以上前にはコンパスが南の方角を指していたなんて信じられますか?実はこの地磁気の反転(geomagnetic reversal)という現象は、45億年前の地球誕生以来、何百回も繰り返されてきたそうです。

地球の中心部は固体状の内核と液状の外核から成っており、外核では高温で溶けた金属が対流していて、これが地磁気を生じさせると考えられています。方位磁石のN極が北を指すのは、地球自体がいまは北極をS極、南極をN極とする巨大な磁石になっているからです。なぜ地磁気の反転が起こるのかよくわかっていませんが、核内部の対流の変化と関係があるのかもしれません。

もしも、いま地磁気が反転したらどうなるでしょうか?その「もしも」の世界を描いたSF映画が「ザ・コア」(The Core, 2003)です。ある日世界中で方向感覚を失った鳥の群れの異常行動や、電子機器の誤作動などが発生し、調査を依頼されたシカゴ大学のキース博士らは、地球内部の核の回転が止まって地磁気を不安定にしていることを突き止めます。

以下は、この異変についてキース博士が国防総省の幹部を前に説明をする場面です。

<00:23:49 – 00:24:14>
Dr. Keyes: Everybody on Earth is dead in a year. Let me explain why. Wrapped around the Earth is an invisible field of energy. It’s made up of electricity and magnetism, so it’s called, creatively enough, the Electromagnetic Field. It’s where we get our magnetic North Pole and South Pole. It protects us from cosmic radiation. So this EM Field is our friend.(1年以内に人類は滅亡します。説明します。地球は目に見えないエネルギー場に包まれています。それは電気と磁気からできています。なのでそれを電磁場と呼んでいます。磁石が北を指すのもそのためです。電磁場は我々を宇宙線から守ってくれています。つまり電磁場は我々の味方なのです。)

この電磁場が崩壊しつつあることについてさらに説明を求められたキース博士は、フルーツバスケットから取り出した桃を半分に切って見せます(キース博士の説明の途中でコメントを入れているジムスキー博士は政府お墨付きの著名な地球物理学者)。

<00:24:36 – 00:25:36>
Dr. Keyes: The thin skin, that’s the Earth’s crust. That’s what we live on. It’s 30 miles thick. The meat here, call it the mantle. Forgetting all the funky transitions, its… uh, 2,000 miles thick. The core the peach pit in the center, that’s a tricky one. There’s two parts… the inner core and the outer core. Are you following me? The inner core is uh… it’s a big solid chunk of iron, we think. And that’s surrounded by the outer, and that is liquid.(桃の皮の部分を地殻と考えてください。我々が暮らしているのはこの50kmくらいの厚みの上です。桃の実の部分がマントルです。細かいことは抜きにして、まぁ約3,200kmの厚さです。そして種が地球の核にあたりますが、これが少しやっかいです。内核と外核という2つの部分からできているのです。いいですか?内核は巨大な鉄の塊だと考えられています。それは液状の外核に包まれているのです)
Dr. Zimsky: Yes, but most importantly, this liquid is constantly spinning in one direction. So a trillion, trillion tons of hot metal, spinning at a thousand miles an hour, so…(そして最も重要なのは、この液状の外核が常に一定方向に回転しているということです。1兆トンもの高温の金属が非常に速いスピードで。)
Dr. Keyce: So physics 101. Hot metal moving fast makes an electromagnetic field. This spinning liquid outer core is the engine… that drives the EM field. And that’s where we have our problem.(物理の基本ですが。高温に移動する金属が磁場を作ります。この回転する液状の外核は電磁場を作り出すエンジンなのです。そこに問題があります)
Dr. Zemsky: This engine has stalled. The core of the Earth has stopped spinning.(エンジンが止まってしまった。地球の核が回転を止めてしまったのです)

桃の実を例えに使った説明は分かり易いですね。アナロジー(analogy:似通ったものを用いた例え)は非常に効果的な説得手法の1つであり、理系英語のプレゼンテーションにも役に立ちます。さて、果たしてこの重大危機を乗り越えることはできるのでしょうか?

つい最近、地磁気の反転を示す地層が千葉県で発見され、「チバニアン」と名付けられる見通しとなったというニュースがありました。正式に決定されれば、地質時代に初めて日本の地名がつけられることになります(讀賣新聞 2017年11月16日)。


2018年4月1日

タイトル:レジスターと呼ばれる言葉の環境
投稿者:吉川裕介(近畿大学)

昨今、インターネットで新聞を読んだり、料理のレシピを検索したりするのは当たり前になっています。今回は4月よりATEMがThe Association for Teaching English through Multimedia(映像メディア英語教育学会)に変更になったことを受けて、メディアを中心に言葉の使用環境について紹介したいと思います。

新聞の見出しやレシピ文、インターネット広告といった特定の集団や場面で使われる言葉の使用環境をレジスターと呼びます。このレジスターには特有の文法が存在し、通常とは異なった言葉のふるまいを可能にしています。例えば、John wiped the table clean.(ジョンはテーブルを綺麗に拭いた。)のように、原因と結果を単文で描写できる構文を結果構文と呼びますが、この構文は強い文字制限のある新聞の見出しなどで効果的に用いられます。しかし、(1) の見出しだけを目にして全ての人が記事内容を推測できるとは限りません。ここにレジスター特有の文法が働いています。

(1) Young forwards fire Liverpool to victory over Athletic.(若いフォワードらの得点でリバプールがアスレチックに勝利)
https://theworldgame.sbs.com.au/article/2017/08/06/young-forwards-fire-liverpool-victory-over-athletic

動詞fireは他動詞で「(得点を)入れる」という意味を持ちますが、(1) では本来の目的語the ballが顕在化しておらず、その代わりにLiverpoolが目的語位置に現れています。通常、このようなタイプの結果構文は自動詞、もしくは自動詞の中に目的語が意味として含まれている(drinkなど)場合に用いられます。しかし、(1) がこの制約に違反しているにもかかわらず適格とされるのは「新聞の見出し」というレジスターで使用されているからです。例えば、forwards、Liverpoolという名詞からサッカーの話だと類推できる人には、fireの後ろに省略されている目的語がthe ballであると補うことができます。また、類推できなくとも、記事内容を読むことで目的語を復元することが可能となります。このように、文字に限りのある「見出し」においては、通常では想像し難い因果関係を述べている場合でも、読み手が自身の経験に基づく知識や記事内容から、「足りない情報」を補うことで理解ができるのです。

次はレシピ文ですが、以下の指示文を見てください。

(2) Cut squid into rings(イカを輪切りにしましょう)

(2) は料理のレシピ文によく見る表現です。この文には「胴から内臓と足を引き抜く→骨を抜き、中を洗って、皮を剥ぐ→胴を横向にして切る」という手順が含まれています。つまり、レシピ文は慣習化した調理手順を読み手に補ってもらうことによって、端的な指示が可能となっているのです。その証拠に、料理をした経験のない読者の場合、この指示文に従って調理をすることは困難ですよね。同様に、料理のレシピで“Cut beef into rings”という指示があったらどうでしょうか。読者はどう切れば牛肉が環状になるのか一連の調理手順を想起することができないので理解できない文になってしまいます。このように、レジスターには特有の文法があり、その特性を生かして様々な表現を可能にしているのです。


2018年3月9日

タイトル:現代に通じる「ハンナ・アーレント」の視点
投稿者:佐藤弘樹(京都外国語大学・非)

戦争を扱う映画は無数にあります。国威発揚モノ、ヒーロー活劇モノ、反戦風刺モノ、などに分類できますが、今回取りあげる映画は2012年ドイツ・ルクセンブルグ・フランス製作の『ハンナ・アーレント』(Hannah Arendt)です。この映画は戦場を描いたものではありません。戦後、数年が経過してから逮捕されたナチの戦犯を裁く裁判を巡る実話です。

1960年代初頭、何百万ものユダヤ人を収容所へ移送したナチの戦犯アドルフ・アイヒマンが、逃亡先で逮捕されます。イスラエルで裁判が行われますが、この裁判を傍聴したレポートを、自身がナチスの強制収用所から脱出しアメリカへ亡命したユダヤ人である高名な哲学者のアンナ・ハーレントが、ニューヨーカー誌に発表します。彼女は、ユダヤ人指導者の中にナチに協力した者もいた事実を包み隠さず発表し、世界中から激しいバッシングを浴びることとなります。

そのバッシングの嵐は、勤務する大学からも退職を勧告されるほど吹き荒れたため、アーレントは学生たちを前に自身の見解を述べることにします。彼女はアイヒマンが公判で以下のように述べたことを紹介した上で、アイヒマンのような非人道性を、venality of evil(悪の凡庸さ)<01:38:34>と表現しています。

Hannah: Contrary to the prosecutions and assertions, (he said) that he had never done anything out of his initiatives that he has no intensions whatsoever good or bad, (and) that he had only obeyed orders.(起訴内容に反して彼は、自発的に行ったことは何もない、自分の意思は介在しない、命令に従っただけ、と主張しました)<01:37:44>

ナチスに限らず、戦争犯罪で訴追される多くの軍人が反論に使うこの手の常套手段は、実は、現代社会に通じるものがあります。それは、会社や学校で日常的に見られるものです。自分の意に沿わぬことや、疑問を持つ他者からの指示・命令に対して、「私が決めたことではない。」あるいは「私はただやるように言われただけだ。」といった言葉で、自分を納得させることはないでしょうか。

まして戦場において軍人への命令は絶対的なものです。命令に背けば命を失いことになりかねません。自分の命を賭して、許されざる行為である命令の非人道性を告発せず、唯々諾々とそれに従ったアイヒマンの心情をvenality(金銭ずく、金銭上の無節操、金で動くこと、賄賂のきくこと)という単語でアーレントは表現しました。これもまた、現代の拝金主義的風潮を、鋭く指摘するものです。

彼女は、人間が自分の頭で「ことの善し悪し」を考えることをやめてしまえば、普通の人々がいとも簡単に悪に手を染めることになり、「私に罪はない。」とその罪深さにも気付かないことへ、警鐘を鳴らし、最後にこの言葉で締めくくります。

Hannah Thinking gives people strength.(考えることで人間は強くなれる。)<01:42:36>

ろくにモノを考えずとも、快適な生活を送れる、便利なスマホやネット環境が生み出す現代社会の“思考停止状態”への警告と捉えるべきだと思います。


2018年3月1日

タイトル:枕詞のように使われる英語の条件節
投稿者:衛藤圭一(京都外国語大学・非)

私たちが普段コミュニケーションを取る時には、直接的な物言いにならないよう「申し訳ないのですが」や「お言葉を返すようですが」などの枕詞を置くことがありますが、日本語だけではなく英語にも枕詞に相当する表現があります。一般的にはperhapsやI’m afraid などが知られており、通常は婉曲的、あるいは丁寧な響きを与えたり,話者の控えめな気持ちを表したりする際に使われます。たとえば、次の(1)は『ブリジット・ジョーンズの日記 きれそうなわたしの 12 か月』(Bridget Jones: The Edge of Reason, 2004)に出てくるセリフで、話者ダニエルがバルコニーからの夜空を一緒に眺めようとブリジットを控えめに誘っている場面です。

(1) Daniel: Perhaps you’d like to come up and have a little look? (よかったら、ちょっと寄って見ていかないか )
Bridget: I don’t think so. (やめとくわ)<01:04:29>

ここではperhapsを枕詞として使うことによって、相手に気を使いながら誘っていることがわかります。
また、英語では、こうした語句以外にも条件節が枕詞として機能することがあります。

(2) Ted: If I understand it correctly … what means the most here is what’s best for our son. (もし私の理解が正しいければ,今最も大事なのは,何が息子にとって最善かということです)<01:27:32>
『クレイマー,クレイマー』(Kramer vs. Kramer, 1979)

条件節を枕詞として使う場合には主に二つの特徴が見られます。まず、主節に仮定法の助動詞を伴う点です。次の(3)では、仮定法のwouldと共に用いて一歩引いた感じを作り上げることで更に配慮しながら提案しています。

(3) Sugai: If you had time, I would explain what that means.(もしお時間がおありであれば、それがどういったことなのかを説明いたしますが)<01:39:30>
『ブラック・レイン』(Black Rain, 1989)

もう一つの特徴は、条件節の中に助動詞が生起するという点です。(4)では側近が大統領に進言している場面ですが、条件節の中に許可を表す助動詞mayを使うことで、更に控えめな姿勢を効果的に示しています。

(4) Mike: Mr. President, if I may speak frankly, I’m not sure that’s a good idea.(大統領、もし率直に申し上げてよろしいのでしたら、私にはそのお考えが御名案かどうかはわかりかねます)<00:21:04>
『24 -TWENTY FOUR- シーズンⅡ 第 15 話』 (24, Season 2, Episode 15, 2002)

なお、助動詞が条件節の中で使われる場合、主節が省略されて条件節のみで控えめな姿勢を示すことがあります。たとえば、(5)では許可を表す助動詞couldが条件節ifの中で使われていますが、主節が省略されており、条件節のみで控えめに要請しています。

(5) Ray: Mr. Mann, if I could just have one minute, please. (マンさん、1 分で結構ですので、もし可能でしたらどうかお時間をいただけないでしょうか)<00:47:12>
『フィールド・オブ・ドリームス』(Field of Dreams, 1989)

以上、映画における条件節の使用例を中心に、英語にも日本語と同じように枕詞と同等の表現が存在することを示しました。本コラム以外にも日英の類似点を扱った記事が過去のアーカイブにありますので、「もしよろしければ」是非ご覧ください。


2018年2月1日

タイトル:Dudeって何?
投稿者:松井夏津紀(奈良工業高等専門学校)

アメリカの映画やドラマを見ていると、dudeということばをよく耳にしませんか。今回は、このdudeということばの使い方について紹介していきたいと思います。

もともとdudeは1880年代にアメリカで生まれた、最先端のファッションに身を包む若者を嘲笑した表現だったようです。その後、いくつかの意味変化を経て、1990年前後にカリフォルニアのサーファーたちのことをdudeと呼ぶようになり、若者の間でdudeが流行したそうです。そして現在では、dudeは「男」(=a man, a guy)という意味を表すアメリカ英語のスラングになりました。

次のセリフは、テレビコメディーシリーズ『ママと恋に落ちるまで』(How I Met Your Mother, Season 1, Episode 12, 2005)で、自分よりイケてない友人が美人の彼女と結婚する結婚パーティーの場面でのセリフです。

(1) Barney: Man, you know something, Stuart’s my new hero. If that dude can bag a nine, I gotta be able to bag, like, a sixteen.(スチュアートは俺のヒーローだ。奴でも9点だぞ。俺なら16点いける)<00:19:10>  

このセリフでは、dudeは「男」(=man)という意味で用いられ、“that dude”(あいつ)はStuartのことを指しています。また、次の例のように複数形でも用いられます。

(2) Randall: One guy can’t make it alone. That’s why I was with those dudes.(1人じゃ生きられない。だから奴らといた)<00:18:30> 
『ウォーキング・デッド』(The Walking Dead, Season 2, Episode 10, 2012)

では、dudeの他の使い方も見てみましょう。

(3) Lily: No, Ted. you don’t mess with a honeymoon.(新婚旅行の邪魔よ)
Marshall: Yeah, come on, dude.(そうだ、やめろ)<00:08:07>
『ママと恋に落ちるまで』(How I Met Your Mother, Season 1, Episode 13, 2005)

(4) Tara: What are you doing, dude?(何するの)<00:27:11>
『ウォーキング・デッド』(The Walking Dead, Season 5, Episode 10, 2015)

これらのdudeは呼びかけとして使用されています。ただ、このdudeはあってもなくても意味はほぼ変わりません。

 また、dudeには感嘆詞としての用法もあります。この感嘆詞としてのdudeはポジティブ、ネガティブ両方の気持ちを表すことができます。

(5) Glenn: Dude, you are such a buzzkill, man.(すっかりしらけちまった)<00:09:11>
『ウォーキング・デッド』(The Walking Dead, Season 1, Episode 6, 2010)

(6) Barney: Legendary! Dude, I am so excited that you’re single again.(伝説を作るぞ!シングルにお帰り)<00:00:18>
『ママと恋に落ちるまで』(How I Met Your Mother, Season 3, Episode 1, 2007)

例 (5) のGlennのセリフでのdudeは平坦に発音されていて、落胆を表しています。日本語の「あーあ」に相当する感じでしょうか。一方、(6) のBarneyの方は抑揚があるdudeで、喜びを表しています。このようにdudeはイントネーションによって、様々な気持ちを代弁することもできるようです。なお、(5) のように主語がyouの場合、dudeは気持ちを表しているとともに、相手への呼びかけとして用いられているとも考えられます。このように、dudeは呼びかけなのか、感嘆詞なのかあいまいなことも結構あるようです。

Dudeの使用は男性同士の会話において多いようで、異性間での会話では出現が少なくなるようです。また、dudeを使用するのは30代ぐらいまでで、「男っぽさ」や「クールさ」を強調する、ヨーロッパ系アメリカ人を中心に使用に身のタフな女性で、ドラマの中でLGBTであることを表明しています。このようなスラングは、辞書を引くだけではなかなか使用法のイメージがわかないことが多いと思われますので、是非、映画やドラマでどのような人物像のキャラクターが使用しているかを観察してみて、ことばの持つイメージを捉えてみてください。


2018年2月1日

タイトル:日本語タイトルにご用心!
投稿者:國友万裕(同志社大学・非)

日本でレンタルビデオが普及し始めたのは30年ほど前からです。それまでは映画は映画館で見るものでした。レンタルでこっそり借りるわけにもいかないので、当時は人目の多い繁華街の劇場に行かなくてはなりません。映画少年だった私がいつも困ったのは、変な邦題をつけられることでした。

例えば、『歌え! ロレッタ愛のために』(1980)という映画があります。これはシシー・スペイセクが実在のカントリーシンガー、ロレッタ・リンに扮してアカデミー賞主演女優賞を獲得した映画なのですが、原題はCoal Miner’s Daughter(炭鉱夫の娘)です。このタイトルの方が良かった気がするのだけど、当時の日本は何かにつけて、「愛」だ「恋」だという言葉をタイトルに多用していました。

例をあげればきりはありません。アン・バンクロフトとシャーリー・マクレーンがバレエに生きた女と家庭に入った女の友情と葛藤を演じたTurning Point(人生の転機)が『愛と喝采の日々』(1977)、リチャード・ギア主演の軍人の友情と恋愛のドラマAn Officer and a Gentleman(将校と紳士)が『愛と青春の旅立ち』(1982)、シャーリー・マクレーンとデボラ・ウィンガーが母娘役を演じたTerms of Endearment(親密な間柄)が『愛と追憶の日々』(1983)、アフリカを舞台にしたメリル・ストリープ主演の大河ドラマOut of Africa(アフリカから)が『愛と哀しみの果て』(1985)、シガーニー・ウィーバーが実在のゴリラ研究者ダイアン・フォッシーに扮したGorillas in the Mist(霧の中のゴリラ)が『愛は霧の彼方に』(1988)…。

こんな感傷的で的外れなタイトルでは友達に言うのも恥ずかしい。上にあげた映画はいずれもアカデミー賞を受賞、もしくはノミネートされた上質の映画だけに邦題がその質を下げてしまうような感じです。こういうタイトルをつけなかったら、お客さんが来ないと当時の宣伝の人は思っていたのでしょうか。

それから時代が流れ、最近では無理に邦題を付けるよりも、英語のタイトルのまま公開するケースが増えてきました。『ラ・ラ・ランド』『ムーンライト』『マンチェスター・バイ・ザ・シー』(いずれも2016)『ゲット・アウト』『ダンケルク』(いずれも2017)など、昨年日本で話題となった映画は原題そのままで公開になったものが多いです。

しかし、原題をそのままタイトルにする場合は、語呂がいいように変えてしまうというケースが往々にしてあります。昨年アメリカで絶賛された映画でThe Shape of Waterという映画があるのですが、これは日本ではtheを抜いて『シェイプ・オブ・ウォーター』で公開予定です。Three Billboards Outside Ebbing, Missouriは、『スリー・ビルボード』と単数形の邦題になります。

その一方で、英語タイトルとは言っても、原題とは違った英語にしてしまうものもあり、Arrivalは『メッセージ』(2016)、Hidden Figures(隠れた人々)は『ドリーム』(2016)というタイトルがつけられてしまいました。ちょっと難しめの英語だとわからない人もいるから、誰でも知っていそうな英語に変えてしまうことがあるわけです。また、邦題が必ずしも悪いわけではなく、Boyhoodを『6歳のボクが大人になるまで』(2014)にしたのは当を得てよかったと思います。

映画を観るときは、邦題だけではなく、原題も覚えるようにしましょう。そうしないと、外国の人と映画の話をするときに困ることになります。