2008年

【投稿一覧】
2008年10月16日
「Thisの意味のThat」小野隆啓
2008年10月02日
「『ニューヨークの恋人』 Kate & Leopold」石川保茂
2008年09月11日
「心に刻みたいセリフ『ロッキー・ザ・ファイナル』(2006)」井村誠
2008年09月01日
『結婚の可能性-Miss Potter-』奥村真紀
2008年08月19日
「『ホートン、ふしぎな世界のダレダーレ』と日本文化」坂本季詩雄
2008年07月19日
「話題化(topicalization)」倉田誠
2008年06月08日
「米国の街頭保険(streetsurance): F・コッポラ『レインメーカー』(1997)」田中美和子
2008年05月14日
「神を証人として誓う。私は二度と飢えない!As God is my witness, I’ll never be hungry again! - スカーレット・オハラ(ヴィヴィアン・リー)」 『風と共に去りぬ』(1939年)藤枝善之
2008年03月03日
「『プリティ・プリンセス2:ロイヤルウェディング』の中のお伽話」松田早恵


2008年10月16日

タイトル:「Thisの意味のThat」
投稿者:小野隆啓(京都外国語大学)

『ハリーポッターと賢者の石』(Harry Potter and the Philosopher’s Stone)の中に次のような会話のシーンが出てきます。

Harry: Hagrid, what exactly is that?
Hagrid: That? It’s. . . .
Ron: I know what that is! But, Hagrid, how did you get one? <01:39:48>

このシーンは、Hagridがドラゴンの卵を暖めて孵化させようとし、そろそろかえる頃なので机の上に卵を置きます。Harry, Ron, Hermioneの3人は机を囲み、卵は彼らの目と鼻の先にあります。そのような状況で上のセリフが出てきます。この中のHarryとRonのセリフの中の二つのthat、日本語に訳してみるとどうしても「あれ」ではなく、「これ」と訳さないと日本語の場合おかしいですね。「ハグリッド、これって一体なーに?」、「僕これが何か知ってるよ。でも、ハグリッド、どうやって手に入れたの?」のようになりますね。つまり、使われているのはthatなのに意味的にはthisなのです。

同じ映画の中の終わりの方にも、同じ用法のthatが出てきます。これは、ハグリッドが一角獣(unicorn)の血を指ですくって、それをHarry達に見せているところで出てきます。

Harry: Hagrid, what is that?
Hagrid: What we’re here for. See that? That’s unicorn blood, that is. …<01:44:40>

Harryのセリフのthatはここでは「あれ」でもなく「これ」でもなく、「それ」が一番しっくり来ます。「ハグリッド、それなーに?」でしょう。でも、その後のハグリッドのセリフの中にあるthatは、ハグリッド自らがその指に一角獣の血をつけているのですから、「おれたちゃ、ここに何しに来たんだ?これが見えないか?これは一角獣の血だぞ。」のように「これ」でないとおかしくて「あれ」や「それ」ではだめですね。

これらの例からthatにthisの意味を表す用法があることがわかります。thatは空間的に遠くにあるものを指す場合に使われるのが一般的です。でも、thatには「心理的に遠いものを指す」場合があるのです。上の例はどちらも「空間的にはthisの範囲にあるが心理的に遠い存在」なのでthatが用いられているのです。ドラゴンの卵も一角獣の血も、たとえそれらが目の前にあっても、そんなものは今までHarryは全く見たことも聞いたこともないので心理的に遠い存在なのです。そのためたとえ空間的にはすぐ近く、手の届くような位置にあってもthatが用いられているのです。

『プラダを着た悪魔』(The Devil Wears Prada)の中のthatも同じです。
(⇒7月19日掲載の「話題化(topicalization)」(倉田誠先生)をご参照ください!)

Nigel: Who’s that?(これ、誰?)
Emily: That I can’t even talk about.(話す気にもならないわ。)<00:04:58>

最初のNigelのセリフはAndyのすぐ隣で発せられたものです。すぐ隣ですから、日本語なら当然「これ」を用いますからthisを用いる所だと思いますよね。ところが実際にはthatになっているわけです。ファッション界の先頭を行く雑誌Runwayで勤務するNigelにとってAndyの服装は全くファッションとは言えないようなひどいものに映ったのでしょう。なので自分とは「心理的に遠い」存在だということでthatを使っているのです。

この「Thisの意味のThat」は、一般の辞書の中にも書いてあるものもあるのです。ですが、上のようなしっくり来る例が示されておらず、やはり距離的に遠いもののことしか出てきていません。映画の英語、やはりとても役に立つ教材だと言えますね。(以上のことを知れば、最初に紹介したセリフのハグリッドの応答、”That? It’s. . . .” の部分のThat?となっていること、特に疑問詞が付いていることの意味もわかってくるはずです。日本語訳ではその微妙な感覚は消えてしまっています。どうぞ、考えてみてください。)


2008年10月02日

タイトル:「『ニューヨークの恋人』 Kate & Leopold」
投稿者:石川保茂(京都外国語短期大学)

おかしな研究者スチュアートは時空の裂け目をついに発見し、1876年のニューヨークにワープします。しかしそこで生粋の英国紳士レオポルドに不審な行動を見とがめられ、あとを追われて橋から落下します。一人で現代のニューヨークに戻ってきたはずが、なんとレオポルドまで一緒に。アパートの階下に住む「元」恋人のケイトが出入りして、レオポルドを彼女の仕事の企画に起用、大当たりとなります。まさに絵に描いたような紳士的行動をとるレオポルドに、いつしかケイトは魅かれ、レオポルドもケイトに魅かれていきます。しかし、現代になじめないレオポルドとケイトの仲はぎくしゃくし、その傷心を抱いたままレオポルドは過去の世界へと帰ってしまいます。レオポルドのおかげもあって念願の昇進を果たしたケイトは、いよいよその発表パーティの就任挨拶の時を迎えます。しかしケイトの弟チャーリーが、1876年の写真にケイトが写っているのを発見し、チャーリーとスチュアートはケイトに、レオポルドのいる過去に行くよう説得します。でもスチュアートのことばを信用していないケイトは全く耳を貸しません。その時に「元」恋人のスチュアートが何とかケイトをレオポルドの世界に行かせようと、ケイトに向かって言ったのがこのセリフです。

STUART: Maybe I was supposed to find you help your guy Leopold.
(本当の恋人レオポルドを君が探し出せるように助けるのが、僕の運命だったと思うよ)

決して幸せとは言えなかったケイトと「元」恋人スチュアートの仲。しかしこの二人の恋人関係がなければ、ケイトとレオポルドもまた結ばれることもなく、二人の人生は平行線のままで交わることはなかったのです。人生とは、何と異なもの、粋なものなのでしょう。


2008年09月11日

タイトル:「心に刻みたいセリフ『ロッキー・ザ・ファイナル』(2006)」
投稿者:井村誠(大阪工業大学)

Rocky: It ain’t about how hard you hit. It’s about how hard you can get hit and keep movin’ forward.<01:03:34>

人生にとって大切なことは、どれだけ打つかではなく、どれだけ打たれるかということであり、そして打たれても、打たれても、前へ進もうとすることである… 『ロッキー・ザ・ファイナル』を観ていて、素直に感動した言葉です。It’s about ~は、口語英語によく見られる表現で、しばしばIt’s not about ~. It’s about ~.のように対句で用いられ、「肝心なことは~ではなくて、~だ。」のような意味になります。前置詞aboutの面白い用法のひとつですね。60歳を過ぎてなおも闘おうとするロッキーを息子のロバートは止めようとします。しかしそれは父への思いやりからではなく、自分が笑いものにされるのが嫌だったからです。そんな息子へ放った父の言葉は、やっぱりロッキー・パンチ!

Rocky: I’ll tell you something you already know. The world ain’t all sunshine and rainbows. It’s a very mean and nasty place. And I don’t care how tough you are, it will beat you to your knees and keep you there permanently if you let it. You, me, or nobody is gonna hit as hard as life. But it ain’t about how hard you hit. It’s about how hard you can get hit and keep movin’ forward. How much you can take and keep movin’ forward. That’s how winnin’ is done!


2008年09月01日

タイトル:「結婚の可能性-Miss Potter-」
投稿者:奥村真紀(京都教育大学)

皆さんがおそらく一度は目にしたことのある『ピーターラビット』の絵本は、20世紀初頭の英国で、ビアトリクス・ポターによって生み出されました。当時、良家の女性が結婚もせずに仕事をもつのははしたないことと見なされていました。婚期を逃しかけている娘に、次々とお見合いを押しつけてくる両親をふり切りながら、彼女は自分の絵本を出版してくれる出版社を見つけ、その編集者ノーマンと次第に親しくなります。ノーマンには同じく独身の姉、ミリーがいて、ビアトリクスは彼女とオールドミス同志の親しみを深め、何でも打ち明けられる親友となるのです。そして、彼らを招いたクリスマス・パーティー。突然のノーマンのプロポーズに驚きつつ、自分の愛に気付いたビアトリクスは返事をする前にミリーを見つけて相談します。ノーマンと自分が結婚してしまったら、ミリーが一人になってしまう、と気遣うビアトリクスに対し、ミリーはこう言います。

You have a chance for happiness, and you’re worrying about me? I wouldn’t worry about you, if…if someone came along who loved me and whom I loved. I’d trample my mother.
(あなたは幸せになるチャンスを得たのに私のことを気にしているの?私はあなたのことなんか気にしないわよ、もし・・もし私を愛してくれる人がいて、私がその人を愛していたら。ママだって踏みつけて行くわ。)

ミリーの使う仮定法は今彼女が置かれている状況がどれほど厳しいかを如実に表しています。出生率や戦争その他で「女が余っていた」この時代、小説や映画にたくさん出てくるオールドミスになる女性は珍しくありませんでした。幸せを得ようとする親友と別れる時のミリーの寂しげな顔が、彼女の内面をよく語っています。


2008年08月19日

タイトル:「『ホートン、ふしぎな世界のダレダーレ』と日本文化」
投稿者:坂本季詩雄(京都外国語大学)

2008年7月12日に公開された映画『ホートン、ふしぎな世界のダレダーレ』は、Horton Hears a Who!という絵本を原作としています。実はこの作品は日本文化と繋がりを持っているのです。

配給会社、日本二十世紀フォックス社は、プロモーションで何とかこの作品をもり立てようとしました。その現れの一つがスースとこの作品と日本の繋がりの強調です。同志社女子大教授だった中村貢氏が、1953年に京都を訪れたドクター・スース夫妻をもてなしました。そして、配給会社がこの点を宣伝に利用したのです。こうして、この映画のパンフレットには、原作が「ドクター・スースが日本を訪れた際に中村氏と出会い、また日本の文化に接するうち、彼独自のイマジネーションが大いに刺激され、その結晶として生まれた」と記されることになったのです。

確かな証拠はないですが、 “A person’s a person, no matter how small”(どんなに小さくても、ひとはひと)という、この作品でのキーフレイズは、日本文化との関連性を感じさせます。ホートンは小さな世界 “small speck of dust”(ほこりのかけら)に住むWho達(ダレダーレ達)に気がつき、彼らの存在をジャングルの住民に知らせます。彼の声に最初は誰一人耳を傾けませんでしたが、ダレダーレ達自身が大声を上げて存在をジャングルの住民に分からせるのです。日本へ来る前、自作『5000本の指』の映画化がうまくいかず、落ち込んでいたドクター・スースが、戦後間もない元敵国日本の異質な文化に触れて、新作Horton Hears a Who!のインスピレーションを得たとしてもふしぎはないように思われます。当時日本は国際社会に復帰しようとがんばっていたのです。スースや彼の作品については、私たちの訳した『ドクター・スースの素顔、世界で愛されるアメリカの絵本作家』彩流社刊に詳しいので、もっと知りたい人は読んでみて下さい。

残念だったのは、このようなスース作品が、公開初日に筆者と共に鑑賞したのが30人そこそこだったことです。『ホートン、ふしぎな世界のダレダーレ』を見ましょうと、私が大声を上げなければならないのです。


2008年07月19日

タイトル:「話題化(topicalization)」
投稿者:倉田誠(京都外国語大学)

『プラダを着た悪魔』(2007)の最初の方のシーンで、主人公のアンディーがRunway社というファッション雑誌社に面接を受けに来ます。その場で、次のような短い会話があります。

Nigel: Who’s that?(これ、誰?)
Emily: That I can’t even talk about.(話す気にもならないわ)<00:04:58>

この会話ではナイジェルの使った指示代名詞のthatを、エミリーが自分のセリフの中では、目的語の位置から文頭位に移動させる「話題化」(topicalization)というおもしろい技法に変換しています。この会話技法は先行文脈における情報を旧情報としてとらえ、目的語に相当する語句を前置することによって、会話の流れをスムーズにする効果があります。このシーンでは、社風に全く合わないファッションで面接に来たアンディーの隣で、ナイジェルがいぶかしげに口パクで”Who’s that?”と言っています。それに対して、エミリーが指示代名詞thatをそのまま文頭に使い、”That I can’t even talk about.”と即答することにより、ナイジェルの懐疑的な気持に同調する意図を示しています。言うまでもなく、エミリーの台詞の一般的な語順は”I can’t even talk about that.”というものです。

それにしても真横にいるアンディーを指差して、ナイジェルが使う”Who’s that?”は学校で習った指示代名詞thatの用法からは少し外れますよね。これについてはスペースの関係もありますので、次稿を担当される小野隆啓先生(京都外国語大学)にバトンタッチしたいと思います。乞うご期待!


2008年06月08日

タイトル:「米国の街頭保険(streetsurance): F・コッポラ『レインメーカー』(1997)」
投稿者:田中美和子(京都ノートルダム女子大学・非、京都橘大学・非)
 
豊かだと思われている国アメリカには、日本のような国民皆保険制度がありません。そのため多くのアメリカ人は、個人で民間の医療保険に加入します。このようなアメリカの状況が『レインメーカー』の依頼人ブラック一家の存在によって表現されます。ちなみに、タイトルのレインメーカー(rainmaker)とは,主人公の弁護士Rudyが所属事務所に「お金の雨を降らせる人」であるという意味で用いられています。民間の医療保険に加入するブラックさんの息子Donny Rayが白血病を発病しました。本来なら保険金で十分な治療ができるはずなのに、いろんな口実で何年も支払い拒否にあい、その間に病状はかなり進行してしまいました。事情を聞いたRudyの同僚Deckは、それは典型的な「週掛帳面型保険詐欺(debit insurance scam)」だと言い放ち、次の様に説明します。

Deck: The blacks call it “streetsurance.”(黒人たちはそういうのを「街頭保険」と呼んでいるよ。)<00:07:08>

「街頭保険(streetsurance)」とは、戸別訪問で保険を売り、毎週その家を訪問しては掛け金を直接徴収する保険を指します。特に、教育を受けていない低所得者層の人たちを対象にすると言われており、保険金の請求に対して保険会社はとにかく支払い拒否をし続けるのです。堤未果『ルポ 貧困大国アメリカ』(2008)やM・ムーア『シッコ』(2007)にもありますが、民間の医療保険はカバーする範囲をあらかじめ狭く設定している上に、街頭保険と同じように理由をつけては支払い拒否をするため、中流階級にも医療費がかさんで自己破産する人が珍しくないそうです。


2008年05月14日

タイトル:「神を証人として誓う。私は二度と飢えない!As God is my witness, I’ll never be hungry again! - スカーレット・オハラ(ヴィヴィアン・リー)」『風と共に去りぬ』(1939年)
投稿者:藤枝善之(京都外国語短期大学)

舞台は南北戦争直前のアメリカ南部。主人公のスカーレットは、ジョージア州タラで大農園を経営するオハラ家の娘です。ある時、自分が思いを寄せるアシュレーがメラニーと結婚すると聞き、あわてて愛を告白しに行きますが、結局、振られてしまいます。たまたまその告白の場に居合わせたのが、社交界の不良男、レット・バトラー。これが二人の運命の出会いでした。北軍の南部侵攻が始まった頃、メラニーが出産します。彼女の世話をアシュレーから頼まれていたスカーレットは、乳飲み子と病気のメラニーを抱えて途方に暮れます。スカーレットたちは、レットの助けで、北軍の砲撃で炎上するアトランタをかろうじて脱出。馬車で生まれ故郷のタラを目指します。タラへの旅の途中で、愛郷心に目覚めたレットが突然、敗色濃厚な南軍に加わることを決意します。別れ際にスカーレットを強く抱きしめ、愛の告白をするレット。彼が去った後、スカーレットは、恨めしさと心細さで泣きながら、南軍兵の死体が散乱する道を馬車で進んでいくのです。やっとの思いでタラに帰ってみると、幸い家は焼かれずに残っていました。しかし頼りにしていた母は前日に病死。父はそのショックで抜け殻のようになり、屋敷は北軍の略奪で荒れ放題でした。そんな中でスカーレットは、家族や使用人たち、メラニーとその子どもを養っていかねばなりません。絶望と空腹に苛まれ、早朝農園に出たスカーレットは、荒れた畑の中から泥まみれの大根を掘り出し、夢中でかぶりつきます。しかし、たちまち胸がむかついて吐き出し、惨めさに打ちひしがれます。ひとしきり泣いた後で彼女はゆっくり立ち上がり、天に拳を突き上げて、運命に挑戦するかのようにこう宣言するのです。

“As God is my witness… As God is my witness, they’re not going to lick me. I’m going to live through this, and when it’s all over, I’ll never be hungry again. No, nor any of my folks. If I have to lie, steal, cheat or kill. As God is my witness, I’ll never be hungry again!”
(神を証人として…神を証人として誓う。私は負けない。私は生き抜く。そしてその闘いが終わったら、私は二度と飢えない。そう、私の家族も。たとえ、嘘をつき、盗み、騙し、殺さなければならなくなっても。神を証人として誓う。私は二度と飢えない!)

この台詞にはGodという言葉が何度か出てきますが、信仰を持つ人にありがちな、神に頼り、神にすがるという態度は微塵も窺えません。この、自分だけを頼りに逆境を乗り越えようとするスカーレットの毅然とした姿勢は、恐慌の傷跡が残るアメリカ国民や、敗戦から立ち直れないでいる日本国民を大いに励ましたのです。特に、終戦7年目に本作品が公開された日本では、多くの人が戦中・戦後の飢えや焼け野原の体験を重ね合わせて泣きました。まさにこのシーンが、日本の高度経済成長の一つの原動力になったのかもしれませんね。


2008年03月03日

タイトル:「『プリティ・プリンセス2:ロイヤルウェディング』の中のお伽話」
投稿者:松田 早恵(摂南大学)

『プラダを着た悪魔』のアン・ハサウェイ主演のプリンセスシリーズ第二弾では、Rapunzelというおとぎ話(のパロディ)が登場します。原作は魔女によって高い塔に閉じ込められた美女Rapunzelのお話で、塔には高いところに窓が一つあるだけなので魔女は下から次のように呼びかけます。

Rapunzel, Rapunzel, let down your hair, so that I may climb the golden stair.
(ラプンツェル、ラプンツェル、髪を垂らしておくれ。その金のはしごを登るから)

ある日、たまたま通りかかった王子(Prince Charming)がそれを見て、魔女の居ない時に同じように呼びかけてみます。王子は無事に塔に登り、必然的に2人の間に愛が芽生えます。『プリティ・プリンセス2』では、明日他の人と結婚することになっているミア(アン・ハサウェイ)のところにニコラス(クリス・パイン)がやってきて、窓の下から次のように呼びかけます。

Rapunzel, Rapunzel, with hair so fine. Come out your window, climb down the vine.
(ラプンツェル、ラプンツェル、美しい髪の人よ。蔦を伝って下りてきておくれ)

それに対するミアの答えはこうです。

The feat you ask, dear sir, isn’t easy. And I won’t respond to that line. It’s far too cheesy.
(そんな離れ業は簡単じゃないのよ。それに、そのセリフには答えられないわ。ダサすぎて)

でもそこに居合わせた友人のリリー(ヘザー・マタラーゾ)はミアの本心を見抜き、次のように聞きます。

Do you want a regular bachelorette party with 12 screaming girls or do you want a stroll in the moonlight with your almost-Prince Charming?
(キャーキャーうるさい女の子たち12人と普通の「独身さよなら」パーティがしたいの?それとも「ほぼ王子様」と月夜の散歩がいいの?

そして、結局ミアは蔦を伝って下りていくのですが、これがなかなかうまく行きません。そこで一言。

This really is more romantic in books.
(これって本当に本の方がロマンティックだわ)