2015年

【投稿一覧】
2015年12月2日
「What do you got?」田畑圭介
2015年12月2日
「映画で学ぶ “The more you know, the better.” な話 (2)」小林翠
2015年11月1日
「強いヒロインの姿」奥村真紀
2015年11月1日
「言葉が持つ多様な意味」濱上桂菜
2015年10月2日
「『パッチ・アダムス トゥルー・ストーリー』(Patch Adams, 1998)」角山照彦
2015年9月23日
「スティーブ・ジョブズという生き方 〜Stay Hungry, Stay Foolish〜」近藤暁子
2015年8月21日
「『バック・トゥ・ザ・フューチャー』3部作で描かれていた現在・過去・未来について」山内圭
2015年8月16日
「小さなミスお日様(Little Miss Sunshine, 2006)」藤枝善之
2015年6月2日
「固有名詞から動詞へ」三村仁彦
2015年6月2日
「見えないものに目を向けてみよう!」平井大輔
2015年5月1日
「空耳(そらみみ)」使ってリスニング―『34丁目の奇跡』(Miracle on 34th Street, 1994)」野中 泉(東邦大学)
2015年5月1日
「映画英語で学ぶ類義語」山本五郎
2015年4月1日
「談話辞 “speaking of A”の英和辞典の記述と映画の台詞」横山仁視
2015年4月15日
「気持ちを伝える複数形の表現」飯田泰弘
2015年3月1日
「『シックス・センス』(The Sixth Sense, 1999)―「沈黙」と「嘘」を巡って」北本晃治
2015年3月1日
「『ウォールフラワー』~「壁の花」は女性だけじゃない?~」松田早恵
2015年2月1日
「ハリウッド文化と認知症」藤倉なおこ
2015年1月3日
「死ぬまでにしたい10のこと」近藤嘉宏
2015年1月3日
「Erin Brockovich に学ぶ論争のレトリック」井村誠


2015年12月2日

タイトル:What do you got?
投稿者:田畑 圭介(神戸親和女子大学)

What do you got? は助動詞doと過去分詞形の動詞が共存する不思議なフレーズです。文法的には正しくないフレーズですが、AntConc*などのコンコーダンス*ソフトでコーパス*化した映画やテレビドラマのセリフ群を検索してみると、ある程度の頻度で使用されていることがわかります。たとえば『24』(24 TV series, Season 1-8, 2001-2010)では8シリーズ中16回用いられています。

Jack: This is Jack. <電話を受けて>(ジャックだ)
Chloe : Jack, its Chloe. (ジャック、クロエです)
Jack: What do you got? (何かわかったか)
Chloe : Saunders is telling the truth. (サンダースの言っていることは本当よ)
Rabens is in Los Angeles. (レイベンズはロサンゼルスにいるわ) (Season 3, Episode 23) <00:27:22>

ジャンルの異なるテレビドラマ『フレンズ』(Friends, Season 1-10, 1994-2004)でもWhat do you got?は10シリーズ中11回登場します。

Chandler: What do you got there, Monica? <大きな買い物袋の前にいるモニカに対して>(なんの買い出し?)
Monica: Stuff for the party. (パーティー用品よ) (Season 2, Episode 9) <00:14:10>

映画やテレビドラマを見ていると、何度か出くわすフレーズであり、使われ方で多いのがWhat do you got? とWhat do you got there? という言い回しです。時折登場するWhat do you got (there)? ですが、What did you get? とは何か違いがあるのでしょうか。

カナダ在住の英語話者の方にWhat do you got? についてたずねたところ、刑事物のドラマでよく見るとのことでした。「それでなんか掴んだか?」といった響きをもつ表現のようです。別の方も、刑事が密輸事件の証拠や犯罪者を探す場面を連想するとコメントしてくれました。(I imagine it being used by a detective seeking evidence or a criminal attempting to purchase contraband.) What did you get? との違いについては、前者の方は次のようにコメントしています。例えばお店から帰ってきて、家族が「何買ってきた?」というのはwhat did you get? で、相手が手に持っているものに対して「そこに何持ってるの」という意味でwhat do you got there? と言うとのことです。またWhat do you got? は疑惑の念が入っていることが多いフレーズとのことです。自分自身ではこのフレーズを使ったことはなく、日常的に人から言われることもないそうです。English Forums
(https://www.englishforums.com/English/WhatDoYouGot/vprhc/post.htm)によると、 What do you got? は決まり文句となっており、What do you have? のように解釈されると述べられています。日常的には用いられていませんが、映画やテレビドラマで時折耳にする言い回しとなっており、刑事ドラマから生まれた独特のフレーズだと推察されます。正用法と認められていないこうしたフレーズが映画・テレビドラマで用いられることがありますが、英語学習者は使用の際には注意が必要だといえます。

*AntConc::Laurence Anthony氏(早稲田大学)が開発したフリーのコンコーダンス・ソフトウェアー。
*コンコーダンス:コーパスデータから語彙項目ごとに抽出された語彙リスト。
*コーパス:言語学的研究を前提に収集された言語資料の集合体。


2015年12月2日

タイトル: 映画で学ぶ “The more you know, the better.” な話 (2)
投稿者:小林翠(小野学園女子中学・高等学校)

投稿者は、2014年9月2日付けのコラム「映画で学ぶ “The more you know, the better.” な話」において、“The more … , the more …”の後半部がthe better のみから成る構文を取り上げました。そこでは、この “The more … , the better” 構文は、使用頻度が高く映画の台詞でもよく耳にすること、「前半部の比較級が示す程度に比例した、話し手の満足度合いの増加」を意味することを述べました。

この構文は、使われるシーンによって、次のような意味効果を聞き手に与えます。それは命令 (order)、要請 (demand)、依頼 (request)、助言 (advice) といった意味効果です。今回は前回の続編として、その中から命令的な効果と助言的な効果を与えるものを紹介します。

まず(1)は、誘拐犯のリーダーが誘拐した女性の解放場所を部下に指示するシーンで用いられた台詞です。

(1) Sean: Cut her loose right in the center of town. The more crowded the better. <01:27:23>
「彼女を街のど真ん中で放せ。混んでいれば混んでいるほどいい。」
『ミッション:インポッシブル2』(Mission: Impossible II, 2000)

「混んでいる場所に放せ」とは命令していないものの、これを言われた部下は、もちろん混んでいる場所に放つことを意識することでしょう。命令する立場のリーダーが、「混んでいればいるほど満足度が高い」と告げたわけですから。つまり、命令を出す人物のセリフだからこそ、この “The more …, the better.” 構文は、「できるだけ混んでいる場所に放せ」という命令的な効果を持って理解されます。

次に(2)は、年配男性が恋に悩む少年に対して助言するシーンで用いられた台詞です。

(2) Daniel: Tell her everything. Sing to her. The sooner the better. Because you might not get another chance. <01:10:02>
「その娘に全て打ち明けるんだ。その娘に歌うんだよ。早ければ早いほどいい。だって次にチャンスがあるとは限らないだろ。」
『フォーエヴァー・ヤング 時を越えた告白』(Forever Young, 1992)

この年配男性は決して、「打ち明けるのが早ければ早いほど、自分の満足度が増加する」と言いたいわけではありません。助言する立場の男性がこれを言うのは、それ自体が「できるだけ早く打ち明けた方がいい」という助言として理解されることを期待しているからなのです。

皆さんは、何かをするように人に告げたり、助言したりしようとする時、どんな英語表現を思いつくでしょうか。動詞の命令形や、“You should …” という表現を思いつく人は多いと思います。しかし、今回見たように、立場やシーンによっては、この“The more …, the better.” 構文もそのような意味効果を与えることができます。皆さんも是非、命令もしくは助言をしたい時に意識して、この構文を使ってみて下さい。


2015年11月1日

タイトル: 強いヒロインの姿
投稿者:奥村真紀(京都教育大学)

時代を超えて何度も舞台化や映画化が繰り返される小説は数多くあります。2012年に最新作が公開された、シャーロット・ブロンテの小説『ジェイン・エア』(Jane Eyre, 2012)もその一つです。当時無名の作家だったシャーロットから送られてきたこの小説を読んだ出版社の社長は、この物語のとりこになり、即決で出版を決意したと言われていますが、身寄りのない孤児ジェインが、逆境に耐え、自分で幸福をつかみ取っていくこの物語は、19世紀半ばに出版されてから、時代を超えて多くの人に愛されています。

孤児のジェインは、引き取られた先の家で虐げられ、慈善学校に追いやられます。つらい子供時代に耐えて教育を身に着けた彼女は、ひとりで生きていくために、当時ガヴァネスと呼ばれた良家の女家庭教師の職を探します。そして見つけた家庭教師先で、運命の出会いをするのです。相手は家庭教師先であるソーンフィールド館の領主、ロチェスター。身分違いの恋ですが、二人はひかれあい、愛し合うようになります。そして迎えた結婚式の朝。しかしその幸せな日には、恐ろしい秘密がジェインを待っていました。ロチェスターにはすでに妻がいて、しかもその妻は、当時の法律では離婚が認められない、狂人だったのです。

この二人がどうなるかは、小説や映画を見たことのない方のために伏せておきますが、この物語の大きな魅力の一つは、強いヒロインの姿です。19世紀という、女性にほとんど何の権利も認められていなかった時代に、ジェインは自分でも活躍できる機会を強く願います。ソーンフィールドに落ち着いたジェインは、外を見つめながら次のように言っています。

“I wish a woman could have action in her life, like a man.” (女性だって、男性と同じように、人生において活躍できればいいのに。)<00:31:42>

ここで使われている仮定法は、当時の女性が、男性とは違って人生においてほとんど活動できなかったことを逆説的に伝えてくれます。お金もなく、美貌もなく、身寄りもなく、当時の結婚市場ではほとんど価値のなかった女性ジェインが、自分の力で運命を切り開いていく物語を紡ぎあげていくのは、このジェインの自立を目指す心であり、現代のわれわれが見ても深い共感を覚える部分です。

ロチェスターに妻がいることを知った後、ジェインはどうするべきか思い悩みます。ロチェスターは心からジェインを愛していて、ジェインもロチェスターを愛しているにも関わらず、道徳的に、ジェインはロチェスターのもとを去らなくてはなりません。自分のもとにとどまってくれと嘆願するロチェスターを、涙をこらえながら拒絶するジェイン。彼は、身寄りのないジェインが自分と暮らしても、誰にも迷惑はかからないではないかとジェインを求めます。しかし、“Who would care?”(誰が気にするっていうんだ)<01:32:32>と言うロチェスターに対して、ジェインは“I would. I must respect myself.” (私が気にするのです。私は自分を大切にしなくてはならないのです。)<01:32:40>と断言します。弱い立場であるはずのジェインのこの強さ。彼女が時代を超えて、多くの人に勇気を与えてきたのは、彼女のこの強い心が人々に訴えかけてくるからなのでしょう。この映画に魅了された方は、今まで制作された映画を見比べてみるのも興味深いものです。


2015年11月1日

タイトル: 言葉が持つ多様な意味
投稿者: 濱上桂菜(大阪大学大学院・院生)

英語の単語1つを取っても、そこには多様な意味があります。例えば、秋が深まるこの季節。秋はアメリカ英語で “fall” ですが、“fall” にも、「落下」、「降雨量・降雪量」、「滝」など、落ちる (fall) ものに関する色んな意味があります。これらは辞書に記載されている意味なのですが、それが実際に使用される状況によっては、言葉は、辞書に載っていない意味までも持つこともあるのでとても興味深いものです。

例えば、次の『メン・イン・ブラック』(Men in Black, 1997) での警察官同士の会話を見てみましょう。警察官B(ウィル・スミス)は摩訶不思議な現象を目撃しますが、年配の恰幅のいい警察官Aは信じてくれません。耐えかねてBは挑発的な態度を取ります。それに対してAは怒って次のように言い放ちました。

警察官A:(怒って)If you were half the man I am…
    (直訳)「もしお前が俺という人間の半分だったら…」
警察官B: I am half the man that you are. (00:16:09)
    (直訳)「俺はあんたという人間の半分ですよ」

年配の警察官Aは仮定法を使っています。Bのことを自分の「人間の半分」であることを仮定する、つまりBのことを自分の「半分の人間」とも思っていないわけです。そこで、Bは「人間の半分」であることを積極的に認めています。これはどういうことなのでしょうか?

これには、AとBの「人間の半分」がそれぞれ何を意味しているのかがカギになります。実はここでは、Aは「人間の価値」、Bは「人間の体重」の話をそれぞれしているのです。Aは、Bのことを「自分の半分の価値もない」と考えています。そう言われてBは、自分のことを「(恰幅のいい)Aの半分の体重である」ことを嫌味で述べたのです。

もちろん、辞書で “man” を調べても価値や体重のことは記載されていません。このような意味は、実際の会話の流れの中で現れてきます。「人」(man) に関する何に話し手が焦点を当てているのかが問題になっているのです。このように、文脈によって言葉は多様な意味を持つことがありますので、本当に奥が深いですね。


2015年10月2日

タイトル:『パッチ・アダムス トゥルー・ストーリー』(Patch Adams, 1998)
投稿者:角山照彦(広島国際大学)

名優ロビン・ウィリアムズが不慮の死を遂げてからすでに1年以上が経ちましたが、今回は彼が実在の医師パッチ・アダムスをコミカルに演じた『パッチ・アダムス トゥルー・ストーリー』(Patch Adams, 1998)からセリフを紹介します。
この映画ではパッチが医学部に入学してから卒業するまでが描かれていますが、恋人のカレンが患者に殺されるという悲劇に見舞われた後、自責の念に駆られたパッチは崖の上に立って次のように語ります。

PATCH: So what now, huh? What do You want from me? Yeah, I could do it. We both know You wouldn’t stop me. So answer me, please. Tell me what You’re doing.
(それで今度は何なのですか?私の何が欲しいのですか?ああ、できますとも。あなたが引き止めないのは私もあなたも知っているはずです。だから答えてください。)<01:32:36>

Youが文中でもyouではなくYouと表記されていますが、これは一般の人ではなく、神のことを指しているためです。映画ではパッチは自殺未遂の果て、自らの意志で精神科に入院した後に医学部進学を志すという設定になっていますが、このセリフはロビン・ウィリアムズの悲報に接した際に真っ先に思い出したものです。また、“What now?” は、繰り返されるトラブルに関して使われる決まり文句で「今度は一体何なんだい?」というものですが、映画の場面があると使い方がよくわかります。単語の順番が逆になった “Now what?” も同じような意味で使われますが、これについては映画『タイタニック』(Titanic, 1997)にぴったりの用例があります。レオナルド・ディカプリオ演じる主人公ジャックがローズの婚約者キャルドンに次々と疑いをかけられる場面で次のようなやりとりがあります。

CALEDON: Two things dear to me have disappeared this evening. Now that one is back, I have a pretty good idea where to find the other. Search him. (私にとって大切な二つのものが今夜なくなってしまったんだ。そのうちの一つが戻ってきた今、もう一つはどこを探したらよいのか見当がつく。あいつを調べろ。)
MAN: Take your coat off, sir.(コートをお脱ぎください。)
JACK: Now what?(それで今度は一体何なんだ?)<01:45:35>

『パッチ・アダムス』に話を戻しましょう。卒業式のラストシーンでは、アンダーソン学長がclassという単語を「学級」と「階級」という2つの意味でうまく使い分け、次のような印象的なスピーチをしています。

Anderson: Well, today you go… from being students in a class to being members of a class… a very select class. You face the future with your heads held high… because you are now… doctors.(今日から君たちは、学級の生徒からある職業階級、それも選ばれた者だけが入ることのできる階級の一員になるのです。堂々と胸を張ってこれからの未来を歩んでください。なぜなら、君たちは今日から医師だからです。)<01:48:55>

私の授業では、毎回3分程度の場面をピックアップして日本語字幕なしで視聴させ、様々な演習を行うのですが、学生にclassの二つの意味を答えさせると、答えを探すのに結構苦労するようです。また、スピーチに続く場面でパッチがウォルコット学部長から卒業証書を受け取る際のセリフも凝っています。

WALCOTT: Well, I’m happy to see you’ve finally decided to conform.(さて、君がようやく体制に順応したのを見ることができて嬉しい限りだ。)
PATCH: More than you know, sir.(ええ、もちろんです。)

今までカジュアルな服装しかしてこなかったパッチが他の卒業生と同じように大学のガウンを着ていたため、ウォルコット学部長はconformという表現を使ったのですが、パッチはそれに対して “(I’ve conformed) More than you know.”(あなたが知っている以上に順応しましたよ)と答えています。ただし、実際にはガウンの下は何も身に着けておらず、医師の世界に順応しているわけではありません。パッチならではのジョークなのでしょう。


2015年9月23日

タイトル: スティーブ・ジョブズという生き方 〜Stay Hungry, Stay Foolish〜
投稿者: 近藤暁子(兵庫教育大学)

アメリカで、いやおそらく世界で最も世の中に影響を与えた人物の一人であるスティーブ・ジョブズが2011年10月5日に亡くなって4年になります。この間、彼の伝記的作品がいくつか発表されていますが、今月もまた新たな彼の映画が公開されます。今回はこれまで発表されている作品やスピーチから、世界で最も偉大なイノベーターの生き方について考えてみます。
 
彼は、様々なメディアでも紹介されているように、とても変わったというか、人としては問題の多い人物で、多様性や独創性が評価されるアメリカにおいても、彼のエキセントリックな言動はなかなか受け入れられず、人とぶつかることが多かったようです。おそらくその真逆といってもいいかもしれない日本の社会では、彼は受け入れられなかったでしょうし、これほどの成功を得られていなかったかもしれません。

彼は、自分が良い人間であることよりも、人に影響を与えるようなより良いものを世に出すことが重要だと考え、人と違うことで世の中を変えられると信じていたようです。1971年から2011年までの彼の半生を描いた映画『スティーブ・ジョブズ』(Jobs, 2013)のセリフでそれが表現されています。

Steve Jobs: When you grow up, you tend to get told the world is the way that it is, and your life is just to live your life inside the world and try not to bash into the walls too much. But that’s a very limited life. Life can be much broader once you discover one simple fact. And that is that everything around you that you call life, was made up by people that are no smarter than you. And you can change it. You can influence it. You can build your own things that other people can use. It’s to shake off this erroneous notion that life is just there, and you’re just going to live in it, versus embrace it. Change it, improve it. Make your mark upon it. And once you learn that, you’ll never be the same again.
<1:54:04>

彼は、自分と大して変わらない人間が作った世界におさまるのではなく、自分が変えていく、良くしていくことが大切であること、そして、変わり者、困ったやつと思われている人間が世の中を変えていく、他と違うからこそ、それができるのだと信じているのです。

Steve Jobs: Here’s to the crazy ones. The misfits, the rebels, the troublemakers, the round pegs in the square holes, the ones who see things differently. They’re not fond of rules, and they have no respect for the status quo. You can quote them, disagree with them, glorify or vilify them. About the only thing you can’t do is ignore them. Because they change things – they push the human race forward. And while some may see them as the crazy ones, we see genius. Because the people who are crazy enough to think they can change the world, are the ones who do.
<1:57:20>

現アメリカ合衆国大統領のバラク・オバマも、彼が亡くなったときのコメントとして、こんな言葉を残しています。

“Steve was among the greatest of American innovators – brave enough to think differently, bold enough to believe he could change the world, and talented enough to do it…(中略)… Steve was fond of saying that he lived every day like it was his last. Because he did, he transformed our lives, redefined entire industries, and achieved one of the rarest feats in human history: he changed the way each of us sees the world.”
— Barack Obama, The White House Blog, October, 5, 2011.

他人と異なることを気にせず、いやそれをむしろよしとし、そして毎日を最期の日であるかのように、真っ直ぐに懸命に生きたことが、世の中を変えるまでの偉業を成し遂げることにつながったのでしょう。

スタンフォード大学の卒業式でのスピーチで、彼はこう学生たちに伝えています。

“Remembering that I’ll be dead soon is the most important tool I’ve ever encountered to help me make the big choices in life. Because almost everything — all external expectations, all pride, all fear of embarrassment or failure — these things just fall away in the face of death, leaving only what is truly important. Remembering that you are going to die is the best way I know to avoid the trap of thinking you have something to lose. You are already naked. There is no reason not to follow your heart.” 
—Steve Jobs, Stanford Report, June 14, 2005.

多くの人は彼のようには生きられないかもしれません。しかし彼の「既存の枠組みで生きるな、他人が作ったものや考えにそって生きる必要はない、1日1日を最期の日だと思って、自分の心の声に正直に生きろ」という考え方は、私たちが後悔しない生を送るヒントになるのではないでしょうか。朝、鏡の前の自分にこう尋ねてみてはいかがでしょう。

“If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?”
—Steve Jobs, Stanford Report, June 14, 2005.


2015年8月21日

タイトル:『バック・トゥ・ザ・フューチャー』3部作で描かれていた現在・過去・未来について
投稿者:山内圭(新見公立大学・新見公立短期大学)

映画ファンには周知の事実ですが、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(Back to the Future)3部作が描いた「未来」の時代の2015年がやってきました。この3部作の公開当時(1985, 1989, 1990年)に学生として映画館でリアルタイムに鑑賞した私は、特にPart 2で描かれる未来に興味を引かれました。宙に浮くスケートボードの「ホバーボード」(hoverboard)、人間が着用すると勝手にフィットする服や靴、店員ではなくTV画面が注文を聞くカフェ、映画『ジョーズ』(Jaws, 1975)の第19作およびその立体的広告など、将来はこんなものができるのかなとワクワクしながら観たものです。実際に「ホバーボード」や着用後に自動的にフィットする靴などが開発されたとのニュースを耳にしましたし、TV画面が注文を聞くカフェも似たようなものが存在していると思います。

このように、現在・過去・未来を主人公たちが移動するこの映画は、 過去にも思いを馳せるきっかけともなり、また今年2015年の世界が描かれていることから、私は、勤務校である新見公立短期大学の地域福祉学科(介護福祉士養成課程)の今年度の「英語」の授業で、この3部作(主に第1作)を教材として活用しました。ほとんどの学生が将来介護福祉士となり、高齢者を相手にすることになる地域福祉学科では、高齢者が生きて来た時代やその文化などを理解することにも力を入れています。私も英語教員として、できる限り学科の方針により沿って英語の授業を展開するのですが、今年度(前期)は、この3部作のおかげで、現在の高齢者が若者だった1955年の世界(アメリカ合衆国)を垣間見、時の流れで変わるものや変わらないものについて考え、ほんの些細な出来事でも将来に大きな影響を与えることがありえることを 学ぶことができました。

この映画では、時代を表すものとして大統領の名前が使われています。例えば、1985年の未来からやってきたと言うマーティに1955年のドクがこのように尋ねています。

Doc: Who’s president of the United States in Nineteen eighty-five?(1985年の合衆国大統領は誰だ。)
Marty: Ronald Reagan.(ロナルド・レーガンです。)
Doc: Ronald Reagan? The actor? Ha. Then who’s vice president? Jerry Lewis?(ロナルド・レーガンだって?俳優の?
じゃあ副大統領は誰だ。ジェリー・ルイスか?)<00:50:13>

また、1955年のシーンの中で、マーティが、1961年に大統領となるケネディ大統領の名を冠した道路の名前を言っても通じないという場面があります。

Marty: Wait a minute, a block past Maple that’s, uh, that’s John F. Kennedy Drive.(待ってよ、メイプルの1ブロック先
は、えーと、ジョン・F・ケネディ通りでしょ。)
Sam: Who the hell is John F. Kennedy?(ジョン・F・ケネディって、一体誰だ?)<00:46:56>

1985年にはヒルバレー市の市長になっている黒人のゴールディ・ウィルソンは、1955年には、まだカフェの掃除人をしていました。1985年からやってきたマーティに、あなたは市長になると言われ、市長に立候補しようと言っているゴールディに対して上司のルーは、次のように言っています。

Lou: A colored Mayor, that’ll be the day.(黒人の市長だと、それは楽しみだ。)<00:40:42>

2015年の世界では、バラク・オバマが初のアメリカ合衆国黒人大統領を務めています。でも『バック・トゥ・ザ・フューチャー』Part 2には、黒人が大統領を務めていることは、触れられていません。さすがのスティーブン・スピルバーグ監督もそこまでは予想できなかったのでしょうか?

そして、最後に最新ニュースです。Part 2でマーティがやってきた「未来」である2015年10月21日には、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』3部作が世界の人々に与えた影響を描くドキュメンタリー映画『バック・イン・タイム』(Back in Time, 2015)がアメリカで限定公開されるそうです(日本では公開されるのかどうは現時点では不明です )。


2015年8月16日

タイトル:「小さなミスお日様」(Little Miss Sunshine, 2006)
投稿者:藤枝善之(京都外国語大学・短期大学)

アリゾナ州に住むフーヴァー家の娘オリーヴは、ビューティ・クイーンに憧れる少々太り気味の小学生。父親のリチャードは、独自の成功論を提唱する講演家。祖父(グランパ)は、素行不良で老人ホームを追い出されたヘロイン常習者。兄のドゥエーンは、ニーチェに心酔し、沈黙を貫く変わり者。さらに、失恋のショックで自殺未遂騒動を起こしたゲイの叔父フランクも一家に加わることになり、母親のシェリルは、そんなアメリカ社会の縮図のような家族を何とかまとめようと苦慮しています。

そんな折り、オリーヴが全米美少女コンテスト地区予選で繰り上げ当選し、家族全員がおんぼろのミニバスに乗ってカリフォルニアのコンテスト会場に向かうことに。「負け犬」を軽蔑するリチャードは、自ら編み出した成功論を出版し、自分もベストセラー作家として「勝ち組」に入ることを目論んでいます。しかし旅の途中で、当てにしていた出版社から出版中止を言い渡され、なんと自身が「負け犬」になってしまうのです。そんなバスの中で、グランパが、落ち込んでいるリチャードに近づいてこう言います。

“Whatever happens, you tried to do something on your own, which is more than most people ever do.”「結果はどうあれ、お前は自分で何かをなそうとした。なかなかできることじゃないよ」<0:40:57>。そして、 “You took a big chance, and it took guts, and I’m proud of you.”「お前は勇気を持って大きなチャンスに賭けたんだ。そんなお前を誇りに思う」。挑戦した人の努力を認め、勇気を讃える-おしゃれな台詞より、こんな飾らない、気持ちのこもった一言が人の心を癒すのですね。リチャードはグランパに微かな笑顔で応えます。

このグランパ、なかなかの励まし上手。コンテストを明日に控えたオリーヴが、父親の影響から「負け犬」になることを極度に恐れて自信をなくした時に、こんな言葉で励まします。 “You know what a loser is? A real loser is somebody that’s so afraid of not winning, they don’t even try. Now, you are trying, right? ”「負け犬の意味を知ってるか?本当の負け犬は、負けるのが怖くて挑戦しない奴らのことさ。お前は挑戦してるだろ?」<0:45:25>。

この作品はアメリカン・ドリームの陰に焦点を当てています。rags to riches(極貧から金持ちへ)のアメリカン・ドリームは今や、単純に経済的成功のみを目的とし、失敗者を「負け犬」として軽蔑するという、短絡的な思想になっているようです。リチャードは、そんな価値観を唱道しながら自ら「負け犬」になるという皮肉なキャラクター。そのリチャードを中心とするフーヴァー家は、アメリカ社会のあだ花のような美少女コンテストに参加し、最後には、家族全員がステージで踊りまくってコンテストを台無しにしてしまいます。これは、アメリカン・ドリームの浅薄さに対する、一家なりのハチャメチャな異議申し立てだったのかも知れません。


2015年6月2日

タイトル: 固有名詞から動詞へ
投稿者: 三村仁彦(京都外国語大学・非)

次は『花嫁のパパ2(Father of the Bride Part II, 1995)』からのワンシーンです。

Dr. Brooks: Kids, you’re gonna have a baby.
George: Excuse me?
Dr. Brooks: Nina’s pregnant.
Nina: Oh, my God.
George: Pregnant? And who, may I ask, is the father?
Nina: George!
George: Don’t “George” me, you two-timing Mata Hari. I swear, we haven’t done it in six
week. <0:38:45-0:39:14>

注目したいのは下線部で、本来は固有名詞であるはずの“George”が動詞として用いられ、「『ジョージ』なんて(気安く)呼ばないでくれ」というような意味を表しています。このように、ある単語の形を変えずに、その品詞だけを変えて新しい単語を生み出す語形成の過程を英語学では「転換」(conversion)/「ゼロ派生」(zero derivation)と呼びます。転換にはさまざまなパターンが存在しますが、上記のように固有名詞を動詞化するのは登録商標が一般的で、たとえばHoober/hooverという動詞はアメリカの電気掃除機のブランド名に由来しており、「…に電気掃除機をかける」という意味を表します。最近では次の『メイド・イン・マンハッタン(Maid in Manhattan, 2002)』の例のように、検索エンジン名の“Google”が動詞として使われ、日本語の「ググる」と同じ意味を表します。

Marisa: You can Google it at school. <0:03:18-0:03:19>

しかし、『花嫁のパパ2』では個人のファースト・ネームが動詞化されており、固有名詞から動詞への転換は(適切な文脈があれば)比較的自由におこなえることがわかります。このような興味深い表現に出会えるのも、映画を観る楽しみのひとつです。

余談ですが、字面だけを見ると修羅場のように思えますが、『花嫁はパパ2』はコメディーですので、ここはむしろユーモアあふれる場面となっています(笑)。

下記の掲載原稿も併せてご参照ください。
2013年6月7日「形容詞由来動詞」
2011年6月5日「名詞から動詞への転移」


2015年6月2日

タイトル: 見えないものに目を向けてみよう!
投稿者: 平井大輔(近畿大学)

映画はそのシーンや前後のセリフから、様々な言葉の事例研究に活用できます。言葉には、発話の中に省略された部分があり、それが母語話者なら皆、ある一定の解釈を与えることがあります。そのような現象を起こしているメカニズムを詳しく研究するには、映画はとても面白い事例の宝庫といえるでしょう。興味深い事例の一つに、(1)のNedのセリフのような動詞句削除と呼ばれる例があります。

(1) Dewey: You called the cops? (お前が警察を呼んだのか?)
  Ned: She did. (彼女だよ。) <01:23:35> (School of the Rock: 2003)

ここでのNedのセリフは、“She did”で終わっていますが、その解釈は、(2)のように直前のセリフの動詞句にあたる“call the police”が省略されていることがわかります。

(2) She did (call the police).

(2)にあるようなdidは学校文法では「代動詞」と呼ばれていますが、ここでみたように実際は「動詞+補語」まで含まれていることが分かります。では、なぜこのような解釈が可能になるでしょうか。言語学のある分野には、このメカニズムの解明に対して、大きく分けて二つの考え方があり、どちらが正しいか分析なのか依然議論が続いています。

その一つは、先行する要素と同じもの(call the police)が一度後続の文として形成された後に、音声的削除を受けているという考え方です。もう一つは、もともとdid以下は存在せず、先行する要素(call the police)がdidの後に、補われて解釈されるという考え方です。両者の共通点は、先行する文と後続のする文との間にある一定の同一性があればdid以下が現れていなくても良いという点であり、前者を統語的同一性、後者を意味的同一性という点から、(1)のような形と解釈が可能になっているとされています。このような例だけ見れば、この2つの分析がどちらも正しいように思えます。

しかし、他のセリフを見てみると、謎は一層深まります。(3)を見てください。

(3) I have a theory about women who are beautiful, ‘cause you’re beautiful…,
  who bury themselves under layers of crap, like you do.
  <00:29:01> (Passengers: 2008)

このセリフでは、like you doの後が省略されていますが、いったい何が省略されているのでしょうか。上でみた二つの分析の点から考えてみると、とりあえずbury themselvesが省略されているように思えます。では、それを補ってみましょう。そうすると、およそ(4)のように表されます。

(4) *like you do (bury themselves)

しかし、これでここでの意味をなすでしょうか。ここのセリフ内容は、「自分自身を隠す」と言う意味なので、同一要素として“themselves”が省略されていると考えても、先行する動詞句内のthemselvesが指す対象物(ここでは「女たち」)が補われていると考えてもここでの意味にはなりません。つまり、先行する“bury them(selves)”が補われたり、同一要素として削除されたりしているわけではない事が分かります。

では、どのようにして(3)の解釈は可能になっているのでしょうか。実は、このような現象は言語学の世界では永年研究されており、特に(5)のような文の解釈の曖昧さを巡っても、議論が続いています。(5)を見てみましょう。

(5) John loves his father, and Bill does too.

(5)では、(6)の「ジョンはジョンのお父さんが好きで、ビルはビルのお父さんが好き。」という解釈と(7)の「ジョンはジョンのお父さんが好きで、ビルもジョンのお父さんが好き」という解釈の2つの解釈が可能となります。つまり、 “his”が指すものが変わっています。これもとても興味深い現象ですね。ではまず、どのようなメカニズムがこれに関わっているのか見てみましょう。

まず(5)の2つの解釈を書き出してみましょう。すると、(6)と(7)のようになります。

(6) John loves his father, and Bill does (love his father) too.
(7) John loves his father, and Bill does (love him) too.

ある言語学者は、上記の例から(6)では(8b)のように、(7)では(9b)のように、それぞれ削除部分に要素が補われて可能になっていると分析しています。

(8) a. John loves his father, and Bill does (love his father) too.
  b. John loves x father, and Bill does (loves x father) too.
(9) a. John loves his father, and Bill does (love him) too.
  b. John loves his father, and Bill does (love his father) too.

その分析では、(8)において先行文のhisにあたる部分をxという文脈に応じて意味が変わる変数に置き変えます。その後、動詞句となるloveとx fatherの部分(live x father)が削除文の削除部分に補われ、(6)の解釈が可能になると考えられます。

この考え方は、先ほど見た(3)((10)として再掲)の解釈がなぜ可能になるのかという謎を解き明かす一つの答えになるかも知れません。つまり、先行する部分とまったく同じものが隠されているのではなく、(11)のように先行する動詞句の一部部分である “bury x-self”の部分が、you doの後に補われて、“bury yourselves”となる解釈が可能になっていると考えられます。これは、これまで提案されてきた分析を考え直す一つのステップになるかも知れません。

(10) I have a theory about women who are beautiful, ‘cause you’re beautiful…,
   who bury themselves under layers of crap, like you do.
   <00:29:01> (Passengers: 2008)

(11) women … who bury themselves … (bury x-self)
   like you do (bury x-self). (x = your)

削除に関する分析がどのようなものが妥当であるのかについては、まだまだ熱い議論が続いていますが、この問題を解決するには多くの事例の発掘が必要です。文脈や前後の内容のある映画こそが、何か解決の糸口を提供してくれるのではないかと、ワクワクしながら映画を観ると、映画はもっと楽しいものになりますね。


2015年5月1日

タイトル:「空耳(そらみみ)」使ってリスニング―『34丁目の奇跡』(Miracle on 34th Street, 1994)
投稿者:野中泉(東邦大学)

『アナと雪の女王』(Frozen、2013)のおかげで、今やすっかり老いも若きも「レリゴー」の大合唱です。どうしてLet it go. がレリゴーになるのか、と英語の発音に関心が向かってくれると、英語の先生としては嬉しい限り。ところが一般の人は、これを空耳として楽しむ方向に走っています。「空耳」の本来の意味は、「呼ばれたと思ったが、空耳だった」のように、実際はなかった音や声が聞こえたように思うことを意味しました。しかし最近では、テレビ番組の影響で、外国語の歌詞や言葉が別の音声に聞こえてしまうことを「空耳」と称する傾向があります。YouTubeを見ると、 Let it go, let it go! を「えり子、左行こ」と聞こえると歌詞をふっている人がいたり、全編に日本語の空耳をあてている人もいます。日本人は空耳遊びが大好き。これを英語の発音練習に活かさない手はありません。

Let it goにおいては、letとitの間でリエゾンと弾音化が起こることによって、レリという発音になります。リエゾンと弾音化については、『映画で学ぶ英語学』(倉田誠編(2011)くろしお出版、pp.2-4)の詳しい説明をご参照ください。このリエゾンと弾音化のダブルの音変化は、日常会話で頻繁に聞かれますし、映画でもその例をたくさん聞くことができます。たとえば、『34丁目の奇跡』(Miracle on 34th Street, 1994)を見てみましょう。

(1)Susan: But Cole’s has to pay them back, plus interest. If they don’t sell a lot of stuff at
      Christmas, you can forget about it, pal.(でもコールズ(デパートの名前)はお金を返
      さなければいけないでしょ、利子をつけて。だからクリスマスに売り上げが少しだった
      ら、やっぱりおしまいよ。)<00:10:38>
      forgetとabout、aboutとitの間に、リエゾンと弾音化のダブル音変化が起きて、ファゲラバウリ と聞こえます。

(2) Susan: And that doesn’t thrill me at all.(そんなのちっとも面白くない。)<00:13:00>
      at all がアローと聞こえます。

(3)Cole’s is gonna make a lot of money.(コールズは売り上げを伸ばすでしょう。)<00:23:03>
      ロットオブからはほど遠いララブと聞こえます。

聞こえた通りに復唱したり、書き取ってみる、それはまさに空耳遊びです。例えば、a lot of を学生に聞こえた通り、カタカナ混じりでも良いから字に起こすように言うと、「アララ」と書いたりします。実際、それは「アロットオブ」よりはるかに元の英語に近い標記だと認められ、音声学的に耳は間違っていないことが証明されると、だんだんと自信をつけていきます。聞こえた通り素直に書き取るというのは、結構、動体視力ならぬ動体聴力が鍛えられるのです。

ところで私のカーナビは立ち上げた時に、 “Strada, car-navi station by Panasonic”という案内を流します。何回聞いても、この英語全体が「真っ赤な掃除機」としか聞こえないと言い張るのは、私の母です。このような人の場合は、音声学的にフォローの仕様がありませんね。

リエゾンとフラップのダブルの音変化を理解して、「空耳」のカラクリが氷解すると、リスニングが飛躍的に楽になります。同時に、理にかなった自然な発音へと変えることができます。半世紀前にビートルズの “Let It Be” が日本でも大流行して、誰もが「レリビー♫」と熱唱してきたにも関わらず、日本人の英語の発音改善にはつながりませんでした。今回、日本中を巻き込む二度目のチャンス到来を機に、レリゴー現象を深めていきましょう。

空耳から外国語に興味を持たせるために、私がきっかけとして学生に見せる動画があります。邪道だ、などと固いことは言わないでご覧下さい。『(サッカー)バーレーンの実況が日本語にしか聞こえない件』https://www.youtube.com/watch?v=-0jCWkM15ag


2015年5月1日

タイトル:映画英語で学ぶ類義語
投稿者:山本五郎(広島大学)

英語学習者にとって、似た意味を持つ単語の使い分けは簡単なことではありません。例えば、foodは誰でも知っているような単語ですが、類義語であるmeal, dish, cuisineとの違いを整理して理解できているでしょうか。映画のセリフを例に、それぞれの単語の特徴を見てみましょう。

Foodは、食べ物を表す最も一般的な語で、人間に限らず動物が食べるものなどにも幅広く使われます。

  (1) There’s a bunch of food in the fridge.「冷蔵庫にたくさん食べ物があるわ」 (Contact, 1997) <0:20:43>
  (2) Mr. Perfect better be polite, otherwise I’ll turn him into cat food. 「(未知の知的生命体をさして)
    Mr.Perfectが大人しくしてないなら、ネコのエサにしてやる」(The Fifth Element, 1997) <0:25:28>

食べ物全般に使える便利なfoodですが、朝食, 昼食, 夕食のように、特定の時間に座って食べる食事については、foodよりもmealを使います。

  (3)That meal began with green oysters from the Gironde followed by the sweetbreads, a sorbet.
    「その食事はジロンド産の緑牡蠣で始まり、膵臓、シャーベットと続きました」(Hannibal, 2001)<0:45:06>

またmeal は、beforeやafterを伴い、食前や食後を表す場合にもよく使われます。

  (4) Nothing like a smoke after a meal. 「食後のタバコに勝るものはないね」(Stand by Me, 1986) <0:42:14>

食事のことをさすmealとは違い、 dishは、main dish(主菜)やside dish(副菜)のように、食事の一品として皿に盛った特定の調理法による料理のことです。

  (5)My favorite dish is haggis. Heart, lungs, liver. You shove that all in a sheep’s stomach, then you boil it.
   「僕の好きな料理はハギスだよ。心臓や肺やレバーを全部羊の胃袋に詰めて茹でるんだ。」
   (Arumagedon 1998)<0:37:02>

ちなみに、dishを使ったフレーズの一つとしてcasserole dish(キャセロール、調理用鍋)がありますが、これは、蓋のついた耐熱の容器をそのまま食卓に出す料理のことです。

最後に、cuisineは、特定の地域や文化の料理、また高級レストランの料理をさすときに使われることが多く、表現としては少しかたい印象の単語です。haute cuisine(高級料理)やregional cuisine(郷土料理)のような表現で使われるほか、FrenchやChineseのような国名を伴って料理の種類を表す場合にも使われます。

  (6)An incredible thing about Thailand is the amazing traditional cuisine.「タイで素晴らしいのは、びっくりするような
   伝統料理です」(Bridget Jones: The Edge of Reason, 2004) <0:57:56>

このように、一見似たような意味を持つ単語でも、それぞれに異なった意味と使われ方があることが分かります。語彙力を伸ばし英語の表現力に磨きをかけるためにも、類義語は各単語の意味を踏まえた上で、それぞれを関連付けて学習していくのがお勧めです。


2015年4月1日

タイトル:「談話辞 “speaking of A”の英和辞典の記述と映画の台詞」
投稿者:横山仁視(京都女子大学)

英語の語彙や表現を身につけるということはどういうことでしょうか。投稿者が学生の頃に、ポケット・・・という英和辞典や英和と和英が一冊になった、まさにポケットにしまえる程のハンディーな辞書を携行する学生が身近にいたことを記憶しています。さながら現代版モバイル/スマホというところでしょうか。こうした学生を見かけると、さぞかし活用法を熟知している英語の達人なのだろうなと思いました。しかし、このような辞書に書かれていたのは、形容詞であれば「・・・な」、副詞であれば「・・・に」などのような表面的な意味に留まり、話し手のどんな気持ちを聞き手に伝えようとしているのか、文脈と話し手の心理を記述した英和辞典はなかったと言っても過言ではない時代でした。こうした日本人の英語学習者の痒いところに手が届く辞書として、1988年に『ジーニアス英和辞典』が誕生しました。今では良く見かけるようなった記号(主語や目的語の選択制限を表す< >や語の使われ方や使用地域を表すスピーチレベル(  )など)を使った、英語を母国語としない日本人英語学習者にとっては画期的な辞書でした。

さて、本コラムでは、談話辞(discourse particle)の“speaking of A”について以下の5つの英和辞典の記述と映画の台詞を見てみましょう。総じて「Aのことだが[と言えば]」という和訳を与えることができるでしょうが、辞書によっては談話における機能面を全面的に記述するなど「使い方」を意識したものもあります。

辞書A: [about] O ((主に米))・・・のことだが、・・・と言えば
辞書B: Aと言えば
辞書C: ・・・の話と言えば: Speaking of baseball, which team do you think will win the pennant?
辞書D: ・・・と言えば: Speaking of dates, are you still seeing her? NAVI デートといえば、まだ彼女と付き合っているの?(❤「そういえば」というニュアンスで話題を変えるときなどに用いる➩NAVI表現11)
辞書E: [((まれ))about A[話題の導入]((話))(既出の内容に関連させて新しい話題を導入して)Aと言えば((1)文頭で. (2)Aは名/動名) Speaking of the report, when is the deadline?

もちろん英和辞典の記述は自然言語の中で使われている全ての用法を網羅し記述しているわけではありません。しかし、映画を観ると英和辞典には記述されていない興味深い台詞に出くわすことがあります。(本コラムでは、英和辞典に記載することを前提として(1)(2)を例示しているわけではありません。)

(1) CHUCK: And they go from that to the new hub up in Anchorage. It’s a perfect marriage between technology and
  systems management.
  (そこから始まって、今やアンカレッジにも新しいハブがある。技術の最先端だよ。テクノロジーとシステム・マネージメ
  ントの完全なる結婚だよ。)
  MORGAN: Speaking of marriage, Chuck, when are you gonna make an honest woman out of Kelly here?
  (結婚と言えば、チャック、君はいつケリーと結婚するつもりなんだ?)
  CHUCK: There it is!(ほらきた!)<00:15:31> (Cast Away, 2002)

(2) STEPHANIE: All right, here’s the difference between me and the goddess. She’s playing games to trick him into
  wanting her…
  (わかった。これが私と女神の違いね。彼女はオトコが彼女を欲しがるように引っかけるけど・・・)
  MARISA: And you’re what?(で、あなたは?)
  STEPHANIE: I’m working hard for the money. Speaking of which, you hand in your application? Management?
  (私はお金のために猛烈に働いている。そう言えば、申込書提出する?管理職の。)
  MARISA: Yeah. You know…What , what are you doing?(うん。それはね・・・な、何やってるの?)<00:25:06> (Maid in Manhattan, 2002)

(1)(2)とも、「既出の内容に関連させて新しい話題を導入して」使われていること分かります。しかしここで着目したい点はAの指す内容です。(1)は文字通りの「結婚」を意味しているわけではなく、テクノロジーとシステム・マネージメントの完全なる「結婚」(=融合)を指す比喩的な使い方をしています。また、(2)では、非制限用法の関係代名詞whichを使い、相手の話した全文を受けています。“speaking of A”が前文との関係でどのような使われ方をしているのかを知ることは大切ですが、Aにどんな意味を持った種類の名詞などがくるのかについても知ることも、対話のやりとりをスムーズに行う上で知っておくことも重要なことかもしれません。


2015年4月15日

タイトル:気持ちを伝える複数形の表現
投稿者:飯田泰弘(大阪大学大学院・院生)

日本のテレビやラジオのクイズ番組で解答者が正解すると、「おめでとう!」の意味で「コングラッチュレーション(Congratulation)!」という英語が流れるのを時々耳にします。厳密にはこれは誤りで、正しい英語は語尾に ‘-s’ を付けた、「コングラッチュレーションズ(Congratulations)!」としなければなりません。これには、congratulationが「祝いの言葉・気持ち」という名詞であることが関連しており、お祝いする気持ちの「多さ」を伝えるために「複数形」の ‘-s’ を付けるのです。これは、「感謝の言葉」を意味する名詞thankが、複数形でThanks!「ありがとう!」として使われることと同じで、映画ではこうした表現に常に ‘-s’ が付くことが確認できます。

(1) Richard : Actually, I bought her yesterday.(実は昨日、この船を買ったんだ。)
  Frank : Come on. Congratulations!(まさか。おめでとうございます!) <00:19:15>(The Terminal, 2004)

複数形にして気持ちを伝える表現には他にも、condolences「お悔やみの言葉」、greetings「挨拶の言葉」、wishes「希望の言葉」、goodbyes「別れの言葉」、regards「よろしくという言葉」、apologies「お詫びの言葉」などがあります。これらは、手紙やメールの最後にもよく添えられ、クリスマスカードにSeason’s Greetings「時候の挨拶」という文字を見た記憶がある方も多いのではないでしょうか。次の映画のセリフからもわかるように、こうした表現を使う際には ‘-s’ の存在を忘れないようにしてください。

(2) Please accept my sincere condolences for your father.
  (お父上に、心からのお悔やみを申し上げます。) <01:46:50> (2012, 2009)
(3) Greetings from Tikrit.(ティクリートからの挨拶だ。) <00:20:47>
  『FBI-失踪者を追え!- 第2シーズン第17話』(Without A Trace, Season2, Episode17, 2004)
(4) Hey, I’m filming goodbyes for Rob.(ねぇ、ロブへのはなむけの言葉を撮ってるんだ。)<00:13:45>(Cloverfield, 2008)
(5) He sends his regards.(彼がよろしく言っといてくれって。)<00:20:08>
  『FBI-失踪者を追え!- 第1シーズン第8話』(Without A Trace, Season1, Episode8, 2002)

ちなみに、こうした名詞の複数形表現を強調するときは、その気持ちが「かなり多い」ことを伝えることになります。例えば、thankには「動詞」と「名詞」の2つの用法がありますが、動詞のThank you.の場合はThank you very much.という形をとりますが、名詞の場合はThanks a lot.やMany thanks.という形が使われます。しかし、Thank you.もThanks.も似た意味を持つ頻度が高い表現であるため、おそらくこの2つの「混同」により生まれたと思われるThanks very much.という表現もあります。本来very muchは名詞を修飾しないため、この表現は文法上の誤りなのですが、日常会話では非常に多く見られます。

(6) Viktor : I’m afraid from* ghosts. (僕は幽霊が怖い。)
  Frank : Okay, thanks very much. (わかった。もういい、ありがとう。)
  Viktor : I’m afraid from Dracula. (ドラキュラだって怖い。) <00:47:15>
  Frank : Thanks a lot.(もういい、ありがとう。)(The Terminal, 2004)
*afraid fromはここでは英語非母語話者の発言であり、afraid ofの誤用だと考えられる。

これに似た表現として、Thanks awfully.「どうもありがとう」という表現が載っている辞書もあります(『ウィズダム英和辞書』など)。これも本来、副詞awfullyは名詞を修飾しないという点で文法的に誤った表現なのですが、もとはThanks.とThank you.とが混同されたことが考えられます。
言葉というものは生き物であり、最初はみんなが(文法的に)変だと認識していた表現でも、年月を経て徐々にその言語に定着するということはよくあります。まさに言葉は時代の鏡と言えます。このような現象は、日常生活で使う頻度が高い表現になればなるほど起こりやすく、Thanks very much.やThanks awfully.もその一種と考えられます。


2015年3月1日

タイトル:『シックス・センス』(The Sixth Sense, 1999)―「沈黙」と「嘘」を巡って
投稿者:北本晃治(帝塚山大学)

映画『シックス・センス』は、死者の亡霊が見えることを自らの超能力というよりはむしろ「怪物性」と考え、そのことを、家族(母)を含む誰にも話せずに苦しんでいる少年コールの物語です。コールとその母リンとの間では、以下のような興味深い会話が食卓を囲んで交わされます。

Lynn: I saw what was in your bureau drawer when I was cleaning.…You got something you want to confess?…The bumble bee pendant. Why do you keep taking it?…It was grandma’s…What if it broke? You know how sad I’d be.
(お掃除のとき、あなたの机の引き出しを見たわよ。何か告白することはないの?蜂のペンダントのことよ。どうしていつも移動させるの?おばあちゃんのよ。壊れたら私がどんなに悲しむか知ってるでしょう?)
Cole: You’d cry, ’cause you miss grandma so much.
(おばあちゃんへの思いで、ママ泣いちゃうよね)
Lynn: That’s right.
(そうよ。)
Cole: Sometimes people think they lose things and they really didn’t lose them. It just gets moved.
(何か無くしたと思うとき、実はそうじゃなくて、勝手に物が動くときがあるんだよ。)
Lynn: Did you move the bumble bee pendant?(蜂のペンダント動かしたのはあなたよね。)
Cole: Don’t get mad. (怒らないで。)
Lynn: So who moved it this time?…Maybe someone came in our house, took the bumble bee pendant out of my closet, and placed it nicely in your drawer?
(じゃあ、誰が動かしたの?誰かがそのペンダントを私の戸棚からあなたの引き出しへとご丁寧に移動させたとでも言うの?)
Cole: Maybe. 
(たぶん。)
Lynn: I’m so tired Cole. I’m tired in my body. I’m tired in my mind. I’m tired in my heart. I need some help. I don’t know if you noticed, but our little family isn’t doing so good…I mean, I’ve been praying, but I must not be praying right. It looks like we’re just gonna have to answer each other’s prayers. If we can’t talk to each other, we’re not gonna make it. Now tell me, baby, I won’t get mad, honey. Did you take the bumble bee pendant?
(もういい加減にしてちょうだい。身も心も疲れ切っているんだから。うまくいくように、ずっとお祈りはしてるけど、ちゃんとできてないみたい。家族が信じ合えなかったら、やってはいけないわ。怒らないから言ってちょうだい。あなたがペンダントを動かしたのよね。)
Cole: No.
(違うよ。)
Lynn: You’ve had enough roast beef. You need to leave the table.・・・Go!
(もう夕食はいいから、自分の部屋へ戻りなさい。早く行って!)
<01:00:55>

ここで話題となっている蜂のペンダントは、すでに亡くなったおばあちゃん(リンの母)形見として、リンがとても大切にしているものです。それが何度もリンの部屋から消えた後コールの机の引き出しから見つかるので、母子二人暮らしの中で、それを移動させているのは当然コール以外にありえないとリンは考え、コールに問い詰めます。コールがどぎまぎしていると、リンは上の会話のように、ペンダントの大事な理由を説く一方で、コールの話すペンダントが移動した理由の憶測的な説明には、全く耳を貸しません。さらに、コールが黙っていると、「誰かが家へやって来て、私の戸棚からあなたの引き出しに、ご丁寧に移動させたとでもいうの?」と皮肉まじりに畳み掛けます。真実を語ることのできないコールは「たぶん・・・」と言葉を濁すだけでした。コールが怒られたくないため嘘をついていると確信しているリンは、仕事で身も心も疲れ切った自分が求めているのは、嘘のない家族の信頼関係であり、怒るつもりはないことを強調して、ただ素直に認めてくれることだけを願いつつ再度確認します。これに対して、沈黙の後、コールは“No.”(自分が動かしたんじゃない)答え、結果リンの怒りを買って、食事を切り上げて自分の部屋へ戻るように命じられるのでした。

さて、このシーンでは、「沈黙」と「嘘」を巡る欧米文化に特徴的なコミュニケーションのあり方が指摘できるように思われます。すなわちそれは、相手の「沈黙」(言語化されない部分)は無意味であり、それに積極的、主体的に介入、言語化して、相手に何らかの認識を迫ろうとする姿勢と、「嘘」を極力排除しようとする態度です。リンはコールの返事に至る「沈黙(躊躇)」に活発に働きかけて、「嘘」の無い家族の信頼関係の重要性という認識を求めます。しかしながら、実はペンダントを移動させたのは、すでに亡くなっているおばあちゃん自身であり、コールはそのことを話せずにいます。真実を語れば、自分が「怪物」だと思われ、母の愛を失うかもしれない、そう考えるコールは最終的にただ、前述のように“No.”とのみ答えます。

ここでコールがとった選択は、状況を知りようもない母に「嘘だと思われても」決して「嘘をつかない」姿勢でした。結果的にそのことで母は傷つきます。このような状況では、人間関係を言葉の意味よりも重視する日本文化的発想では、場をまるく納めるために「嘘も方便」として活用する場合も多いのではないでしょうか。自分が移動させたことにすることによって、母との信頼関係は保たれ、亡霊が見えるという秘密も話さずに済むのですから。

では、コールはどうして母との円満な人間関係よりも、言葉上の真理を優先させたのでしょうか。新約聖書ヨハネ伝冒頭には、「始めに言葉ありき」という一節がありますが、キリスト教的文化圏では、言語化するという行為が、どこかで神への宣誓となるという無意識的プレッシャーが存在するように思われます。“I swear to God,・・・”(神に誓って)という常套句は、その意識的現れです。勿論「悪意のない嘘(White Lie)」のように他人への配慮等で使われる限定的なものはありますが、自らの行為や信念等に関する「嘘(Lie)」は、それだけで神に背く行為となり、悪人でもない限り、比較的広い範囲で妥当する日本的な「嘘も方便」は通用しにくいものと考えられます。会話の中で、リンは「祈り」について言及していますし、コールが何度も教会に出入りしている様子からも、宗教の重要性が分かります。このように、母との直接的なやり取りを超えて成立する神との関係性(宗教的モラル)を想定することで、人間関係を重視する日本人的感覚では一見不可解なコールの言葉の真実への強いこだわりにも、より納得のいく説明がつくように思われます。


2015年3月1日

タイトル:『ウォールフラワー』~「壁の花」は女性だけじゃない?~
投稿者:松田早恵(摂南大学)

『ウォールフラワー』(The Perks of Being a Wallflower, 2013)は、同名のヤングアダルト小説(Stephen Chbosky著、2009年)を映画化したものです。主演男優をローガン・ラーマン、主演女優をエマ・ワトソンが演じています。

「壁の花」というと、日本語では女性のイメージで、実際に『デジタル大辞林』(http://www.daijisen.jp/digital/)でも「パーティーなどで、会話の輪から外れている女性。もともとは、舞踏会で、踊りに誘われず壁際に立っている女性をいった語」と定義されています。しかし、Longman Dictionary of Contemporary English(http://www.ldoceonline.com/)によると、“someone at a party, dance etc who is not asked to dance or take part in the activities”となっており、女性限定ではないようです。

主人公のチャーリーは幼少期のトラウマを抱えている16歳の男の子。中学の最後にもさらに追い討ちをかけるような出来事を経験します。それでも、新しく高校生活をスタートするにあたって何とか友達を作りたいと思うのですが、なかなかうまくいきません。そこで、とにかく「普通に」していることに徹して、残りの「1,385日」を何とか目立たぬようにやり過ごすことにします。そんな折、ふとしたことをきっかけに上級生のグループと知り合い、様々な初体験をすることになります。以下は、初めてのパーティで彼らに受け入れてもらえたときの会話です。

PATRICK: Hey, everyone! Everybody! Everyone…raise your glasses to Charlie.
(みんな、チャーリーに乾杯だ。)
CHARLIE: What did I do?
(僕が何をした?)
PATRICK: You didn’t do anything. We just want to toast our new friend. You see things. And you understand. You are a wallflower. What is it? What’s wrong?
(何もしてないよ。新しい友達に乾杯したいだけだ。君は観察して、理解している、壁の花だ。何だ?どうした?)
CHARLIE: I didn’t think anyone noticed me.
(誰も僕に気づいていないと思ってた。)
PATRICK: Well, we didn’t think there was anyone cool left to meet. So come on, everyone. To Charlie.
(もうカッコいい奴はいないと思ってた。さあ、みんな、チャーリーに乾杯!)
EVERYONE: To Charlie.
(チャーリーに!)
SAM: Welcome to the island of misfit toys.
(はみ出し者の島にようこそ。)
<0:25:49>

この映画での「ウォールフラワー」は男子のチャーリーだったのです。仲間のおかげで「ウォールフラワー」状態から脱したチャーリーでしたが、その後もやはり色々な出来事が起こり、チャーリーの青春はup & down(high & low?)を繰り返します。でも、最後に彼が行き着いた結論は…。

CHARLIE: But right now, these moments are not stories. This is happening. I’m here, and I’m looking at her. And she is so beautiful. I can see it. This one moment when you know you’re not a sad story, you are alive. You stand up and see the lights on the buildings…and everything that makes you wonder. And you’re listening to that song on that drive…with the people you love most in this world. And this moment, I swear, we are infinite.
(でも今は、この瞬間は思い出なんかじゃない。現在進行形だ。僕はここにいて、彼女を見ている。なんて美しい。わかったんだ。この瞬間、僕は悲しい思い出なんかじゃなくて、生きている。立ち上がり、ビルの明かりや心震えるものを眺めながら。世界で最も愛する人たちとあの曲を聴いていると…この瞬間こそ、絶対に、僕らは無限だ。)
<1:37:34>

「僕らは無限だ!」などとは何と青春なのでしょう!そして、そう思えた瞬間はきっと彼の中に永遠に生き続け、一生涯彼を支えることでしょう。これからも頑張れ、チャーリー!


2015年2月1日

タイトル:「ハリウッド文化と認知症」
投稿者:藤倉なおこ(京都外国語大学)

ベビーブーマー世代が高齢になりアメリカでも認知症がメディアでもとりあげられるようになりました。日本映画は『恍惚の人』(1973)をかわきりに患者の症状、苦悩、家族に重くのしかかる介護の現実を描いてきました。一方、アメリカでは認知症を扱った映画は、主に2000年以降に登場します。しかしそれらはラブ・ストーリーやファンタジーの形をとっていて、映画を通じて患者、介護者の現状が人々に理解されることはなく、誤った認識さえ植えつけているかもしれません。

『マイ・ファミリー・マイライフ』(The Savages, 2007)は、アメリカ映画の中では、現実に近い当事者の姿を描いています。父親が認知症を発症し、突然引き取らなければならなくなった兄妹の物語です。

“Don’t make me out to be the evil brother who is putting away our father against your will. We’re doing this together, right?”(お前の望みに反して父親を入所させる悪い兄にしたてないでくれよ。これはオレたちふたりですることだろ。)
<0:24:55>

これは父親が入る高齢者施設を探す兄のセリフです。高齢者の大半は、自宅で最期まで生活したいと思っています。家族は本人たちの意志に反して施設に入所させることに罪悪感を持っています。映画の兄もこれが最善なのだと自分を納得させようと懸命なことがこのセリフからも垣間見えます。

米国の高齢者は、大半が施設で暮らしているという印象はありませんか?実はそうではありません。多くの自宅にいる高齢者を家族、友人、近所の人たちが支えています。米国アルツハイマー協会のレポートには、こうした人たちによる無償の介護は、全米で年間177億時間に上り、「2012年度のマクドナルドの総収益(278億ドル)の8倍」に相当するとしています。労働者が介護に時間を割かれる実態は、アメリカの経済に大きなマイナスです。

アーノルド・シュワルツネッガーのかつての妻、マリア・シュライバーが主催するNGOが発行する報告書は、「認知症は、女性の問題である」と書いています。男性介護者は増えていますが、アメリカでも妻、娘、嫁、孫が介護の大半を担っています。また患者にも平均寿命が長い女性が多いのが現状です。

アメリカ映画で、認知症の現実がなかなか描かれないのは、それが女性を中心にした問題だからということが一つの原因かもしれません。ハリウッド映画製作の意思決定に携わる人たちのほとんどはいまだに男性です。今後、より多くの男性が認知症や介護に直面することで、現実が描かれ始めるかもしれません。

さらには、日本とアメリカの文化の違いもあるかもしれません。日本には「しかたがない」という表現に代表されるように人生の困難を受け入れ、その中でなんとか努力し生きていく姿に人々は共感します。一方、米国は良くも悪くも「あらがう」文化だとはいえないでしょうか。困難には常に立ち向かい、解決し、人生を切り開く姿が共感を得ます。今のところ認知症に有効な治療法はありません。病気の進行をただ見守りながら苦労するしかない家族と病気を受け入れることしかない認知症患者の姿は、アメリカ人には受け入れがたいのかもしれません。しかし今後は、ラブ・ストーリーやおとぎ話とはかけ離れた当事者の現実を伝える映画も必要なのではないでしょうか。


2015年1月3日

タイトル:死ぬまでにしたい10のこと
投稿者:近藤嘉宏(京都外国語大学・非)

箇条書きに簡潔に書く力をアップさせるのに役立つ活動を、(1)『死ぬまでにしたい10のこと』(My Life Without Me, 2003)と(2)『最高の人生の見つけ方』(The Bucket List, 2007)の2つの映画の場面から考えてみましょう。

一つ目の映画は、二人の娘を持つ女性が余命数カ月と宣告され自分の人生を見つめなおして、カフェで一人で珈琲を飲みながら「死ぬまでにしたいことリスト」を書き綴ります。自分のいなくなった後の人生をしっかりと設計しておくというものです。少し重い感じがするなら、Things to do before I graduate. や Things to do before the next birthday. などに変えることもできるでしょう。

1. Tell my daughters I love them several times a day.(娘たちに一日に何回か愛してると伝える。) 
2. Find Don a new wife who the girls like.(Donに娘たちが気に入るような新しい奥さんを見つける。) 
3. Record birthday messages for the girls for every year until they’re 18.(娘たちが18歳になるまで毎年誕生日のメッセージを録音しておく。) 
4. Go to the Whalebay Beach together and have a big picnic.(ビーチに一緒に行って、ピクニックをする) 
5. Smoke and drink as much as I like.(好きなだけ煙草を吸ってお酒も飲む)
6. Say what I’m thinking.(自分が考えていることを口に出していう) 
7. Make love with other men to see what it’s like.(別の男性とつきあって、どんなものかを確かめる)
8. Make someone fall in love with me.(誰かに自分に対して恋に落ちさせる) 
9. Go and see Dad in jail.(刑務所にいるお父さんに会いに行く) 
10. Get some false nails ( and do something with my hair ).(付けづめをして、髪の毛にもなにかする)<00:24:10>

この10カ条の男性版が二つ目の映画です。ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンの二人の名優が演じています。余命数カ月と診断され病院で同室になった二人がリストに従って行動します。言うまでもなく、タイトルの The bucket list は、A list of things to accomplish before one’s death.の意味です。コピルアク(この映画にも出てくる希少な珈琲)でも飲んでいるつもりでリストを書いてみてはどうでしょうか。

1. Witness something truly majestic.(本当に威厳のある景色を見る)
2. Help a complete stranger for the good.(全く知らない人を善意で助ける)
3. Laugh until I cry.(泣くほど笑う)
4. Drive a Shelby Mustang.(シェルビー・マスタングを運転する)
5. Kiss the most beautiful girl in the world.(世界最高の美女とキスをする)
6. Get a tattoo.(タトゥーを入れる)
7. Skydiving.(スカイダイビングをする)
8. See Rome.(ローマを観光する)
9. See the pyramids.(ピラミッドを見る)
10. Visit Stonehenge.(ストーンヘンジを訪れる)<00:33:40>

ジャック・コルソンの力強い台詞 “We could do this. We should do this.” に私達にも実現できそうな気がしてきます。


2015年1月3日

タイトル:Erin Brockovich に学ぶ論争のレトリック
投稿者:井村誠(大阪工業大学)

Erin Brockovich(Universal Pictures 2000)は、1993年に米国カリフォルニア州で実際に起きた公害訴訟事件をもとに作られた映画です。主人公のエリンは、3人の子供をかかえるシングルマザーで失業中。必死で職探しをするもままならず、おまけに自動車事故に遭って怪我をする始末。しかしそのことがきっかけで、弁護士事務所で働くことになった彼女は、PG&E社(Pacific Gas and Electric Company)の工場廃液による土壌汚染で、地域住民の健康が損なわれていることを発見し、これが全米訴訟史上最大規模の3億3千万ドルの和解金を獲得する訴訟に発展します。まさにアメリカン・ドリームを地で行くサクセス・ストーリーですが、何と言ってもこの映画の見所は、主演ジュリア・ロバーツが演じるエリンの強烈な個性と、圧倒的な弁舌力です(この映画で彼女はアカデミー賞主演女優賞を獲得しました)。ではここで、エリンの論争テクニックに学んでみましょう。

次は、訴訟を避けて事態を穏便に済ませようと和解金の提示にやってきたPG&E社の顧問弁護士たちに向かってエリンが弁舌をぶちまけるシーンです。

Ms. Sanchez: Let’s be honest here. Twenty million dollars is more money than these people have ever dreamed of.
Erin: See, now that pisses me off. First of all, since the demurrer we have more than 400 plaintiffs. Let’s be honest. We all know there are more out there. They may not be the most sophisticated people, but they do know how to divide. Twenty million dollars isn’t shit when you split it between them. Second of all, these people don’t dream about being rich. They dream about being able to watch their kids swim in a pool… without worrying that they’ll have to have a hysterectomy at the age of 20… like Rosa Diaz, a client of ours… or have their spine deteriorate like Stan Bloom, another client of ours. So before you come back here with another lame-ass offer… I want you to think real hard about what your spine is worth, Mr. Walker… or what you might expect someone to pay you for your uterus, Ms. Sanchez. Then you take out your calculator… and you multiply that number by 100. Anything less than that is a waste of our time. By the way, we had the water brought in special for you folks. Came from a well in Hinkley.

(注)demurrer 妨訴抗弁(弁護側が裁判を回避するために行う異議申立て) hysterectomy 子宮摘出手術 spine 脊椎 uterus 子宮

弁舌の中でエリンは、まず第一に(first of all)、弁護側が示した和解金(2千万ドル)は、膨大な被害者の数で割ると雀の涙にもならないとこきおろし、第二に(second of all)、被害者は金儲けが目当てなのではなく、普通に健康な暮らしがしたいのだと言って、個々の具体的な症例をあげて、相手の過失責任の重大さを強調し、結論として(so)自分たちの臓器の値段を計算して、それを100倍した金額を下回るような和解金は問題外であると言って、被害者の立場に立って親身に物事を見ようとしない弁護団を非難します。さらに極めつけは、エリンの弁舌の波状攻撃にうろたえて、目の前のグラスの水を飲もうとした女性顧問弁護士のサンチェスに「ところでその水は、あなた方のためにヒンクリー地区の井戸水を特別に取り寄せたものよ」と、とどめを刺しているところです。冗談であったにせよ、六価クロム(hexavalent chromium)が含まれているかもしれない水を、彼女が飲めるわけはありません。

さて、このErin Brockovichを題材とした大学英語教科書を、2015年に金星堂より上梓する予定です(井村誠・中井英民・松田早恵・山本五郎 著/Damien Healy・Matthew Caldwell 英文校閲)。Erin Brockovichは題材そのものの教育的価値が高く、授業で使える様々な状況会話が満載です。よろしければ一度、お試しください。