2012年

【投稿一覧】

2012年12月25日
「英語で授業・最初の挨拶編」近藤嘉宏
2012年12月12日
「ドキュメンタリー映画で学ぶ教養知識-遺伝子組換え作物について-」山本五郎
2012年11月5日
「リスニング・発音教材としての映画主題歌」三村仁彦
2012年11月5日
「映画の場面からway構文の意味を探る」吉川裕介
2012年10月9日
「映画のセリフに見るアドバイス表現」近藤暁子
2012年10月9日
「Are you a morning person?」小林翠
2012年10月9日
「映画で学ぶbe supposed to」衛藤圭一
2012年9月11日
「英詩と映画(その2)」福田京一
2012年09月11日
「<数>を意味する表現を味わおう」飯田泰弘
2012年08月10日
「『オレンジと太陽』に見る理想の上司」松田早恵
2012年08月10日
「映画で学ぶthere構文」平井大輔
2012年07月07日
「アカデミー賞のスピーチ」國友万裕
2012年07月07日
「家族関係と個人主義」北本晃治
2012年06月08日
「ドキュメンタリー映画から学ぶ文化と英語-『ハレクリシュナ』」中井英民
2012年06月08日
「ハリウッドじゃ、女優は21歳でなきゃね。 『デブラ・ウィンガーを探して』(2003年)」藤倉なおこ
2012年06月08日
「映画で学ぶGo+ing構文」中山麻美
2012年05月05日
「移動方向を表す単語について」濱上桂菜(京都外国語大学 非常勤)
2012年05月05日
「ハリウッド映画の中の日本人」上田聖司
2012年05月05日
「映画で学ぶ<コックニー>」田中美和子
2012年04月02日
「コメディー映画のツッコミどころ」成田修司
2012年04月02日
「ハリウッド映画で耳にするヘブライ語」松井夏津紀
2012年04月02日
「日本語字幕翻訳と英語」河野弘美
2012年03月05日
「新しい夢物語―『魔法にかけられて』のハッピー・エンディング」奥村真紀
2012年03月05日
「映画の日本語字幕と吹き替えについて」佐藤弘樹
2012年03月05日
「インドと英文学」荘中孝之
2012年02月07日
「need/wantの後に続く要素」小野隆啓
2012年02月07日
「映画で学ぶ<隣接応答ペア>」横山仁視
2012年02月07日
「映画『カーズ』」藤本幸治
2012年01月01日
「文末焦点と句動詞の語順」倉田誠
2012年01月01日
「son of a bitch の複数形」井村誠


2012年12月25日

タイトル: 英語で授業・最初の挨拶編
投稿者: 近藤嘉宏(京都経済短期大学・京都成章高校 講師)

高校での授業は、大抵は「起立・礼・着席」という号令で始まります。着席の前に「お願いします」が入る場合もあります。最初から日本語で授業に入ると、突然英語に切り替えるのは難しいと感じることもあります。では最初から英語でやってみようということになると、「起立」は“Standup”、「着席」は“Sit down” はよいとして、「礼」は“Bow”ということになるのでしょうか?

こうした挨拶は、映画やドラマではどのように表現されているのでしょうか?連続ドラマ『Terminator: The Sarah Connor Chronicles Vol.1 Episode 1』でのある高校での教室の始まりのシーンです。このドラマにはTerminatorが登場しますが、あのシュワルツネッガーのTerminatorとは異なるストーリーです。

[Bell rings. A new teacher comes in.]
A teacher: Mr. Fergson is ill today. My name is Cromatie.
A student: Is that your only name, like Madonna?
A teacher a: Madonna? Why? No.
[Students laughing]
A teacher: Let’s take attendance, then. Marie Booeye.
A student b: Here!
A teacher: Donald Chase.
A student c: Here! <00:17:20-00:17:35>

生徒とのやり取りはあるものの、日本での慣習的な表現に相当するものは見当たりません。筆者が担当する短大の授業では、“Let’s take attendance, then.”(では出席を取りましょう)はすぐに活用できる教室英語の表現ですので、受け答えの表現の一つである“Here!”の発音練習をしてから、授業に取り入れています。
また、次の『Roswell星の恋人たち Season1-1』でも、慣習化した表現は使われず授業が始まります。

[Bell rings. A new teacher comes in.]
A teacher: Hi, I’m Kathleen Topolsky. I’ll be substituting for Mr. Singer, who’s out sick for a few days.
A student a: I hope he’s seriously ill.
A teacher: The infamous Roswell, New Mexico. Before we get down to work, let me just ask.
Does anyone here believe in aliens? <00:06:25-00:06:40>

なお、映画Dead Poet Society(『今を生きる』1989)では、「起立」という号令はないものの、教師が教室に入ってくると生徒たちはサッとすばやく立ち上がり、教師が一言“Sit.”と発言し、生徒が着席する場面があります。
特定の場面を取り上げ比較してみることで、それぞれの文化スタイルを垣間見ることができます。


2012年12月12日

タイトル:ドキュメンタリー映画で学ぶ教養知識-遺伝子組換え作物について-
投稿者:山本五郎(広島大学)

映画は、英語学習にはもちろん、文化的な側面を学ぶ教材としても非常に魅力的です。特に、娯楽作品にはない臨場感で問題に迫るドキュメンタリー映画は文化教養を学ぶのに格好の素材と言えます。今回は、アメリカの食品産業の実態に迫った『フード・インク(2008)』から、遺伝子組換え作物(GM food)について学んでみましょう。ちなみに、GMはgenetically(遺伝子的に)modified(変更された)の頭字語表現です。

映画では、遺伝子組換え作物が現在の農業で普及している例として、モンサント社が取り上げられています。<01:06:22~>モンサント社は、ベトナム戦争で使用された枯葉剤などを作った化学薬品会社で、現在ラウンドアップという除草剤を製造しています。1996年に遺伝子組み換えによってこの除草剤に耐性をもつ大豆が出回るようになりました。当時は全体の2%だった耐性大豆が2008年には90%を超えるほど広まったのです。この大豆の特許を持つモンサント社からの圧力で、農家が遺伝子組み換えではない大豆を栽培することが難しくなっている様子が紹介されています。<01:12:03~>

さて、最近よく耳にする遺伝子組み換えの農作物にはどのような種類があるのでしょうか?『フード・インク』で取り上げられていた大豆は除草剤耐性作物です。除草剤は、植物が成長するために必要なアミノ酸を合成する酵素の働きを阻害するものです。除草剤の効果に対して耐性のあるタンパク質を生成できるように遺伝子を組み替えたものが除草剤耐性の作物です。

害虫抵抗性作物は、作物を食べた害虫を殺してしまうものです。昆虫の消化管を破壊するたんぱく質がある細菌から見つかっており、この殺虫性のたんぱく質を植物内で生成できるように遺伝子を組み換えたものです。作物の茎などに入って中を食い荒らす害虫を農薬散布によって死滅させるのは簡単ではありませんが、この害虫抵抗性の作物の中では害虫が生き残ることができないため被害がでません。害虫抵抗性の組換えはトウモロコシやジャガイモなどで開発されています。

疾病抵抗性作物は、植物に感染して害を及ぼすウイルスに由来するたんぱく質を組み入れたものです。ウイルスからたんぱく質を遺伝子的に導入した作物は、ウイルスに感染しにくくなるのです。ハワイで生産されるパパイヤの半分以上はこの疾病抵抗性の遺伝子組換え作物です。

『フード・インク』では、遺伝子組換え作物(GM food)の他に、Food and Drug Administration(食品医薬品局)の頭字語であるFDA、diabetes(糖尿病)やfood poisoning(食中毒)のようなキーワードからbushel(ブッシェル:トウモロコシ50ポンド[約22.7キロ])という穀物計量の単位まで、様々な語彙を学習することもできます。映画をきっかけにして教養知識も語彙もどんどん深まっていきますね。

より幅広い知識を映画を通して身に付けたい方は、『見て学ぶ アメリカ文化とイギリス文化 映画で教養をみがく』(SCREEN新書、2012年12月)をご一読下さい。


2012年11月5日

タイトル:リスニング・発音教材としての映画主題歌
投稿者:三村仁彦(京都外国語大学 非常勤)

映画には主題歌が付き物ですが,それらの中には作品と同様に大ヒットしたものも少なくありません。例えば,セリーヌ・ディオン(Celine Dion)が歌う『タイタニック(Titanic)』の『マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン(My Heart Will Go On)』や,ホイットニー・ヒューストン(Whitney Houston)が歌う『ボディガード(The Bodyguard)』の『オールウェイズ・ラブ・ユー(I Will Always Love You)』などは,映画そのものは観たことがなくても,曲は知っている,聴いたことがあるという人も珍しくないのではないでしょうか.

これらの主題歌を注意深く聴くと,(当たり前と言えば当たり前なのですが)そこにはさまざまな英語の「音変化」が観察されます.例えば,以下は映画『アルマゲドン(Armageddon)』の主題歌,『ミス・ア・シング(I Don’t Want To Miss A Thing)』(演奏はエアロスミス(Aerosmith))の冒頭の一節ですが,わずか40秒ほどの間に連結(linking),同化(assimilation),脱落(elision)という,主だった音変化3つがすべて現れています.

※スラー(‿)は連結,下線( )は同化,かっこ( )は脱落を表す.
I coul(d) stay awake jus(t) to hear you breathing
Watch you smile while you are sleepin(g)
While you’re far‿away an(d) dreamin(g)
I coul(d) spen(d) my life in thi(s) sweet surrender
I could stay lost‿in this moment forever
Every momen(t) spen(t) with you is‿a moment‿I treasure

このような音変化は,もちろん映画本編の中でいくらでも確認することができますが,印象に残るメロディーと共に取り込めるぶん,見方によっては主題歌のほうが素材としては優れていると言えるかも知れません.また,曲に合わせて歌詞を口ずさめば,自然とそこに含まれている単語や慣用表現が覚えられますし,個々の音に集中して発音を真似ることができれば,イントネーションと発音の向上にもつながります.あとは(これは英語学習とは何の関係もありませんが(苦笑))音程さえ正しく取れれば,カラオケで歌って,拍手喝采を浴びることも夢ではないでしょう(笑).

最近の映画は一本一本の時間が長く,大作になると3時間を超えるものも今では珍しくなくなってきています.しかし,主題歌を聴くだけならば,5分もあればお釣りがきます.手軽にリスニングと発音の勉強に取り組むには,映画の主題歌はもってこいの教材ではないでしょうか.


2012年11月5日

タイトル:映画の場面からway構文の意味を探る
投稿者:吉川裕介(佛教大学 非常勤)

英語にはJohn made his way through the crowd.(ジョンは人ごみをかき分けて進んだ)という表現があり、これをway構文と呼びます。これまで、言語学では多くの研究者がこのway構文を分析し、構文自体に「困難性」(difficulty)が意味として含意されると言われてきました。しかし、興味深いことに他動詞makeを使ったway構文に共通してこの「困難性」が観察されるかというと、そうではないようです。

映画Dreamer: Inspired by a true story 『夢駆ける馬ドリーマー』(2005)は、牧場経営と競走馬のトレーナーをしているベンと「ソーニャドール」という一頭の馬との奇跡の復活を描いた作品です。その中で、競馬の実況中継のコメンテーターに次のような台詞があります。

COMMENTATOR: They (racehorses) make their way around the first turn and head onto the backstretch. <00:52:17>
COMMENTATOR: They make their way around the far turn. <00:52:39>

競走馬の集団がカーブに差し掛かる際にway構文が使われていますが、どちらも困難性が観察される場面ではありません。この場合のway構文は、競走馬が集団となってゆっくりとカーブを曲がって行く動きに焦点を当て、経路を聞き手の頭に競走馬のたどる経路を想起させている表現方法だと考えられます。このように、映画の場面を通して特定の構文を観察することは、その構文自体の特徴まで映像化されることから、非常に有効と言えるでしょう。


2012年10月9日

タイトル: 映画のセリフに見るアドバイス表現
投稿者: 近藤暁子(奈良工業高等専門学校)

友達などに「~したほうが(しないほうが)いいよ」という時に、よく日本人英語学習者は”You should (not) ~”, “You had better (not) ~” という表現を使っているのをよく耳にしますが、これらの表現は強い感じに受け取られることがあります。実際のネイティブの会話ではそれらの代わりに”You (don’t) want to ~”や”You might (not) want to ~”などが多く使われています。

“You don’t want to (wanna) ~” は直訳すると、「あなたは〜したくない」という意味になるのですが、「~しない方がいいよ」といった感じでアドバイスをする意味でよく使われる表現です。トム・ハンクスの代表作、「Forrest Gump」でフォレストがジェニーにプロポーズするシーンでこの表現が出てきています。

Forrest Gump: Will you marry me?
Forrest Gump: I’d make a good husband, Jenny.
Jenny Curran: You would, Forrest.
Forrest Gump: But you won’t marry me.
Jenny Curran: You don’t wanna marry me.
Forrest Gump: Why don’t you love me, Jenny?
Forrest Gump: I’m not a smart man… but I know what love is.

ここでは、プロポーズを断るのに、ジェニーはいろいろな問題を抱えている私なんかと結婚しないほうがいいわよという気持ちでこの表現を使っています。

さらにもっとやんわりと相手にアドバイスしたい時は”You might (not) want to ~”を使ってみるといいのではないでしょうか?この表現も直訳すると「~したい(したくない)かもしれない」となるのですが、こちらも「~したほうがいいかもしれませんよ」ぐらいの感じで控えめに相手にアドバイスするときに使える表現です。ジュリア・ロバーツ主演の「エリン・ブロコビッチ」で法律事務所の上司から服装のことについて指摘されるシーンでこちらの表現が使われています。

Ed Masry: In a law firm you may want to re-think your wardrobe a little.
Erin Brockovich: Well as long as I have one ass instead of two I’ll wear what I like if that’s all right with you. You might want to re-think those ties.

法律事務所ではエリンが着ていたような派手な服装は合わないと指摘されたのに対し、少し控えめ表現を使って上司のネクタイの趣味を指摘しています。

今回はアドバイスの表現として”You (don’t) want to ~”や”You might (not) want to ~”を紹介しましたが、アドバイスをする相手や状況に応じた様々な表現を身につけることはより円滑なコミュニケーションに役立つでしょう。


2012年10月9日

タイトル: Are you a morning person?
投稿者: 小林翠(大阪大学大学院博士後期課程)

次の会話は、映画 ”Hitch” 『最後の恋のはじめ方』 (2005) のとある場面の一部です。最後の Sara のセリフに出てくる a morning person はどんな意味なのでしょうか。

この映画は、モテない男性を指南するデート・ドクター Hitch (Will Smith) と、ゴシップ記者 Sara (Eva Mendes) によるロマンティック・コメディです。他人の恋愛は得意でも自分の恋になるとまるでダメな Hitch ですが、彼女と出会って恋に落ちます。そしてまた、男に興味が無く仕事の虫であった Sara も、徐々に彼に惹かれていくという話です。引用場面ですが、そんな二人が 2 回目のデートの後、彼女のアパートでお互い語り合い朝を迎えます。しかし、Sara が起きた時に Hitch はいません。Sara はそんな自分に失望し、一人落ち込んでいます。そこへ、朝から元気に朝食を買いに出ていた Hitch が戻ってくる。そんなシーンでの会話です。

<01:10:24>
Sara: Hi. I thought you left.
Hitch: Well, I did, but then I came back with breakfast. I figured it was the least that I could do. I didn’t know what you were drinking… so I got a grande cap, a latte, an Earl Grey tea… and something with ”chai” in the title.
Sara: Tea for me.
Hitch: Tea. Yes! I was hoping you’d say that.
Sara: Oh, God. You’re a morning person, aren’t you?

いかがでしたか。この a morning person という表現は、「朝派の人」や「朝型の人」といった意味で使われています。
ところで、「…派(型、主義、好き)の」という意味はどこから出てくるのでしょうか。 この意味は、morning にも person にもありませんよね。これは、a morning person という固まりになった時、はじめて現れる意味なのです。また、a morning person にはこの他にも a cat person (ネコ好きなネコ派の人)や a night person (夜更かしをする人)やa breakfast person(朝食を抜かない人)といった類例があり、「X 派(型、主義、好き)の人」という意味で用いる [ a (n) + X(名詞)+ person ] は生産性の高い表現です(早瀬2002 : 13)。このような「部分の総和以上の意味が全体に生じている表現」や「高い頻度の型」のことを、認知言語学では構文 (construction) と呼んで、文レベルのもの(移動使役構文、二重目的語構文など)とも連続的に扱い、分析します。

以上のように、[ a (n) + X(名詞)+ person ] は「X 派(型、主義、好き)の人」という意味で使われている慣習的で生産的な表現(構文)です。皆さんもぜひ、このような表現を映画やドラマの中から見つけてみてくださいね。

(参考文献)
早瀬尚子 (2002)『英語構文のカテゴリー形成 認知言語学の視点から』勁草書房


2012年10月9日

タイトル: 映画で学ぶ「be supposed to」
投稿者: 衛藤圭一(京都外国語大学 非常勤)

映画を観ていると、音声と英語字幕の不一致に気付くことが少なくないと思います。たとえば以下で取り上げる be supposed to は、英語字幕では should で書き換えられる場合が多く、辞書や文法書を見ても be supposed to = should という等式があるように見受けられます。しかし、be supposed to は動詞 suppose の受身形に由来していることから、should と異な り「~だと考えられている、~だとされている」という意味を表します。この意味が be supposed to の中核であるため、「実現されるはずのことが、実際にはそうならない」という「反事実」の意味合いを含みます。”Rain Man” 『レインマン』(1988) <00:52:59>では次のようなセリ フが観察されます。

Raymond: There’s supposed to be eight fish sticks. There’s only four.
「フィッシュ・スティックは8本あるはずのに、4本しかない。」

この「反事実」の意味は、下に挙げる”Ghost”『ゴースト』(1990) <01:08:58>の例が示すように、but節が後続することでさらに顕著になることがあります。

Carl: I thought you were gonna come into the bank and sign those papers.
「君は銀行に行ってあの書類に署名をするんだと思っていたよ。」
Molly: Well, I was supposed to, but I didn’t have time.
「ええと、その予定だったけど、時間がなかったの。」

類義語とされる2つの表現が実は相当に違うというケースはよくありますが、学校文法で重点的に取り上げられることはそれほど多くはありません。こういった「盲点」に興味を持たれた方は、『映画で学ぶ英語学』(くろしお出版)を一度手にとってください。思わぬ発見があるかもしれませんよ。


2012年9月11日

タイトル: 英詩と映画 (その2)
投稿者: 福田京一 (京都外国語大学)

映画Dead Poets Society (『今を生きる』1989) はヴァーモント州にある名門私立高校の生徒たちに、キーティング先生(Robin Williams)が詩を通して人生の意味を教える青春映画です。

先生は言葉と思想の力を信じています。彼自身の母校である学校で、かつて”Dead Poets Society”を作って、夜、森の洞穴に集まって詩を朗読して、名門大学に合格するために勉強を強いられる寄宿舎生活に抵抗した経歴を彼は持っています。会はソロー(Henry D. Thoreau)のWalden (1854)の一節(“I went to the woods because I wished to live deliberately, to front only the essential fact of life, and see if I could not learn what it had to teach , and not, when I came to die, discover that I had not lived.”)の朗読から始めるというもので、彼は生徒にその会について話し、同じ会を再興させます。

教室内でも外でも、シェイクスピア、テニスン、ソロー、ホイットマン、フロストなどの詩が朗読される。なかでも最初の授業で朗読されるヘリック(Robert Herrick , 1591-1674)の“To the Virgins, to make much of Time” の一節は映画のテーマを語っています。

 “Gather ye rosebuds while ye may/Old Time is still a-flying:/And this
  same flower that smiles to-day/To-morrow will be dying.”

この詩は、乙女に若くて美しいうちに結婚するよう促す内容ですが、そればかりか、悔いある人生を送らないように生き方を変えてはどうかと読者に語りかける詩でもあります。17世紀の英詩の多くに「今をいきろ“carpe diem”」 (Seize the day)という主題が認められますが、とりわけこの詩は、単純な韻律(meter)と押韻(rhyme)、それに効果的な頭韻(alliteration)とあいまって、すばらしい叙情詩になっています。生徒たちが、心に恐れとともに喜びを美しく語りかける詩に、そして先生に心奪われたのももっともなことでした。

蛇足ながら、黒沢明『生きる』(1952)のテーマもまた同じです。「いのち短し、恋せよ少女/朱き唇 褪せぬ間に/明日の月日はないものを」(吉井勇作詞・中山晋平作曲「ゴンドラの唄」)を雪降る夜の公園でブランコに揺られて歌う渡辺課長(志村喬)に涙しない人はいないでしょう。


2012年09月11日

タイトル: 「数」を意味する表現を味わおう
投稿者: 飯田泰弘(大阪大学大学院)

効率よく英単語のボキャブラリーを増やしていくには、接頭辞や接尾辞が持つ共通した意味を理解すると有効的です。この種の便利なものに、「数」を表す接頭辞があります。例えば、単語の最初にmono-やuni-がつけば「1」を表し(例:monorail「モノレール」やunicorn「一角獣」)、「2」はbi-(例:bilingual「2カ国語の」)、「3」はtri-(例:tripod「カメラの三脚」)といった具合です。

これを活用すると、cycle「輪」が2つあるのがbicycle「自転車(二輪車)」で、1つになるとmonocycle/unicycle「一輪車」、3つだとtricycle「三輪車」になることがわかります。またスポーツの二種競技(biathlon)、三種競技(triathlon)、五種競技(pentathlon)、十種競技(decathlon)という単語もセットで覚えられることに、ロンドン五輪の陸上中継を見ていた方などはお気づきになったのではないでしょうか。(penta-は「5」、deca-は「10」を意味します)

angle「角度」が3つあるのがtriangle「三角形、楽器のトライアングル」。ならば、この名詞の後ろに接尾辞の-ateをつけて動詞にすると、triangulate「三角法で測定する」となり、『バイオハザードⅢ』(2007)では主人公の巨大なパワーを察知した後、彼女の行方を捜す研究者が、“Triangulate. Find her location.” 「三角法で彼女の居場所を測定しろ」<00:41:37> と述べる場面でも、これを確認することが出来ます。また、『ボーンズ シーズン1 エピソード4』(2005)で登場する台詞、

Temperance: You have excellent definition in your biceps and triceps.
「あなたの二頭筋と三頭筋は、すごくよく発達してる」 <00:25:31>

からは、身体の「二頭筋」がbiceps、「三頭筋」はtricepsという単語であることが分かり、さらに、

Booth: We got a love triangle. Quadrangle, octangle, whatever.
「ここには三角関係だか、四角関係だか、八角関係だかがあるようだ」<00:38:06>

という台詞からは、どろどろとした人間関係が、数を表す接頭辞でうまく表現されていることが味わえます。(quad-/quart-は「4」を、octa-/octo-は「8」を意味します)

みなさんもぜひ、こういった「数」の表現を映画の中で探し、英語学習においても活用してみてくださいね。


2012年08月10日

タイトル: 『オレンジと太陽』に見る理想の上司
投稿者: 松田早恵(摂南大学)

『オレンジと太陽』は、マーガレット・ハンフリーズの実体験を著した『からのゆりかご―大英帝国の迷い子たち』(原題:Empty Cradles)を基にした映画です。イギリスノッテインガムでソーシャルワーカーとして働くマーガレットの元に、ある日突然、オーストラリアから来たという女性が「私が誰なのか探して欲しい」と現れます。調べを進めるうちに、「ある時期、イギリスの施設の子どもたちが、大きな船に乗せられてオーストラリアへ強制移民させられていた」らしいことがわかります。マーガレットは、オーストラリアへ聞き込みに出かけるのですが、あまりにも多くの人たちが同じような経験を持っていることを知って愕然とします。腰を据えて調査をする必要があると判断したマーガレットは、本国に戻って上司(ちなみに、女性です)に掛け合います。<0:29:00>

上司:Well, as you know, Rita’s filled me in with what you’ve been up to. I’ve read your report.(リタから話は聞いたわ。報告書も読ませてもらった。)
マーガレット:Look. I とjust want to say that I have kept on top of my case load and I went to Australia in my own time that was my annual leave.(やるべき仕事はきちんとやっています。オーストラリアへは自分の年休を使っていきましたし。)
上司:Well, I think that was appalling.(それがひどいと思うのよ。)
マーガレット:What? What is?(え?何がですか?)
上司:That you had to use your own holiday to pursue this.(自分の休暇を潰して調査に行くなんて。)
マーガレット:Oh.(あら。)
上司:I’m taking this to the social services committee. Tell me what is it you want to do?(この件は委員会に上げるから、何がしたいのか教えて。)
マーガレット:Well, uh, the people that I’ve met, they want to find a record of who they are. They just want to know where they came from.(私が会った人たちは、自分が誰であるのか記録を探したがっています。自分がどこから来たのかを。)
上司:What do you need?(何が要る?)
マーガレット:Time. Time to find their families.(時間。彼らの家族を探す時間が欲しいです。)
上司:How long?(期間は?)
マーガレット:Well, a year?(1年くらい?)
上司:How about two?(2年でどう?)
マーガレット:Yes, that would be…(そうしていただけると…。)
上司:I’ll make a recommendation to the committee.(委員会に推薦するわ。)
マーガレット:So, are you talking about me working on this full-time?(フルタイムで調査してもいいのですか?)
上司:That is what you want, isn’t it?(それが希望なんでしょ?)
マーガレット:Yes, yes, it is.(は、はい。そうです。)
上司:Now, how are we going to fund you properly? We are going to raise your profile to try and get some public funding and we need donations. Have you thought about going to the press?(どう予算を工面しましょうかね。認知度を上げて公的資金と寄付金を獲得しなくちゃね。マスコミは考えた?)

余分なことは一切聞かず、即座に前向きな決断を下す上司の格好いいこと!面談にかかった時間はわずか1分23秒です。「こんな上司が欲しい~!」と思ってしまいます。マーガレットは、このように職場の理解と、さらには優しい夫の協力を得てオーストラリアで孤軍奮闘するのですが、妨害や脅迫もあって精神的に追い詰められてしまいます。人々の信頼を裏切ることになるのでしょうか?それとも困難を乗り越えて任務をやり遂げるのでしょうか?

児童の国家的な強制移民は1970年代まで続き、13万人が海を渡りました。中には、強制労働を強いられたり虐待を受けたりした子どもも多かったようです。歴史上の汚点として隠されてきたので、イギリス政府が正式に事実を認め謝罪をしたのは、2010年になってからのことでした。


2012年08月10日

タイトル: 映画で学ぶthere構文
投稿者: 平井大輔(近畿大学)

中学や高校で、以下のような文を学んだと思います。

(1) There is a dog in the garden. (1匹の犬が庭にいる。)
このような文を “There構文”と呼び、「存在」の意味を表す文として、英作文の勉強もした人も多いでしょう。非常によく登場するこの構文ですが、ここで使われている動詞については、あまり知られてなく、be動詞しか使えないと思っている人も多いようです。しかし、映画を見ていると (2)のような英語も出てきます。

(2) Edward: There did exist rumors of creatures in these woods.「この森には、化け物がいるっていう言い伝えがあったんだ。」<01:11:24>— The Village (2004)
ここでは、be動詞の意味に似た存在を表すexistが動詞に使われています。しかし、こればかりではありません。その他にも、(3)のような例 があります。

(3) Jack: But global warming is melting the polar ice caps and disrupting this flow. Eventually, it will shut down, and when that occurs, there goes our warm climate. 「温暖化で北極と南極の氷が溶け、海流が乱れている。いずれ、流れが止まるだろう。そうすると、温暖な気候も消えてしまう。」<00:07:03> — The Day after Tomorrow (2004)
ここでは、移動を表すgoが使われ、「消える」言う意味になっています。
ここでご紹介したように、このthere構文で使われる動詞は、be動詞ばかりではないのですね。このタイプには、大きく分けて2つあり、 exist, live, remainなどの存在を表すものと、appear, come, happen, startなどの「出現・移動」を表す動詞が使われます。

これらの構文は、be動詞を用いた場合と同様に、聞き手に対して新たな情報を提示するのが特徴です。映画を見ていると他にもさまざまな動詞が現れます。ストーリ性のある映画だからこそ、これらの構文が多く見られます。ほかにもどのような動詞が あるか、映画を見ながら探してみましょう。


2012年07月07日

タイトル: アカデミー賞のスピーチ
投稿者: 國友万裕(同志社大学 非常勤)

非常勤講師を始めて、もうすぐ20年になります。その間、ほとんど毎年、映画を教材に使ってきました。これまで様々な映画を学生と見てきたわけですが、一番学生に受ける映画と言われれば、『クレイマー、クレイマー』ということになります。これは1979年の映画ですから、学生たちが生まれる以前につくられた映画なのですが、どこの学校で見せても、学生たちは吸い込まれるように見ていますし、裁判の場面やフレンチトーストの場面などではすすり泣きが聞こえます。家族をテーマにした映画なので、若い人たちにも心に迫るものがあるのでしょうか。

いまさら説明するまでもないかもしれませんが、『クレイマー、クレイマー』は子供の養育権をめぐって離婚した両親が争う映画で、社会現象ともなりました。この年のアカデミー賞では、作品賞・監督賞の他に父親役のダスティン・ホフマンが主演男優賞、母親役のメリル・ストリープが助演女優賞を獲得しました。アカデミー賞と言えば、メリル・ストリープは、女優賞の最多ノミネート記録保持者。今年、『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』で、ついに3度目の受賞を果たしたことは記憶に新しいところです。

今年の授賞式で、壇上に上がった彼女は、“When they called my name, I had this feeling I could hear half of America going, ‘Oh no! Oh come on, why her? Again!’”(私の名前が呼ばれた時、アメリカの半分の人は、「オー、ノー、また彼女!?」と叫んでいるでしょう)とジョークを飛ばしました。『クレイマー、クレイマー』で受賞した時の彼女の第一声は、“Holy Mackerel!”(直訳すれば「聖なるサバ」ですが、「まあ、これはたいへん」という意味なのだそうです。

つくづくアカデミー賞の授賞式を見ていて感心させられるのは、ハリウッドのスターたちのスピーチの上手さ。堂々と仲間や家族への感謝の言葉を述べ、しゃれたジョーク、かすかな涙で、洗練された最高の授賞式を盛り上げます。ああいう場面を見せられると、つくづく日本人はかなわないなあと思ってしまうのです。まあ、アメリカは子供の頃から、そういう教育を受けているからなのでしょうが、こういう時に日本人とアメリカ人の文化の違いを思い知らされます。皆さんたちも、一度、じっくり授賞式を見てみるといいですね。日本人にはわからないジョークも出てきますが、アメリカを知る勉強になります。


2012年07月07日

タイトル: 家族関係と個人主義
投稿者: 北本晃治(帝塚山大学)

家族内で最も基本となるのは、「夫婦間の関係」でしょうか、それとも「親子間の関係」でしょうか。もちろん両方とも重要なのですが、文化によってその力点の置き方が異なるようです。ケストナーの名作児童文学『ふたりのロッテ』を現代風にアレンジした映画『ファミリーゲーム』では、この夫婦間の問題と親子間の問題の関連性が、西洋的な個人主義の視点から見事に描かれています。

この映画の主人公、双子のアニーとハリーは、二人の生後すぐに離婚した母(エリザベス:有名ファッションデザイナー)と父(ニック:大ブドウ園経営者)に一人ずつ引き取られ、それぞれロンドンとカリフォルニアでお互いの存在を全く知らずに育ちます。しかし11歳の時に、米国メイン州で開かれたサマーキャンプで偶然二人は出会い、事情を知った双子の姉妹が両親を再び結びつけようと奮闘するというのが、物語のあらすじです。

ここには家族の関係では、個人対個人の夫婦関係がまず大前提であり、子供との親子関係はそれに従属させられるという西洋的価値観がよく現れています。ですから、子供達も「私たちのためにもとに戻って!」などと甘いことは一切いいません。ただひたすら両親の関係性の修復へと様々な策略と努力を繰り広げていきます。

娘たちの計らいで二人きりで食事をする機会を得たニックとエリザベスは以下のような会話を展開しています。

Elizabeth: So, you’ve done fantastically well, your dream of owning your own vineyard actually came true.
Nick: Well, what about you? You were always drawing on napkins and corners of newspapers. Now, you’re this major designer.
Elizabeth: We both actually got where we wanted to go.
Nick: Yeah, it’s great.
<1:38:30>

大ブドウ園経営者と有名ファッションデザイナーになるというそれぞれの夢がかない、二人は互いがたどり着くべき場所に至った現実を讃え合います。が、それは夫婦関係を解消し、生まれたばかりの幼い双子を引き裂いてでも実現されなければならない、個に内在する自己実現の衝動だったのです。

さらに、話が別れの日の出来事に及んで、以下のような会話が続きます。

Elizabeth: We were so young and we both had tempers. We said stupid things and so I packed. Got on my very first 747 and you didn’t come after me.
Nick: I didn’t know that you wanted me to.
Elizabeth: Well, it doesn’t really matter anymore. So let’s just put a good face on for the girls and get the show on the road, huh?
Nick: Yeah, sure. Let’s.
<1:40:03>

若気の至りから言い合いになり、それが原因で家を飛び出した妻と、それを追いかけようとしなかった夫。再会して、「君が追いかけてきてほしかったなんて知らなかった」というニックに、エリザベスは「もう今さらどうでもいいじゃない」と返します。そして子供達の策略をうまくやり過ごして、それぞれの家に帰ることを確認し合います。

この後、物語は紆余曲折をへてロンドンへと帰ったエリザベスとアニーを、今度はニックとハリーがしっかりと追いかけて行って、ハッピィエンドを迎えますが、この「追いかける」という行為が可能となったのは、夫婦がそれぞれ個として満足のいく自己実現をすでに果たしていることが前提としてあるように思います。以前に経験した離婚へと発展した「短気から生じた言い合い」とは、実は夫婦間の表層の問題であり、その深層にはその後の個別の経過が物語っているように、「個人の自己実現」と「家族というユニットの維持」に関する文化的優先順位が、色濃く反映していたと考えることができるでしょう。


2012年06月08日

タイトル: ドキュメンタリー映画から学ぶ文化と英語-「ハレクリシュナ」、It’s a drag.など
投稿者: 中井英民(天理大学)

昨年(2011年)、マーティン・スコセッシ監督による元ビートルズ、ジョージ・ハリソンの記録映画、「Living In The Material World」が公開されました。この映画は彼らビートルズのリバプールなまりの英語が楽しめ、また1960s, 70sのポップカルチャーを学ぶことができる逸品だと思います。

作品では、ビートルズとして成功したジョージがお金について語ります。We found that money wasn’t the answer. We had lots of material things (中略)(and) we still lacked something. And that “something” is the thing that religion is trying to give to people.〈part1.00:51:10〉その後ジョージは物質社会に疑問を持ち、インド哲学に傾倒していきます。のちに彼はハレクリシュナ教(正式には宗教ではない)に入信し、ハレクリシュナを連呼する曲、My Sweet Lordをヒットさせます。この時代から、guru(導師)、mantra(マントラ)、karma(カルマ、業、宿命)などのヒンドゥー語源の語彙が英語に頻繁に現れるようになります。ジョージは2001年、肺がんにより58歳で死にますが、遺言により彼の遺灰はガンジス川に撒かれたようです。(昨年死去したアップルのCEO、スティーブ・ジョブズ氏の有名なスタンフォード大学卒業式でのスピーチにも、You have to trust in something — your gut, destiny, life, karma, whatever.とkarmaという語が登場しますし、大学を中退した貧しい時期には月1回、ハレクリシュナ教の寺院でただのご飯を食べるのが楽しみだったとの話も出てきます。また、その後ジョブズ氏が日本の禅に傾倒していったことからも、彼もまた、1960s, 70sの文化の中で青春を過ごしたことが伺えます。)

英語としては、この作品の中でジョージは何度となく、It’s a drag.という表現を使っています。dragとは、「つまらない(退屈な)もの(人)」、今で言う「ウザイこと(やつ)」にあたります。昨年、Lady GagaのBorn This Wayがヒットしましたが、歌詞の中の、Don’t be a drag, just be a queen.は、「ウザイやつにはなるな、クイーンになれ」のような意味ですが、drag queen(女装趣味の男性)を使った言葉遊びでもあります。(ところが我々日本語話者には、dragとdrugの/æ/と/ʌ/の区別が難しく、YouTubeで一番アクセスが多かったこの歌の日本語訳つきのサイトでも、かなり英語ができると思われる投稿者がこの部分を、「麻薬はだめよ」と誤訳しています。)

さて、It’s a drag.で思い出すのは、1988年制作のジョン・レノンの生涯を描いた記録映画、「Imagine」です。彼は、1980年、ニューヨークで撃たれて死ぬ直前のインタビューでこう答えています。

Here I am now. How are you? How’s your relationship going?(中略) Wasn’t the ’70s a drag?” Let’s try and make the ’80s good. I still believe in love, peace, (and) positive thinking.
While there’s life, there’s hope. (中略) …and I consider that my work won’t be finished until I’m dead and buried. I hope that’s a long, long time. 〈01:32:21〉
(やぁみんな、元気かい。70年代はひどかったよね。80年代はいい時代にしようよ。僕はまだ愛や平和やポジティブ・シンキングを信じているよ。僕の仕事は僕が死んで墓に入るまでは終わらないし、それはずっと、ずっと先のことだと思う。)

人の一生は分からないものです。私も今日一日を大事に生きて、学生からHe’s a drag.とは言われないように頑張りたいと思います。


2012年06月08日

タイトル: ハリウッドじゃ、女優は21歳でなきゃね。 『デブラ・ウィンガーを探して』(2003年)
投稿者: 藤倉なおこ(京都外国語大学)

タイトルは、有名なアメリカの映画評論家、ロジャー・エバートの言葉です。ハリウッドでは、女優が年齢を重ねると仕事が減ります。製作される映画は圧倒的に若い女性を出演させる映画が多いからです。シワがあるような女性をスクリーンで観たい?ということです。『デブラ・ウィンガーを探して』(2003年)は、女優のロザンナ・アークエットが自分のキャリアについて抱えている悩み、不安をほかの女優はどう考えているのかを35人の女優たちにインタビューしたドキュメンタリーです。

若い女優が好まれるのは、映画製作者が圧倒的に男性であるということも大きな原因の一つです。メラニー・フリフィスは”People started to ask me when I was like 35, ‘Are you worried that you’re not going to work anymore?’ I was like what are you talking about?”「35歳のころ、いろいろな人に『もう仕事がないかもしれないって心配にならない?』って聞かれ始めて、まったく何を言っているのよと思ったわ」と怒りを語ります<00:30:45>。アメリカは「老い」=「衰え」ととらえる傾向が顕著です。外見はもちろんのこと内面も年齢による「老い」に価値を見出すことは、非常に少ないといえるでしょう。これは、欧米の中でもアメリカに顕著な傾向です。インタビューの中でイギリス出身のトレーシー・ウルマンは、「アメリカの30代の女性がボトックス注射でシワをのばそうとすることや整形手術をすることは本当に恐ろしい」と語っています。イギリスのケイト・ウィンスレット、エマ・トンプソン、レイチェル・ワイズの3名は、「美容整形反対同盟」を組みました。彼女たちはハリウッドの女優たちが体を傷つけてまで若くみせようとすることに反対しています。アメリカのフェミニスト、ナオミ・ウルフは、その著作「美の神話」で、およそほとんどの人が成りえない基準の美しさは、アメリカの女性は自己嫌悪におちいらせ自尊心を奪い、美容整形、ダイエット産業と連動するメディアをとおして、どんどん強固なものになると書いています。

アメリカを代表するメディア産業、ハリウッド。男性が今でも圧倒的多数を占める業界で、年齢を重ねた女優は今後どうなるのでしょうか。ハリウッドの映画製作にかかわる男性たちを評したウーピー・ゴールドバーグのウィットに富んだことばが勇気を与えてくれます。 “Longevity is everything. We have outlasted most of the people that used to hire us.” 「長生きすることがすべてよ。私たちを雇ったほとんどの人たちよりも私たちはずっと長くハリウッドにいるわ。」<00:52:01>。そもそも女性の寿命は男性よりも長いのです。年齢を重ねた女性たちが、ハリウッドを動かす日がそのうちに来るのかもしれません。


2012年06月08日

タイトル:映画で学ぶ「Go+ing構文」
投稿者:中山 麻美(立命館大学 非常勤)

学校文法では、スポーツや気晴らしを目的とした「~しに行く」というイディオムは go+ing の形が用いられ、ing の部分には娯楽系の動詞がくるのが一般的であると教えられています。この規則は動詞 Go の中核的な意味から説明することができます。動詞 Go は、「(視点から)離れる」という意味です。つまり、主語が現在いる視点から離れた場所に移動することを表します。

ここでは、映画 Jack Frost 『ジャック・フロスト パパは雪だるま』(1998) <01:11:29>に出てくる以下のセリフを例に挙げ、Goの中核的な意味に迫ってみましょう。

Gabby: I’m going to go caroling with Mrs. Wilkins and some other neighbor ladies.
   「ウイルキンスさんやご近所の奥様とクリスマス・キャロルを歌いに行くのよ。」

ジャック・フロストの例でも分かるように、クリスマス・キャロル(讃美歌)を歌いに行くのは、話し手の日常的視点から離れて行う行為なので、動詞 Go と相性が良いと言えます。

反対に日常生活から離れて行わない行為、例えば cook (料理する)、study(勉強する)
などは、動詞Goの中核的な意味に合わず、go cooking や go studying などと表すことができません。

このように学校文法ではあまり教えてくれない英語学をもっと知りたい人には、『映画で学ぶ英語学』(くろしお出版)を読んでみることをお勧めします。


2012年05月05日

タイトル: 移動方向を表す単語について
投稿者: 濱上桂菜(京都外国語大学 非常勤)

up, down, in, out, across, in(to)などは、中高では副詞的な意味があると教えられる方向を示す表現です。今回は、映画“Finding Nemo”『 ファインディング・ニモ』(2003)を使ってこれらの表現の活用方法を少し考えてみましょう。方向を示す表現を使用しようとする時に、一般的な英語学習者はgoやcomeなどの単純に移動を表す動詞を最初に思い浮かべるのではないでしょうか。

(1) We go out…and back in. <00:06:41>
「出て…もう一度入る。」

しかし、方向を示す表現は、移動の様態を色濃く表す他の動詞と用いることも多々あります。

(2) Now swim up the tube and out. <00:49:58>
「じゃあ泳いでチューブを上がって、出るんだ。」

(1)の例のgoとは違い、(2)のswimの類の動詞はどのような方法で移動するのかも表し、その後に起こるupとoutがその方向性を明確に表していることがわかると思います。注目していただきたいのは、(2)では、動詞は1つですが、日本語で表現するときは、「泳いでチューブを上がる、そして泳いで出るんだ」というように、「上がる」「出る」というもう一つの動詞を補って表現する必要があります。よって、(3)の例では、日本語では次々と動詞rollを補って、方向表現を前から順番に解釈していかなければいけません。

(3) “Then we’ll roll ourselves down the counter, out the window, off the awning, into the bushes, across the street, and into the harbor!” <00:39:34>
「それから転がってカウンターから降りて、窓から出て、日よけから離れて、茂みに入り、通りを横切って、そして港に入るんだ!」

今回挙げた移動方向を表す単語はそれぞれなじみ深いものですが、英語学習者の多くの方には、移動動詞以外の動詞と組み合わせたり、副詞的表現のみを連続で使ったりする発想にはなかなか至りません。また英語と日本語では表現方法に少なからず差があることにもなかなか気がつきません。皆さんも次回から映画をご覧になるときは、ぜひ、これらの方向を表す表現がどんな風に用いられているのかチェックしてみてくださいね。


2012年05月05日

タイトル: ハリウッド映画の中の日本人
投稿者: 上田聖司(八尾翠翔高校)
 
「日本人がハリウッド映画の中でどのように描かれているか?」この問いは日本人として興味のあるところです。みなさんはハリウッド映画の中の日本人俳優というと誰を思い浮かべますか。「ラストサムライ」(2003)を皮切りに「バッドマンビギンズ」(2005)をはじめ、アカデミー賞視覚効果賞の「インセプション」(2011)にも出演している渡辺謙は最も名の知られた日本人でしょう。「ラストサムライ」で渡辺はトム・クルーズと堂々と英語で話しています。

”Many of our customs seem strange to you. The same is true of yours.”<0:43:08>
「日本人の習慣はお前には奇妙に思われるかもしれない。だが、お前たちの習慣にも同じことがあてはまる。」

”Not introducing yourself is considered extremely rude, even among enemies.” <0:43:27>
「自己紹介しないのは、非常に失礼なことと思われる、たとえ敵同士であっても…」”Nathan Algren.”「ネイサン・オルグリンだ。」

このシーンでは、当初、渡辺のゆったりした口調がオルグリン役のトム・クルーズの早口な話し方とかみ合っていないように感じられますが、最後には渡辺の答え方がトム・クルーズの速さにあってくるように仕組まれています。渡辺は、このあと、”Sayuri”(2007)(原作はArthur Golden “Memories of a Geisha)にも出演していますが、彼の英語は、タイミング、感情移入ともにすばらしい出来を見せています。

80年代にブームを起こし、最近ではウイル・スミス制作のリメイク版もあるThe Karate Kid(1984)では、日系2世のコメディアンPat Moritaがミヤギ老人という日系人を演じています。中村雅俊らが出演するアメリカ映画American Pastime(2007)でも、ミヤギ老人と同様の日系人収容所生活を経験する日系人の生活が描かれていますが、日系人たちが英語と日本語を切り替えながら話す「コード・スイッチング」と呼ばれる話し方がそのままセリフとしてでてきます。ハワイ生まれの日系人俳優Seth Sakaiとアメリカ人たちのやり取りです。

”Will you get that ball for us?”「ボールを取ってくれないか。」
”Oh, sorry. No English.”「すみません。英語わかりません。」
”Get the ball, pick it up, throw it back here.”「ボールを取って、拾い上げて、投げ返してくれよ。」
”Ano, eigo wa damedesu. kusokurae.”<0:34:05>「あのう、英語はダメです。くそくらえ。」

Seth Sakaiが演じる老人は明らかに英語が話せるのです。でも、アメリカ人のいいなりになるのがいやでわざと日本語で返事をしています。実際のコード・スイッチングは、文や単語の単位だけでなく、語幹と語尾変化の間でも見られ、詳しい研究がされています。(東 照二 「社会言語学入門」 研究社 1997)

アメリカ映画の中の日本人といえば、”Breakfast at Tiffany’s”(1961)でMickey Rooneyが演じる眼鏡に出っ歯、カメラが印象的な「ユニヨシ」がステレオタイプですが、渡辺謙やテレビドラマ”Heroes”(2006-2010)のMasi Okaの活躍で日本人がハリウッド映画で、「奇異・特異」な存在ではなく、日常的で普段の存在になってきているように思われるのです。

(参考)
– 村上由美子 「イエローフェイス」 朝日選書 1993
– 洋画・洋楽の中の変な日本人・がんばる日本人 by Mr.Yunioshi
– http://www.yunioshi.com/index.html (accessed on 30th April, 2012)


2012年05月05日

タイトル: 映画で学ぶ「コックニー」
投稿者: 田中美和子(京都ノートルダム女子大学 非常勤)

かつては粗野で無教養な印とされた「コックニー」と呼ばれる地域英語は、価値観や社会の在り方とともに変化し、新しい付加価値が与えられるようになってきました。以前、ロック歌手が意図的にコックニーで話して、あたかも労働者階級の出身のようなポーズをとっていましたし、またサッカーの花形選手が、隠そうともせずコックニーでインタヴューを受けています。近年、BBCにも標準英語を話さないアナウンサーがいるそうで、それは関西の地方局に関西弁で堂々と話すアナウンサーがいるのと、少し似ていると思います。ここでは、今でもロンドンを訪れると必ず耳にするコックニーを、昔の映画の中に見てみたいと思います。

『マイ・フェア・レディ(My Fair Lady)』(1964)は、ロンドンの街角の花売娘イライザが、ヒギンズ教授によって仕込まれてレディーになるという物語です。ヒギンズ教授は、コックニーを話すイライザに、六ヶ月で「公爵夫人として通用する英語」を身に付けさせます。では、イライザの発音矯正のため、ヒギンズ教授の授業で用いられたフレーズを、2つ取上げてみましょう。コックニーでは、[ei]の代わりに[ai]と発音します。その母音矯正の練習文です。

(1) HIGGINS: The rain in Spain stays mainly in the plain.<1:04:08> 
(ELIZA: The rine in spine sties minely in the pline.)

また、コックニーには、発音が難しい子音を、より単純な他の音に替えたり、脱落させたりする傾向があります。2つめのフレーズは、語頭の[h]の脱落を矯正するものです。イライザの台詞では、本来必要な語頭の[h]が脱落し、不必要な[h]が挿入されています。

(2) HIGGINS: In Hertford, Hereford, and Hampshire, hurricanes hardly ever happen. <1:05:03>
(ELIZA: In ’ertford, ’ereford, and ’ampshire, ’urricanes ’ardly hever ’appen.)

イライザは、息の出方をバーナーの炎の揺れで、口の形を鏡にうつして確認し、何度も反復練習をします。そして最後には、美しい英語を身につけ幸せになることが暗示されます。

方言とは面白いものだと思います。関西弁では、ペットショップの前の会話で、「あれ、ちゃうちゃうちゃう?」「え~、ちゃうちゃうちゃうんちゃう?」というのがありますが、関西出身の方は、意味がおわかりですよね。


2012年04月02日

タイトル: コメディー映画のツッコミどころ
投稿者: 成田修司(京都外国語大学他 非常勤)

アメリカのコメディー映画にはその非現実性に目を見張るものが沢山あります。もっと平たく言うと、よくぞここまで馬鹿馬鹿しい映画を作るものです。例えば『僕らのミライへ逆回転』(2008)は、レンタルビデオ店が商品のビデオを誤って全部消してしまったために、店員が自分で映画を取り直すという、いわゆる「ありえねー」設定になっています。その中でもアルファベットの特質を活かした笑いの取り方を見てみましょう。

店主のフレッチャーは留守の間、従業員のマイクに店を託します。出発の日に駅まで見送りに来たマイクに彼は、(友人の)「ジェリーを店に入れるな」と忠告するタイミングを逃します。思い出したのは列車が走り出してからです。ドア越しに声は伝わらないとわかると、水滴で曇っている窓ガラスに指でこう書きます。

KEEP JERRY OUT <0:11:25> 

ところがホームのマイクはガラスの反対側から普通に読もうとしています。我々観客のツッコミどころはここです。この場合逆方向に読まなければいけない事に、マイクが気づかないはずありません。店に戻ったマイクはフレッチャーの文字を紙に何枚も書き出しますが、PEEK YOUR EDGE TUO(お前の端も覗け)<0:11:38>等、ナンセンスな解読しかで
きません。(字幕は先に出た「ジェリー立ち入り禁止」をもじって、「リージェ・イリタ・キンタ」となっています)結局マイクは解読に失敗し、「フレッチャーは字が書けない」という結論に達します。なんでやねん!

その夜マイクとジェリーは発電所を破壊しに出かけます。フェンスにかけたハシゴを登った瞬間に警備員が巡回に来て、二人は動きを止めます。この時ツナギ服に描かれたカモフラージュの絵柄が、ハシゴ段の位置やフェンスの網目・DANGER HIGH VOLTAGEという掲示板が半分など、細部まで背景と完璧に一致します。そうです!次のツッコミどころはここです。こんなツナギを用意するには周到な下調べと、相当な手間暇が必要です。この服を用意したジェリーは「たまたま」このタイミングで見回りに見つかる事を、どうして最初から知っていたのでしょうか?

そして動きを止めている間マイクの目に「たまたま」フェンスのKEEP OUTの掲示板が入ります。そこで先程書いたメモの1枚をポケットから取り出して裏がえすと、KEEP JERRY OUT<0:15:31>と読めるではありませ んか。ここにもツッコミましょう!何で同じ単語が都合よく目の前にあるんですか?だいいち、さっき着替えた服に、どうしてこのメモが入っているんですか?しかもテキトーに何通りにも書いたのに、どうしてこの1枚はこんなに裏から読み易いんですか?それから油性ペンで書いたとして、ここまではっきり裏写りするんですか?

どうでしょうか?この映画全体に見られるこの「あり得なさ」はリアリズムの失敗ではなく、いくつ見つけられるかという観客への挑戦です。コメディー映画を語学教育の素材として見る時にセリフの表面的な意味にとらわれ過ぎて凝ったシーンを見逃す、なんてことはないようにしたいものです。実際私もこのコラムを書くため何度も見直して初めて気づいたシーンが沢山あります。ここぞという「ボケ」を見つけたら、みんなでツッコミを入れるのも映画の楽しい学習方法の一つではないでしょうか。


2012年04月02日

タイトル: ハリウッド映画で耳にするヘブライ語
投稿者: 松井夏津紀(チュラーロンコーン大学(タイ王国))

ハリウッド映画界にはユダヤ系の映画監督や俳優が多く存在します。映画やドラマでも登場人物がユダヤ系である設定はめずらしくありません(Sitcom “Friends”の主要人物6人の中でもRossとMonicaがユダヤ系という設定でした)。そのため、映画やドラマの中でユダヤ教の伝統行事であるBar mitzvah(男子が13歳になったときに行われるユダヤ教のユダヤ教の伝統行事であるBar mitzvah(男子が13歳になったときに行われるユダヤ教の成人式、女子の場合は12歳でBat mitzvahが行われる)の場面やユダヤ教の結婚式の場面が見られることもあります。欧米ではユダヤ系の人はめずらしくありませんので、自らがそうでなくても、ある程度ユダヤの文化や習慣などに馴染みがある人が多いようです。例えば、子供のころユダヤ系の友人のBar mitzvahに呼ばれたことがあるというような人もいるでしょうし、kippa(敬虔なユダヤ教徒の男性かぶる小さな帽子)をかぶっている学生を大学のキャンパスで見かけることもあるでしょう。また、クリスマスシーズンにはクリスマスではなく、Hamukkah(ハヌッカー祭)を祝うというようなユダヤ教の年中行事の存在も知っているでしょうし、humus(中東で食べられるヒヨコ豆のペースト)のような食べ物にも馴染みがあるでしょう。

登場人物にJewishが出てくる映画やドラマの中では、宗教行事の場面が出てくるだけではなく、ヘブライ語を耳にすることもあります。Bar Mitzvahやユダヤ教式の結婚式の場面で、Mazal tov! (=Mazel tov /má:zl tó:v/ Congratulationsの意)という祝いのことばを聞いたことはないでしょうか。また、乾杯のときのLehaim! (=Lechaim /ləxá:jɪm/ Cheersの意) という表現はどうでしょうか。Sabbathのようなヘブライ語からの借用語として入ってきて変化したものではなく(ヘブライ語ではתשַׁבָּ “shabbat”)、現代ヘブライ語で使用されている語彙や表現も映画で使われていることがあります。

アダム・サンドラー主演のコメディー「エージェント・ゾーハン」You Don’t Mess with the Zohan(2008)は、主人公がイスラエルの諜報員という設定ですが、この映画ではヘブライ語の単語が混じった英語やヘブライ語風にアレンジしたことばや中東アクセント風に発音された英語が満載です。

Zohan:Danny, that looks good. You’re gonna be a hit at your bar mitzvah.〈00:02:42〉

のように、bar mitzvahのような英語の辞書でも見られる語も出てきますが、次のような完全なヘブライ語も出てきています。

Zohan:It’s all b’seder. 「大丈夫だ」〈00:22:47〉

B’sederは all rightやOKという意味のヘブライ語ですが、このような簡単なヘブライ語は、「ありがとう」ということばが日本語だと認識できる欧米人がいるように、ユダヤ系の人々が身近な存在である欧米人ではb’sederがヘブライ語だと認識できる人も少なくないかもしれません。「エージェント・ゾーハン」は極端な例ですが、Jewishの文化や習慣、また英語にも入ってきているヘブライ語の多少の知識があれば、ハリウッド映画の詳細を更に楽しむことができる機会が増えるのではないでしょうか。


2012年04月02日

タイトル: 「日本語字幕翻訳と英語」
投稿者: 河野弘美(京都外国語短期大学)

『トレインスポッティング』は2008年にアカデミー監督賞を受賞したイギリス人監督ダニー・ボイルの大ヒット作品です。本作はスコットランドで破滅的な人生を送っていた若者達が方向に迷いながらも未来に向かって一歩一歩進んでいく話です。傷つきながらも成長を遂げる若者を後押しする内容のため、人生の岐路に立つイギリス人大学生の部屋には『トレインスポッティング』のポスターが今も昔もつきものです。そんな『トレインスポッティング』のオープニングを飾る主人公レントンのセリフは本作を代表するセリフで、現実逃避しながら生きている若者への強いメッセージとなっています。そのセリフを紹介しつつ、日本語字幕翻訳に隠された匠の技を2つ紹介しようと思います。

Choose life. Choose a job. Choose a career. Choose a family, choose a XXX big television, choose washing machines, cars, compact disc players, and electrical tin openers.
Choose good health, low cholesterol and dental insurance. Choose fixed-interest mortgage repayments. Choose a starter home. Choose your friends.<00:00:34>

(翻訳) 人生で何を学ぶ? 出世、家族、大型テレビ、洗濯機、車、CDプレイヤー、電動缶切り。健康、低コレステロール、医療保険、固定金利の住宅ローン、マイホーム、友達。

本作を見るたびに最初のセリフChoose life.を「人生で何を学ぶ?」とした日本語字幕翻訳家の素晴らしさに感激します。choose lifeは「人生を選ぶ」あるいは「人生は選択だ」と翻訳してしまうところですが、そこは字幕翻訳家という職業がある由縁。本作を通して「人生を理解」してゆく主人公の成長が示唆されているかのごとく意味深い翻訳になっています。
日本語字幕翻訳上のルールに1秒間4文字という一般的なルールがあります。そのルール泣かせな本作のオープニングは、短時間に多くの言葉が詰め込まれています。もちろんすべてを日本語字幕にすることは出来ません。そこで、本作ではchoose の翻訳が省かれ、a job とa career が「出世」に生まれ変わり、蔑み語と「電動缶切り」が省略され、「医療保険」の「医療」が字幕上省略されています。

上記2点以外にもまだまだ多くの字幕翻訳技術が隠されていますが、最初のわずか数十秒の間に字幕翻訳家としての腕の見せ所が多く存在する作品にであうと映画の内容以上に字幕翻訳技術も勉強でき大変得をした気分になります。


2012年03月05日

タイトル: 新しい夢物語―『魔法にかけられて』のハッピー・エンディング
投稿者: 奥村真紀(京都教育大学)

古今東西、おとぎ話は「みんな幸せに暮らしましたとさ、めでたし、めでたし」という言葉で終わります。でも、それはあくまでもおとぎ話。現実の世界は、そんなに甘くありませんよね。

美しいジゼルはおとぎの国で、一目で恋に落ちた王子様と次の朝に結婚しようと約束します。まるでおとぎ話のよう!しかし、おとぎ話の常道で、王子様には意地悪な継母がいて、彼女は魔法の井戸にジゼルを落としてしまいます。ジゼルが落ちてきたのは何と現代のニューヨーク。幸せな結婚を夢見ていたジゼルが出会う人たちは、現在のアメリカの離婚率からは当然ですが、離婚経験者や調停中のカップルばかり。ジゼルは最初、離婚と聞いて思わず泣き出してしまい、周りの人からあきれられてしまいますが、彼女の前向きな素直さや楽観主義は次第に周りの人々にいい影響を与えていきます。
一方、おとぎの国では、ジゼルを助けようとした王子様が、彼女を追いかけて井戸に飛び込んでしまいます。王子様がジゼルを見つけるかもしれないと思うと魔女はいてもたってもいられず、腹心の部下のナサニエルに、絶対に王子様にジゼルを見つけさせてはいけないと命令します。彼は次のように返事をします。

Nathaniel: He shan’t, Your Majesty! I swear it! (絶対にさせませんよ、女王様。誓います。)<0:37:23>

未来をあらわす助動詞 shall は、このように二人称・三人称を主語にすると、「私は彼(彼女、あなた)に 0させる」(否定形は「させない」)という話し手の意志をあらわす表現になります。同じ映画で、ジゼルを食べようとする怪物トロルが走っていくのを止めようとする王子様の言葉もこの使い方です。

Prince Edward: You shall not prevail, foul troll! (お前には勝たせないぞ、ずるいトロルめ!)<0:05:39>

おとぎの国でただひたすら愛を信じてきたジゼルは、現実の世界では王子様ではなく、現実主義者のロバートを愛していることに気づきます。自分の気持ちを知ったジゼルはもう、助けを待っているお姫様ではありません。魔女にさらわれたロバートのために敵に立ち向かい、彼と力を合わせて魔女をやっつける、自分の意志を持った女性になっているのです。80年以上に渡って夢物語を届けてきたディズニーは、今までのおとぎ話を適度にパロディー化しながら、このような現代の新しいヒロインを21世紀に作り出したのです。


2012年03月05日

タイトル: 映画の日本語字幕と吹き替えについて
投稿者: 佐藤弘樹(FM京都α-stationパーソナリティー・京都外国語大学 非常勤)

映画『フォレストガンプ』(1994)は、アカデミー賞の作品賞をはじめ、監督賞(ロバート・ゼメキス)、主演男優賞(トム・ハンクス)を含む6部門受賞に輝き、当時 Gumpism (フォレストガンプ的人生観)なる新語まで生まれ、本編中に何度も登場する以下の台詞は流行語になりました。

Life is like a box of chocolates. You never know what you’re going to get.
「人生はチョコレートの箱のようなもの。食べてみるまで中身はわからない」 <00:03:38 >

世の人々が、ちょうどバブル経済がはじけて、行く末を見失いかけた時にこうした映画が登場するのも単なる偶然とは思えない気もします。

さて、洋画の日本語字幕は、最初から終わりまでそれだけを読んでも内容が理解できるように作られているといわれ、必ずしも個々の英文の正確な翻訳とはいえない場面があります。この映画「フォレストガンプ」の後半で、エビ釣り漁船の船長となったフォレストをベトナム戦争時代の上官だったダン中尉が訪ねる場面が出てきます。ダン中尉はベトナムの戦場で瀕死の重傷を負いフォレストによって助け出されますが、両脚を切断し車椅子の生活を余儀なくされています。場面は船で港に戻ってきたフォレストを車椅子のダン中尉が岸で出迎えます。二人のやり取りをまずは日本語の字幕で見てみましょう。

<01:32:17>
フォレスト:「ダン小隊長! こんな所で何を!」
ダン:「海で運試しをしたくてね」
フォレスト:「脚がないのに?」

少し意味が不明瞭でしょうか。続いて日本語の吹き替えを見てみます。

フォレスト:「ダン中尉!どうしたんですか」
ダン:「いや、ちょっとデッキを歩いてみたくてね」
フォレスト:「脚がないのに歩くんですか?」

日本語字幕よりは分りやすくなりましたが、英文は以下の通りです。

Forrest : “Lieutenant Dan, What are you doing here?”
Dan : “Well, thought I’d try out my sea legs.”
Forrest : “Well, you ain’t got no legs, Lieutenant Dan.”

ここでは sea legs の訳し方がポイントになっています。sea legs は「ゆれる船内をよろけずに歩く能力」という意味から「船に慣れること」という意味です。つまりダン中尉はフォレストの船の乗組員になるために彼に会いに来たのですが、彼にはその言葉の意味がわからずlegsだけに反応してチグハグなやり取りになっているわけです。英語がわかれば映画は二倍楽しめるというわかりやすい一例でしょうか。


2012年03月05日

タイトル: インドと英文学
投稿者: 荘中孝之(京都外国語短期大学)

映画の中で詩や小説の一節が使われるのは、めずらしいことではありません。例えばピューリツァー賞にも輝いたインド系アメリカ人作家、ジュンパ・ラヒリ原作の映画『その名にちなんで』(The Namesake, 2006)には、次のような場面があります。アメリカで博士号取得を目指すインド人青年アショケとのお見合いの席で、同じくインド人のアシマは、父親に勧められて英語ができることを示すため、ある詩の一部を暗誦します。それはイギリスのロマン派詩人ウィリアム・ワーズワースの代表作、「水仙」(“The Daffodils”, 1804)の冒頭です。

I wander’d lonely as a cloud
That floats on high o’er vales and hills,
When all at once I saw a crowd,
A host of golden daffodils,〈00:08:40〉

おそらく彼女は学校で、英語や英文学の教育をしっかりと受けてきたのでしょう。しかしそこにはちょっと複雑な背景があります。

ご存知の通りインドは、20世紀半ばまで長らくイギリスの植民地でした。もちろんインド人はもともと英語が話せませんし、キリスト教徒でもありませんし、英国の風俗や習慣も知りません。そこでイギリス人は1835年、「野蛮で劣った異教徒を文明化する」ため、英語を使って英文学を学ぶことをインド人に義務付けたのです。しかしその頃、本国イギリスではまだ英文学の教育は行われていませんでした。彼ら自身が学ぶべきはギリシャやローマの古典であり、自国文学など学問に値しないと見なされていたのです。つまり英文学とは19世紀前半のインドにおいて、植民地支配の一端として誕生した学問であったのです。その後、大英帝国は人口の増大や貧困層の拡大、移民の流入といった様々な要因によってあえぐことになります。そこでようやく「イギリス生まれの野蛮人を再文明化する」ために、インドで確立した英文学がイギリスに持ち込まれることになったのです。それはインドで英文学教育が始まって以来、半世紀近く経過した頃でした。それからさらに一世紀以上たった今、映画を使って懸命に英語を学び教える我々も、また違ったかたちで植民地的構造の中に取り込まれているのでしょうか。


2012年02月07日

タイトル: need/wantの後に続く要素
投稿者: 小野隆啓(京都外国語大学)

動詞の補部(complement)、つまり目的語の位置にどのような要素が現れるかは、その動詞によって決まっています。高校の英文法で学ぶ、finishの後には動名詞(gerund)、つまり~ing形が来て、decideの後には不定詞(infinitive)が来ると習います。一般にneedやwantの後には不定詞が続くと思われていますが、~ing形が来ることがあります。しかも、単に~ing形が来るのではなく、まるで “Jane is tough to please.”「ジェーンは喜ばせるのが難しい」などの難易構文(tough-construction)のように、~ingの部分には他動詞が現れ、意味的にその目的語となる要素が、文全体の主語になるという構文があります。以下の例は、Harry Potter and the Chamber of Secretsに出てくるもので、「あの魔法の杖は取り変える必要がある」という意味です。

(1) That wand needs replacing, Mr. Weasley. <0:47:00>

主語であるthat wandはreplacingという他動詞の意味上の目的語です。まるで、replacingの目的語が移動してneedの主語になったように思わせる構文です。ですので、この構文の~ingの位置に出てくる動詞は、他動詞でなければなりません。このような構文を遡及的名詞構文(retroactive nominal)と言います。

この構文を取る動詞には、needの他に、want, use, merit, bearなどがあります。以下にその例を示します。

(2) a. My smart phone wants repairing.
  b. My room needs a thorough picking up.
  c. John could use a good looking at.
  d. These ideas merit some working on.
  e. This problem bears a good deal of thinking about.

(2b, c, d, e)などからもわかるように、この構文の~ing形は、名詞であるので、それを修飾する形容詞などが付くことができます。また、(2c, d, e)などから分かるように、前置詞の目的語が主語の位置に現れてもいいのです。難易構文とよく似た特質を持った構文です。


2012年02月07日

タイトル: 映画で学ぶ「隣接応答ペア」
投稿者: 横山仁視(京都女子大学)

英語の会話力を身につけたいと考えている学習者にとって映画のセリフは、コミュニケーション能力育成のための格好の材料と言えます。今回は、「隣接応答ペア(adjacency pair)」に着目してみましょう。これは対話を成立させている組合せの最小単位を表し、一般的に連続(隣接)して起こる一対の対話のことを指します。

映画のセリフを見ていると、私たちが中学・高校で学習した形式的な応答の仕方とは異なった表現に出会うことがよくあります。実際のコミュニケーションのやり取りにおいては、必ずしも私たちが学校で習った言い回しが使用されるとは限りません。逆の見方をすれば、相手の表現に対してこういう返答もあるのだという表現の豊かさを映画のセリフは教えてくれます。つまり、対話を成立させるための術(バリエーション)が隠されているのです。次の『ユー・ガット・メール』(1998)の台詞(1)(2)(3)のA-Bは一対のペアであり、対話の最小単位を作っています。

(1) A: My dad gets me all the books I want.(欲しい本はパパが全て買ってくれるの)
  B: Well, that’s very nice of him.(優しいパパね) <00:25:30>
(2) A: Do you still want to meet me?(今でも私に会ってみたいと思ってる?)
  B: I would love to meet you. Where? When?(ぜひ会いたいよ。それで、どこで、いつ?)<00:57:55>
(3) A: And I’m so honored that you’d want to be with me because you would never be with anyone who wasn’t truly worthy.(こんな僕を選んで付き合ってくれて光栄に思う。だって君はつまらない人間は相手にしない人だから)
  B: I feel exactly the same way.(そんな、私のほうこそ光栄に思ってる)<01:20:55>

AとBの話者が隣接応答ペアのルールを守りながら、会話が一定の方向へと進展するためにお互いが協力していることがわかります。別の見方をすれば、一定の会話が成立するには、話し手と聞き手がお互いに協力し合うことが必要であり、そこには会話が成立するために隣接応答ペアという最小単位が存在しなければならないとも言えるかもしれません。

映画のセリフを通じて、相手のセリフにはYes / Noやuh-huhだけではなく、会話が次へとつながるように、短くても文章で返答できる会話力を身につけたいですね。


2012年02月07日

タイトル: 映画『カーズ』
投稿者: 藤本幸治(京都外国語大学)
 
本作品は、うぬぼれ屋の天才レーサーが田舎町での暮らしを通して、愛や友情の大切さに気づく様を描いたアニメーション。擬人化された車のキャラクターたちが活躍します。

近年、若者に車が売れないそうですね。公共交通機関が発達した日本では当然の事かもしれません。もちろん、憧れるような車を作れないメーカーにも問題があると思います。フェラーリやポルシェは、すぐには買えなくても「いつかはきっと」という夢を持たせてくれた時代が、かつてはありました。

この映画では、レーシングカーのマックィーンですら、”Holy Porsche!! She’s gotta be from my attorney’s office.”<00:33:43> と言って、サリー(ボルシェ911 カレラ)には感嘆します。(ポルシェは日本では医者の車のイメージという日米の差を示すおもしろい台詞ですね。)サリーも劇中で自らをこう讃えます。I create feelings in others they themselves don’t understand.”<01:47:30> (they以下の節は、feelingsを修飾するのでしょうか、あるいはothersなのでしょうか?!)

子どもの頃に憧れたミニカーも大人になると、どんどんとその憧れが消え失せていきます。夢を見る事の大切さを伝えるからこそ、Disneyの映画はかくも広く、世界中の多くの人々に愛されているのだと思います。

便利さだけでは、人は幸せになれない。それと引き換えに大切な何かをあなたは失っていませんか。映画『カーズ』はそんな問いを私たちに投げかけています。

”Spero che il tuo amico si riprenda. Mi dicono che siete fantastici.”
(I hope that your friend recovers. I was told that you are fantastic)<01:46:50>

フェラーリにこう言われてはたまりませんね。Luigi と Guido のリアクションも最高です(笑)!いや~、わかるなあ、その気持ち。


2012年01月01日

タイトル: 文末焦点と句動詞の語順
投稿者: 倉田 誠(京都外国語大学)

「文末焦点の原則」とは、情報的にウェイトを持つ要素を文末に置く操作を指します。この操作は句動詞のような目的語と不変化詞(副詞)の語順が入れ替え可能な表現にも頻繁に見られるものですが、注意が必要な点もあります。
(1a)と(1b)の2つの文は学校文法では同じ意味と教えられますが、実は(1a)は文末にあるa flowerに焦点があり、(1b)は不変化詞のbackに焦点があるという意味で違いがあります。この焦点化された語句の違いにより、その前後の文の適格性に差が生じる場合も多々あります。

(1) a. Max brought back a flower. 「マックスは一輪の花を持って帰ってきた」
  b. Max brought a flower back.
(2) a. *Max brought back it.  (*は不適格な文を指す)
  b. Max brought it back.

例えば、直後に“Oh, yes, I know which one it was.”という花に言及する返答をスムースにつなげられるのは、(1a)のみとなり、不変化詞backに焦点がある(1b)につなげると違和感を残します。また(2)は花を代名詞のitに置き換えたものですが、(2a)の文が不適格なのは、文末の位置に情報価値が低いとされる代名詞のitが来ているからです。このような句動詞の文末焦点の例は、映画でも多く見られ、基本的に例文(1)と(2)同様の原則に沿っています。下記は『レインマン』“Rain Man”(1988)からのセリフです。

Charlie: It’s not important. What matters is who I’m with.「場所なんてどうでもいい。誰といるかが問題だ。」
Dr. Bruner: You have to bring him back, Mr. Babbit. Do you understand me?「バビットさん、彼を連れて帰ってきなさい。わかったかね?」<00:40:38>

太字下線の動詞(bring)+代名詞(him)+不変化詞(back)という語順が示すように、情報価値の高くない代名詞には焦点はなく、不変化詞backにあるのが理解できますね。ただし、この原則には次のような反例のように思えるものもあります。『A.I.』“Artificial Intelligence”(2001)からの動詞(bring)+不変化詞(back)+代名詞(her)という興味深い例です。

Blue Fairy: Dearest David, when you are lonely, we can bring back other people from your time in the past.「デビット、寂しい時には、過去からお母さん以外の人を甦らせてあげますね。」
David: If you can bring back other people, why can’t you bring back her?「他の人を生き返らせることができるのに、なぜママだけはダメなんだ!」<02:05:30>

上記の(2a)の例と矛盾しているようですが、文末の代名詞のher(母を指す)に並々ならぬ強勢を置いていることがわかりますので、是非DVDをご確認ください。
句動詞の文末焦点の結論としては、音声的に強勢を置くことで、通常は情報価値が低いはずの代名詞であってもその情報価値は上がり、例外的に文末焦点の位置に持ってくることができるのですね。


2012年01月01日

タイトル: son of a bitch の複数形
投稿者: 井村誠(大阪工業大学)

スウェアリング(罵り言葉)のひとつであるson of a bitchは、文字どおりには「淫乱な女(メス犬)の息子」という意味ですが、「最低な野郎」のような意味の名詞、あるいは腹立ちまぎれに「ちくしょう!」と叫ぶときの間投詞として、映画ではかなりよく耳にする言葉です。さて、この言葉の複数形はどうなるのでしょうか?次はThe Rainmaker(パラマウント1997)からの一節です。

Rudy: The insurance company made an offer to settle.
Mrs. Black: What kind of offer?
Rudy: $75,000. They figure that’s what it’s going to cost to pay their lawyers to defend the case.
Mrs. Black: Oh, son-of-a-bitches think that they can just buy us off huh?
Rudy: That’s exactly what they think.
<00:47:43>

保険金が支払われなかったために充分な治療ができず、息子を白血病で失ったMrs. Blackは、保険会社を訴えます。弁護士のRudy(マット・ディモン)は、保険会社が示談に持ち込もうとしていることを告げますが、それに対してMrs. Blackは、「あの連中は、私達を買収できると思ってるのね」と答えます。ご覧のとおり son of a bitch の複数形は sons of a bitch でも、sons of bitches でもなく、son-of-a-bitches となっています。ひとかたまりの語句ですから、ハイフンでつなげて語尾に-sが着くわけですが、その前に不定冠詞の a があるので面白い語形になっています。(なお、同じ映画の中で sons of bitches という形も使われています。)

これに関連して面白いのが、ジョニー・ディップの出世作でもあるEdward Scissorhands(20世紀フォックス 1990)です。ハサミ(scissors)は通常複数形で用いますが、シザーハンズという名前の中では単数形になっています。複合語の中で単位が単数形で用いられることにも似ていますね(例:an 828 meter building)。

タブー語や罵り言葉の語法について興味のある方は、『英語のスウェアリング』(高増名代著 開拓社 2000)や『思考する言語(下)』(S. ピンカー著、幾島幸子・桜内篤子訳 NHKブックス 2009)などをご参照下さい。