2010年

【投稿一覧】
2010年12月28日
「『シェーン』の名台詞を味わう」藤枝善之
2010年12月03日
「本当の主語は?」平井大輔
2010年12月03日
「マリアンの心理を読み解く未来進行形-『シェーン』(1953)」横山仁視
2010年11月12日
「英語に『班長』が使われる!?」倉田誠
2010年10月17日
「人生の楽しみ方―”Summertime”『旅情』(1955)と”Eat, Pray, Love”『食べて、祈って、恋をして』(2010)」田中美和子
2010年10月13日
「シェーンは死んだのか?」藤枝 善之
2010年08月26日
「Dyslexia(難読症)を知っていますか? In Her Shoes(『イン・ハー・シューズ』、2005)とThe Reader(『愛を読む人』、2008)」中井英民
2010年08月04日
「映画は時代と供に」佐藤弘樹
2010年07月20日
「頭韻は文学のみの技巧ではない!」倉田誠
2010年06月30日
「イギリスから見たアメリカ–『ムッソリーニとお茶を』(Tea with Mussolini、1998米)」西川眞由美
2010年05月01日
 「トスカーナの休日 ―新しい「家族」のかたち―」藤倉なおこ
2010年03月22日
 「The Pursuit of Happyness(『幸せのちから』)にみるアメリカ」近藤暁子
2010年02月13日
「意味解釈における文脈と文化」北本 晃治(帝塚山大学)
2010年01月24日
「What’s X doing here? 言外の意味しかない構文的イディオム」倉田誠


 2010年12月28日

タイトル: 「『シェーン』の名台詞を味わう」
投稿者:藤枝善之(京都外国語短期大学)

映画『シェーン』は、”Shane! Come back!”のセリフで有名な西部劇の名作です。その対訳本(ATEM関西支部の有志が訳と解説を担当)が、先日スクリーンプレイから出版されました。ここでは、その中に出てくる名台詞の一つを味わってみることにしましょう。

ワイオミングの山裾の荒野を馬で旅する男、シェーン。彼はある農地を横切ろうとしてそこで生活するジョー・スターレットとその妻マリアン、息子のジョーイと知り合います。スターレット一家と開墾に従事する他の入植者たちは、大規模な牧場を経営するライカー兄弟とその手下から様々な嫌がらせを受けていました。シェーンは請われるままに、しばらくスターレット家に滞在して農作業を手伝うことになります。ある日、シェーンが銃の扱い方をジョーイに教えていると、銃声を聞きつけたマリアンがやってきて非難します。それに対してシェーンは、

SHANE: A gun is a tool, Marian. No better and worse than any other tool, an axe, a shovel, or anything. A gun is as good or as bad as the man using it.(銃はただの道具だよ、マリアン。斧やシャベルなんかと同じだ。使う人によって良くも悪くもなる)

マリアンは、”We’d all be much better off if there wasn’t a single gun left in this valley, including yours.”(あなたのものを含めて、もし銃が一つもなければ、この土地はもっと暮らしやすくなるでしょうに)と言うほど徹底した平和主義者なのですが、暴力を使って開拓農民を追い出そうとするライカー兄弟の企みに対してはなす術がありません。結局は、彼女が望む平和を実現するためにシェーンの暴力が必要になります。自らの危険を顧みず、ライカー兄弟と対決して射殺したシェーンのおかげで、開拓村の平和が確保されるのです。すなわち平和は、自らを犠牲にするヒーローの正当な暴力によって獲得されるわけです。銃と暴力とヒーローに対するアメリカ人の考え方が垣間見えるシーンではないでしょうか。


2010年12月03日

タイトル:「本当の主語は?」
投稿者:平井大輔(近畿大学)

映画『ハリー・ポッターと賢者の石』(2001)に以下のようなセリフが出てきます。

(1) Oliver: Quidditch is easy enough to understand. <01:03:44>

このセリフは、ハリー・ポッターにQuidditchという競技の説明をしてる時に出てくるもので、「クイディッチのルールは分かりやすい」という意味で使われています。しかし、この英文の主語は何でしょうか? 英文をみれば、Quidditchであることは簡単に分かるのですが、意味をよく考えてみると本当にそうでしょうか? 意味上では、Quidditchは、不定詞節内の他動詞understandの目的語であり、(2)のような文とほぼ同じになります。

(2) It is easy enough to understand Quidditch.

つまり、「Quidditchが簡単」なのではなく、「Quidditchを理解することが簡単」なのです。このような文の形容詞には、難易を表す形容詞や快・不快を表す形容詞が現れ、難易構文(tough-construction)と呼ばれ、ちょっと特殊な構文なのです。

さらに、『エターナル・サンシャイン』(2004)ではこの構文に似た文で、(3)のような文もあります。

(3) Mary: That was beautiful to watch, Howard, like a surgeon or a concert pianist or something.(鮮やかな手さばきね。外科医とか、ピアニストみたい。)<01:09:24>

この場合、beautifulなのは英文の主語である”That”で、(2)のようにitを主語にした文には書き換えられません。このような構文には、話し手の主観をあらわす形容詞が現れます。映画には、このような構文が多く出てきます。


2010年12月03日

タイトル: 「マリアンの心理を読み解く未来進行形-『シェーン』(1953)」
投稿者:横山仁視(京都女子大学)

この映画の舞台は緑麗しいワイオミングの高原です。ジョー・スターレットは仲間世帯とともに開拓農民として妻マリアンと息子ジョーイの3人で暮らしています。ある日、旅人シェーンがこの地を訪れ、一家の元で生活を始めることに。そして、かねてより利害の反する牧畜業者ライカーとその一味たちとの間で繰り返される土地をめぐるもめごとに巻き込まれていきます。

次はマリアンが夫のジョーに言ったセリフです。難解な語彙もなく、日常的にごく普通に使われる表現です。しかし、マリアンがこのセリフをどんな気持ちをこめて発話したのかを考えると、彼女の心の内を覗いてみたくなります。

MARIAN: Joe…Hold me. Don’t say anything. Just hold me tight.(ジョー、私を抱きしめて。何も言わずに、強く抱きしめて。)<00:47:40>

この場面は、シェーンとジョーがグラフトンの酒場でライカーの手下たちを相手に大暴れをした後、家に戻り傷の手当てをマリアンにしてもらっているシーンに続いています。マリアンはシェーンに対する気持ちの高まりを断ち切るかのように、寝室から様子を見に出てきた夫のジョーに「何も言わず、強く抱きしめて。」と言います。一人息子のジョーイは「母さん、僕、シェーンのことが好きなんだ。シェーンのことが父さんと同じくらい好きなんだ。いいよね。」と子供らしい素直な純真な気持ちを母マリアンに打ち明けます。こうした純朴な気持ちを伝えることができる子供らしさとは対照的に、大人として、それも夫をもつ身として理性を保とうとする毅然としたマリアンの切ない気持ちが伝わってくる場面です。「私が愛してるのはジョー、あなただけよ、愛してるわ。」と言わんばかりに、シェーンに惹かれる心の揺れを断ち切るために、夫への愛を自らに言い聞かせる手段としてこのセリフが代弁していると言えるのではないでしょうか。マリアンのシェーンへの気持ちを表しているセリフはこのシーンに始まったことではありません。それは次のセリフにも表れています。

MARIAN: He’ll be moving on one day, Joey. You’ll be upset, if you get to liking him too much.(ジョーイ、シェーンはこの土地からいなくなる人なの。シェーンのことが好きになったら、別れが辛くなるだけよ。)<00:30:05>

実は、このセリフは「ジョーイ、シェーンのことをあまり好きにならないでね。」と母マリアンが息子のジョーに諭している場面に続いています。シェーンは近い未来にこの土地を離れて行く人。それは彼の意志ではなく何らかの都合で。そう思いたいマリアンの気持ちを自ら無意識に使い分けた未来進行形と単純未来形が彼女の辛い心理面を表している場面です。ジョーイへの忠告が実は自分自身への警告でもあったのかもしれません。

ATEM関西支部有志執筆による名作映画完全セリフ集『シェーン』(2010年11月30日発売、株式会社フォーイン、スクリーンプレイ事業部)が発売されました。是非、上記シーンを映像と音声を通してマリアンの心の内を読み取ってみてください。


2010年11月12日

タイトル:「英語に『班長』が使われる!?」
投稿者:倉田誠(京都外国語大学)

普段の日常生活にあふれるカタカナ英語を見ていると、英語が一方的に日本に流入しているような印象を受けますが、逆に英語化している日本語も少なくありません。sushi(寿司), sumo(相撲),geisha(芸者)など日本の文化を代表するような語句はもちろん,Sony(ソニー),Toyota(トヨタ),Nintendo(任天堂)のような国際的な日本企業名も英語でそのまま使われています。また、意外な単語が借用語として英語に受け入れられているケースも少なからずあります。中でも興味深い例の1つとして”Dinosaur” 『ダイナソー』(2000)<00:29:32>で見られる次のセリフに注目してみましょう。Eema: Kron, the herd’s head honcho.「クローンさ、この群れのリーダーなの」このセリフでは草食恐竜の群れを率いるリーダーのことを「班長」と呼んでいます。おもしろいですね。スペリングは米語的にアレンジされていますが、まぎれもなく、あの「班長」なのです。このhoncho という借用語は、何も珍しい表現ではなく、”24 Season 5 Episode 10″(2006)<00:38:17> でも、Christopher: So who is the honcho over at CTU now?(現在のCTU のキャップは誰だ)のように使われています。

皆さんも英語のleader, head, captain, chairperson, boss, president等の単語の同義語として、このhonchoを加えてお使いください。

ATEM関西支部は執筆活動が盛んな支部です。上記のコラムは、2010年12月刊行予定の『映画で学ぶ英語学』(くろしお出版:倉田誠監修)の中に掲載されている囲み記事”That’s a Take!”の一部を修正加筆したものです。ちなみに、この囲み記事は、ATEM関西支部の新役員でもある山本五郎先生と倉田の共同執筆です。


2010年10月17日

タイトル:「人生の楽しみ方―”Summertime”『旅情』(1955)と”Eat, Pray, Love”『食べて、祈って、恋をして』(2010)」
投稿者:田中美和子(京都ノートルダム女子大学・非, 京都橘大学・非)

『旅情』は、キャサリン・ヘップバーン演じる独身のアメリカ人女性ジェーンが、イタリアのヴェネチアで、骨董屋の主人レナートと恋に落ちる話です。一番の見所は、ヘップバーンの演技の絶妙さでしょう。真面目で、プロテスタント的なジェーンは、男性と話す時は、とても不器用な様子で、見ている側の笑いを誘います。でも、恋が始まってからは、美しく輝きだし、まるで別人のようです。ペンションの女主人フィオリーニは言います。

フィオリーニ: In Italy, you sit down to eat, and you eat a meal. In Paris, you sit down and what do you eat? A sauce. And in America, Mr. Bac, Mac, whatever it is, he sits down and what does he eat? Pills, only pills.(イタリアでは本物の食事ができるわ。フランスはソース。アメリカでは、錠剤だけでしょ。)<00:18:47>

つまり、食べることは生きることなのですから。栄養剤だけではつまらない。人生の楽しみ方についてのイタリア人からアメリカ人へのメッセージです。

『食べて、祈って、恋をして』(2010)でも同じです。ニューヨークに住むバツイチのリズは、イタリア・インド・インドネシアへと旅行をします。健康な食欲を失っていたリズは、かの地イタリアではみごとに食べ物と恋に落ちます。美味しそうなナポリのピザをぺロリと食べ、”I ‘m having a relationship with my pizza.”(ピザと付き合っているの)と言い放つシーンは圧巻です。アメリカ人は、50年たっても、人生の楽しみ方はイタリアで学びたいようです。


2010年10月13日

タイトル:「シェーンは死んだのか?」
投稿者:藤枝善之(京都外国語短期大学)

シェーンとライカ一味との対決場面ではほとんど傷らしい傷も受けずにシェーンが勝利し、ジョーイ少年に別れを告げて馬で悠然と去っていく-これが映画『シェーン』のラストシーンを観た筆者の最初の印象でした。しかし、西部劇ファンの間では「シェーンは深手を負っている」との説が以前から囁かれていたようです。某雑誌によると、映画評論家の白井佳夫氏はその説を友人の脚本家、倉本聡氏から聞き、1983年夏に「シェーン」のビデオが発売されるやいなや、問題の場面を何度もチェックしたそうです。その結果、 映画を観た時には見逃していた以下の事実が分かったと言います。「この決闘でシェーンが左肩の、それも心臓に近い部分を撃たれたのは確かです。 というのは、この後でジョーイ少年が『血が出てる。 けがをしたんだね』という場面が出て来るんです」「ラストシーンを子細に見ると、シェーンの左手がだらりと下がり、深手を負った様子がよくわかる。 おまけにシェーンが向かって行く先は、画面を止めてみると、十字架の並んだ墓地なんです」。この白井説を一歩進める形で展開しているのが、映画『交渉人』の主人公クリスです。彼は、シェーンが馬に乗って山に向かう時にはすでに死んでいる。シェーンが馬上で前屈みになって、ジョーイの呼び声にも振り返らないのがその証拠だ、と言います。さて、シェーンはライカ一味とのガンファイトで撃たれたのでしょうか?そして、馬上のシェーンは本当に死んでいるのでしょうか? このシーンのシナリオを見てみると、「シェーン、危ない!」とジョーイが叫んだ後、”Shane turns quickly, ducks behind the bar and shoots Morgan who falls through the rafters to the saloon floor. Shane walks out of the bar.”とあり、シェーンが撃たれたとは書いていません。しかしその後、ジョーイが “It’s bloody! You’re hurt!”と言っているので、シェーンはどこか撃たれたのでしょう。しかし、撃たれた部位は白石が主張する左肩ではなく、腹部だと思われます。映画では一瞬、敵に撃たれたシェーンが腹を押さえて前のめりになるシーンが映るのです。しかも原作には、”I noticed on the dark brown of his shirt, low and just above the belt to one side of the buckle, the darker spot gradually widening.”「ベルトの留め金の上横にある点、彼のシャツの焦げ茶色よりもっと濃いシミがだんだん拡がっていくのに僕は気づいた」”The stain on his shirt was bigger now, spreading fanlike above the belt, . . .”「今や彼のシャツに付いたシミは、ベルトの上の所で扇のように拡がってさらに大きくなっていた」と書かれているので、間違いないでしょう。では、馬上のシェーンは生きているのか、死んでいるのか? これは明確な手がかりがないので、観る人の想像に任せるしかないようです。


2010年08月26日

タイトル:「Dyslexia(難読症)を知っていますか? In Her Shoes(『イン・ハー・シューズ』、2005)とThe Reader(『愛を読む人』、2008)」
投稿者:中井英民(天理大学)

米国Time誌(2003年9月8日号)のカバーストーリー、「Dyslexia(難読症)を乗り越える - ようやく科学が解明したこと」から、Dyslexiaについて驚愕の事実を知りました。本誌によると、一部の人たちの脳では、文字→音韻転換→単語認識→自動化→文の意味理解、というプロセスがうまく働かないことからDyslexiaがおこるそうです。英語のような綴りと発音が一致しない言語では極めて顕著で、なんとアメリカの小学生の最大20%がDyslexiaであると報じています。日本の場合は「カナ」という音韻とほぼ一致する音節文字があるおかげで、Dyslexiaの率は小学生の1%程度だと紹介しています。Dyslexiaは知能と関係がなく芸術的な才能を持つ人に多くいるそうで、例えばDyslexiaを克服したトム・クルーズがDyslexiaの子どもたちの支援活動をしていることは有名です。

さて、映画『イン・ハー・シューズ』は、弁護士をする賢いけれど生きるのが不器用な姉(トニー・コレット)と自由奔放だけれど頭が悪く社会の落ちこぼれの妹(キャメロン・ディアス)の和解の物語です。また生きることが難しい違ったタイプの二人が、それぞれの幸せを見つけていく物語です。この映画を観るときDyslexiaのことが分かっていなければ、苦悩する妹マギーの心情を本当に理解することはできないでしょう。マギーは姉と喧嘩して家出し、それまで存在を知らなかった祖母の働く養老院に転がり込み、そこで退職した盲目の大学教授にDyslexiaであることを見破られます。彼から読むことを学んだマギーは、自信にあふれた新しい自分へと再生していきます。

老人: …, you might as well read to me.((それなら)私に本を読んでくれ)
マギー: I’m kind of a slow reader.(読むのが遅いの)
老人: Perfect. I’m a slow listener.(構わん。私は聞くのが遅い)
マギー: (読み始める)The …art …of …losing …(あきらめて)You know, I should just get back to work. (仕事があるから)
老人:What is it, dyslexia?((どうしたんだ)読書障害か?)<01:13:25>
(訳は字幕のまま。カッコ内は投稿者加筆)

第81回アカデミー賞(2009年)で主演女優賞を受賞したケイト・ウインスレットが出演した『愛を読む人』でも、Dyslexiaは物語の中心となるテーマでした。第二次大戦直後のドイツで、15歳のマイケルは年上のハンナと恋に落ち情事を重ねます。8年後、法学生となったマイケルが傍聴した裁判で見たのは、戦時中ナチスに加担した罪を問われるハンナでした。彼女は自分の「秘密」を隠し通すため、罪を認めてしまうのです。文字が読めないことがいかに大変なことで、その「障害」に苦しむ人が多く存在することを知れば、これらの映画をより深く鑑賞することができるでしょう。


2010年08月04日

タイトル:「映画は時代と供に」
投稿者:佐藤弘樹(FM京都α-stationパーソナリティー、京都外国語大学(非)

映画『ランボー/最後の戦場』には次のセリフが出てきます。

John Rambo : Live for nothing, or die for something. Your call. (無駄に生きるか、何かのために死ぬか。お前が決めろ。) <00:48:35>

シルベスター・スタローン主演の1982年『ランボー』は、1985年の『ランボー/怒りの脱出』、1988年の『ランボー/怒りのアフガン』、2008年『ランボー/最後の戦場』まで合わせて4作作られましたが、このシリーズは映画が世の風潮を受けて作られ、実社会の反映であることを証明しています。

最新作「ランボー/最後の戦場」が、娯楽映画としては描写がリアルすぎるのも、イラクやアフガニスタンでの対テロ戦争を遂行するアメリカ国民が、戦争を悲惨な現実として捉えていることに他ならないと思います。

第1作の『ランボー』」の原作はデヴィッド・マレルの小説『一人だけの軍隊(First blood)』です。原題のFirstは第一級、bloodは兵士を意味し、映画中では”draw first blood”「相手に先に出血させる」というランボーのセリフがあります。

当時のベトナム帰還兵に冷たいアメリカ社会への警鐘と言う社会的メッセージを込めて作られましたが、興行的には中規模のヒットに終わり、以降非現実的な超人が大暴れする漫画的な作風へと変わっていきます。

最新作『ランボー/最後の戦場』はミャンマーMyanmarが舞台になっていますが、映画の中ではビルマBurmaという旧国名が使われます。つまり現軍事政権を認めない立場を映画の中で表明しているわけです。日本政府はいち早く軍政を承認しましたが、国の呼び名一つをとってもYour call(お前の決断)であるわけです。


2010年07月20日

タイトル:「頭韻は文学のみの技巧ではない!」
投稿者:倉田誠(京都外国語大学)

頭韻(alliteration)という技巧は文学や詩の世界のみではなく、私たちの身の回りに散在しています。同じ音を一定間隔で連続させると、口調の良さと耳触りの良さが生まれ、聞き手の記憶に残す効果があります。ディズニーキャラクターのMickey Mouse & Minnie MouseやDonald Duck & Daisy Duckはその好例ですし、PCのCMコピーの”Intel Inside”や”Kit Kat”というチョコレートの名前は頭から離れませんね。また、ことわざの”Money makes the mare to go.”「地獄の沙汰も金次第。」や”It takes two ttango.”「喧嘩両成敗」を始め、金言といわれる表現には頭韻を使ったものが多いのです。

この頭韻の技巧は、英語の直喩表現にも少なからず使われています。その一例を下記の映画のセリフで観察してみましょう。”Patch Adams”『パッチ・アダムス』(1998)では、主人公が天使の恰好で、ある入院患者の前に登場するシーンがあります。患者の前で「死」に関する語句を羅列し、最後に直喩表現でしめます。直喩表現以外の単語も見事なくらいに、全てが「d音」で統一されています。Patch Adams: “…deceased, demised, departed and defunct. Dead as a doornail.”「没する。隠れる。他界する。死滅する。つまり、不帰の客となる。」<00:50:57>

dead as a doornail以外でも、blind as a bat「よく見えていない」、cool as a cucumber「とても冷静な」、 fit as a fiddle「ピンピンとした」、good as gold「とても親切な」、green as grass「鮮やかな緑の」、 mad as a March hare「とても乱暴な」なども全て映画のセリフとして確認されている直喩表現です(ATEM関西支部映画英語データベース)。皆さんも英会話で上記のような直喩表現を使えたら、proud as a peacock「とても誇らしげな気持ち」になれますよね。

2010年9月25日(土)に開催されるATEM関西支部大会(於:近畿大学)では、このような「映画と英語学」のインターフェースのみならず、「映画と文化」についても様々な興味深い情報を入手できます。乞うご期待!


2010年06月30日

タイトル:「イギリスから見たアメリカ–『ムッソリーニとお茶を』(Tea with Mussolini、1998米)」
投稿者:西川眞由美(摂南大学)

第二次世界大戦前夜のフィレンチェが舞台のこの映画は、マギー・スミスやジュディ・デンチなど女優陣の豪華さとフランコ・ゼフィレッリ監督が作り出す映像の美しさで私たちを魅了してくれます。また私生児ルカと彼を深い愛情と教養を持って育てる英国婦人達の心温まる物語としても名作ですが、イギリス人のアメリカに対する複雑な思いも垣間見ることができます。

例えば、戸外でアフタヌーンティーをしているときに、富豪のアメリカ女性のエルサが豪華な車で現れると、元英国大使の未亡人へスターは、 “Americans.”(アメリカン人め)<00:21:31>と言ってため息をつきます。また、エルサが幼いルカに大きなクリームパフェを食べさせているのを見て、”Look at that ridiculous American monstrosity they’ve given the child. . . They can even vulgarize ice cream.”(なんて巨大なものを子供に与えるのかしら. . . アイスクリームまで俗悪化してしまうのね)<00:24:04>と非難するのです。

一方で、収容所のラジオからアメリカ参戦のアナウンスが聞こえた瞬間、彼女達は肩を抱き合って喜び、安堵します。「これで大丈夫、アメリカが救ってくれるわ!」と言わんばかりに。その後、近くのホテルに移った彼女らは自分達のホテル代を払ってくれているのはエルサであることを知ります。私生児ルカの養育費を払っているのも、実はエルサだったのです。

度重なる大戦の後、大英帝国として世界を君臨したイギリスが、圧倒的な経済力を誇るアメリカに覇者の座を譲りました。その若く稚拙な文化を軽蔑しながらも、エネルギーに満ち溢れた新しい強大国アメリカの力を頼らざるを得ない複雑な気持ちを、素敵なLady達が英国の誇りとともに見事に見せてくれる映画です。


2010年05月01日

タイトル:「トスカーナの休日 ―新しい「家族」のかたち―」
投稿者:藤倉なおこ(京都外国語短期大学)

この映画の原作「イタリア・トスカーナの休日」は、ダイアン・レイン演じる主人公のフランシスが、イタリアで築いた新しい「家族」にささえられながら離婚の傷心から立ち直る物語です。

作家のフランシスは、夫の浮気が原因で離婚します。「いつかまたきっと幸せになれるよ。」という弁護士の言葉など耳に入りません。彼女を見かねた親友パティは、自分とレズビアンのパートナーが行くはずだったトスカーナ行きのチケットを譲ってくれます。そしてフランシスはトスカーナで築300年の家を衝動買いするのです。この家で結婚式をしたい!この家に家族が欲しい!という彼女。家の改修に来たポーランド移民の個性派ぞろいの3人組。工事の合間、フランシスは彼らに腕によりをかけて手作りの料理をふるまい、家族のように大きなテーブルを囲みます。隣の大家族はオリーブの収穫に彼女を招待し家族同然に食卓に受け入れます。彼女のすさんだ心は癒されていきます。

そこに妊娠したパティが現れます。人工受精で妊娠したものの結局、パートナーに去られてしまったのでした。パティ、赤ちゃん、フランシスと一緒に暮らし始めます。

一方、改修に来た内の一人は隣の娘と恋に落ちるのですが、彼女の親に移民で家族がいないような男に娘はやれないと結婚を猛反対されます。するとフランシスは、”I’m his family!”と誇らしげに父親の前で宣言します。少年はフランシスの家で盛大な結婚式を挙げます。

家族とはいったいなんでしょうか。”family”の語源はラテン語の”familia”(家の使用人)です。一緒に暮らす者という意味で、そもそも血縁関係はありませんでした。この映画は、必ずしも血縁で結ばれていなくても、そこには家族のような関係が存在しうるということ、新しい「家族」のかたちを教えてくれます。


2010年03月22日

タイトル:「The Pursuit of Happyness(『幸せのちから』)にみるアメリカ」
投稿者:近藤暁子(奈良工業高等専門学校)

実在の人物をもとに描かれたこの映画の主人公クリスはホームレスから投資会社を立ち上げ億万長者になるという、アメリカンドリームを実現しました。彼を成功に導いた最大の理由は、どんなに絶望的な状況にあっても、死に物狂いで努力したこと、自分の可能性を信じたこと、これにつきます。

タイトルのThe Pursuit of Happynessはアメリカ独立宣言の「The pursuit of happiness(幸福の追求)」のもじりで、それが示されているクリスのつぶやきに以下があります。

“It was right then that I started thinking about Thomas Jefferson on the Declaration of Independence and the part about our right to life, liberty, and the pursuit of happiness. And I remember thinking, how did he know to put the pursuit part in there? That maybe happiness is something that we can only pursue and maybe we can actually never have it. No matter what. How did he know that?”(この瞬間に私はトーマス・ジェファーソンのことを考え始めた。彼は独立宣言書にこう書いた。人間には生きる権利、自由になる権利、幸福を追い求める権利があると。このとき私は思った。なぜ彼は幸福にだけ追い求めると加えたのか。もしかしたら、幸せとは追い求めることしかできないものなのかもしれない。実際に手に入れることはできないのかもしれない。どうやっても。彼はなぜそれを知っていたのか。)<00:31:17>

「この国には幸福を求める権利は与えられていても、幸福は保証してもらえるわけではない。」アメリカンドリームというよりも、アメリカ資本主義に対してどのように考えるかというメッセージがあるように感じられます。能力のあるもの、チャンスをつかめるものにはすばらしい国なのでしょう。でもすべての人間が幸せになれることを約束してくれる国ではないのです。でもそれに気づいていない人が少なくはないのではないでしょうか?


2010年02月13日

タイトル:「意味解釈における文脈と文化」
投稿者:北本晃治(帝塚山大学)

このシリーズの一番初め(2006年05月08日掲載)に、藤枝先生が『タイタニック』の中で、船が沈没した後に展開されるジャックとローズの対話を取り上げて解説しておられますが、ここでは、同じシーンからジャックのせりふの方に焦点を当てて、再度考えてみたいと思います。

ジャックは、自らは海水の中にありながら、船の破片の上にローズを上がらせて、海水の直接的な冷たさから彼女の身を守っています。ローズは、周りの人々が息絶えてしまった様子に”It’s getting quiet.”と力なくつぶやきますが、ジャックはこの言葉に鋭く反応して、次のように言うのでした。”It’s just gonna take them a couple of minutes to get the boats organized. I don’t know about you, but I intend to write a strongly worded letter to the White Star Line about all this.”(あと数分でボートの準備が整うからね。君がどうするかは知らないけれど、僕は、今回の件について、ホワイトスターライン社に強い抗議文を書くつもりだ。)<02:49:43>

文の意味はそれが置かれている文脈によって大きく変化します。ここでジャックは、ローズを何とか救いたいという一心から、気力の失せかけたローズを懸命に励まそうとしています。しかし、救命ボートへの言及は分かるとしても、瀕死の状態から船会社へ「抗議文を書く」というところは、普通に考えればジャンプが大きすぎるように思われます。するとこの言葉には、言外の意味があると考える必要があります。それは指摘した文脈「ローズの気力への刺激」ということになるでしょう。ここでは、生存後のビジョンの提示⇒それを示す強さとユーモア(余裕)が自分にはある⇒自分の言葉を信じてがんばれ!という言葉とその発信源への信を促すジャックの意図があり、そのことはこの後に続く一連のセリフの中にも見て取れます。

それでは、その始まりがどうして船会社へ「抗議文を書く」ということになるのでしょうか。このような状況で第一に考えるべきこととしては、日本人的感覚ではかなり違和感があるところでしょう。ここで作用しているのは、人間間の関係性においては、それが愛であれ、要望であれ、抗議であれ、それらをきちんと言葉にして相手に伝えることが重要であるとする、その文化的文脈であるということに気づくことが大切です。日本文化では、人間関係における表立った言語的対立を回避し、一体感や全体性に向けた「包む作用」に価値が置かれがちですが、神の裁きは、物事の是非を切り分けるための明確な言語化(つまりは「切断作用」)の後にやってくる、という西洋的価値観が理解できれば、このような文化差から生じてくる「違和感」も、納得されるものとなってくるように思います。


2010年01月24日

タイトル:「What’s X doing here? 言外の意味しかない構文的イディオム」
投稿者:倉田 誠(京都外国語大学)

What’s X doing here?という表現は、変数Xの部分に無生物主語が代入されるという風変りな構文的イディオムです。表面上は「Xがここで何をしているのですか」という疑問文ですが、話し手が「本来あるはずのないXがここにある」と考えていることから、「Xが邪魔である→どけろ!」といった意味が生じます。更にストレートにいうと、この表現を用いると文字通りの解釈はなくなり、上記のような命令文の意味のみが相手に伝わるのです。2例ほど映画からのセリフをご紹介します。1例目は”Ghost”『ゴースト』(1990)<00:08:40>からのシーンを取り上げます。主人公のMollyが、同棲中の恋人Samに向かって、”Sam, what’s this chair doing here?”(サム、この椅子はここで何をしているの?)と発しています。Mollyはこのように発話することで、自分が苛立っていることを表しているだけではなく、Samにその椅子を間接的に片付けてくれと伝えています。またこの構文は”Titanic”『タイタニック』(1997)<02:07:34>にも”What’s this luggage doing here? Get rid of it!”(トランクなんか載せるな!邪魔だから、どけろ!)というセリフで登場しています。タイタニックが沈みつつあるシーンで、数が限られた救命ボートに自分の荷物を載せた乗客に向かって放った、客船乗務員の怒りにあふれた表現です。矢継ぎ早にGet rid of itも付け加えていますね。

ご存じの方も多いと思いますが、ATEM関西支部は執筆活動が盛んな支部です。実はこの項目は少し形を変えて、「英語学と映画」をモチーフにした近刊本(くろしお出版)に掲載されます。新進気鋭の関西支部会員である衛藤圭一先生と私、倉田が担当しています。乞うご期待!