タイパもいいけど:トウモロコシ畑を時速8キロの芝刈り機が行く

タイトル:タイパもいいけど:トウモロコシ畑を時速8キロの芝刈り機が行く
投稿者:藤倉なおこ(京都外国語大学)

タイムパフォーマンス(Time performance)、略してタイパ。つまり「時間対効果」を重視する若者が増えています。彼らは物心ついたときからインターネットが存在し、デジタルネイティブ(Digital native)とも呼ばれます。調べ物は図書館に行かず、手元のスマホを使います。目的地への到着方法はアプリで最短の方法を調べます。また、オンラインで結んでモニター越しに会えば、出かける必要もありません。

そんな人たちが『ストレイト・ストーリー』(The Straight Story, 1999)を観たら「辛気くさい」と思うかもしれません。主人公は杖の助けを借りて歩く73歳のアルヴィン・ストレイトです。ある日、何年も不仲にしていた兄のライルが倒れたとの電話があり、彼は会いに行くことを決意します。アルヴィンのアイオワ州の家からウィスコンシン州の兄のところまでは560キロの道のりです。参考までに東京-大阪間の鉄道営業距離が約550キロ、新幹線で約2時間半、車では一日あれば着く距離です。ところがアルヴィンは、時速8キロのトラクター型の芝刈り機に乗って6週間をかけてライルの元に向かいます。トラックに追い越され、自転車にも追い越され、芝刈り機は両側に見渡す限りのトウモロコシ畑が広がる道路をゆっくり進んでいくのです。タイパとは無縁です。しかし、この映画はなんとも言えない安らいだ時間の流れを感じさせてくれます。しかも驚くことにこれは実話を元にしています。

アルヴィンは旅の途中で出会ったサイクリストの若者に、老いについての深い洞察を語ります。

Alvin: You don’t think about getting old when you’re young. You shouldn’t.
(若いときは自分が年をとるとは思わんな。考えなくてもいい。)
Young Boy: Must be something good about getting old.
(年をとっていい事も何かあるでしょう?)
Alvin: Well, I can’t imagine anything good about being blind and lame at the same time, but… still at my age, I’ve seen about all that life has to dish out. I know to separate the wheat from the chaff and let the small stuff fall away.
(目も足も弱っていいことなどありゃせんが、経験は積むからな。年とともに実と殻の区別がついてきて、細かいことは気にせんようになる。)<00:54:20>
『ストレイト・ストーリー』(The Straight Story, 1999)

この会話の “to separate the wheat from the chaff”(実と殻の区別をつける)は、良いものと悪いもの、役に立つものと立たないもの、あるいは良い人、悪い人を見分けるという “idiom”(熟語)です。もとは、天国に迎えられる人と迎えられない人を分けるという、聖書の一節から来ていると言われています。子どもの頃から畑で働き、深くしわが刻まれた顔のアルヴィンが口にすると、さらに深く響きます。

旅の出会いの他にこの映画には大きな見所があります。それは地平線まで広がる広大なとうもろこし畑の情景です。アルヴィンが出発したアイオワ州は米国中西部、五大湖の西南に位置しています。米国には、“~ Belt”○○ベルト)と表現される帯状の地域がいくつかあります。例えばキリスト教の信仰心が厚く保守的な人たちが多いとされる南東部の帯状の地域を“Bible Belt”(聖書ベルト)、鉄鋼業が廃れてしまった五大湖東部の地域を“Rust Belt”(さびベルト)と呼びます。アルヴィンが進むアイオワ州からウィスコンシン州は、“Corn Belt”(とうもろこしベルト)の一部です。ここではいくつもの州に渡り、広大な土地でとうもろこしを栽培しています。それは実に、米国のとうもろこし生産高の80%に及びます。果てしなく広がる畑の中に高くそびえるサイロやとうもろこしを刈り取る巨大なトラクターは、ニューヨークなどの大都会とは対照的に、農業大国というもう一つの米国の姿を教えてくれます。タイパに疲れてゆっくりとした時間の流れを感じたいときにこの映画を観てください。アルヴィンのぼくとつとした語り口と芝刈り機の素朴なエンジン音が、きっと耳から離れなくなるでしょう。