2016年

【投稿一覧】
2016年12月9日
「不思議な涙と不思議な文」小林翠
2016年11月1日
「”should” はアドバイス?」蘒寛美
2016年11月1日
「”check in on”」田畑圭介
2016年10月1日
「医療系クラスに最適な映画『私の中のあなた』(My Sister’s Keeper)」
2016年10月1日
「『イエスマン “YES”は人生のパスワード』(Yes Man, 2008)」近藤暁子
2016年9月4日
「主語はどこから?」平井大輔
2016年9月1日
「人生の教訓にあふれる『リトル・マーメイド』」山内 圭
2016年8月1日
「スクール・オブ・ロックSchool of Rock 2003年」藤枝善之
2016年8月1日
「<重い>名詞句の処理に困った場合の対処法」三村仁彦
2016年7月1日
「Intrusive Consonant(嵌入子音)を伴うConsonant Cluster(子音連続)」野中泉
2016年7月1日
「映画英語で学ぶ<服>を表す類義語」山本五郎(広島大学)
2016年6月13日
「feel ‘bad’とfeel ‘badly’-心理面をどう伝える?」横山仁視
2016年6月1日
「時代特有のスポーツ事情を映画で学ぶ」飯田泰弘
2016年5月1日
「『私の中のあなた』(My Sister’s Keeper, 2009)―メタファーに見る西洋的父性原理」北本晃治
2016年5月1日
「『マイ・ブルーベリー・ナイツ』に見る比喩表現~失恋編~」松田早恵
2016年4月1日
「男女の役割の変化とともに表現も新しく」藤倉なおこ
2016年4月1日
「『ブリッジ・オブ・スパイ』で学ぶ法律英語」井村誠
2016年3月7日
「形容詞nakedの新たな意味について」吉川裕介
2016年3月4日
「Great は<素晴らしい>?!」近藤嘉宏
2016年2月1日
「映画プラトーンに見るアメリカ社会の宿痾(しゅくあ)」佐藤弘樹
2016年2月1日
「<できた>にまつわる表現」衛藤圭一
2016年1月1日
「Oscarは誰の手に?」國友万裕
2016年1月1日
「文頭・文末に使用される“right”」松井 夏津紀


2016年12月9日

タイトル:不思議な涙と不思議な文
投稿者:小林翠(小野学園女子中学・高等学校)

今回紹介するのは、映画『インサイドヘッド』 (Inside Out, 2015) の次のシーンです。架空のキャラクターBing Bongが喜びのあまり大声で泣いて、その様子を不思議そうに他の2人が眺めます。Bing Bongの目からアメ玉の涙が次々と落ちてきたのです。

Bing Bong: This is the greatest day of my life!
「(泣きながら)今日はサイコーの日だ!」
Joy: Are you okay?
「大丈夫?」
Sadness: Hey, what’s going on?
「これは?」
Bing Bong: I cry candy. <00:40:01>
「僕の涙はアメなの」

私たちが普段出くわすcryは、ほとんどの場合「泣く」という意味の自動詞として用いられます。しかし、この例ではcryの後にcandyが続き、cryは他動詞として用いられています。

他動詞といえば、典型的には、 “John kicked the ball.” のように、主語 (John) が目的語 (ball) に直接働きかける場合に使われます。この時、目的語は何らかの変化を被ります。例えば、ballであれば、蹴られた結果移動する、などです。

しかし “I cry candy.” は、他動詞の典型例とはかなり違います。まず、candyは最初からそこに存在していたわけではなく、そのためそもそも働きかけることもできません。むしろ、泣く (cry) ことによってcandyが作成されています。つまり、ここでのcryは作成動詞として用いられているのです。

作成動詞そのものは珍しくはなく、様々な動詞が作成動詞として用いられます。例えば、dig a holeにおけるdigです。実際に掘る (dig) という働きかけをする対象は地面 (the ground) です。しかし穴を目的語にしてdig a holeというと、「地面を掘って穴を作成する」ことを意味します。その他、bake a cakeにおいては、実際に焼く (bake) という働きかけをする対象は生地 (the batter) です。しかしケーキ (a cake) を目的語することによって、「生地を焼いてケーキを作成する」ことを意味します。日本語でも同様に「穴を掘る」、「ケーキを焼く」と表現しますね。これは、既に存在する目的語に直接働きかけるという典型的な他動詞の使い方とは違います。作成動詞は、動作の末出来上がるものを目的語にするというダイナミックなSVOの形をとるのです。

さて、”I cry candy.” に戻りますが、この例は作成動詞のダイナミックなSVOのVの位置にcryを当てはめた表現といえるでしょう。cryは普通自動詞として使われる動詞なので、当然ながら誰もがこの表現に驚きを隠せません。こんな表現を使わずにBing Bongは普通に “When I cry, candy comes out.” (泣くとアメが出てくるんだ)と言うこともできたはずです。しかし、「涙の代わりにあめ玉がでてくる」というこの奇抜なシーンにぴったり合う表現は、やはり “I cry candy.” の方だと思いませんか。


2016年11月1日

タイトル:”should” はアドバイス?
投稿者:蘒寛美(京都産業大学)

誰でも、人間関係を円滑に、または、作業を円滑に運ばせるために、アドバイス(助言)をしたくなるものです。その際によく使われる助動詞「should」をどう活用すればよいのかを他のアドバイス表現「had better」と比較して見てみましょう。

実に多くのネイティブスピーカーが頻繁にアドバイスをするときに、「should」を使うのを耳にします。しかし、多くの場合「You should ~」を文頭において表現すると、相手に直接的な威圧感を与えかねないので、それを回避するために、「perhaps, maybe, I think」を伴うことがほとんどのようです。

Perhaps you should keep that in mind before making sensational claims.(そんな感情的な申し立てをする前に、そのことを分かっておくべきだとおもうのですが。)『デイ・アフター・トゥモロー』(The day after tomorrow, 2004)<00:07:54>
Maybe you should let drive Dr. Rosen drive you to your mother’s. (Rosen先生にお母さんの家へ送ってもらった方がいいんじゃない。)『ビューティフルマインド』(A beautiful mind, 2001)<01:42:39>
I think that’s very selfish of you. You should be at the funeral. (自分勝手だね。葬儀には出たほうがいいよ。) 『オールウェイズ』(Always, 1989)<00:27:08>

一方「had better」が使用されるのは、上位から下位への厳しいアドバイスのために、耳にするのは稀です。

I think you had better go up there and see for yourself. (自分で見てきたらどうだい。)『アナライズーユー』(Analyze that, 2002)<00:10:15>

So we intend to pursue this matter until we have a full understanding on how it bears on the truth. I don’t know where this will lead us, but I’ll tell you two things: You had better be prepared for the prosecution’s resp0onse because he is going to be entitled to a great deal of latitude in answering.(そのことが、真実にどう関連するのかを、底的に追求したいのだが、どうなるかがわからないが、これだけは言っておく。検察側の反ばくに準備することだな。なぜなら検察側は、反論の自由があるから。)『推定無罪』(Presumed Innocent, 1990)<1:22:58>

これは、判事が被告側の弁護士に対して言った言葉で、口調もきついものです。内容からも非常に厳しい言葉であるのが伝わってきます。

約2年前のことです。アメリカのTVドラマ『パーソン・オブ・インタレスト』(Person of Interest, Season4, 2014)のあるエピソードで、銃撃戦になる前に男性が女性の同僚に 「you should better go.」と言って逃がしているセリフを耳にしました。私は銃に打たれたような衝撃をうけました。アドバイスとしては初めて聞く表現だったからです。その他に「should better」 が使われている映画は、「プラダを着た悪魔」にありました。ただし、この場合は、主語が「I」でしたが。

Well, there is one thing that’s new that I thought you might like, but…What about this? You don’t like it, I should better do this….(変わらないところもあるわよ。これはどうかしら?気に入らない?これにしたほうがいいかしら・・・)
『プラダを着た悪魔』(The devil wears Prada, 2006)

さて、このハイブリッドな「should better」表現は、アドバイスとしては、「should」や「had better」 より柔らかく聞こえるのでしょうか。ネイティブスピーカーに訊いてみました。

英国人女性:聞いたことがないですが、「had better」よりは柔らかく聞こえます。しかし、伝わるニュアンスは「should」とさほどかわらない。どれを使ってアドバイスされても厳しく言われた感じがします。
英国人男性:聞いたことがない。意味は通じるが、英語としては正しくないですね。
米国人女性:自分は使いませんが、使われているのを聞いたことがあります、ニュアンスは「had better」とよく似ています。どういった状況で、どういった相手に言うかによって伝わるニュアンスは変わってきます。アメリカ人は新しい言葉を作るのが好きですからね。

いずれの場合でも、どの言語でも同様ですが、アドバイスをするときには、相手、場面、口調などTPOもわきまえて使うべきですね。


2016年11月1日

タイトル:”check in on”
投稿者:田畑圭介(神戸親和女子大学)

句動詞check in onは、現在出版されている主要な英和・英英辞典に記載のない表現です。この句動詞をCOCA*で検索してみると、check in onが177例、checking in onが63例、checked in onが37例、checks in onが11例、計288例が見つかります。COCAは約5億2千万語の大型コーパスなので、そのうちの288例は少ないように感じるかもしれません。
 TVsubtitles.net*から『デスパレートな妻たち』(Desperate Housewives, Season1-8, 2004-2012)、『ロスト』(LOST, Season1-6, 2004-2010)、『24』(24 TV series, Season 1-8, 2001-2010)、『プリズンブレイク』(Prison Break, Season 1-4, 2005-2009)、『ER緊急救命室』(ER, Season1-7, 1994-2001)、『ドクターハウス』(House M.D., Season1-7, 2004-2011)のセリフ群をダウンロードしてcheck(s/ed/ing) in onを検索してみると、それぞれ、2回、1回、2回、1回、5回、3回、の計14回の使用が確認できます。

『デスパレートな妻たち』(Season 5, Episode 20) <00:06:46>
So who can come by later and check on him? 
(後で誰か立ち寄って、彼の様子を見られない?)
(*この後、会話の参加者のいずれもが用事があって無理だと答える)
I’ll ask Mike to check in on him.
(マイクに立ち寄って彼の様子を見てくれるようにお願いするわ)

check onが「様子[無事]を確認する」のに対し、check in onは「立ち寄って様子[無事]を確認する」の意味で用いられています。check in onを英和辞典に記載するとしたら、次のようになります。

check in on A (立ち寄って)A<人・事・物>を確認する,見てみる,A(の状態・進捗状況)を調べる.

もう一例、『24』(Season 2, Episode 6) <00:14:59>から示します。

I just wanna do what’s best for my little girl.
(私はただ娘に最善を尽くしたいんだ)
Good. I’ll check in on her at the end of my rounds. And, Mr Matheson, no cellphones in the hospital.
(わかりました。回診の最後に娘さんを見に寄ります。それからマシスンさん、病院内では携帯は使用できません)

この場面では医師が最後に病室に立ち寄ることを約束しています。

COCAでは次のようなインターネット上で立ち寄る例も見られます。

We have posted some new pictures and an update on the website so people can check in on her. (ウェブ上に新しい写真を載せてアップデートしましたので、サイトに立ち寄って彼女を確認できます。)

check in onは6つのテレビドラマで14回登場する表現ですので、各種の辞書に掲載してほしい表現といえます。

*Davies, M. (2008-). The Corpus of Contemporary American English: 520 Million Words, 1990-present. URL: http://corpus.byu.edu/coca/
*TVsubtitles.net. URL: http://www.tvsubtitles.net/


2016年10月1日

タイトル:医療系クラスに最適な映画『私の中のあなた』(My Sister’s Keeper
投稿者:角山照彦(広島国際大学)

授業で使う映画を選定する際、学生の専攻分野に関連した題材を選ぶと学生の興味、関心が一層高まります。本稿では、看護学部など、医療系の学生に最適な映画として『私の中のあなた』(My Sister’s Keeper, 2009)を紹介したいと思います。

本作品は、アメリカ人作家ジョディ・ピコーの同名小説に基づいて制作された医療ドラマであり、難病を患う姉ケイトに臓器を提供するドナーとして遺伝子操作によって生まれた11歳の少女アナが、姉への臓器提供を拒否し、両親を相手に訴訟を起こすというストーリーです。難病の子どもを抱える家族の葛藤を中心に物語は展開しますが、医療倫理の点から問題が多いとされるデザイナー・ベビーを扱っていますので、将来医療従事者を目指している学生には、医療のあり方について考えてみるよい機会となることでしょう。

アクティブラーニング(以下AL)が盛んに叫ばれる現在、映画を活用した授業においても、セリフの聞き取りなど従来から行われている演習に留まらず、ALを積極的に取り入れたいものです。溝上(2014)によれば、ALには書く、話す、発表するなどの「活動への関与」と「認知プロセスの外化」という2つの要素が含まれますが、映画の場面を活用しながら、「あなたがもし看護師だったら、こうした状況でどのように対処するべきでしょうか」などと問いかけ、ディスカッションやグループ発表をさせることで、この2つの要素を授業の中にうまく取り入れることができます。

外出したいと言い続ける末期患者に対してどのように接するべきか、病院が患者のためにダンスパーティを行うのはよいことなのかなど、医療に関する様々なトピックがこの映画の中には含まれています。また、登場する医療従事者は必ずしも全員が模範的な行動をするわけではありませんから、本来どうするべきなのか自分たちで考える機会が与えられます。例えば、尿検査を渋るケイトは担当看護師への腹いせとして尿の代わりにジュースをコップに入れ、それを看護師の前で飲み干してしまいますが、次のようなやり取りがあります。

Nurse: You ready?
Kate: All set. Oh, wait a minute. Looks a little cloudy, I think I should filter it again. Much better. What do you think?
Nurse: You are disgusting. And so are you! <0:33:43>
看護師: 尿は採れたの?
ケイト: ばっちりよ。あら、ちょっと待って。ちょっと濁っているから、もう1回ろ過するわ。この方がいい。どう思う?
看護師: 何て子なの。あなたもよ。

この看護師は怒って出て行ってしまいますが、“Kate plays a practical trick on her nurse, which makes her very angry. If you were a nurse, how would you react to such a patient?” と問いかけグループごとに発表をさせると、実に様々な答えが出てきます。また、全編を視聴し終わった後で改めてアナのようなsavior sibling(救いの兄弟)を作ることはよいことなのかどうか、医療従事者、親、そして子どもの立場からディスカッションさせると、学生一人一人が真剣に考えてくれ、ALの効果を実感させられます。

因みに、映画のラストでアナは次のように語りますが、映画ではデザイナー・ベビーの可否について明確な答えは出されていません。

Once upon a time, I thought I was put on Earth to save my sister, and in the end, I couldn’t do it. I realize now that wasn’t the point. The point was, I had a sister. She was fantastic. One day, I’m sure I’ll see her again. But until then our relationship continues. <1:44:24>
(その昔、わたしは姉を救うために生まれてきた。結局救うことはできなかったけど、今になって思うとそれは重要ではない。重要なのは、私には姉がいたということ。姉は本当に素晴らしい人だった。いつかまた会えると信じているけど、その時まで私たちの心はこうしてつながっている。)

正解のない問いについて学生一人一人が主体的に考えることこそALのポイントであり、学生にとって興味、関心が高い映画、そして、自身の専攻分野という2つの要素を有機的に組み合わせることでALをスムーズに導入することが可能となります。

【参考文献】
溝上慎一 (2014) 『アクティブラーニングと教授学習パラダイムの転換』 (東信堂)


2016年10月1日

タイトル: 『イエスマン “YES”は人生のパスワード』(Yes Man, 2008)
投稿者: 近藤暁子(兵庫教育大学)

『イエスマン “YES”は人生のパスワード』は、離婚してから、仕事でもプライベートでもすべてのことにNoと言い続け、周りの人と関わることに背を向けてきた男が、あるセミナーをきっかけに、今までとは逆に、すべてのことにYESということで、人生が変わっていくという、BBCラジオディレクターだったダニー・ウォレス氏の実体験に基づいた映画です。

今回はこの映画に出てくる、人との関わりを避けていたNO MANだった頃の主人公カールのセリフから、誘いや依頼にNOと答えたい時や、誘いをすっぽかした時の様々な表現を紹介したいと思います。

1.親友が集まりに誘って来た時
Peter: We’re all going out tonight.
Carl: Man, that sounds great. I wish I could join you. I’m just so jammed up. I’m totally off the grid, you know what I mean?
Peter: No, I don’t at all. 
Carl: I got a bunch of stuff going on. There’s this thing I gotta do. Any other night would’ve been great. Darn it to heck. <00:01:15>

誘いに対して、それに前向きな気持ちがあるが、参加できないことを伝えるのに、“that sounds great. I wish I could join you.” 「いいね。行けたらいいんだけど。」という表現はよく使います。そして、することがたくさんあって忙しくて、行けないけど、 “Any other night would’ve been great.”「他の夜ならいいのに」と言っているのですが、このような表現で、相手に対して行けなくて残念な気持ちを伝えることができます。ただ、具体的な理由を伝えず、ここまで言うとちょっと、白々しい感じがするかもしれませんね。

2.上司から仮装パーティーに誘われた時
Norman: I’m having a get-together at my place. It’s a funny hat and-or wig party.
Carl: Oh, man! Sucks. I’m going to be out of town.
Norman: You don’t know what day it is. <00:06:56>

これでは、行きたくないのがまるわかりですが、具体的な理由がない時に、この“out of town”「出かける」という表現は便利です。

3.親友の婚約パーティーをすっぽかした時
Peter: You missed my engagement party tonight.
Carl: Oh no. Oh shoot. You are kidding? That was tonight? I am so sorry. I totally gapped it. Listen, I’ll make it up to you. I promise. I swear. You pick the day. Any day you want. We’ll go out. We’ll swashbuckle. <00:10:44>

「〜に埋め合わせをする」という “make it up to ~”という表現も、このような時によく使われる表現です。

このように、様々な誘いにとことんNOだったカールですが、ある啓発セミナーをきっかけに、すべてにYESと答えるという約束をすることになり、彼の人生は変わっていきます。そして、様々な出会いを経験し、恋人もできますが、最後のシーンで次のようなセリフがあります。

Carl: I thought if I said ‘yes’ to things and got involved with people sooner or later they’d find out I’m not enough. I didn’t think I had anything to share. But now I know what I have to share is pretty huge. And I want to share it with you.(イエスって言って誰かと関わり合いになっても、いずれ相手に失望されるって思ってた。人と分かち合えるものはなかった。でも今はすごく沢山あるし、君と分かち合いたいんだ。) <01:34:18>

自分に対する自信のなさから、人に対して、そして、人生に対して消極的になってしまうことはあると思います。最近は、そのような人も増えているような感じがします。しかし、カールのように、まずYESということで、いろんな経験をし、人と出会い、チャンスを掴み、より豊かな人生にすることが出来るのではないでしょうか。

映画の原作者ダニー・ウォレス氏も、インタビューで日本の人へのメッセージとして、「YES MAN、YES LADYとなって、機会を受け入れて、毎日の生活の中にある可能性をつかみ取ってください。そして、その行いを、より良い人生にするために役立ててください。」(映画『イエスマン』原作者インタビュー! ハッキリとイエス・ノーを言えない日本人? – ガジェット通信より)

この映画の主演のジム・キャリーですが、映画の撮影で、実際にバンジージャンプ、ギター、韓国語の学習、飛行機の操縦に、「YES MAN」になって、自らチャレンジしたそうです。


2016年9月4日

タイトル:「主語はどこから?」
投稿者:平井大輔(近畿大学)

日頃、何気なく目にしたり、聞いたりした表現の中に、言葉の神秘に迫るヒントが隠されています。その裏側に隠れている原理を解明することこそ、自然科学に基づいた研究の楽しみです。今回は、映画のセリフに見られる数量詞の現象から、その一つを覗いてみましょう。

以下の映画のallに注目してみてください。

(1) GRACE KELLY: And I hope that you will all do the same in your own way… <01:28:54>
  「皆さんも各自で同じこと(努力)をしてください。」
                        『グレース・オブ・モナコ』(Grace of Monaco, 2014)
(2) CRASH DAVIS: The hotels all have room service. <0:45:27>
                        『さよならゲーム』(Bull Durham, 1988)

この二つのセリフに現れるallはそれぞれ何を修飾しているでしょうか?
はい。もうお分かりの通り、(1)ではwillの後、(2)では動詞haveの前にあるにもかかわらず、それぞれのallは主語のyouまたはThe hotelsを修飾しています。つまり、二つの文のallは共に主語を修飾し、書き換えるとすれば、およそ(3-4)のような意味になります。(1)や(2)のように、数量詞が被修飾語句から離れて修飾していることを、数量詞浮遊(Quantifier Float)と呼びます。

(3) all of you will do the same in your own way…
(4) all the hotels have room service.

(1-2)の事実は、生成文法理論に対して、ある非常に興味深い理論的示唆を与えてくれています。実は、(1-2)にみられるallは主語が元々どの位置にあったかを示す重要な例なのです。これを見る前に別の例も見てみましょう。

ある言語学者によると、英語のある方言ではwh疑問文で(5)のような例が観察されると紹介されています。

(5) a. What all did you get for Christmas?
  b. What did you get all for Christmas?

(5)では、allがそれぞれ別の位置に現れてきていますが、共にwhatを修飾しています。この事実は、whatとallはもともと(6a)のような[what all]のような複合体の構造を持ち、その後、(5a)ではallがwhatと共に、(5b)ではallが元の位置に残されて、whatのみが移動したと考えられています。

(6) a. (did) you get [what all] for Christmas (wh句の移動前)
  b. What all did you get for Christmas? (wh句の移動後 (=(5a))
  c. What did you get all for Christmas? (wh句の移動後 (=(5b))

つまり、allがgetの目的語位置に置かれていることから、疑問詞は元の位置と表面上現れている位置が異なり、移動したことになります。

この分析が正しければ、(1-2)は何を示唆しているでしょうか?一般に、英語の表面上の構造は以下のような構造をしています。

(7) [ 主語 [ 助動詞 [ 動詞 目的語 ]]]

(7)の構造を基にして、先に見たある要素にくっついているallが移動の際に元の場所に残されるという仮定を考慮すれば、(1-2)から主語は(8)のように動詞句内に主語が現れた構造を最初に構築し、その後(9)のような構造に派生した可能性があります。

(8) [動詞句 [主語 all] [動詞 目的語]]
(9) [ 主語 [ 助動詞 [動詞句 [ __ all] 動詞 目的語 ]]]
         ↑
    └───────────┘


(9)の構造からもわかるように主語は元々は動詞句内に存在していた可能性が考えられます。これは、動詞句内主語仮説( VP Internal Subject Hypothesis)と呼ばれ、現在の生成文法理論では広く受け入れられている仮説です。

みなさんの中には、allが「みんなで」という意味、つまり動詞句を修飾した意味になるのではないかと思う人もいるかもしれませんが、(10)のように動詞句を修飾する副詞(VP adverb)が動詞句の前に出てくることはありません。従って、allが動詞句を修飾するような機能は持つことができません。

(10) * The runner can fast run.

また、the hotels allがひとつのまとまった句ではないかと思う人がいるかもしれませんが、それも正しい分析ではありません。(11)のように主語の後にI thinkのような節を挿入すると、allは主語の直後に置くことはできないことから、主語を修飾するallが遊離し、動詞句内にあることになります。

(11) a. The men, I think, all left at dawn.
   b. * The men all, I think, left at dawn.

この仮説はその後の理論的な発展に様々な影響を及ぼしています。興味のある方は、Sportiche (1988)などを参照してみてください。また、同時にどのような位置にどのような遊離数量詞が現れるかを探すのも楽しいですね。

(参考文献)
Sportiche, Dominique (1988) “A Theory of Floating Quantifiers and Its Corollaries for Constituent Structure,” Linguistic Inquiry 19: 425-451.


2016年9月1日

タイトル:人生の教訓にあふれる『リトル・マーメイド』
投稿者:山内圭(新見公立大学・短期大学)

私は、2014年6月のこのコラムでもディズニー作品の『トイ・ストーリー』(Toy Story, 1995)を取り上げましたが、今回は、『リトル・マーメイド』(The Little Mermaid, 1989)を取り上げます。これもまた私が教えている新見公立短期大学幼児教育学科でよく使う教材です。27年前に作られたこの映画は、現在概ね20歳前後の学生たちの多くにとって、少女(少年)時代に観た映画です。子ども時代には、よくわからなかった映画の所々にちりばめられた意味が、青年期の今だからよくわかる、この映画を見てそんな感想を持つ学生が多くいます。

この映画は約84分の長さなので、90分授業で映画を見せる時には、途中で止めることはせずに、一気に見せます。映画からピックアップしたこれらの表現を次の授業で紹介します。

Life is full of tough choices, isn’t it? (どっちを選ぶかつらいとこだね) <00:42:40>

(If) you want something done, you’ve got to do it yourself. (こうなったら自分でやるしかない) <00:59:33>

Children got to be free to lead their own life. (子供に自由な生き方を選ばせるべきです) <01:15:54>

子どもの頃には現実味を持たなかったこれらの言葉ですが、これから進路選択や就職などを控え、人生の分かれ道にいる短期大学の2年生たちに与えるにはぴったりの言葉となります。

また、実際の授業では、時間的制約等でなかなかここまで展開することは難しいですが、この映画を契機にして、様々な方向への展開が可能となります。例えば、人魚というテーマから展開するとすれば、人魚が出て来る映画やドラマは数多くあります。その中での私のお薦めは、『スプラッシュ』(Splash, 1984)です。また、同じディズニーでは続編である『リトル・マーメイド 2』(The Little Mermaid 2: Return to the Sea, 2000)はもちろんのこと、『ピーター・パン』(Peter Pan, 1953)にも人魚が出てくるので、それらを関連づけて取り上げるのもいいでしょう。また、ジブリ作品の『崖の上のポニョ』(2008)と関連づけるのも面白いと言えます。

条件付きで人間になっている人魚アリエルがエリック王子に連れられて人間の世界を見て回る「デート」に出るシーンは、『ローマの休日』(Roman Holiday, 1953)を想起させますし、馬車のシーンは『バック・トゥ・ザ・フューチャー 3』(Back to the Future 3, 1990)のドックとクララのシーンを思い出させます。ボートに乗っている二人(アリエルとエリック王子)をキスさせようと、セバスチャンたちが歌う歌 “Kiss the Girl”の歌詞に出てくる ‘blue lagoon’からは一連のBlue Lagoonシリーズ(Blue Lagoon, 1948), (Blue Lagoon, 1980), (Return to the Blue Lagoon, 1991)への展開が可能です。また、アリエルが人間の町を見ている間、英国の人形劇 “Punch and Judy”が出てくるので、例えば、そこから同じく “Punch and Judy”が出てくる『シャレード』(Charade, 1963) への展開も可能でしょう。

他にも、荒れ狂う海の恐ろしさという観点からは、『白鯨との闘い』(In the Heart of the Sea, 2015)を関連させたり、エリック王子の宮廷を『レベッカ』(Rebecca, 1940)に出てくるマンダレイ邸と比較したり、カモメのスカットルをNHK教育テレビで放送された『リトル・チャロ』(2008)に出てくる渡り鳥のサリーなどと比較したりするのも興味深いと思います。

それから、ジャマイカ・ガニ(Jamaican crab)であるセバスチャンは、th音がd音に聞こえるジャマイカ英語の特徴をうまくとらえています。また、挿入歌の一つで名曲の “Part of Your World”の中には、言葉が思い出せない時の挿入句、「あれっ、何て言うんだっけ」との意味の “what do you call (th)em?”や “What’s that word again?”が出てきますが、会話中に連発するのはよくはないですが、実用的なフレーズとして教えてよい表現でしょう。

挿入歌と言えば、 “Under the Sea”もスバラシー(日本語の訳詞では、アンダーザシー、スバラシーと韻を踏んでいます)。この曲の歌詞に表れる、魚や海の生き物などに関する言葉遊びは、ただただ感服してしまいます。この歌詞を、シブがき隊の「スシ食いねェ」(1986)やスーパーマーケットの鮮魚売り場でかかっていて有名になった、全国漁業協同組合連合会中央シーフードセンターのキャンペーンソング「おさかな天国」(1991)との比較も私は授業で行っています。海に関する表現として一つ紹介しておきたいのは、 “Keep looking, leave no shell unturned, no coral unexplored.” (海藻の茂みをかき分けても捜し出せ) <00:57:16>です。地上でしたら、 “no stone unturned”と言うところですが、 “stone”が “shell”(貝殻)になっているところや “coral”(珊瑚)が使われているところがおもしろいわけです。

ということで、『リトル・マーメイド』は、人生の教訓など様々な要素にあふれるスバラシー映画です。


2016年8月1日

タイトル: スクール・オブ・ロックSchool of Rock 2003年
投稿者: 藤枝善之(京都外国語大学・短期大学)

良い教師とは、いったいどんな人なのでしょうか。私はこう考えます。自分が本当に好きなことを教えると同時に、それに関わる歓びを表現する人、できる人。なぜならその時、教師の情熱が生徒に伝わり、その情熱が生徒の心を動かし、生徒は教師が味わうその歓びに参加したくなる、と思うからです。私が高校生の時、数学の先生で、ある問題の解法の数式が「いかに美しいか」を熱を込めて語った人がいました。数式の意味そのものはさっぱり分かりませんでしたが、その先生が、どれほどその数式の「美」に魅了され、それに関わることの歓びを感じているかが、その無邪気な表情と語り口から伝わってきました。すると不思議なことに、私もその「美」を鑑賞し、先生が味わっている歓びを共有したくなったのです。そしてしばらくすると、大嫌いなはずの数学が、いつの間にか面白くなっていました。先生の情熱と表現力が、一人の生徒の嗜好を変えてしまったのです。

何か価値あるものを発見し、嬉しくなってその価値を他の人に伝えたい時は、自分が味わっている歓びを普通に表すだけではダメです。熱く表現しなければいけません。歓びの伝道者であるアーチストは、その意味で教師と似た立場にあると言えるでしょう。教育とは縁もゆかりもなかった落ちこぼれミュージシャンが、素晴らしい教師の資質を発揮する、という本作品は、私たち教師にとって学ぶことの多い、優れた「教育映画」になっています。

主人公のデューイは、ロック命の貧乏ミュージシャン。その無軌道ぶりが祟って、自分が結成したロックバンドを追い出された挙げ句、親友でルームメイトのネッドとその恋人から、滞納してきた家賃の支払いを催促されます。進退窮まったデューイは、家賃を稼ごうと、ネッドになりすまして名門私立小学校の代用教員に応募。首尾良く4年生クラスの担任を務めることになるのです。もちろん、ロック馬鹿のデューイに勉強を教えることなど不可能。生徒に延々と休憩を取らせてお茶を濁します。しかしあるとき、クラスの何人かが音楽の才能を持っていることに気付き、名案を思いつきます。こいつらとバンドを組んでロック・コンテストに出場し、がっぽり賞金を稼いでやろう…。

その日から、デューイによるロックの特訓授業がスタート。「コンテストで優勝すれば、ハーバード大学も夢じゃない」と言いくるめられた子供たちは、破天荒なデューイの「教育」によって生き生きと変わり始めます。おとなしく勉強するだけだった子供たちが、ロックを通して、自己主張する歓びに目覚めるのです。デューイが、教えたとおり正確にギターを弾く一人の生徒にこう言います。 “It’s perfect. But the thing is, rock is about the passion, man. Where’s the joy?”「完璧だ。しかしな、要は、ロックは情熱なんだ。どこに歓びがある?」<0:41:32>。そうです。自分が感じた歓びは、情熱を込めて表現しなければ人に伝わらないのです。私は、自分の授業がマンネリに陥って、惰性に流されそうになった時、デューイの台詞をまねて自分にこう言い聞かせることがあります。“The thing is, education is about the passion. Where’s the joy?”
デューイはまた、なかなかの励まし名人。歌唱力があるのに、太っていることを気にしてステージに出たがらない女の子に対して、「君の他にも体重の問題を抱えている人間がいるんだよ」。彼女が「誰?」と問うと、「俺だよ。でもな、ひとたび俺がステージに立って演奏し始めたら、人は俺を崇めるのさ。というのも…」 “… I’m sexy and chubby, man.”「俺は、セクシーなおデブさんだからな」<0:56:20>。このように、自信をなくした生徒の心をうまくほぐしながら、元気づけるのです。

結局、ロック・コンテストの前日にデューイの正体がばれ、彼は学校から逃げ出してしまうのですが…。

この映画で特筆すべきは、ジャック・ブラックの演技。いや、演技というより地でしょうね。彼のロックに対する情熱、ミュージシャンとしての技量、行動のクレージーさ、性格の無邪気さ。これらの要素のどれ一つ欠けても、この映画は成功しなかったでしょう。

さらに、この映画のDVDには思わぬ拾い物がありました。映画などの作品のタイトルは、しばしば冒頭の定冠詞が省かれます(例えば、Beauty and the Beast『美女と野獣』)。しかし、どんな基準で省かれるのかが分からず、長い間気になっていました。ところが、本作品のDVDの特典映像にその答があったのです。主演のジャック・ブラック曰く、「タイトルにtheの付く映画はコケる」。もちろんこれはジョークで、実際は、それぞれの好み以外に確たる基準はない、ということですね。


2016年8月1日

タイトル:「重い」名詞句の処理に困った場合の対処法
投稿者:三村仁彦(京都外国語大学・非)


先日、某大学で使用しているテキストに次のような一文がありました。

(1) But the conflict was not such as to make impossible the making of wonderful films.
(太字下線は筆者による)
「しかし、この対立は素晴らしい映画の製作を不可能にするようなものではありませんでした[この対立によって不可能になることはありませんでした。素晴らしい映画の製作が]。」

太字下線部が少々変わった語順になっていますが、これはもともとのmake the making of wonderful films impossibleという並びから、目的語にあたる 名詞句the making of wonderful filmsを文末に移動して得られたものです。このような文法操作は「重名詞句転移(Heavy NP Shift)」(※NPはNoun Phrase「名詞句」の略)と呼ばれ、概ね次のような効果があるとされています。

(2) a.「重い」名詞句を文末にまわすことで、文全体の流れをスムーズにする。
b. 移動された名詞句が談話の中での焦点となる。

重名詞句転移はいわゆる学校文法の枠の外側にある文法操作ですが、書き言葉・話し言葉を問わず実際の英語ではしばしば観察される現象であり、(3)、(4) のように映画のセリフに登場することも決して少なくはありません(※下線部は[  ] 内の要素が移動前に占めていた位置を表す)。

(3) I am honored to present to you [our esteemed governor and my beloved wife, Elreanor Samara Grant]. <01:16:48>
「それでは皆様にご紹介いたします。現職の州知事であり、私の最愛の妻でもある、エレノア・サマラ・グラントです。」
『ニック・オブ・タイム』(Nick of Time, 1995)

(4) Did Emily explain to you [the letter’s significance]? <01:35:12>
「エミリーはあなたに説明しましたか?その手紙の重要性を。」
『エミリー・ローズ』(The Exorcism of Emily Rose, 2005)

重名詞句転移において興味深いのは、何が名詞句の「重さ」を決めるのかという点です。(3) のよう
に、多くの修飾語句を伴う名詞句が量的に「重い」とみなされるのは、見た目にも理解しやすく、異論のないところでしょう。しかし、(4) のように、修飾語句が少なくても、文脈上の理由でその名詞句が質的に「重い」場合には、重名詞句転移が可能となります。

前述のように、重名詞句転移は中学や高校で教わる(→学習する)ことは決してありませんが、英語をより深いレベルで楽しむためにはおさえておきたい(→談話の中で何に焦点が置かれているかという視点では知っておきたい)文法事項ではないでしょうか。この夏休み、映画を観ながら探してみると面白いかもしれません。


2016年7月1日

タイトル:Intrusive Consonant(嵌入子音)を伴うConsonant Cluster(子音連続)
投稿者:野中泉(東邦大学)

street は語頭においてstr の3つの子音が連続します。子音をC、母音をVと表すと、CCCVCと1音節の語です。しかし、日本語の音節の基本的な型は子音+母音のCVパターンで成り立っていて、子音の連続は許されません。そこで多くの日本人学習者は、sとtの間にウを、tとrの間にはオを入れて、さらに語尾のtの後にもオを追加し、「ストリート」のように発音します。母音を子音の後に挿入して、CV-CV-CV-CVと組み替えると、日本語を母語とする者にとっては発音しやすくなりますが、4音節になってしまった発音は、もはやstreetとしてネイティブスピーカーには理解されません。しかし、彼らにとっても連続する子音は決して楽な発音ではなく、余計な音を挿入することで発音しやすくしていることはあまり知られていません。

『あなたが寝てる間に』(While You Are Sleeping, 1995) では、princeが「プリンス」ではなく「プリンツ」と発音されています。
(1) Lucy: And I know that someday I will find a way to introduce myself, and, and that’s gonna be perfect. Just like my prince. (いつかはなんとか自己紹介ができる、きっとうまく行くと信じていました。まるで王子様と出会うように。)
<00:04:21>

また、 『花嫁のパパ』(Father of the Bride, 1991)では、chanceは明確に「チャンツ」と聞こえます。
(2)George: If I ever wanted to get rid of Bryan MacKenzie, this was my chance. (ブライアン・マッケンジーを追っ払うなら、今がチャンスだ。)
<01:10:17>

なぜ、このような発音になるのでしょうか。 [m]、[n]、[l]などの有声子音から、無声の摩擦音あるいは破裂音に移行する際に、先行する有声音とホモオーガニック(homorganic:調音点を同じくする)な無声破裂音が挿入されています。前述の(1)の例では、prince [pri^ns]の[n]から無声の摩擦音[s]への移行部分において、歯茎音である[n]とホモオーガニックである無声破裂音[t]が挿入され、[prints]となります。元々ない音素が追加することで、子音から子音への移行を手助けし、発音を容易にしています。(2)においても同じく、[n]から[s]への移行をスムーズにするために[t]が挿入されて[tSA^ns]が[tSA^nts]へと変化しています。

ですから、sense [sens]はcents[sents]、tense [tens]はtents [tents]と結果的に同じに発音されます。その他、once、dance、answerはそれぞれ[wVnts]、[dAnts]、[AntsEr]と発音されます。[ns]以外にも、[ls]が[lts]に、[mt]が[mpt]になる例として、それぞれelseが[elts]に、dreamtが[drempt]になることが挙げられます。アメリカ発音においては、このような発音は標準音になっています。

最後にonceが[wVnts]に聞こえる良い例として、ホイットニー・ヒューストンの“All at Once”を是非聞いてみてください。これでもか、というほどリフレインされており、納得の例証です。https://youtu.be/rKUXK08E1ds


2016年7月1日

タイトル:映画英語で学ぶ「服」を表す類義語
投稿者:山本五郎(広島大学)

身の回りのありふれた物を英語で言いたい時に,似たような意味を持つ単語がいくつも思い浮かぶことがあります。例えば,日本語の「服」に当たる英単語にはどのようなものがあるでしょうか。

「服」を表す最も一般的な語はclothesです。基本的な単語ですが英語学習者が誤って/klouzɪz/と発音することがあります。clothesの発音は「閉める」を表すclose(/klouz/)と同じですから,音には気を付けたいものです。「服・衣類」を表す単語には,他にclothing, dress, wearなどがよく用いられます。今回はこれらの名詞を修飾する形容詞との相性や特徴的な表現に注目してみましょう。

clothesは様々な形容詞を伴って用いられますが, 制服・軍服などに対してcivilian clothes(平服・私服)という表現を耳にすることがあります。

(1) “Sergeant, why are you not in your uniform this evening?” (軍曹,今夜はどうして軍服を着ていないんだね)
“We’ve been ordered to wear civilian clothes this evening, sir.” (今夜は私服を着用しろという命令なんです)
『ミッション:インポッシブル』(Mission Impossible, 1996) <00:13:51>

またclothesはclean clothes(洗い立ての服)やstreet clothes(日常着・外出着)のように,どちらかといえば一般的な修飾語との相性がよいようです。

clothesと綴りの近いclothingも一般的に「服」を表しますが,少しかたい印象を与える単語です。protective clothing(防護服)やwarm clothing(防寒服)のように機能を表すような形容詞を伴うことが多いようです。

(2) “Aromatic polyamide.” (芳香族ポリアミド繊維)
“It’s a synthetic fiber used to make bulletproof clothing.” (防弾スーツを作るのに使われる合成繊維です)
『CSIマイアミシーズン7 獄中からの呪い』(CSI Miami Season 7Target Specific, 2009) <00:19:35>

dressは正装という意味では男女の区別なく用いることもありますが,やはり女性用の「ドレス」を指すことが多い単語です。an evening dressやa wedding dressのようにドレスの種類を表す語とよく用いられます。また色を伴うことが多いのも特徴と言えるでしょう。

(3) “I first saw her at Palantine Campaign Headquarters at 63rd and Broadway.” (はじめて彼女を見たのは63丁目の(次期大統領候補の)パランタインの選挙事務所だった)
“She was wearing a white dress.” (彼女は白いドレスを着ていた)
“She appeared like an angel.” (まるで天使のようだった)
『タクシードライバー』(Taxi driver, 1976) <00:10:20>

wearは特定の用途の服を表すような形容詞を伴うことが多く,formalやmaternityといった単語と相性が良いようです。またsportswear(スポーツウェア)やunderwear(下着)のように他の単語と一緒に複合語を作ることも多い単語です。

(4) “It’s chief exports are textiles, footwear and rice.” ((タイの)主な輸出品は布地や靴や米だ)
『ハングオーバー!! 史上最悪の二日酔い、国境を越える』(The Hangover part 2, 2011) <00:19:45>

今回は「服」を表す類義語に注目して映画のセリフを紹介しました。特徴的な形容詞との組み合わせは絶対的なルールではありませんが,英語に多く触れていくうちに語と語のつながりの相性のようなものに気付くことも多いはずです。英語の語感を養うためにも,あまり選り好みせず様々な英語映画を観てセリフを楽しんでいきたいものです。


2016年6月13日

タイトル: feel ‘bad’とfeel ‘badly’-心理面をどう伝える?
投稿者: 横山仁視(京都女子大学)

S+V+Cに用いられる動詞(認識・感覚・状態・変化)の補語となる品詞は一般的に形容詞をとり、このことは、次の(1)から(5)をはじめ多くの映画の台詞でも確認できます。

(1) JANE: Don’t feel bad.(27 Dresses, 2008)<00:28:38>
(2) GEORGE: We live next door to each other, and I feel bad.(Erin Brockovich, 2000)<00:17:36>
(3) SCOTT: I just want to live my life and not feel bad about it.(Freedom Writers, 2007)<01:39:20>
(4) JEREMY: I feel real bad about this.(Indecent Proposal, 1993)<00:07:46>
(5) VINCENT: But don’t feel bad, we just met each other.(Pulp Fiction, 1994)<00:42:08>

しかし、(6)や(7)のように副詞をとる場合もあります。

(6) ANNE: Please don’t do this because you feel badly on my account.(Anne of Green Gables, the Sequel, 1988) <01:13:50>
(7) LAURIE: Don’t feel too badly, Jo.(Little Women, 1994)<01:23:10>

確かに、『ウィズダム英和辞典、3版』の見出し語‘feel’と‘badly’には次のような記述があります。

feel bad ((くだけた話)) 体調が悪い; いやな気分だ, 後悔している, 気がひける(精神状態を示す時はbadlyも見られる)
[[feel badly]] 気分が悪い; <<…を>>残念[気の毒]に思う<<about>>

学習者がとっさに自分の気持ちを伝える役割として使い分けを区別することは、いささか難しいのではないでしょうか。仮に発話者が抑揚に注意して、‘bad’に強勢を置き、長母音化して発音すれば、その人の心理面を前面に表すことはできるでしょうから。

この事象を理解する上で役に立つと思われる辞書を以下を紹介します。投稿者が学生時代に「辞書」というよりは「表現集」として愛読していたものにHarper Dictionary of
Contemporary Usage
があります。この辞書の特徴は、特定の語彙の用法について「正用法」なのか「誤
法」なのかについて境界線を引くことを狙ったものではなく、母語として英語を職業人として仕事の
中で日々使用している166人のインフォーマント(writer, radio and TV commentator, editor, linguist,
educator, journalist, historian, novelist, lawyer, poet, news correspondent, columnist etc.)にアンケート調査を
したもの編纂したものです。

用法の一つに興味深い設問がありますので、以下に紹介します。
(pp.61-62)。

When referring to your mental physical state, do you say, “I feel bad”?
Yes: 77%. No: 23%
“I feel badly”? Yes: 26%. No: 74%

以下が回答例ですが、bad/badlyに関わらず母語話者の表現のバリエーションに触れることができるのが英語学習者にとっては何よりも魅力ではないでしょうか。

・(rejecting “feel badly”) “And I feel terrible when someone else says it!”
・“ ‘Feeling badly’ is the mark of an inept dirty old man.”
・“I avoid both. I would simply say, ‘I don’t feel well.’ ”
・“Sometimes I use one, sometimes the other. When I feel really terrible, I say ‘bad.’ ”
・“I say ‘fee bad.’ You don’t feel ‘goodly,’ do you?”
・“I avoid the issue by saying, ‘I feel lousy.’ ”
・“ ‘Badly’ in this use seems a bit pedantic, but I would say, ‘I feel badly about letting you down.’ ”
・“Both sound awkward to me. I’d say, ‘I don’t feel well.’”
・“My sense of touch is good-so I don’t ‘feel badly.’ ”
・“I generally say, ‘I feel like death, awful, etc.’ But ‘bad’ is the answer to the question.”
・“I say ‘I don’t feel good.’ ”
・(voting “no” to both) “I particularize the symptoms. That’s much more impressive. ”
・(voting “yes” to badly) “But what I really say is ‘I feel terrible’ (or ‘lousy’).”
・“Yet ‘I feel poorly’ does distinguish between health and poverty.”
・(No to both) “I should say ‘I feel ill’ or ‘depressed.’ ”
・“I distinguish. Some situations seem to call for ‘bad,’ others for ‘badly.’ ”
・“ ‘Feel badly’ is a dainty-ism used by people who think ‘bad’ is too blunt and crude.”
・“I use ‘I feel bad’ to express a physical condition, but ‘I feel badly’ to express an emotional response.”
 (下線は投稿者)
・“If my tactile sense were so blunted that I felt badly, I’d feel po’ly about it.”
 (下線は投稿者)
・“ ‘I feel badly’ is god-awful because it signifies an effort to be elegant by one obviously ignorant.”
 (下線は投稿者)
・“I’m sure I’d really say, ‘I feel lousy.’ ”
・“Neither. I’d say, ‘I don’t feel well’ or ‘I feel awful’-which in principle, I suppose, is the same as ‘I feel bad.’ ”

特に下線を引いた意見には興味深いものがあります。時代背景、発話者の人物描写からくる意図的な話術?を感じ取ることができます。ちなみに、COCA(Corpus of Contemporary American English、1990-2015年度で520million wds)では、feel ‘bad’が1707件、feel ‘badly’が152件ヒットします。

(参考辞書)
William Morris, Mary Morris (1985) Harper Dictionary of Contemporary Usage, 2nd ed.
NY: Harper & Row, Publishers. (ISBN: 0-06-181606-X)


2016年6月1日

タイトル: 時代特有のスポーツ事情を映画で学ぶ
投稿者: 飯田泰弘(大阪医科大学・非)

どこの国でも、国民がとりわけ熱狂するスポーツというものがあります。北米の場合、プロリーグを持つスポーツの中で最大の人気・規模を誇るのは、ベースボール(MLB)、バスケットボール(NBA)、フットボール(NFL)、アイスホッケー(NHL)の4つではないでしょうか。これらを題材とした映画も多数ありますが、今回は多くの日本人選手も活躍するベールボールについて取り上げます。

日本人選手のMLBへの門戸を広げた選手といえば、野茂英雄氏でしょう。数々の球団で輝かしい成績をおさめた彼は、メジャーデビューの1995年から新人王や奪三振王のタイトルを獲得。全米で一大旋風を巻き起こしました。1995年春まで史上最長のストライキを実施していたMLBにとって、彼の登場は野球人気復活に大きく貢献しました。

野茂氏の活躍は、90年代の映画の中でも確認できます。たとえば『ライアーライアー』(Liar Liar, 1997)は、まさに野茂氏の絶頂期に製作された映画で、舞台も彼が当時在籍していたドジャーズの地元、ロサンゼルスです。映画の中では、息子(Max)が父親(Fletcher)から誕生日プレゼントに野球セットをもらうシーンで、次のような会話があります。

(1) Max: Baseball stuff! (野球セットだ!)
  Fletcher: Baseball stuff! (野球セットさ!)
  Max: Cool! Can we play!? I’ll be Nomo. You can be Jose Canseco. Can we play that!? Can we play!?
  (最高!一緒にする!?僕はノモだよ。パパはカンセコだ。一緒にする!?) <00:11:41>

いかにも野球好きの親子の会話です。どこの国でも子供は「有名なスポーツ選手ごっこ」をしたがるようですが、その遊びに野茂氏の名前が登場するのがどこか嬉しいですね。当時、いかに彼がロサンゼルスで子供たちのヒーローだったかがわかります。また、親子が野球について話す別のシーンでも、当時のベースボール事情がわかるセリフがあります。

(2) Max: But I told them I’m playing tonight with my dad. So now they want to play with us. Is that okay?
  (今夜パパと野球するって言ったら、彼らも一緒にしたいって。いい?)
  Fletcher: Sure. The more the merrier.(もちろんさ。大勢の方がいい。)
  Max: Cool! Still wanna be Jose Canseco? (やった! パパはやっぱりホセ・カンセコやる?)
  Fletcher: Oh, yeah. Who else is gonna hit that famous Nomo slider?
  (当然さ。ほかの誰が野茂の有名なスライダーを打てるんだい?) <00:56:35>

野球好きのかたは、最後のセリフに違和感を持たれたと思います。そう、野茂投手が屈強なMLB選手から当時、三振をバッタバッタと取っていたのは「フォークボール」という縦に落ちる変化球を得意としていたからで、MLB選手たちも口をそろえて「手元でボールが突然消える」と言っていました。しかし当時のMLBでは、肘への負担回避のためフォークボールを投げる選手はあまりおらず、セリフではより知名度があり、同じ縦方向へ落ちる別の変化球「スライダー」という表現になっています。フォークボールをスライダーと誤認しているこのセリフからも、野茂氏の「フォークボール」がどれほど「魔球」であったかがわかります。(縦方向のスライダーでいま有名な選手は、ヤンキースの田中投手(マー君)などですね)

このように、映画ではその時代特有のスポーツの情報を得ることもできます。スポーツ好きのかたはそういう視点で映画を観ても面白いと思います。ちなみに何度も出ているホセ・カンセコという選手は、同じく90年代に活躍したホームランバッターで、昨年末、ジャスティン・ビーバーとの熱愛報道が出たモデルのジョージー・カンセコは、彼と元妻の間に生まれた娘です。


2016年5月1日

タイトル:『私の中のあなた』(My Sister’s Keeper, 2009)「メタファーに見る西洋的父性原理」
投稿者:北本晃治(帝塚山大学)

コミュニケーションにおいて、日本人が言葉の意味の整合性よりも、その感情・感覚による一体感を重視する母性原理を基調とする一方で、西洋人には、安易な感情・感覚的迎合よりは、言葉の意味やその論理性に拘る父性原理の影響が大きいということは、このコラムの中でも繰り返し論じてきましたが、今回は、メタファー(隠喩)の使い方の中にも、それが表れている例を見てみましょう。

まずは、映画の概要です。幼くして白血病を発症し、家族であっても、HLA(白血球の血液型)が異なるため、必要な手助けができないと宣告された夫婦とその子供達のことが描かれています。そして彼らは、医師の密かな勧めから体外受精の操作によって、それが適合するもう一人の子供を産んで、その子から必要な組織を提供させるという選択をします。

かくして生まれてきたアナは、幼い頃から白血病の姉、ケイトを救うために、何度も体の組織の提供を強いられるも、弁護士の職を辞して娘の面倒を見ることに専念する母サラと、消防士として活躍する父ブライアン、そして兄のジェシーとともに、愛情に包まれた家族の絆を築いて行っているように思われました。しかしアナが11歳になった時、姉のケイトが腎不全をおこし、腎臓の移植手術が必要になります。片方の腎臓を移植しなければ姉の死は確実なものとなるという時に、アナは両親を相手取って臓器提供を拒否する訴訟を起こすのでした。

実は、姉のケイトが大好きなアナは臓器提供も厭わなかったのですが、訴訟は、死が確実なものとなりつつある現状の中、これ以上の家族の犠牲とつらい治療から逃れ、やはり白血病で先に死んだ恋人テイラーの元への旅立ちを望むケイトの強い願いを実現したものだったのです。母サラは、ケイトを生かすためだったら、家族のどんな犠牲も仕方がないという母性超自我の持ち主です。母の自分への強い愛ゆえに、それに決して気持ちでは抗えないケイトが考え出した案が、アナによる訴訟だったのです。そして、訴訟の場において、それがケイト自身の意志によるものであることが露呈してしまった後も、サラの姿勢は変わりません。

様々なテーマが取り出せる、とても奥深い映画なのですが、はじめに述べたように、ここでは特に白血病を患った娘のケイトとその母サラとの間で交わされた最後の会話に含まれるメタファーに焦点を当てて、考えてみることにしましょう。その後、死期を悟ったケイトは、病室から家族をすべて帰し、母と二人きりになって以下のような会話を展開します。

Kate: You don’t wanna talk?(話したくないの?)
Sara: Nope.(そうよ)
Kate: Are you mad at me?(私のこと怒ってる?)
Sara: I’m not mad at you, I’m just mad. You gotta get some rest, okay? You be strong for surgery.(あなたに怒っているわけじゃないわ。少し休みなさい。手術にそなえなきゃ。)

Kate: I made this for you.(これ、お母さんのために作ったの。)
Sara: What is it?(なに?)
Kate: It’s everything. It’s us. It was a good one, wasn’t it? (すべてよ。私たちのこと。いい人生だったでしょう?)
Sara: The best.(最高よ。)
Kate: Remember that summer when I went away to camp? And I was so scared that I’d miss you guys.(私がキャンプへ出かけたあの夏のこと覚えてる? 私、家族と離れるのがとても怖かったの。)
Sara: Yeah.(そうだったわね。)
Kate: Before I got on the bus, you told me to take a seat on the left side, right next to the window, so I’d be able to look back and see you there.(バスに乗る前に、お母さんは、左サイドの窓際の席に座るように言ったわ。振り返ればお母さんが見えるからって。)
Sara: I remember.(覚えてるわ。)
Kate: I get the same seat now. It’s gonna be okay. It’s gonna be okay, Mom, I promise. (今も同じ席にいるわ。大丈夫だから。お母さん、大丈夫よ。約束するわ。) <01:33:10>

まずは、幼い頃からの自分と家族の交流を綴った感動的な手作りのアルバムを見せ、「いい人生だったでしょう?」と母に問いかけます。これには、母は、「最高よ」と答えるしかありません。そして、昔のキャンプへの旅立ちの思い出を持ち出して、それが母子の絆の強さを示すものであったことを確認した上で、「今も同じ席にいるわ」と死への旅立ちを母に認めさせるのでした。ここで、これまで決して折れることのなかった母も、感極まって泣き崩れてしまいます。ケイトはそれを抱き留めて「大丈夫だから」と、優しく慰めるのでした。母子の役割は逆転していますが、その絆と真の愛情とは何かが、稲妻のように表出した瞬間でした。

それでは、愛ゆえに相手を縛る母性超自我に囚われていたサラに、身体的納得を齎した、このキャンプと死への旅路を重ね合わせる「今も同じ席にいるわ」というメタファーは、一体どのような構造を持っていたのでしょうか。

キャンプへの旅路 死への旅路
娘がキャンプへ旅立つことは、その成長に必要である。 娘が死へ旅立つことは、その魂の安らぎに必要である。
見送ることは母の愛である。 見送ることは母の愛である。
バス左サイドの窓際の席:「母子の絆の強さ」と「分離の必要性」を両立、保障する場。 メタファー:今も同じ席にいるわ)今のこの病室=バス左サイドの窓際の席:「母子の絆の強さ」と「分離の必要性」を両立、保障する場。
母(家族)との別れを怖がっている娘。
母が娘を見守っているから娘は大丈夫。
娘との別れを怖がっている母。
娘が母を見守っているから母は大丈夫。

対照表のように、娘のケイトが用いた「今も同じ席にいるわ」というメタファーには、自らの死への旅立ちを見送ることこそが、真の母の愛であること、そして母は過去にそれと同型の事柄を、すでに実践に移した経験があること、今回は、かつて見守られた娘が、母を見守る立場へと大きく成長していること等を、母サラに認めさせる意味の連鎖が、見事に埋め込まれていることが分かります。成長の証としての言葉の行使が、母性超自我によって生じている母子一体の固着感を突き崩し、自律的な個をベースとした関係性を再定義する力を生み出しています。これはまさに、根拠に基づいた新たな意味を切り開く父性原理の機能だと言えるでしょう。

このように、訴訟の場はもとより、メタファー(隠喩)のレベルでも作用している父性原理を考えてみることで、西洋文化の本質的理解もさらに深まって行くものと思われます。


2016年5月1日

タイトル:『マイ・ブルーベリー・ナイツ』に見る比喩表現~失恋編~
投稿者:松田早恵(摂南大学)

『マイ・ブルーベリー・ナイツ』(My Blueberry Nights, 2008)は、ウォン・カーウァィ監督が豪華キャストを起用して撮影した初めての英語作品ですが、評価は賛否両論に分かれます。主演女優のノラ・ジョーンズ(エリザベス)や主演男優のジュード・ロウ(ジェレミー)よりも脇役のナタリー・ポートマン(レスリー)、レイチェル・ワイズ(スー・リン)、デビッド・ストラーザン(アーニー)の演技の方が際立っているとか、カメラワークが良くないとか、ストーリーが非現実的だなどの批判もありますが、主役の二人のやりとりには、人生哲学っぽいメッセージがちりばめられており、なかなか勉強になります。タイトルにも使われているブルーベリー(パイ)の比喩が面白いのでご紹介します。

ストーリーは、ニューヨークのレトロなカフェバーから始まります。ある晩そこにエリザベスが現れ、店主のジェレミーに自分の元彼が来なかったと尋ねます。毎日来ては同じ質問を繰り返すエリザベスに、ジェレミーは優しく対応します。その後しばらくして、エリザベスは元彼との合鍵をジェレミーに預け、今度は元彼が取りに来たかどうかをチェックするため毎晩カフェバーに通います。自分がなぜフラれたのかわからないと悶々とするエリザベスは、ジェレミーと次のようなやりとりを交わします。

ELIZABETH: Guess I’m just looking for a reason.
(別れの理由が知りたいだけなのかも。)
JEREMY: Well, from my observations, sometimes it’s better off not knowing, and other times there’s no reason to be found.
(僕が思うに、時には知らないほうがいい。それに理由が見つからないこともある。)
ELIZABETH: Everything has a reason.
(全てに理由があるわ。)
JEREMY: Hmm. It’s like those pies and cakes. At the end of every night, the cheesecake and the apple pie are always completely gone. The peach cobbler and the chocolate mousse cake are nearly finished, but there’s always a whole blueberry pie left untouched.
(パイやケーキみたいなもんなんだ。毎晩店を閉めるとき、チーズケーキとアップルパイは売り切れてる。ピーチコブラーとチョコレートムースケーキもほぼ完売。でもブルーベリーパイはいつも手付かずで残ってしまう。)
ELIZABETH: So, what’s wrong with the blueberry pie?
(ブルーベリーパイの何がいけないの?)
JEREMY: There’s nothing wrong with the blueberry pie. People make other choices. You can’t blame the blueberry pie. It’s just no one wants it.
(何も悪くない。お客が他の選択をするんだ。パイのせいじゃない。誰も欲しがらないだけで。)
<0:06:44>

“It’s just nobody wants it.”(誰も欲しがらないだけ)はグサッと胸に刺さりそうな気がしますが、このやりとりは、エリザベスをブルーベリーパイに例えた、ジェレミーなりの励ましです。“There’s nothing wrong with you. Don’t blame yourself.”(君は全然悪くない。自分を責めないで)というメッセージが込められていると言えます。実際、エリザベスは、この後棄てられそうになるブルーベリーパイを一切れ食べてみることにします。そして、それが案外美味しいことに気づくのです。

とはいえ、元彼への執着心はそんなに簡単に吹っ切れるものでもありません。エリザベスは、夜な夜な愛の古巣を道路から見上げては元彼の姿を探します。ある晩、窓際に彼の姿を見つけたエリザベスは、その後決定的な瞬間を目撃します。そして、ストーリーはそこから違う展開を見せ、エリザベスは傷心の旅に出るのでした。

<余談>
Jeremyの説明に対して「本当にそうなの?」という疑問が生じたので、「チーズケーキ、アップルパイ、ピーチコブラー、チョコレートムースケーキ、ブルーベリーパイという5種類の選択肢があったら、あなたは何を選びますか?」という質問を周りにしてみました。ピーチコブラーに馴染みの無い人には、ピーチパイのようなものだ(It’s like a peach pie.)と説明しました。回答者は、10代~80代の男54名、女性50名の計104名で、国籍は日本100名、アメリカ2名、オーストラリア1名、カナダ1名でした。

結果は、<1位>チーズケーキ:42名、<2位>チョコレートムースケーキ:27名、<3位>アップルパイ:22名、<4位>ブルーベリーパイ:7名、<5位>ピーチコブラー:6名でした。

ダントツはチーズケーキでしたが、2位はチョコレートムースケーキが意外と健闘してアップルパイを抜きました。概して男性からの人気が高かったようです。日本ではもっと人気が高いかと思ったブルーベリーパイですが、やはり…Not many people want it?


2016年4月1日

タイトル:「男女の役割の変化とともに表現も新しく」
投稿者: 藤倉なおこ(京都外国語大学)

“stay-at-home dad”という表現をご存知でしょうか?直訳すると「家にいるお父さん」ですが、アメリカ、カナダ、イギリス、そして日本でも最近、増えている「専業主夫」のことです。米国の調査会社Pew Research Centerによると、かつては男性が外で働かずに家にいる最も多い理由は、「病気または障がいがある」でした。しかし、「家族の世話をするため」という理由がここ20年で約4倍に急増しています。背景には夫よりも高収入の妻が出てきたこと、また積極的に育児に関わりたいという考える男性が増えたことがあげられます。

映画『マイ・インターン』(My Intern, 2015)のアン・ハサウェイ扮するジュールズは、ファッションサイトを運営する会社の最高取締役責任者(CEO)です。幼稚園に通う娘と専業主夫の夫と暮らしています。彼女の会社にシニア・インターンとしてやってきたのがロバート・デニーロ扮するベンでした。ベンは運転手として彼女を朝、車で迎えに行きます。その時、妻の洋服をクリーニングに出し、妻に幼稚園の行事に出席できるかをたずねる主夫である夫をベンは目の当たりにします。以下がその後の会話です。

ベン :“I read about these househusbands. It’s interesting how that worked just now.”(“househusband”については読んだことがあったよ。今のきみたちを見ていたらうまくいくものなんだなと思ったよ。
ジュールズ:“They actually prefer to be called stay-at-home dads.”(彼らは“stay-at-home dads”って言ってほしいと思ってるのよ。)
ベン :“Oh, sorry. I did not know that. Well, it’s very admirable. He’s a real 21st century father.”(それは失礼。知らなかったから。とても立派だと思うよ。まさに21世紀のお父さんってところだね)。<0:43:58>

かつて「主夫」には“househusband”という表現が使われていました。しかしそれには「就職できないで家にいるダメな夫」という偏見がつきまとっていました。まだ決して「主夫」に対する偏見がなくなったというわけではありませんが、最近では代わりに “stay-at-home dad”が使われ、男性にも女性にも使える “stay-at-home parent”という表現もあります。また、主婦についても“housewife”ではなく「主婦」にも「主夫」にも使える“homemaker”と表現されることが増えています。男性、女性の役割の変化とともに表現も変化していきます。


2016年4月1日

タイトル:『ブリッジ・オブ・スパイ』で学ぶ法律英語
投稿者: 井村誠(大阪工業大学)

『ブリッジ・オブ・スパイ』(Bridge of Spies, 2015)は、米ソ冷戦時代にFBIによって捕らえられたソ連スパイのルドフル・アベル(Rudolf Abel)の弁護を引き受け、後にソ連および東ドイツとの人質交換を成功させた弁護士ジェームス・ドノバン(James Donovan)の実話に基づく物語です。ドノバンの交渉術から法律英語を学んでみましょう。

まず、アベルの弁護にあたってドノバンは、合衆国憲法修正第4条(The Fourth Amendment)に基づいて、FBI が捜査令状(warrant)なしに家宅捜査(house searching)を行って押収(confiscate)した証拠物件(evidence, exhibit)が無効(inadmissible)であると主張します。しかしその申し立て(motion)は5対4の評決(verdict)により却下され、裁判は敗訴。ただ様々な圧力がかかる中で、ドノバンは将来の人質交換(prisoner exchange)の可能性を判事に直訴して、なんとか死刑判決を回避することに成功します。

その後実際にソ連側で米軍パイロットが捕らえられるという事件が起こり、CIAの依頼によりドノバンはパイロットのパワーズ(Francis Gary Powers)と、アベルの人質交換の交渉に駆り出されることになります。この時ドノバンは、パワーズのみならず、当時ベルリンの壁が築かれつつあった東ドイツで拘留されたアメリカ人学生プライヤー(Frederic Pryor)の救出にも成功します。いったいどうやってこのような困難な取引を可能にしたのでしょうか?

ソ連はアベルをソヴィエト市民として認めたくないために、東ドイツ経由で交渉を進めようとします。いっぽう東ドイツは共産主義国としての地位を確立するためにロシアに恩を売りたいという腹があります。ここに目をつけたドノバンは、いわば「三方良し」の形で相手を丸め込みます。以下は、ドノバンが1対2で人質を交換することについて、東ドイツの交渉相手に語った下りです。

<01:39:37>
Donovan: I’m not quite sure what the problem is if the arrangement satisfies two parties or three or four. What difference does it make?(何が問題なのかな?当事者がみな満足するならそれでいいじゃないか。)
<01:40:19>
Donovan: Now, tell me if I am describing this wrong. You have a kid, a university student, someone you know is not a spy, who’s no threat to you. And in exchange for this person who is worthless to you, you play an equal part in an exchange between the Russians and the Americans.(もし間違ってたら言ってくれ。この大学生がスパイじゃないことは誰の目にも明らかだ。何の脅威にもならない人質を差し出すことで、君の国はソ連、アメリカと同等の役割を果たせるんだ。)

なお、法学英語については、法律の専門家による『新・シネマで法学』(野村進・松井茂記[編] 有斐閣)という本が参考になります。ご紹介まで。


2016年3月7日

タイトル: 形容詞nakedの新たな意味について
投稿者: 吉川裕介(昭和大学)

今回は形容詞nakedの新たな語義の獲得について紹介したいと思います。形容詞nakedをジーニアス英和辞典で引くと次のように定義されています。

 ①〈人が〉裸の、全裸の;〈体の一部が〉むきだしの(bare, nude)
 ②〈物が〉覆いのない、むきだしの(bare)
 ③〈目が〉めがねなどに頼らない
 ④〈感情・態度などが〉露骨な、あからさまな、ありのままの (G5, S.V. naked)

定義①と②から、nakedはbareやnudeとある程度意味が重複する点がうかがえます。定義③に注目すると、the naked eyeというコロケーションで生起し、「裸眼、肉眼で」という意味で用いられます。実際、nakedと共起する名詞をコーパスで調べるとeyeが圧倒的に頻出することからも、そのコロケーションの結びつきの強さが分かります。

ブルース・ウィリスが主演するSF映画『12モンキーズ』(Twelve monkeys, 1995)でもthe naked eyeという表現が作品中で使われています。以下は、真犯人(作品の性質上、名前は伏せてあります)が全人類の99%を滅ぼすことになる凶悪なウィルスを手にした際の台詞です。

The real culprit: There, you see? Also invisible to the naked eye. It doesn’t… even have an odor.
真犯人:「ほらね、肉眼では見えない。匂いさえも…ない」
                                                   (Twelve monkeys, 1995)<02:00:25>

しかし、近年になって形容詞nakedが新たな意味で用いられるようになっています。The New York Timesからの例を見てみましょう。この例ではnakedが「加工しないで、生のままで」というrawの意味で使われています。このことは、nakedが「本来の」というoriginalの意味を帯びて使われ始めていることを表していると言えます。

The explosion of raw bars and dedicated oyster menus in Manhattan has sent a clear message: Sophisticates eat oysters naked on the half shell. Cooking is for people who wear pastels. (注釈:who wear pastelsは前のSophisticatesと対比しており、一般的な人々と解釈すると良いと思います。Sophisticatesは黒やグレーのような色合いの服を好んで着ていることに由来する。)
                                                   (The New York Times 2001/04/25)

この他にもnaked salad「ドレッシング等をなにもかけないサラダ」(plainの意)や、naked water「濾過した、不純物を取り除いた水」(pureの意)のような使用例が見られます。このような語義の拡張はnakedと他の同義語には観察されず、「本来のままの」という意味を中心儀にもつnaked固有の表現になっている点が非常に興味深いと言えます。

このnakedの新たな意味は、その使用域を広げている途上であることから、映画で共起例を発見することは難しいかもしれませんが、近い将来、映画でも使われるほど一般性の高い表現になっているかもしれませんね。


2016年3月4日

タイトル:Great は「素晴らしい」?!
投稿者:近藤嘉宏(京都外国語大学・非)

Greatは、誰もが知っている基本語彙ですが、文脈から離れて意味を理解しようとしたり和訳をしようとすると殆ど不可能な作業になってしまいます 。状況に適した、文脈に沿った和訳も映画の一場面を使えばよりやり易くなるでしょう。 また、英語力を身につけるinputの方法の一つにオーラルインタープリテーション(近江誠元南山短期大学教授が提唱)があります。これは「意味というものは、言語の内部にすでに存在しているのは一部であり、多くはむしろその使用者(=語り手)が、特定の語り手を意識し、ある時と場所からある思いを込めて与えるものであるという言語パロール観という言語観」に基づいた方法です。(omi-academy.com/about/より)。つまり1)誰が、2)誰に、3)いつ、4)どこで、5)どういう理由で 6)何を、7)どのように、語っているのかを批判的に味読 し、その理解した事を朗読・音読によって表そうというものです。7)番目の項目には、ボディーランゲージのような非言語的な情報も要素の一つになります。この7つの項目を考えて音読・発話をしようというのがOral Interpretationであり、その点で映画は、理想的な教材と言えるでしょう。

『この胸のときめき』(Return to me, 2000)から次の例を見てみましょう。

(Meganが待合室が雑然としているのを見てAdamたちに)
Megan: “Adam, Martin, Dayton, what is that?”(アダム、マーティン、デイトン、あれは何?)
Tyler (Meaganの子供): “Cherry pop.”(チェリーポップだよ。)
(子供がワインを飲んでるのを見て)
Megan: “Sophie, did you give him wine?”(ソフィー、あなた子供にワイン飲ませたの?)
Sophie: “Angelo…”(アンジェロよ。)
Megan: “Angelo, what are you doing to me?”(アンジェロ、何してくれてるの?)
Angelo: “It’s… tranquilliser.”(それは…鎮静剤さ。)
Megan: “Oh, that’s great!(まあ、なんてこと。)
Angelo: “So sue me. They are drunk and disorderly.”(じゃあ、訴えてもいいぜ。あの子たちはもう酔っ  ぱらってはちゃめちゃになってるけどな。) <0:21:20>

ここでのgreat は文面だけで意味を理解するのは困難ではないでしょうか。上の7つの要素がほぼ不明だからです。状況は友人たちが病院の待合室で友人の心臓移植手術を待っている状況で時刻はすでに午前1時です。病院の待合室での会話で子どもは自宅で寝ているはずの時刻。cherry popだけでなくワインも飲んで起きている。そのような状況での発言。この発言の映像を見れば Meganのイントネーションや顔つきなどの言語以外の情報から彼女の発言の意図を読み取る事は簡単でしょう。試訳として「なんてこと」としましたが、「すばらしい」は当てはまらないにしても、「困るわね。」「何してるの。」「やめてよ。」などいくつか候補が出てくるのではないでしょうか。字幕では、「あきれた。」となっています。

Collins Cobuild English Dictionary(第7版) の見出し語greatの語義番号11には you say great in order to emphasize that you are angry or annoyed about something.と定義されており、この状況を説明しています。一方、語義番号10の定義には正反対の意味でyou say great in order to emphasize that you are pleased or enthusiastic about something. があります。全く正反対の意味を一つの単語が表すことから、意味を決定するには文脈を考慮することが大切であることを教えてくれています。そして、意味が理解できたらそれを実際に音読・発話してこれらの表現をまるごと身体の中に取り入れていこうというのが先に紹介したオーラルインタープリテーションです。実際に学生にこの部分を音読させると本当に意味が分かった上での音読なのかどうかすぐに分かります。こうした観点を授業に取り入れていくことはできるのではないでしょうか 。


2016年2月1日

タイトル: 映画プラトーンに見るアメリカ社会の宿痾(しゅくあ)
投稿者: 佐藤弘樹(京都外国語大学・非、α-Station FM Kyoto パーソナリティー)

数ある戦争映画の中でも、映画「『プラトーン』(Platoon, 1986)」は、その思想性とメッセージ性において傑出した作品だと思います。今から30年前の映画とはとても思えません。

1986年公開、オリバー・ストーン監督。場面はベトナムの戦場。主人公は大学を中退してベトナムに志願してやってきた若者クリス・テイラーと、歴戦のバーンズ軍曹とエリアス軍曹。

バーンズ軍曹とエリアス軍曹はことごとく対立し人間関係はこじれています。バーンズ軍曹は戦闘に勝利する事しか考えない冷酷無比な男。一方のエリアス軍曹は部下思いの優しい男。ある日、村民を虐殺しようとしたバーンズ軍曹をエリアス軍曹は身体を張って止めさせます。これにより二人の対立は決定的なものとなります。そして、斥候に出たエリアス軍曹をバーンズ軍曹は射殺します。

部隊が現場からヘリで撤収する際に、瀕死の重症をおったエリアス軍曹は敵に追われながら逃げてきますが結局敵に撃たれて戦死します。

生前、エリアス軍曹はクリスに「この戦争は負ける」と言い、こう語りかけるシーンがあります。

エリアス軍曹:We’ve been kicking other people’s asses for so long. I figure it’s time we got kicked.
「アメリカは長いこと他国に対して横暴だった。そのバチが当るころだ。」(<01:02:38-42>)

バーンズ軍曹によるエリアス軍曹殺害を疑ったクリスは彼に殺意を抱きますが、逆に組み伏せられてしまいます。その時、バーンズ軍曹はエリアス軍曹を非難して、こう語ります。

バーンズ軍曹:Now, I got no fight with any man who does what he’s told. But when he don’t, the machine breaks down. And when the machine breaks down, we break down.
「いい兵隊ってのは、命令どおりに動くもんだ。命令を無視すりゃ、軍隊は機能しない。そして、軍隊が機能しないと、兵士は死ぬんだ。」(<01:23:46-56>)

そして最後の大規模な戦闘が終結した後で、クリスは負傷したバーンズ軍曹を見つけ殺害します。

救援ヘリに乗せられたクリスの述懐です。

クリス:As I‘m sure Elias will be fighting with Barns for possession of my soul. I have felt like the child born of these two fathers.
「エリアスとバーンズは僕の魂を巡って戦いを続けるだろう。時として僕は自分があの二人を父として生まれた子供のように感じる。」(<01:54:36-49>)

この映画の中では一見エリアス軍曹は善玉でバーンズ軍曹は悪玉として描かれているように見えますが、バーンズ軍曹のセリフは組織論としては真っ当です。エリアス軍曹のようなセリフは組織が機能しているからこそ言えるセリフです。

アメリカ社会は激しい競争社会で、それを是としています。しかし勝者の影には必ず敗者がいます。loserという英語は我々日本人が思う以上にアメリカ人の嫌う言葉です。自分がいつかloserになるのではないかと怯えつつ、バーンズのように戦い続け、エリアスのように心を痛める姿こそが、アメリカ人の深層心理にあるように思えてなりません。

注:劇中で二人の階級はエリアスがSergeant Elias(エリアス軍曹)、バーンズはStaff Sergeant Barns(バーンズ曹長)となってますが、本稿ではわかりやすく二人とも軍曹としました。


2016年2月1日

タイトル:「できた」にまつわる表現
投稿者:衛藤圭一(京都外国語大学・非)

先日、今年度の大学入試センター試験が終わりましたが…「私は入学試験に合格することができた!」は英語で何と言うのでしょうか?私が高校生の時だったら I could pass the entrance exams ! と答えたと思いますが、この文のように「過去の1 回限りの成功」を言いたい場合にはcouldを使わずに動詞の過去形を使ってI passed the entrance exams!と言います。ちなみに、「できた」という点を強調したい場合には次のようにwas able to を使います。

(1) Breteuil: By doing so, I was able to employ one more bit of skullduggery. <01:33:22>
『マリー・アントワネットの首飾り』(The Affair of the Necklace, 2001)

(2) Maggie: We were able to restore blood flow to the heart with the operation but he developed a lethal arrhythmia and we were unable to resuscitate him. <00:13:53>
『シティ・オブ・エンジェル』(City of Angels , 1998)

ここでは(2)を見てみましょう。マギーは医者で、患者の遺族に手術の様子を語っている場面です。「血流を回復させることができた」という1回限りの成功を、was able toを使って強調しています。このように、「1 回限りの成功」を言いたい場合にはcould を使わないのが原則なのですが、次のような文では問題なく使えます。

(3) Will: Marcus was clearly really screwed up about it, and unfortunately, I couldn’t think of anything to say that would be of the smallest value. <00:42:43 >
『アバウト・ア・ボーイ』(About a Boy, 2002)

(4) Renton: They reminded me so much of myself, I could hardly bear to look at them. <00:11:37> 『トレインスポッティング』(Trainspotting, 1996)

(3)と(4)の例でcouldが使える理由は、否定の文は行為の実現を前提としていないからです。その傍証として、次の例でもcouldを使うことができます。

(5) Ray: I was seventeen. That son-of-a-bitch died before I could take it back. <01:14:22>
『フィールド・オブ・ドリームス』(Field of Dreams, 1989)

(5)のbefore以下は、実際にその行為が達成されないことを表しているのでcouldを使うことができます。

今回、「できた」にまつわる表現としてcouldとbe able toの用例を映画から検証してみました。話し手の視点に注意しながら類似表現をうまく使いこなせたいものです。


2016年1月1日

タイトル:Oscarは誰の手に?
投稿者:國友万裕(同志社大学、嘱託講師)

この原稿がアップされる頃、アメリカでは、レオナルド・ディカプリオの新作『レヴェナント:蘇りし者』(The Revenant)がいよいよ封切りになっているはずです。毎年、12月になると、アメリカでは、来年のアカデミー賞(オスカー)を狙う賞が次々に封切られ、前哨戦となる数々の批評家賞も発表されますが、ディカプリオが一度もアカデミー賞を受賞していないことは、知っていますか。

今回の『レヴェナント:蘇りし者』も前評判は高く、今度こそディカプリオに主演男優賞をと言われていますが、まだわかりません。今年も強力なライバルはいて、『ブラック・スキャンダル』(Black Mass)のジョニー・デップが、彼のキャリアのベストパフォーマンスを見せていると伝えられていますし、デップもまだオスカーは受賞していないので、二大スーパースターの直接対決となる可能性もあります。そうなるとデップとディカプリオは、『ギルバート・グレイプ』(What’s Eating Gilbert Grape、1993)で兄弟役を演じた仲でもあるので、兄役のデップの方に先に賞が行くかもしれませんね。現時点での主演男優賞(Best Actor in a Leading Role)の予想をいうと、下のようになります。

Will win(受賞するのは) レオナルド・ディカプリオ
Should win (受賞すべきなのは)マイケル・ファスベンダー『スティーブ・ジョブズ』(Steve Jobs)
Could win (受賞することもありうるのは)ジョニー・デップ

単純予想、強い期待感、実現性の低い可能性、など助動詞の用法の勉強になりますね(笑)。書き手(話し手)の心理的意味を正しく読み取ることも大切なことです。

オスカーは純粋に映画芸術を競う賞ではありません。かなり政治的な要因が含まれています。したがって、純粋に演技だけみて受賞すべきなのはファスベンダーであっても、これまでの実績から考えればディカプリオに分があるし、同じく実績のあるデップが逆転することもありうると思われます。ちなみにこうしたオスカーの予想は、Oscar Derbyと言われますが、本命はthe frontrunner、対抗はthe runner-up、穴はthe dark horseと言われます。中心となる語彙から関連する語彙・表現と増やしていくことも語彙学習の大切な視点です。

オスカーのサイトを見ているとハリウッドの政治の状況がよくわかります。またアメリカ独自の英語の表現もわかります。Awards Daily(http://www.awardsdaily.com/)というサイトを先日読んでいたら、 RoomBrooklynは主演女優賞(Best Actress in a Leading Role)では検討しても、girlishな映画だから、steak eaterが敬遠するから作品賞(Best Picture)は難しいと書かれていました。なるほど、過去の受賞作はsteak eaterが好むような男性中心の映画が多くて、女性が主役のものは確かに不利です。

ハリウッドはまだまだ肉食系男性の巣窟なのでしょうか。去年は、黒人女性監督による『グローリー 明日への行進』(Selma、2014)が監督賞(Best Director)のノミネートを逃して、差別と物議をかもしました。『ブロークバック・マウンテン』(Brokeback Mountain、2005)が作品賞を逃した時はゲイ差別と騒がれました。

やはり、ハリウッドはまだまだ白人異性愛男性(Straight White Men)の世界なのでしょうねー。とは言え徐々に揺さぶりはかかっています。果たしてこれからハリウッドはどこに向かっていくのでしょうか。

様々な映画の知識を積みながら、英語の勉強もできるので、ぜひ、皆さんも英語で書かれた映画のサイトを覗いてみてください。


2016年1月1日

タイトル:文頭・文末に使用される“right”
投稿者:松井 夏津紀(チュラーロンコーン大学)

形容詞のrightには、相手の言ったことに対して納得した、あるいは承知し20たという意味を表す間投詞的な文頭用法のものや、文末で付加疑問的に用いて、相手に話し手の発話内容を確認する用法があります。このようなrightは口語表現ですので、映画のセリフにも頻繁に現れます。

Jordan: Turns out you’re completely off the hook, honey.(君は完全にシロだ)
Naomi: I know that already.(当然よ)
Jordan: Right. Exactly. Exactly. You never did anything wrong in the first place, right?
(そうだ。君は最初から関係ない)<02:40:17>
『ウルフ・オブ・ウォールストリート』(The Wolf of Wall Street, 2013)

Jordanのセリフにある最初のRightは、日本語の「そうだ」に相当するもので、相手の発話内容に同意しています。文末のrightは、日本語の終助詞「だろ?」や「よね?」のように、相手に同意を求めるものです。

また、rightは、日本語の「あ、そう」のように相手の発話内容を受けるだけのときにも使われます。

Zero: … I was arrested and tortured by the rebel militia after the Desert Uprising.
(反乱軍に拷問されました。『砂漠の暴動』の後です)
Gustave: Right. Well, you know the drill, then. Zip it.(では慣れてるな。黙秘だ)<00:34:13>
『グランド・ブダペスト・ホテル』(The Grand Budapest Hotel, 2014)

このRightは、相手の発話に対する相づちで、特にその発話に関してコメントはせず、相手が話を続けたり、また自分が話題を変えたりするときに用いられます。このrightは、Yeah, rightやRight, yeah、またRight, okayのように、yeahやokayと共起することもあります。

文末用法のrightも、先ほどの例とは少し違った使われ方があります。

Eduardo: She said, “Facebook me and we can all go for a drink later,” which is stunningly great for
two reasons. One, she said “facebook me,” right? And then the other is, well, you know…
(「フェイスブックして。お酒でも」って。「フェイスブックして」って最高だな。
しかも…。)<00:46:35> 『ソーシャル・ネットワーク』(The Social Network, 2010)

このrightは、話し手の発話内容を相手に軽く確認するために使われていますが、話し手は相手からの返答を期待していないので、そのまま自分の話を続けています。日本語の上昇イントネーションの「よね?」や「じゃん?」も、相手からの返答は待たずにそのまま自分の発話を続けることがありますが、この文末のrightはこれらの終助詞と似ていて、相手の注意を促すときに使われています。

会話で何気なく使われているrightですが、様々な用法があって実に便利なことばですね。