2014年

【投稿一覧】
2014年10月14日
「今、何時?」松井夏津紀
2014年10月14日
「映画と文学」國友万裕
2014年9月2日
「映画で学ぶ “The more you know, the better.” な話」小林翠
2014年8月14日
「シェイクスピアを知っていますか?」奥村真紀
2014年8月14日
「“I should see a doctor” で元気になりましょう!」濱上桂菜
2014年7月8日
「コメディドラマの活用『モダンファミリー』」角山照彦
2014年7月8日
「『フライド・グリーン・トマト』(Fried Green Tomatoes, 1991)」近藤暁子
2014年6月11日
「ブロークバック・マウンテン(Brokeback Mountain、2005)」藤枝善之
2014年6月11日
「『トイ・ストーリー』は英語表現のおもちゃ箱」山内圭
2014年5月8日
「シャイア・ラブーフはラバフ!?」山口美知代
2014年4月17日
「朝とmorningと映画英語」飯田泰弘
2014年2月10日
「『ヒューゴの不思議な発明』~映画の中に見つけた映画の歴史~」松田早恵(摂南大学)
2014年1月18日
「ドキュメンタリー映画」「911」で学ぶ星条旗についてのトリビア」山本五郎
2014年1月18日
「映画で学ぶ」ESP井村誠(大阪工業大学)


2014年10月14日

タイトル:「今、何時?」
投稿者:松井 夏津紀(チュラーロンコーン大学、タイ王国)

英会話学習の広告などで「“What time is it now?”は恥ずかしい英語、ネイティブスピーカーは使わない」というような見出しを見たことがないでしょうか。日本語の「今、何時ですか。」に対応する英語は“What time is it now?”だと思っていた人も少なからずいることでしょう。また、このフレーズを使ったことがある日本人も結構いるのではないでしょうか。今まで使っていた“What time is it now?”は、実は恥ずかしい英語だったのかとがっかりしていたときに、ネイティブは“Do you have the time?”を使うと習い、二度と“What time is it now?”は使うものかと思った人もいるのではないでしょうか。

確かに“What time is it now?”は、時間を尋ねるときに最もよく使われる表現ではありません。しかし、絶対に使用できないというわけではなく、文脈によっては使用が可能な表現です。また、“What time is it now?”が稀にしか使うことのない表現だからと言って、“What time is it?”も同じようにあまり使わない表現かというとそうではなく、これは次のように映画の台詞にも普通に使われている表現です。

Counselor: What time is it?(何時だ?)
Laura1: Two o’clock. Almost two o’clock.(2時よ。もうじき2時。)
Counselor: AM or PM?(午前?午後?)<00:01:25>
『悪の法則』(The Counselor, 2013)

これは一緒に寝ていた恋人同士が目を覚ましたという場面での会話です。ここでは時間を聞くときに“What time is it?”が使われています。“What time is it?”は親しい間柄で時間を尋ねるときの自然な時間の聞き方で、このような場面で“Do you have the time?”という質問文が使われると不自然になります。“Do you have the time?”は丁寧な印象を与える表現で、恋人同士や夫婦間で使うようなものではないようです。ですから、外で知らない人に時間を聞くときには適切な表現になるようです。

ネイティブが使う英語という触れ込みでいろいろな表現を学ぶ機会はネットの普及により更に増えたと思われます。しかし、「どんな場面でどのように使うのか」を知らないと、せっかくのネイティブが使う表現もノンネイティブのおかしな使い回しになってしまうので、その点は気をつけたいところです。


2014年10月14日

タイトル:「映画と文学」
投稿者:國友万裕(同志社大学、非)

私が初めて大学の教壇にたったのは、1993年のことでした。私はまだ20代で不安でいっぱいでした。その年、私が使ったテキストはSplendor in the Grass(金星堂)でした。

これはウィリアム・インジというアメリカの劇作家の原作によるもので、ウォーレン・ベイティとナタリー・ウッド主演の映画『草原の輝き』(Splendor in the Grass, 1961)のシナリオです。この年のアカデミー賞の脚本賞を獲得しています。当時はまだ映画のテキストは少なかったのですが、私は、元々映画マニアで、映画の知識を生かしたくて、このテキストを選んだのです。

高校生同士の恋愛を描くものなのですが、アメリカの性というものについて考えさせてくれます。高校生のバッドとディーニーは愛し合っていて、彼女への欲望を抑えられない彼は彼女にセックスを求めようとします。しかし、性的な規律の厳しい母親の影響もあり、身持ちの固いディーニーは、彼の気持ちに応えることはできません。結局、性欲を抑えられないバットは、ファニタという別の女の子と関係をもってしまいます。そのことでディーニーは傷つき、気がふれてしまいます。

精神病院から退院した彼女は、病院で知り合った医師と結婚することになり、バットに再会しに行くのですが、バットにも妻と子供がいます。あれだけ愛し合い、苦しんだ二人だったのに、もう今となっては遠い青春の一ページ。やはり青春の恋は儚いものなのだなあとしみじみ切なくなります。

二人の狂おしいまでの思い、青春期の心の揺れが主役の二人の瑞々しい演技で描かれ、学生たちも関心をもって読んでくれましたし、映画も楽しんでくれました。おそらく、この映画は今の若い人が見ても、それなりに感動するものがあるはずです。

タイトルのSplendor in the Grassはイギリスのロマン派詩人William Wordsworthの次の詩からとられたものです。

Though nothing can bring back the hour
Of splendor in the grass, of glory in the flower;
We will grieve not, rather find
Strength in what remains behind.

(訳)草の輝くとき、花美しく咲くとき、再びそれは帰らずとも嘆くなかれ。その奥に秘められし力を見いだすべし

本当に映画のテーマにぴったりの名詩です。

最近は文学を勉強する人が少なくなってきましたが、スコット・フィッツジェラルド原作の『華麗なるギャツビー』(The Great Gatsby, 2013)など、有名な文学作品の映画化はいまでも盛んですし、映画の一説には有名な詩や小説からの引用がたびたび出てきます。

これから文化の秋です。皆さんたちも、映画だけでなく、時には文学に親しんでみてください。


2014年9月2日

タイトル:映画で学ぶ “The more you know, the better.” な話
投稿者:小林翠(大阪大学大学院博士後期課程)

私たちは高校で、次のような “The 比較級…, the 比較級~.” という構文を学習します。

(1) The more expensive the hotel, the better the service.

(1) は、ホテルの値段に比例して、ホテルの接客の質の高さが増加することを表しています。しかし、この構文は後半部が the better のみから成る (2) のようなタイプがあります。

(2) The sooner you start practicing, the better.

(2) は、練習開始までの時間の短さに比例して、話し手の満足度が高くなることを意味します。(1) のように後半部の the betterに主語などが後続する例では、better が示す度合いは様々ですが、(2) のように後半部が the better のみの例では、better が示す度合いは常に「話し手の満足度合い」になります。また、この後半部が the better のみから成る “The more … , the better.” は使用頻度は高く、映画の台詞でもよく使われています。

(3) Buzz:I could’ve stopped him.
  (私があの少年を止めていれば。)
  Woody:Buzz, I would love to see you try. ( … )
  (バズ、そんなに言うならぜひとも止めてもらいたいものだよ。)
  Bo Peep:The sooner we move, the better. < 00:24:25 >
  (早くここから引っ越したほうがよさそうね。)

(3) は『トイ・ストーリー』(Toy Story, 1995)共起例で、おもちゃ同士の会話です。これは、仲間のおもちゃを壊して面白がる少年を、おもちゃたちが見ている場面で用いられています。そして “The more … , the better.” 構文が、少女人形 Bo Peep の台詞で使われています。「おもちゃたちが少年から離れるのが早ければ早いほど、話し手(Bo Peep)の満足度が増加する」ことを表し、「できるだけ早く引越することがBo Peep にとって望ましい」ということを意味しています。

(4) June:Why can’t we just land at an airport?
  (空港に着陸しないの?)
  Roy:No, no. That wouldn’t be a good idea. They’ll be waiting for us.
  (それはまずい。奴らが待ち伏せている。)
  June:What do you mean, waiting for us? Who?
  (何のこと?奴らって誰?)
  Roy:I think, the less you know the better. < 00:16:20 >
  (奴ら(追ってくる敵)のことなんて知らない方が身のためだ。)

また、(4) は『ナイト&デイ』(Knight and Day, 2010)からの引用です。Roy(CIA所属のスパイ)が敵に追われ、飛行機を空港外で着陸させようとしている場面で、RoyとJune(事件に巻き込まれた飛行機に同乗している一般女性)が操縦室内で交わす会話です。そして、Royの台詞の中で “The more … , the better.” 構文が用いられ、「Juneが敵について知らなければ知らないほど、話し手(Roy) の満足度が増加する」ことを表しています。つまり、「June が敵のことをできるだけ知らないことが、Roy にとっては望ましい」ということを意味しているのです。

このように、後半部が the better のみから成る “The more … , the better.” 構文は、常に「前半部の比較級が示す程度に比例した、話し手の満足度合いの増加」を表します。

“The 比較級…, the 比較級~.” は馴染みのある構文ですが、“The more … , the better.” については、意識している学習者は少ないかもしれません。映画の台詞には、こうしたちょっとした話し手の心的態度を表している表現によく気付かされることがよくあります。映画の台詞にこうした意味合いを探してみてはいかがでしょうか。


2014年8月14日

タイトル:シェイクスピアを知っていますか?
投稿者:奥村真紀(京都教育大学)

NHKの朝ドラ「花子とアン」が大人気だそうです。誰もが知っている『赤毛のアン』の翻訳者である村岡花子の物語ですが、実は随所に『赤毛のアン』のエピソードがちりばめられ、物語を知っている読者は、『アン』の物語のパロディとして、朝ドラを楽しむことができるようになっています。パロディとは広い意味では、一つの作品からその要素を取り出して、別の作品に使うことを指します。アカデミー賞で七部門を受賞した『恋に落ちたシェイクスピア』(Shakespeare in Love, 1998)は、シェイクスピアのロマンスを描いたフィクションですが、シェイクスピアの作品のパロディが全編にわたって出てきます。

新進気鋭の劇作家ウィルは、『ロミオとジュリエット』を執筆中。(余談ながら、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』では、ヒロインのジュリエットが13歳という設定なのはご存知でしょうか。当時、女優が舞台に立つことは風紀上の理由で固く禁じられており、声変わり前の少年が女性役を演じていたため、そのような設定になったと言われています。)この映画では演劇好きの貴族の娘、ヴァイオラが変装してジュリエットの役を射止めることに成功します。ウィルはそれに気づくものの、黙認。二人の間には次第に恋が芽生えていきます。ウィルはヴァイオラへの愛に基づいて、『ロミオとジュリエット』を素晴らしい名作に書き上げ、二人はそれを舞台で演じます。しかし、運命は身分の違う二人を引き離してしまいます。ヴァイオラは、親の命じるがままに貴族の男性と結婚し、アメリカへ移住することになるのです。彼女を失ったウィルは失意のうちにも、エリザベス女王の求めに応じて次の作品を書き始めます。そのヒロインの名前はヴァイオラ。そして『十二夜』の執筆が始まっていく、というストーリーです。

運命によって引き裂かれる恋人たちというテーマは『ロミジュリ』そのものですが、それ以外にも随所にこの作品は『ロミジュリ』の有名な場面やせりふを使っています。例えば、有名なバルコニーのシーン。

Viola: Romeo, Romeo…a young man of Verona. A Comedy by William Shakespeare.
   (ロミオ、ロミオ、ヴェローナの若者。ウィリアム・シェイクスピア作のコメディ。)
Will: My lady!(お嬢さま!)
Viola: Who is there?(誰なの?)
Will: Will Shakespeare!(ウィル・シェイクスピアです!) <00.29.33>

その時、ヴァイオラの乳母が彼女を室内から呼び、『ロミジュリ』そのもののシーンが繰り広げられます。

Viola: Anon, good nurse, anon! …Master Shakespeare? 
(今行くわ、参ります!・・・シェイクスピアさま?)<00.29.44>

シーンとしては、他にもウィルとヴァイオラが初めて愛を交わす場面も『ロミジュリ』のパロディになっています。

『ロミジュリ』だけではなく、ほかのシェイクスピアの劇や詩も他用されており、ウィルがヴァイオラに贈る愛の詩も、シェイクスピアの有名なソネット(愛をテーマにした14行の詩)です。

Viola: “Shall I compare thee to a summer’s day? Thou art more lovely and more temperate.”
(「あなたを夏の日にたとえようか?あなたはもっと愛らしく、もっと穏やかだ。」)<00.36.21>

欧米では誰もが知っているシェイクスピアの作品。背景知識が少しあれば、もっと映画を楽しく・深く鑑賞することができるでしょう。


2014年8月14日

タイトル: “I should see a doctor” で元気になりましょう!
投稿者:濱上桂菜(大阪大学大学院・院生)

暑い日が続きますが、皆さん、体調を崩していませんか?体の具合が悪く、お医者さんの診察を受けることを、私たちは「病院に行く」と表現しますが、実は、これは不思議な表現です。「病院に行く」というのは、文字通りに解釈すると「病院という建物に向かう」ことを意味するだけのはずですが、実際には、「診察を受ける」ことも意味するからです。

この点では、「病院に行く」に相当する英語の表現 “see a doctor” も同じですが、英語の方がもっと興味深いかもしれません。そもそも、「see + 目的語(人)」で、「誰々を見る」つまり「誰々に会う」ことを意味し、さらに“see a doctor” のように目的語に職業を表す人がくると、「お医者さんに会う」つまり「お医者さんに診てもらう」ことを意味するからです。

映画『噂のモーガン夫妻』(Did You Hear About the Morgans?, 2009)に次のシーンがあります。

あるクリニックの待合室で夫婦が待っています。夫は両目が腫れていてとても苦しそうです。見かねた妻が受付の女性に話しかけます。

妻:Is it gonna be much longer? Because my husband is very uncomfortable.(もっと長くかかりそうですか?夫がとても苦しがっていて…。)
女性:[待合室の夫の方を見て] Oh, Lord in heaven. Oh, yeah. Oh, look at him. He’s a mess. He should see a doctor.(あら大変。あぁ本当。彼見てよ、大変ね。医者に行くべきよ。)<00:41:41>(下線は投稿者)

そう言って、女性は大声で笑います。そして “Laughter really is the best medicine.” と加える始末です。

何がそんなに面白かったのでしょうか。もちろん、クリニックに来ているのに「医者に行くべき」という助言をするという皮肉的なユーモアも関係していますが、それだけではなさそうです。

“see” には、「見える」という意味があるので、“see a doctor” も「お医者さんが見える」ことを意味することもあるのです。よって、女性の台詞には、「お医者さんが見えるべきね/見えるはずよ」という意味にもなるわけですが、実は夫はそんなことができるはずもありません。なぜなら、両目が腫れてほとんど前が見えないからです。(実際に、女性の発言が聞こえたとき、夫は顔を上げ、途方に暮れた様子をしています。)“see” が多義であるからこその面白いシーンですね。

それでは、もしもあなたが体調を崩しているならば、 “I should see a doctor.” と言って高らかに笑いましょう! Because laughter really is the best medicine!


2014年7月8日

タイトル: コメディドラマの活用『モダンファミリー』
投稿者: 角山照彦(広島国際大学)

近年はレンタルDVD店でも海外ドラマのコーナーが目立つようになってきましたが、英語授業での活用におけるドラマならではの利点について述べ、続いてアメリカの人気コメディドラマ『モダンファミリー』(Modern Family)からの活用例を紹介したいと思います。

まず、映画と比較してドラマの場合、卑語や性的なシーンが含まれていないため、安心して授業で使える点が利点として挙げられます。また、コメディの場合、一般に1エピソードが20分程度と短く、かつ、コマーシャルブレイクの関係でうまく前半、後半とに分けられていますので、授業で扱いやすいと言えるでしょう。1回の授業で10分程度の場面を扱うとすれば、2回の授業で1エピソードをカバーすることができます。映画の場合は、その長さをどう扱うか、どこで区切るかでいつも頭を悩ませるところです。

さて、『モダンファミリー』は、会社経営者ジェイ・プリチェットを中心に、彼の再婚した妻と連れ子、そして、ジェイの2人の子どもとその家族の姿を描いたコメディです。3家族の話が同時進行していくため流れはスピーディですが、脚本が秀逸で毎回うまくハッピーエンドにまとめられています。ジェイが再婚した妻は親子ほど年の離れたコロンビア人ですし、2人の子どものうち、息子ミッチェルは同性婚をしたゲイで、生後間もないベトナム人を養子にもらったばかりなど、いかにも現代のアメリカを反映した設定となっています。

シーズン1のパイロット版では、機内で乗客の“Look at that baby with those cream puffs.”という発言を耳にしたミッチェルがひどく怒って、他の乗客に向かって大声で説教を始めるという場面があります。授業では字幕なしで場面を見せた後、ミッチェルがなぜ乗客の発言に激怒したのかをグループで考えさせています。cream puffにはシュークリームという意味の他、「女々しい奴、意気地なし(a weak or timid person)」という意味があり、ミッチェルは自分とパートナーのキャメロンのことをcream puffsだと言われているように誤解したため腹を立てたわけですが、実際には娘のリリーがシュークリームを手にしていたというおちがついています。英文を見ただけでは、「シュークリームを手にした赤ちゃんを見て」と「見て、ゲイが赤ちゃんを連れているわ」の両方に解釈できますが、一つの単語が話者によって別の意味に受け取られることを学生に考えさせる演習として利用しています。シュークリームを英語だと勘違いしている学生もかなりおり、辞書でいろいろ調べながら正解にたどり着くまでの間、授業は大いに盛り上がります。ちなみに、日本語のシュークリームはフランス語のchou à la crème(クリーム入りのキャベツ)がなまったもので、皮の形がキャベツに似ているところからこの名があるようです。また、ミッチェルは、“Hear this. Love knows no race, creed or gender. And shame on you, you small-minded, ignorant few…”(よく聞けよ。愛は人種も宗教も性別も超える。心の狭い恥知らずめ)と、キャメロンに制止されるまで説教を続けてしまうわけですが、受験勉強で覚えたshame on youが実際に使われているのを初めて見たと驚く学生もいます。

「字幕がなくても大いに笑える、セリフを詳しく調べると、様々な気づきがある」。これが、『モダンファミリー』を授業に活用する大きな利点でしょう。ドラマは授業でもっと活用されるべき素材だと思います。


2014年7月8日

タイトル: 『フライド・グリーン・トマト』(Fried Green Tomatoes, 1991)
投稿者: 近藤暁子(兵庫教育大学)

1930年代の閉鎖的なアメリカ南部の田舎町を舞台にしたこの映画は、その当時のアメリカが抱える社会問題(人種差別、女性差別、家庭内暴力)にふれつつ、ウィットに富んだ、時には痛快な表現とともに、女性の友情・生き方を考えさせてくれます。

この映画では、自身の見た目や自分に無関心な夫に悩み、自分に自信を失っていた中年女性エヴリンが介護施設で暮らす老女ニニーとの出会いをきっかけに、前向きに自分らしく生きる女性へと変化していく様子が描かれています。主人公エヴリンはニニーとの会話の中で、更年期の悩める中年女性の複雑な気持ちが次のように表現されています。

Evelyn: I’m too young to be old. And I’m too old to be young. Maybe I’m just going crazy. <00:53:10>

そんなエヴリンですが、ニニーとの交流や更年期の治療で自信を持ち始めます。ある時、若い女性二人に駐車場を横取りされるのですが、次のようなウィットに飛んだ台詞で彼女たちをギャフンと言わせてしまいます。

Evelyn: Excuse me. I was waiting for that space.
Girl #1: Face it, lady, we’re younger and faster.
―横取りした若い子の車に自分の車で何度もぶつけて移動させるエヴリン
Girl #1: Stop it!
Girl #2: What are you doing? Are you crazy?
Evelyn: Face it, girls, I’m older and I have more insurance. <01:18:30>

もう女性として若くはないことを認める一方、老いを受け入れるにはまだ早いという、難しい時期の中年女性をキャシー・ベイツはとてもリアルに演じています。女性同士の友情をメインテーマとして描いたこの映画は、ニニーの次の台詞で締めくくられています。年齢を重ねてきた人だからこそずっしりと重いことばです。

“You reminded me… about what the most important thing in life is. Do you know what I think it is? Friends. Best friends.” <02:03:21> (人生で何が一番大事かお陰で思い出したわ。なんだか分かる?友達よ。いい友達。)

参考までに、実は、原作で多少異なり同性愛が描かれていたようです。今日では決して珍しいテーマではありませんが、この映画が公開された20年前にこのテーマを映画で扱うにはまだ早かったのかもしれません。


2014年6月11日

タイトル: ブロークバック・マウンテン(Brokeback Mountain、2005)
投稿者: 藤枝善之(京都外国語大学・短期大学)

自分でも押さえがたい激しい恋情、欲望のことを英語でpassionと言いますが、原義は「pass(苦しむ)+ ion(こと)」で、「(キリストの)受難」という意味はその延長線上にあります。本作品のキーワードは、まさにこのpassionかもしれません。なぜならそこには、人を一途に愛することの苦しみと受難が、世間の目を欺いて生きる同性愛カップルを通して、鮮やかに描かれているからです。

1963年、ワイオミング州。二人の貧しい若者が、ある夏、ブロークバック・マウンテンに放牧された羊の管理をする仕事に就きます。陽気で人懐っこいジャックと無口で無愛想なイニス。初対面の二人でしたが、単調で厳しい山のキャンプ生活で苦楽を共にするうちに、友情が芽生え、それはまもなく男同士の禁断の愛に変わります。退屈極まりないはずの山の暮らしは、二人にとってパラダイスに。しかし、同性愛がタブーのこの時代。夏が終わると彼らは、当然のようにそれぞれの生活に戻っていきます。

山を下りて、二人は別々に家庭を持ち、子供を設けます。しかし4年後に再会すると、押さえていた恋情が堰を切って溢れ、それからは互いに逢瀬を待ち焦がれるようになります。その一方、妻に自分たちの関係を目撃されたイニスは、数年後に離婚。ジャックも、妻との関係は「電話で事足りる」ものに変わっていきます。こうして彼らは、20年に渡って密かに関係を続けるのです。

しかし、1年にたった数回の逢い引きは、かえって逢えない時間の欲求不満を募らせます。そんな苛立ちが頂点に達したある時、二人は激しく口論します。頻繁に逢えないことを責めるジャックに対し、イニスは、仕事をしなきゃ食えないと反論します。イニスが「他にいい知恵でもあるのか」と訊くと、ジャックは、「前に言ったじゃないか」彼はかつて、家庭を捨てて二人で牧場を経営することを提案していました。しかしイニスは、ゲイに対する社会的制裁を恐れて賛成しなかったのです。「二人でいい人生を送れたのに。俺たちの居場所を持てたのに。お前が拒否したんだぞ。今俺たちにあるのは、ブロークバック・マウンテンの想い出だけじゃないか」そしてジャックは、吐き捨てるようにこうつぶやきます。 “I wish I knew how to quit you!”「いっそお前と手を切れたら」この言葉はイニスの胸をえぐります。彼は絞り出すような声で、“Why don’t you … Why don’t you just let me be, huh? It’s because of you, Jack, that I’m like this. I’m nothin’. I’m nowhere.”「そうしてくれ。そうして俺を楽にしてくれよ。俺がこんな人間になったのは、お前のせいだぞ、ジャック。俺は屑だ。負け犬だ」<01:48:02>。血を吐くような魂の叫び。俺はもう堪えられない、とイニスは膝をつきます。このイニスの台詞は原作にはないものですが、許されない愛に捕われた男の、身も世もない切なさ、辛さをよく表しています。ジャックは、去りゆくイニスの車を見送りながら、ブロークバック・マウンテンで過ごした幸福な時を回想します。しかし、彼らがその幸福を手にすることは二度とないのでした。

2006年の第78回アカデミー賞で最も注目を集めたのが本作品でした。結果は、監督賞を始め3賞受賞。しかし作品賞が授与されなかったことについて、「ゲイに対する差別だ」とアメリカで抗議の声が挙がりました。原作は、1997年にアニー・プルーが雑誌に発表した同名の小説。ペーパーバックで実質53ページの短編ですが、二人の「隠れゲイ」の人生ドラマを過不足なく描いています。読めば映画と同様、いやそれ以上に切ない余韻を味わえること請け合いです。


2014年6月11日

タイトル:『トイ・ストーリー』は英語表現のおもちゃ箱
投稿者:山内圭(新見公立大学)

私が教えている新見公立短期大学(岡山県新見市)には、幼児教育学科があります。授業では、保育士や幼稚園教諭を目指す学生たちに合わせて、英語圏の子ども文化を紹介することも目標の一つに掲げています。そんな中で、ディズニー作品を取り上げることがしばしばあります。CD付の簡約絵本を読み進め、その後、英語音声日本語字幕で映画作品を観ます。映画作品を途中で止めてリスニングをするなどということも時々しますが、ストーリーの流れを妨げることのないように気をつけています。そのディズニー作品の中でもよく使うのが、『トイ・ストーリー』(Toy Story、1995)です。この映画の上映時間は81分ですので、90分間の授業で見るには出席を取ったり感想を書かせたりする時間も考慮すれば、何とか時間内に収めることのできる教材です。時間が許せば、次の授業で、特に解説したいシーン、リスニング練習をしたいシーンを取り上げます。

この映画は、1回の授業時間内にぴったりなだけではなく、解説したいシーン、リスニング練習をさせたいシーンも多くあり、授業で扱うにはうってつけの作品と言えるでしょう。例えば、次のシーンの解説をしてあげると学生たちはとても興味を示します。Woodyに気を寄せるBo Peepが、Woodyに対して

I’m just a couple of blocks away.(いつでも誘って)<00:05:46>

と言っています。日本語の「いつでも誘って」だけではわかりませんが、 この英語の表現は「私はほんの数ブロック(区画)だけしか離れていない」という時に使う表現です。そして、このシーンのWoodyとBo Peepの間には、文字通り“a couple of blocks”(3つの積み木)が存在します。男女の間が「積み木3つ分」だったら、かなり接近しているということです。ここで私がよくする話が、学生時代に見た『処刑ライダー』(The Wraith、1986)で耳にした“I’m just a phone call away.”(電話一本ですぐ来るよ)です。そして、この表現はさらに、たとえばコマーシャル等で「私たちは電話一本ですぐに駆けつけますよ」との意味で“We are just a phone call away.”などと使われています。しかし、昨今の学生は電話世代ではなく、ラインなどのSNS世代です。では、「私たちがライン(Line)で繋がっているということを言いたい時に、“We are just a line away.”と言えるだろうか」と質問を投げかけたりもします。(実際、私自身はまだこのような表現に出会ったことはありません。でも、近い将来、出会う可能性はあると思っています)。

一方、この映画の冒頭部分では、Woodyが“moving buddy”を見つけたか、とおもちゃたちに呼びかけています。この“moving buddy”も、この映画特有の表現で、引っ越しでの仲間のおもちゃの紛失を避けるために、2人(つ)一組になって、お互いにいることを確認し合うための「相棒」を表しています。この表現に関連する情報として、Moving Buddyという名前をつけている引っ越し会社があるなどという話をすると、学生たちの好奇心を駆り立てたこともありました。Woody自身の、引っ越しを通じて得た「相棒」(moving buddy)はBuzz Lightyear(“Lightyear”と言う語が天文用語の「光年」であるので、またそこで解説をしたくなってきてしまいます…)であると言えます。

『トイ・ストーリー』は、さまざまな視点から学生の興味をそそることのできる情報が詰まった、まるで「英語表現のおもちゃ箱」のような映画なのです。


2014年5月8日

タイトル:シャイア・ラブーフはラバフ!?
投稿者: 山口美知代(京都府立大学・文学部)

最近英語の固有名詞の読み方について考察する機会があり、俳優の名前のカナ表記について思いをめぐらしていました。きっかけは、2014年のアカデミー賞で『それでも夜は明ける』(12 Years a Slave)で主演男優賞にノミネートされたChiwetel Ejioforのカナ表記について、ツイッターなどで話題になったことでした。

この俳優の名はこれまで「キウェテル・イジョフォー」とカナ表記されるのが一般的でしたが、どうやらChiwetelの最初の母音は[k]ではないようです。といっても、ナイジェリア出身(イボ人)の両親を持つ彼の名前は、英語圏においても綴りから発音が自明な名前ではありません。Radio Times誌によるとCHOO-it-tell EDGE-ee-oh-forと発音するそうですから、カナ表記すると「チューイテル・エジーオフォー」となります。一方、Empire誌はCHOO-wet-el EJJ-i-oh-forだと書いており、「チューウェテル・エジオフォー」となるでしょう。いずれにしても、Chiがキでなくチュであることは確かなようです。

そもそも英語のchの綴りはカ行の子音ではなくチの子音で読むことのほうが多いわけですから、Chiwetelが最初に「チ」ウェテルではなく「キ」ウェテルになったこと自体不思議な感じがしますが、最初のカナ表記決定にはどのような事情があったのでしょうか。

Chiはイボ語で守護神を表し、イボ人の名前にはよく用いられます。現代アフリカ文学の父と呼ばれたチヌア・アチェベ(Chinua Achebe)の名前チヌアのchiにも見られます。ですから、Chiwetelのイボ族ルーツを考えれば、最初の音がキでなくてチであることは迷う余地がなかったともいえるでしょう。

しかしながら、固有名詞の読みというのはやはり理屈や知識では測れない部分が多いのも事実です。『マンマ・ミーア』などで人気のあるアメリカの女優Amanda Seyfriedの姓は、日本では「セイフライド」と記されることが多いですが、本人はインタビューで、「サイフレッド」であると言っています。しかし同時に彼女の妹は「サイフリード」と言うとも述べているのですから、もうここまでくるとお手上げです。

『トランスフォーマー』シリーズで人気のシャイア・ラブーフ(Shia Labeouf)も、本人が話している動画サイトをみると、「ラブーフ」ではなく「ラバフ」のようです。

俳優名のカナ表記について、音引きの有無など細かいところにこだわるのはあまり意味がないと個人的には考えていますが、それにしても、カナで流通している名前と実際の英語での発音があまりにも違うのも考えもの。悩ましいところです。


2014年4月17日

タイトル:朝とmorningと映画英語
投稿者:飯田泰弘(大阪大学大学院・院生)

みなさんは中学で英語を習い始めたころ、eveningとnightの区別で戸惑った記憶はありませんか? 日本語の「夕方」や「夜」や「晩」と同様に、はっきりとした時間での区切りがない表現は使い分けが難しいようです。また、「朝」は何時からでしょうか?3時ですか、それとも4時でしょうか?日本語で「朝の2時」と言うには少し違和感があるでしょうし、逆に「夜の(深夜の)5時」という表現も、どこか変な気がします。やはりここでも、「夜(深夜)」と「朝」の境目にすこし戸惑ってしまいます。

英語のmorning。誰もがこの語の意味は「朝」であると自信を持って答えられそうですが、それではみなさん、a.m./p.m.という便利な表現を使わず、「午前2時」は英語でどう表現しますか?これ、実はmorningを使い、“2 o’clock in the morning” と言います。(欧米ではあまり24時間制を使わないので、「午前2時 = 2 o’clock」とするだけでは少し不十分です)深夜とも言えそうな「2時」にmorningを付けることに不安を感じる人もいるかもしれませんが、実際の映画の例でmorningの使い方を見てみましょう。

まずはnightの確認から。例えば深夜0時をまわる直前の23時台。これは日本語でも「夜の11時」がしっくりくるように、 nightを付けた“11:00 at night” で大丈夫なことが、『FBI失踪者を追え!(Without A Trace, 2002)シーズン1、第8話』のセリフからわかります。

(1) Mr. Rey : What do you mean, how am I doing, man? It’s 11:30 at night. <00:08:35>
 (調子はどう、じゃない もう夜の11:30だぞ)

では日付が変わって4:30はどうでしょう?これは、『JFK(JFK, 1991)』で夫に起こされた妻が眠そうに言うセリフからも、morningを付けて「朝の4時半」とすることが確認できます。

(2) Liz : Honey, it’s 4:30 in the morning! I have 5 kids who’s gonna be awake in an hour. <00:32:29>
  (あなた、朝の4時半よ  5人も子供がいてもう起きてくるのに)

4時台はmorningを使えることを確認したうえで、ようやく問題となる微妙な時間帯、2時と3時ですが、実は英語ではこれらの時間にもnightやmidnightではなく、morningを付加して表現できるのです。

(3) Stacey : It’s 2:00 in the morning, and you don’t know me this well. <01:20:09>
     (夜中の2時よ 赤の他人同然なのに)『マーキュリー・ライジング(Mercury Rising, 1998)』
(4) Sam : That’s Rita. Hi! It’s 3:00 in the morning. Hi! <01:07:08>
     (リタだ! 夜中の3時なのに )『アイ・アム・サム(I am Sam, 2001)』

映画のセリフで使われているということは、実際の会話でもこれらの表現が問題なく使えるということです。ここで、気になった方は是非もう一度 morningを辞書でひいてみてください。すると、「朝」以外にも「午前」という記述が見つかると思います。つまり、この場合厳密には深夜0時をまわった瞬間、たとえ辺りが真っ暗でもmorningになるということです。

このように、かなり親しみのある単語ではあるものの、「morning = 朝」だけでは困ってしまう表現があるということが、映画の何気ないシーンから見てとれます。ちなみに、上の例(3)、(4)の対訳からもわかるように、映画ではそれぞれ「2:00 in the morning = 夜中の2時」、「3:00 in the morning = 夜中の3時」という字幕になっています。ここにも「朝の2時」という訳が奇妙に聞こえてしまわないようにという、字幕翻訳者の配慮が感じられます。


2014年2月10日

タイトル:『ヒューゴの不思議な発明』~映画の中に見つけた映画の歴史~
投稿者:松田早恵(摂南大学)

ヒューゴはパリの鉄道駅の時計台で暮らす少年です。孤児になったことを周囲に知られないようにしています。時計台からは駅の構内が見下ろせ、そこには、おもちゃの売店を出しているおじいさん(パパジョルジュ)とそこに通う少女(イザベル)がいます。

ヒューゴは、父が遺した機械仕掛けの人形(automaton)を直そうと躍起です。automatonには亡くなった父からのメッセージが込められているように思えるのです。そんな中、あることをきっかけに、ヒューゴはおもちゃの修理を手伝うことになり、ヒューゴと少女とおじいさんの不思議な関係が始まります。おじいさんは自分の過去を封印しようとしますが、automatonを直すためには、ヒューゴはおじいさんの秘密を知る必要があるのです。

HUGO: Everything has a purpose, even machines. Clocks tell the time, trains take you places. They do what they’re meant to do, like Monsieur Labisse*. Maybe that’s why broken machines make me so sad, they can’t do what they’re meant to do. Maybe it’s the same with people. If you lose your purpose, it’s like you’re broken.(全てに目的がある。機械でさえも。時計は時を知らせ、列車は人を運ぶ。ムッシュラビスのようにみんな果たすべき役割があるんだ。だから壊れた機械を見ると悲しくなる。役目を果たすことができなくて。人間も同じだ。目的を失ったら、壊れたみたいになってしまう。)
ISABELLE: Like Papa Georges?(パパジョルジュみたいに?)
HUGO: Maybe we could fix him.(直してあげられるかも。)
ISABELLE: Is that your purpose? Fixing things?(それがあなたの目的?直すことが?)
HUGO: I don’t know. It’s what my father did.(わからない。お父さんはそうしていた。)<01:18:42>                         

*Monsieur Labisse:イザベルやヒューゴに本を貸してくれる本屋の店主で、「良い家に本を」をモットーとしている。

そこに、パパジョルジュの過去を忘れていなかったもう一人の人物が現れ、ストーリーは新たな展開を見せます。最後には、パパジョルジュの奥さんも説得に加わります。

MAMA JEANNE: Georges, you’ve tried to forget the past for so long, but it has caused you nothing but unhappiness. Maybe it’s time you tried to remember.(ジョルジュ、あなたはずっと過去を忘れようとしてきた。でもそれはあなたを不幸にしただけ。そろそろ思い出してもいいんじゃない?)<1:33:30>

パパジョルジュの正体とは?実は、映画史に大きな業績を残した(実在した)人物なのです。映画の中には、彼の作品も盛り込まれているので、当時の貴重な映像を見ることができます。

この映画は、ブライアン・セルズニック(Brian Selznick)著The Invention of Hugo Cabret(邦訳は『ユゴーの不思議な発明』)が基になっていますが、原作は、文章だけではなく、作者自身が描いたというモノクロの絵が独特の語りをしています。全525ページ中284ページが作者の絵で、最初から45ページまでは絵のみで文章がありません。ページを繰るごとに遠方から徐々に近づいて行く様は、まるでカメラのクロースアップを見ているかのようです。映画では冒頭の部分になります。Internet Movie Data Base (iMDB) によると、このシーンの撮影には、技術的にもかなり苦労したようです。

The opening track shot of the city ending at the train station was the very first shot designed and it took one year to complete. It required 1000 computers to render each frame required for the shot.
(参照:http://www.imdb.com/title/tt0970179/trivia?ref_=tt_trv_trv)

パリの町並みと一緒に是非お楽しみください。


2014年1月18日

タイトル:ドキュメンタリー映画」「911」で学ぶ星条旗についてのトリビア
投稿者:山本 五郎(広島大学)

アメリカの星条旗には、白6本と赤7本の合計13本の横線がありますが、これはアメリカが独立した時の入植地の数を表しています。また、50個の星印は現在ある州の数を表しています。星の背景である青は「正義」を表し、赤と白はそれぞれ「勇気」と「真実」を表しています。映画『911』(THE 911、2002)を観ることで、国旗についての文化知識(cultural literacy)を得ることができます。

2001年9月1日にアメリカで起こった同時多発テロを生々しく記録した『911』では、テロ攻撃の後、消防署で半旗を掲げています(<1:36:24>)。これは弔意(ちょうい)を表す習慣で、大統領が死亡した際などに行うものです。この「半旗」とは、ポールの中ほどの高さまで旗を掲げることを表します。日本でも同様に反旗を掲げて弔(とむら)いの意を表すことがあります。例えば、8月15日の終戦記念日には官庁で半旗が掲げられることになっています。

アメリカの国旗はテロによって倒壊した世界貿易センタービルの瓦礫撤去作業の現場でも重要な役割を果たしました。ビルが倒壊した「グラウンド・ゼロ」から見えるビルの壁面に巨大な星条旗が掲げられ、それを見た作業員から歓声と拍手が沸き起こったのです。映画のナレーションでは次のように語っており、星条旗がアメリカ国民の心のよりどころになっていることがよく分かります。

“Some of the guys hiked up the stairs in a building near a site, but not to put out a fire or rescue civilians. They made the climb to lift our spirits.”
「(復旧作業をしていた)何人かが(倒壊)現場近くのビルの階段を上りましたが、それは消火活動や人命救助のためではありませんでした。士気を上げるために(国旗を持って)ビルを上がったのです。」<1:45:58>

名詞のspiritは、「心、精神、霊魂」などの意味がありますが、lift one’s spirits で「元気を出す、士気を上げる」という成句です。星条旗を掲げてテロ攻撃の被害から立ち直るためにアメリカ国民は団結して力を合わせたのです。また、その後、対テロの姿勢を明確に打ち出した当時のブッシュ政権の支持率は急上昇しました。オバマ大統領も毎年9月11日には演説を行っています。テロを乗り越えて得たものは、“a people more united than ever before”「これまで以上に団結した国民」であると述べています。


2014年1月18日

タイトル:映画で学ぶESP
投稿者:井村誠(大阪工業大学)

『エリン・ブロコビッチ』(ERIN BROCKOVICH、2000)は、アメリカの電力会社PG&E社(Pacific Gas and Electric Company)がもたらした公害による健康被害をめぐって実際に起きた住民訴訟を題材にした映画ですが、この映画を通して、私たちは法律や医療などの分野で使われる英語を学ぶことができます。

ここでは原因物質となった六価クロム(hexavalent chromium)がどのような化学物質なのか、エリンがUCLAの毒物学者(toxicologist)から聞き出している場面を取り上げてみましょう。

Toxicologist: What kind of chromium is it?
Erin: There’s more than one?
Toxicologist: There’s straight up chromium, does all kind of good things for the body. Chrom three, which is fairly benign. Then there’s chrom six, hexavalent chromium… which, depending on the amounts, can be very harmful.
Erin: Harmful, how? What would you get?
Toxicologist: With repeated exposure to toxic levels, God, anything really… from chronic headaches and nosebleeds to respiratory disease… liver failure, heart failure, reproductive failure… bone or organ deterioration, plus, of course, any type of cancer.
Erin: So, that stuff, it kills people.
Toxicologist: Yeah, definitely. Highly toxic, highly carcinogenic. It gets into your DNA too. So you pass the trouble to your kids. It’s very, very bad.
Erin: What’s it used for?
Toxicologist: A rust inhibitor. Utility plants use piston engines. The engines get hot. They run water through them. Chromium’s in the water to prevent corrosion.

要するにクロム(chromium)という金属(Cr 原子番号24)は、単体や三価の化合物の場合は問題ないが、六価の化合物になると極めて強い毒性(toxic)と発癌性(carcinogenic)を持ち、chronic headaches(慢性頭痛)や、nosebleeds(鼻血)、respiratory disease(呼吸器系疾患)、liver failure(肝不全)、heart failure(心不全)、reproductive failure(生殖障害)、bone or organ deterioration(骨や内臓の破壊)、癌(cancer)などを引き起こすというわけです。

因みにhexavalentのhexaはギリシャ語で数字の6を表す言葉(例:hexagon=六角形)、valent /véɪlənt/はラテン語源で原子価(ある原子が何個の他の原子と結合するかを表す数)を意味する言葉valenceの形容詞形です。クロムは非常に錆びにくいという性質を持っていて、問題の六価クロムは、PG&Eでタービンなどの錆防止剤(rust inhibitor)として用いられたものです。日本国内にも、化学工場の跡地などで高濃度の六価クロムが土壌に大量に残留している場所がまだ多く残っているそうです。