2013年

【投稿一覧】
2013年12月17日
「世界は命令文で出来ている」近藤嘉宏
2013年11月12日
「<時間を無駄に過ごす>意味を内包する構文」吉川裕介
2013年10月14日
「映画と時代性」佐藤弘樹
2013年10月14日
「メトニミー表現 “a Honda” にみるハリウッド映画の日本車像」小林翠
2013年9月12日
「映画と英詩(その3)」福田京一
2013年9月12日
「『ハッピー・ゴー・ラッキー』に学ぶ究極のポジティブ思考」松田早恵
2013年8月14日
「女性のあるべき姿は<良妻賢母>―意外と保守的なアメリカの女性像―」藤倉なおこ
2013年8月14日
「ラーメンは世界を映す小宇宙―『タンポポ』(Tampopo 1985)と『ラーメンガール』(The Ramen Girl 2008)から英語を学ぶ」中井英民
2013年8月14日
「映画で見る略語の面白さ―InitialismとAcronym」飯田泰弘
2013年7月24日
「超越者と西洋的自我(『フィールド・オヴ・ドリームス』Field of Dreams 1989)」北本 晃治
2013年7月24日
「ジェンダーと英語」國友万裕
2013年7月24日
人生の楽しみ方-「『雨に唄えば』(Singin’ in the Rain 1952)」田中美和子
2013年6月7日
「形容詞由来動詞(deadjectival verb)」中山麻美(名古屋学院大学)
2013年5月15日
「“You were a trout.” ― あなたはマス、注文者、それとも…?」濱上桂菜
2013年5月15日
「未来進行形の意味とは?」上田聖司
2013年5月12日
「映画で史実と英詩を学ぶ(『Vフォー・ヴェンデッタ』(V For Vendetta, 2006))」河野弘美
2013年4月6日
「相づちになる-ly副詞」松井夏津紀
2013年3月20日
「語彙の再登録(re-entry)」小野隆啓
2013年3月6日
「サルが言葉をはなせたら?!(『猿の惑星:創世記』Rise of the Planet of the Apes 2011)」藤本幸治
2013年3月6日
「比喩表現“like peas and carrots”(『フォレスト・ガンプ 一期一会』Forrest Gump 1994)」山内圭
2013年2月4日
「映画を活用した仮定法の指導(『シャレード』Charade 1963)」角山照彦
2013年2月4日
「英語の句動詞で超効率的英語学習!」倉田誠
2013年2月4日
「話し手の視点と和訳(2)」横山仁視
2013年1月1日
「『コーチ・カーター』 Coach Carter 2005」藤枝義之
2013年1月1日
「レクター博士のレトリック(『羊たちの沈黙』The Silence of the Lamb 1991)井村誠


2013年12月17日

タイトル: 世界は命令文で出来ている
投稿者: 近藤 嘉宏(京都外国語大学・非)

学生が英語に対して拒否感を持っていたり、自ら壁を作って音読などに参加しようとしない場合に私が取り入れているのは、James J. Asherによって提唱されたTotal Physical Response(以下TPR)という手法です。これは、命令文を使い、実際に動作をさせることによって初級者に語彙を定着させようと意図されたもので、工夫の仕方によっては幅広い応用が考えられます。通常はまず教師がやってみせてから、学習者に実際にやらせるという方法を取ります。 それに加えて、実際にその文が使われている映画の1場面を使えば、その語彙と意味を理解するのに役立つと思われます。 英語の学習に使えそうな場面をいくつか紹介します。

スティーブン・セガールが出演している『エグゼクティブ・デシジョン』(Executive Decision, 1997)では、テロリストが飛行機に仕掛けた精密な爆弾の起爆装置を解除しようとする場面で、「行動する人」が爆弾には素人のCahillで、「命令する人」が軍関係者のCappyという設定です。あまりの緊張にCahillは上手くワイヤーを切ることができません。

Cahill: I can’t do it. I can’t breathe.(俺には出来ない。息が出来ない。)
Cappy: Just relax. I’m right here. Close your eyes.
      (リラックスして。私はここにいる。目を閉じて。)
Cahill: Why?(なぜ?)
Cappy: Just close your eyes. Take a deep breath. Now open your eyes, and cut the blue wire.
    (いいから目を閉じて。 深呼吸して。 さあ目を開けるんだ、そして青いワイヤーを切るんだ。)<01:35:00>

『ベスト・キッド』(The Karate Kid, 2010)では、武術の達人であるMr.Hanが黒人の少年Dreに武術を教える前に、基本の動作を身体に染み込ませる目的で単純な命令文を用いて練習させます。ジャケットを脱いだり着たりという単純な動作を繰り返し要求する場面です。

Mr.Han: Pick up your jacket. Hang it up. Take it down. Put it on.
    (ジャケットを拾い上げて。それを掛けるんだ。おろして。それを着て。)
Dre: I’ve already did all this. Can you just tell me why I’m doing this?
(僕はもう全部やったよ。なぜこんな事をしなきゃならないのか理由を言って。)
Mr. Han: Take it off. Hang it up. Take it down. Put it on the ground. Pick it up.
Hang it up. Take it down. Put it on. Take it off. Put it on the ground. Pick it up.
Hang it up. Take it down. …
    (脱いで。掛けて。それをおろして。地面に置いて。拾って。かけて。おろして。
着て。脱いで。地面に置いて。拾って。掛けて。おろして・・・。)<00:57:40>

この2つの場面で、命令された方は、なぜそんなことをしないといけないのかよくわからず、Why? と疑問を投げかけています。普段の授業ではこんなことを言われなくても済むように、しっかり事前の説明をしておきたいものです。

最後に、『THIS IS IT』(2009)では、Michael Jacksonが、当時はまだ新人のギタリストOriantiがソロでギターを弾いている時の台詞です。リハーサルを途中でやめさせて、もっと高い音を出すよう要求する場面があります。

Michael: Just hit the highest note. It’s time for you to shine. And hit a high, long one.
It’s your time to shine. We’ll be right there with you. <01:18:30>
(一番高い音を出して。君が輝く時なんだから。高くて長い音を。君が輝く時だ。
僕達が君と一緒にいるんだ。)

英語は確かに難しく、苦手だと感じている学生もいるでしょう。しかし、この3つの場面からは、教師が一緒にいるから一緒に練習し、英語を練習することによっていつか最高に「輝く時」を見つけてほしいというメッセージを学生に発信し続けていきたいものです。


2013年11月12日

タイトル:「時間を無駄に過ごす」意味を内包する構文
投稿者:吉川裕介(佛教大学・非常勤講師)

英語には、John slept the afternoon away.(ジョンは午後を寝て過ごした)という表現があり、これをtime-away構文と呼びます。time-away構文の構造的な特徴として、目的語には時間を表す名詞句(time phrase)が現れ、さらに不変化詞awayが後続します。また、awayが目的語より前に置かれることもあります。このような構造を取ることで、これまでtime-away構文には「無駄に過ごす(waste)」という構文的意味(constructional meaning)が内包すると考えられてきました。では、実際に映画に使われるtime-away構文の用例を見てみましょう。

次の例は、『理由』(Just Cause, 1995)からの一例です。校長先生のConklin先生が「女子学生たちが道路の隅でゲラゲラとうわさ話に花を咲かせ、午後を無駄に過ごすことがないように…」という台詞の中にtime-away構文が使われています。確かに、動詞while「暇をつぶす」が使われていることから、構文的意味がよく出ている例だと言えます。

Miss Conklin: We always have a teacher here at 3:00 to make sure the boys don’t get into horseplay or the girls just while away the afternoon gossiping and giggling on the corner. <00:29:34>

一方で、必ずしも「無駄に過ごす」意味が表出しない例も見られます。『ロスト・イン・スペース』(Lost in Space, 1998)の例を見てみましょう。John Robinson博士一家が新天地を目指して宇宙へと旅立つことになり、その記者会見での一幕です。「乗組員はコールドスリープ状態で10年間眠り続けたまま目的地へと向かいます。」という発言からも分かるように、無駄に過ごしている解釈は見られません。

John: My crew will sleep away our 10-year journey there in suspended animation. <00:05:51>

実は、time-away構文に現れる不変化詞awayは「消失(vanishment)」の意味で使われており、「乗り組み員は寝た、その結果として、10年間が過ぎ去った」という因果関係が成立します。これにより、「(示された)時間が何をして過ぎ去ったのか」が焦点となるため、活動時間が寝て過ごされた際には「無駄」という解釈が含意し、John danced the night away.のように非活動時間がダンスをして過ぎ去った際には「楽しく」という解釈になります。

映画の用例を通してtime-away構文について紹介しましたが、映画のシナリオライターが意識的に書いた台詞をひも解くことで、言語の本質に別の角度から接近でき、その意味でも映画英語は非常に有効であると言えます。


2013年10月14日

タイトル: 映画と時代性
投稿者: 佐藤弘樹(FM京都α-stationパーソナリティー、京都外国語大学・非)

3Dをはじめ最近の映画技術の進歩には目覚しいものがあります。おそらく今我々は、かつての無声映画からトーキーへの大変革期に相当する、2Dから3D映画への移行期の真っ只中にいるのだと思います。

実写と見間違うほど精巧なコンピューター処理画像に慣れた学生たちの目には、アナログ時代の往年の白黒名画はかえって新鮮に写るらしく、おおむね評判がいいようです。それはとりもなおさず、映画の名場面は主題(メッセージ)と名台詞(言葉)があってこそ際立つものだからともいえるでしょう。

映画『素晴らしき哉、人生』(It’s a Wonderful Life, 1946)はジェームズ・スチュワートとドナ・リード主演のフランク・キャプラ監督による作品です。全編130分に及ぶ、当時としては長尺の映画だがその3分の2以上が、善良な主人公ジョージ・ベイリーの半生に当てられています。

しかし順風満帆に思えた彼の人生も8,000ドルの会社資金を紛失して暗転し、彼は人生に絶望し自殺しようと思いつめます。そんな彼に自殺を思いとどまらせる役目を負ったのが、二級天使クラレンス。クラレンスはジョージに彼の存在しないもう一つの世界を見せます。次はそのときのクラレンスのセリフです。

Clarence: “Each man’s life touches so many other lives.”
(一人の人生はその他大勢の人生に影響を与える。) <01:57:46>

そしてジョージは考えを改め、物語はハッピーエンド(happy-ending)を迎えますが、この映画がヒットした背景にはやはり公開年1946年が深く関わっていると思います。

作品中にも登場するV-E Day(第二次世界大戦ヨーロッパ戦勝記念日1945年5月8日)やV-J Day(第二世界大戦対日戦勝記念日1945年9月2日)を経てアメリカは戦勝国となるものの、庶民の間では気がつけば夫が・父が・兄弟が・親戚が・友人が・知人が戦死し、自分の将来をはかなんで自殺者が後を絶たなかった時代でした。そんな時代に、この映画は「苦しくてもしかし、人生は生きるに値する世界」であることを示そうとしたのだと思います。

映画は現実の世界から離反した夢物語ではない。例えそう見えたとしても(そう見えればむしろ映画としては成功なのですが)そこにはエンターテイメント興行としてのビジネス上の計算があり、また輿論誘導の大きな役割を担っているといえるでしょう。ましてネットもツイッターも存在しない時代の映画は、今よりはるかに大きな影響力を持っていたといえるでしょう。

巷間で言われる3S政策(Screen=映画、Sports=プロ・スポーツ、Sex=性産業)によって、大衆の目を政治に向けさせない愚民政策が実在するのか否か知る由もありませんが、多くの「イケメン」俳優がかっこよく軍服に身を包んで颯爽(さっそう)と登場する映画が急に増えたのは2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件以降であることにお気づきの方も多いでしょう。

この映画を単なる“元気になれるハリウッドの1作品”とみるに留まらず、アメリカの近代史における“戦後処理政策”の一環と見るのはうがち過ぎでしょうか。


2013年10月14日

タイトル: メトニミー表現 “a Honda” にみるハリウッド映画の日本車像
投稿者: 小林翠(大阪大学大学院博士後期課程)

次の会話は、映画『ウソツキは結婚のはじまり』(Just Go with It, 2011)からの引用です。キャサリンの台詞 “I drive a Honda.” に注目してみましょう。

この映画は、独身の美容外科医ダニー(Danny)と、彼の病院の助手でありシングルマザーのキャサリン(Katherine)によるロマンティック・コメディです。キャサリンは、旅行先で偶然、大学時代の友人で天敵のデブリン(Devlin)と出会います。見栄を張りたいキャサリンは、デブリンに自分がシングルマザーであることを隠し、ダニーと結婚していると嘘をつきます。以下の会話は、その後、キャサリンが実は自分はシングルマザーであるとデブリンに告白する場面での台詞です。

Katherine: I was never married to him. All a big lie that I made up.(夫じゃない。全部ウソなのよ。)
Devlin: Why?(なんで?)
Katherine: Cause I couldn’t stand the thought of you knowing the truth.
(あなたに事実を知られたくなかった。)
Devlin: Really?(そうなの?)
Katherine: So, yeah, I’m a single mother. I have two kids that I love more than anything in the world. I drive a Honda. Still have dial-up internet. (…) And I work for Danny. I’m his assistant. That’s it.
(実はシングルマザーよ。世界一かわいい子供が2人。????。ネットは電話回線。(…)仕事はダニーの助手。以上。)<01:44:07>

キャサリンの台詞 “I drive a Honda.” における a Honda は、メトニミー(metonymy:換喩)表現といいます。メトニミー表現とは、例えば「やかんが沸騰している。」における「やかん」のことです。「やかんが沸騰している」と言っても、実際に沸いているのは「やかん」ではなく「やかんの中の水」です。しかし「やかんの中の水」を指すために、私たちは隣接関係にあるもっと際立った「やかん」を言葉として用いることができます。この台詞では、会社名 Honda が、その会社の製品、つまり「Honda製の車」を指しているのです。

では、”I drive a Honda.” という台詞は、単に、ホンダ車を所有していることを伝えたいだけなのでしょうか。ここでは、自分の人生が全てうまくいっている訳ではないことを表すために、その一例として、この台詞を述べていることが予想されます。つまり、「ホンダ車を所有している」という台詞は、「お金持ちではない」ということを意味しているのです。この台詞から、残念ながら、北米の人々は「Honda 製の車」は大衆的というイメージを持っている、といった文化的側面も見てとれるのではないでしょうか。

さらに、北米の人々は、「Honda 製の車」だけでなく日本車全体に対して、経済的で賢いが個性に欠けるというイメージを持っているのかもしれません。このことは、その車に乗って登場する人物の役柄から垣間見ることができます。

例えば、『イン・ハー・シューズ』(In Her Shoes, 2005)では主役の姉の婚約者(弁護士)が、『抱きたいカンケイ』(No Strings Attached, 2011)では主役エマに好意を持つ同僚(医師)が、それぞれトヨタ「プリウス」に乗って登場します。彼らには共通して、真面目で賢いが野性味に欠け、異性からはあまり魅力的に映らないという特徴が見られるのです。

一方、欧州車には日本車と逆のイメージがあるのでしょう。上に挙げた『抱きたいカンケイ』では、主役男性アダムはBMWに乗っています。エマに好意を持つもう一人のさえない男性が、プリウスに乗っているのとは対照的です。このように、主人公(特に男性)が欧州車に乗っている映画はたくさんあります。欧州車(に乗る人)は、欠点はあっても強い魅力を持つという共通性があるようです。

しかし、日本車も負けてはいません。『マイノリティ・リポート』(Minority Report, 2002)ではLEXUS が未来(2054年)の車として登場しています。やはり日本人の私としては、今後のハリウッド映画に、経済的で賢いだけではなく魅力のある象徴としてもっと日本製の車が登場することを期待せずにはいられません。


2013年9月12日

タイトル: 「映画と英詩(その3)」
投稿者: 福田京一(京都外国語大学)

映画『今を生きる』(Dead Poets Society, 1989)は、高校生に詩をとおして生きる意味を教えるキーティング先生と生徒の心の交流の物語です。今回もこの映画からウォルト・ホイットマン(Walt Whitman)の詩 “O Me! O Life!” を取り上げます。

先生は最初の授業で、突然 “O Captain! My Captain!” [リンカーン大統領に捧げた哀歌(elegy)の一行目]と唄い出します。そして、その続きを知っている者はいるかと尋ねます。しかし、誰も返事をしません。この時点で、先生はこの学校の教育に大事な何かが欠けていることを悟ります。

医学、法律、経営、工学は生きるために必要な尊い学問であることを先生は認めた上で “But poetry, beauty, romance, love; these are what we stay alive for.”(「だが詩や美しさ、ロマンス、愛こそは我々の生きる糧だ」と生徒に熱く語ります。そのとき、説明のためにホイットマンの詩を朗読するのです。

  “O Me! O life! Of the questions of these recurring; / Of the endless trains of the
  faithless – of cities fill’d with the foolish; / What good amid these, O me O life? /
  Answer. / That you are here – that life exists, and identity; / That the powerful
  play goes on, and you will contribute a verse.”(「私よ 命よ 幾度も思い悩む疑問
  / 信仰なき者の長い列 愚か者に満ちた都会 / 何の取り柄があろう / 私よ 命よ
  / 答え・・・それは君がここにいる事 命が存在し自己があるという事 / 力強い劇
  が続き 君も詩を寄せる事ができる」字幕翻訳=杉浦美奈)

朗読のあと、生徒の方に向かって、“What will your verse be?”(「君たちはどのような詩を作るつもりか?」)と問いかけます。

「信仰なき者」とは特定の宗教への信仰をなくした人ではなく「自己信頼(self-reliance)」を失った人のことを指しています。ホイットマンは南北戦争に従軍し、数々の苦い経験をし、また近代化が進むなかで自己と命の意味を見失っている多くの人を見たのです。そして彼自身がそのような一人でもあったのです。このような状況のなかで自己と命が作り出す「力強い劇」の演者になって、詩を紡ぎ出す人に戻りたいと願うのです。もちろん、読者に、すべての人に呼びかけているのです。

なお、キーティング先生の朗読では、2行目に続く4行半が原詩から省略されています。興味ある方は、『草の葉』(Leaves of Grass)に所収の “O Me! O Life!” を参照してください。とても良い詩です。


2013年9月12日

タイトル: 『ハッピー・ゴー・ラッキー』に学ぶ究極のポジティブ思考
投稿者: 松田早恵(摂南大学)

英語のことわざに“Laugh and the world laughs with you; weep and you weep alone.”があります。要は、「ハッピーにしていれば自然と周りに人が集まり楽しく過ごせるが、暗いと誰も寄りつかない」というような意味なのですが、今回は、不機嫌だろうが鬱屈していようが、どんな人にも分け隔てなく接する、超ポジティブな女性の話しを紹介しましょう。

主人公のポピーは30歳独身の小学校教師です。友人のゾーイとフラットを借りて住んでいます。いつもハイテンションで、見知らぬ人にもニコニコ話しかける彼女。本屋の無愛想な店員さんに無視されてもメゲルことなく、ちょっと不気味なホームレスのおじさんの(よくわからない)話にも真剣につきあいます。しかしその愛想のよさゆえに誤解を招き、後に厄介なことになったりすることも…。

いつもユラユラと体を揺らしていて(ちょっと酔っ払いっぽい?)、ヘラヘラ笑っているようにも見えるポピーですが、クラスの男子児童の変化を見逃さずすぐに的確な対応をしたり、運転指導を受けている教官(かなりネガティブな性格)を明るく励ましたりと、とても感受性が豊かで優しい人なのです。とにかくいつも一生懸命周りの人に関わるポピーを、ゾーイは心配しながらも温かく見守っています。

二人でボートに乗っている最後のシーンでは、次のようなやりとりが交わされます。

ゾーイ:You could give up being too nice. Seriously, you can’t make everyone happy.
    (いい人でい過ぎるのを止めたら?本当のところ、皆を幸せにすることはできないんだから。)
ポピー:There’s no harm in trying, though, is there? Bring a smile to the world.
    (やってみても害にはならないでしょ。世界を笑顔にすることを。)
(中略)
ポピー:You keep on rowing and I’ll keep on smiling.
    (あなたは漕ぎ続けてね。私は微笑み続けるから。)

そして、今日もポピーは、周りの人たちを巻き込んで、“Stay Happy!”と愛想をふりまくのです。


2013年8月14日

タイトル: 女性のあるべき姿は「良妻賢母」―意外と保守的なアメリカの女性像―(『50歳の恋愛白書』The Private Lives of Pippa Lee 2009)
投稿者: 藤倉 なおこ(京都外国語大学)

Pippa Lee: So… it’s official, nobody needs me anymore.
(もう公式に誰も私を必要としていないわね)<01:15:51>

上のセリフはこの映画の主人公である50歳のピッパ(ブレイク・ライヴリー)が、心臓まひで脳死を宣言された夫を前につぶやくことばです。「もう公式に誰も私を必要としていないわね。」というせりふには、夫と子供につくすことを人生の最優先にしてきたピッパの人生が表れています。「良妻賢母」という表現がこれ以上ないほどピッパにはあてはまります。

アメリカは男女平等が進んでいる国だと思ってはいませんか?しかし実はまだまだ女性には、良妻賢母としての姿が最優先に求められます。現在のアメリカ国務長官、ヒラリー・クリントンに対して選挙演説中に “Iron my shirt!”「俺のシャツにアイロンをあてろ!」というヤジが飛んだことは良く知られています。ヒラリーは全米で最も優秀な弁護士100人にも選ばれるほどの実力を備えた女性です。ビル・クリントン前大統領のファースト・レディ、連邦上院議員も8年務めています。そうした資質を備えた聡明な彼女でもやはり女性は家族を最優先させるべきなのです。

(参照)
http://www.youtube.com/watch?v=jsocCWiLh3s
http://thecaucus.blogs.nytimes.com/2008/01/07/iron-my-shirt/

現在のファースト・レディ、ミッシェル・オバマもハーバード・ロースクールを卒業した優秀な弁護士です。しかし選挙運動中、靴下を脱ぎっぱなしにする夫に対する不満を語ったために、夫を批判しすぎだ、しゃべり過ぎだと非難され、その後、彼女はやさしい夫の姿を語ることに専念します。バラク・オバマが大統領就任後もメディアがもっとも取上げたのは、ホワイトハウスに移り住んだ家族が快適に過ごせるように気を遣っている様子でした。そんな彼女が現在、取り組んでいるのは、「アメリカの子供達の食生活の改善」です。母としていかに子供達の健康を守るかを考えているという姿を前面に出し、ホワイトハウスの庭に家庭菜園を作ったことが大きな話題になりました。いくら優秀な弁護士であっても、あくまでも夫と子どもに尽くす良妻賢母が求められるのです。

さて、ピッパはその後どうなったのでしょうか。タイトルから予想してみてください。キアヌ・リ―ヴスがこの映画に出演しています。中年女性の恋愛映画はあまりありませんが、ぜひお薦めの映画です。


2013年8月14日

タイトル: ラーメンは世界を映す小宇宙―『タンポポ』(Tampopo 1985)と『ラーメンガール』(The Ramen Girl 2008)から英語を学ぶ
投稿者: 中井 英民(天理大学)

職業柄、常に教材となる映画を探していますが、時には日本映画を選ぶこともあります。日本語の表現が英語ではどのように訳されるのか、英語字幕を使って学ぶことができるからです。そこで今回取り上げるのは、伊丹十三の脚本・監督によるコメディー『タンポポ』(1985)です。

『タンポポ』は、伊丹十三監督のデビュー作『お葬式』(1984)に続く第2作ですが、今観ても大変面白い映画です。男の子と2人で暮らす未亡人タンポポ(宮元信子)が営む、はやらないラーメン屋を、流れ者のダンプの運転手ゴロー(山崎努)が繁盛店にするというのがプロットですが、西部劇の名作『シェーン』のパロディになっています。ラーメン以外にありとあらゆる食べ物が登場するこの映画は、日本でもグルメブームのきっかけとなりました。

伊丹監督の第3作『マルサの女』(1987)に比べれば、日本では大ヒットとはなりませんでしたが、海外での評価は高く、特にアメリカでは日本映画の興行成績歴代2位を誇ります(第1位は『Shall We ダンス?』)。私は、この映画の影響を受けて日本語や日本文化に興味を持ったというアメリカ人を、直接的にも間接的にも何人も知っています。また現在のアメリカのラーメンブームのきっかけにもなりました。

映画では冒頭のシーンで、ラーメン道を究めた達人(大友柳太朗)がラーメンの食べかたの極意を語ります。<00:03:40>

First, observe the whole bowl. Appreciate its gestalt, savor the aromas. Jewels of fat glittering on the surface. Shinachiku roots shining. Seaweed slowly sinking.
(最初はまずラーメンをよく見ます。どんぶりの全容をラーメンの湯気を吸い込みながら、しみじみ鑑賞してください。スープの上に無数にきらめく油の玉、油に濡れて光るシナ竹、はやくも黒々と湿り始めた海苔)

から始まり、老人はゆっくりラーメンの表面を箸でなで、おもむろに麺を食べ始めます。

Finally start eating the noodles first. Oh, at this time, while slurping the noodles, look at the pork. Eye it affectionately.
(さて、いよいよ麺から食べ始めます。この時ですね、麺をすすりつつも、目はあくまでもしっかりと焼き豚に注いでおいてください。これも愛情のこもった注ぎかたです)

その後老人は、しなちく、焼き豚、麺と味わいながら、最後にスープをすすります。(Then he sipped some soup.)

この場面からは、slurp (up) the noodles(麺を音を立ててすする)やsip the soup(スープを吸う)など、日本文化を説明するのに必要ですが、(マナー違反のため)英語教材ではあまり見かけない英語表現が学べます。(マナー違反ではありませんが、「風呂につかる」(soak in a hot bath)なども、日本文化を投射しているculture-specificな表現の一つです。)

さて、もう一つの映画『ラーメンガール』(2008)は、伊丹作品『タンポポ』へのオマージュですが、こちらは完全なハリウッド映画です(『タンポポ』主演の山崎努が今度はラーメンの達人役で登場)。主演のブリタニー・マーフィー(『17歳のカルテ』『シン・シティ』2009年没)以外の主要人物は、西田敏行、余貴美子など日本人ばかりですが、視点はしっかりアメリカ人のものです。この映画の台詞は半分が英語ですが聴き取りやすく、リスニング教材に使えます。この映画から一つだけ興味深いシーンを紹介します。

日本の証券会社で働くアビー(ブリタニー)は、同僚の書いた「トイレ故障中、流さないで下さい」のステッカーにある英語、Out Of Order. Please don’t flash the toilet.のflashをflushにマジックインクで訂正します。<00:14:22>

日本人には分かりにくいジョークですが、アメリカ人ならクスリと笑うところでしょうか。というのも、flushなら「トイレを流す」ですが、flashなら「○○を露出する」になるからです。flush /ʌ/ とflash /æ/の発音の違いは、とても大きいのです。あー、ラーメンが食べたくなってきた。(笑)


2013年8月14日

タイトル: 映画で見る略語の面白さ―InitialismとAcronym
投稿者: 飯田泰弘(大阪大学大学院・院生)

映画の利点のひとつは、書き言葉ではなかなか見られないくだけた表現を知ることができることです。たとえば英語には、頭文字のアルファベットのみを並べ、もともと長かった語を短縮することがあります(Unidentified Flying Object → UFO)。この略語表現はその読み方によって2つのタイプに分けられ、ひとつは「USA → ユー・エス・エー」のように個々のアルファベットを分けて発音するタイプ(イニシャリズム: Initialism)です。これは長い組織名、政府機関名、医学用語などを短縮する場合によく見られます。

(1)『ハンコック (Hancock 2008) 』
Man at a meeting: NFL? NBA? MLB?(アメフト? バスケ? 野球?)
Ray: Soccer.(サッカーです)
Man at a meeting: MLS? Which team?(MLSか?どのチームだ?)<00:08:46>

参照 NFL: National Football League「ナショナル・フットボール・リーグ」
NBA: National Basketball League「ナショナル・バスケット・リーグ」
MLB: Major League Baseball「メジャー・リーグ・ベースボール」
MLS: Major League Soccer「メジャー・リーグ・サッカー」

(2)『ザ・シューター/極大射程(Shooter 2007)』
Alourdes: Cooperating agencies, ATF, NRO, places that don’t even have initials.
(火器局や偵察局、そして略語が存在しない秘密の局までもが協力してるわ)<00:49:35>

参照 ATF: The Bureau of Alcohol, Tobacco, Firearms and Explosives「アルコール・タバコ・火器及び爆発物取締局」
NRO: National Reconnaissance Office「アメリカ国家偵察局」

(3)『特攻野郎Aチーム THE MOVIE(The A-Team 2010)』
CIA Agent: You realize she’s DOD.(彼女は国防総省の女ですよ)
Lynch: I don’t care if she’s G-O-D. Do it.(彼女が神(GOD)だろうと構わん。やれ)<01:05:43>

参照 DOD: Department of Defense「国防総省」

(4)『プリズン・ブレイク シーズン1、エピソード22(Prison Break 2005)』
Police Officer: Apartment 236. Possible overdose. Likely DOA.
(アパート235号室。薬物過剰摂取で、到着時死亡の疑い)<00:36:19>

参照 DOA: Dead on Arrival「到着時死亡、即死」

頭文字を使ったもうひとつのタイプは、「NASA → ナサ」のように、頭文字の集合体を1単語として読むもの(頭字語:Acronym)です。

(5)『イーグル・アイ(Eagle Eye 2008)』
Thomas: Find the Sergeant at Arms. Tell him you have a POTUS 111.
(警備局長を捜して。「ポータス・トリプル・ワン」と伝えろ)<01:38:31>

参照 POTUS: President of the United States「アメリカ大統領」

これら頭文字を使った表現は、なにも固有名詞がほとんどというわけではありません。たとえばASAP(as soon as possible「できるだけ早く」)のような決まり文句の略語、数字を入れた表現、また時には語尾変化の-edを付けてあたかも一般動詞のように使うこともあります。

(6)『Mr. & Mrs. スミス(Mr. & Mrs. Smith 2005)』
Jasmine: The target’s name is Benjamin Danz, AKA “The Tank”.
(ターゲットはベンジャミン・ダンズ、通称「タンク」)<00:29:25>

参照 AKA: also known as「通称、またの名を」

(7)『ノウイング(Knowing 2009)』
Store clerk: Same thing happened with Y2K.(2000年問題の時と同じだね)<01:36:01>

参照 Y2K: year 2000「西暦2000年」

(8)『アメリカを売った男(Breach 2007)』
Gene: Get dressed. You’ve been TDYed.(着替えろ。配置換えだ)<00:07:10>

参照 TDY: temporary duty「暫定職務」

ちなみに余談ですが『メン・イン・ブラック(Men in Black, 1997 』の中に、逃げる犯人をようやく捕まえた警官が、NYPD(New York Police Department:ニューヨーク市警)の警官バッジを見せ、語呂合わせで犯人を怒鳴りつけるシーンがあります。ここでの日本語字幕は、なかなかの名訳だと思いませんか。

(9) J: Do you see this? N.Y.P.D.! It means I will knock your punk-ass down!
(これが見えるか? NYPDだ!意味は「(N)逃げる(Y)野郎は(P)パンチで(D)ドツく」だ!)<00:10:47>

PTA(Parent-Teacher Association)やATM(Automated[Automatic] Teller Machine)など、日本でもよく見られるこれらの略語。ペットボトルの「ペット」(PET: polyethylene terephthalate)やレーザー・ビームの「レーザー」(laser: light amplification by stimulated emission of radiation)も、元の語が短縮された表現であることはご存じだったでしょうか。すこし暗号のように聞こえるこれら頭文字の略語表現ですが、みなさんもよく聞く略語の元の語を調べてみると、意外に興味深い発見があるかもしれませんよ。


2013年7月24日

タイトル: 超越者と西洋的自我(『フィールド・オヴ・ドリームス』Field of Dreams 1989)
投稿者: 北本 晃治(帝塚山大学)

アイオワ州の田舎町、36歳の妻子ある農夫に聞こえた3つの天の声。この映画では、主人公レイ・キンセラの過去と現在が、その3つの声によって徐々に紡がれていく様子が、野球というスポーツを軸として感動的に描かれています。今回は、特に物語の最後に描かれている「西洋的自我」の特徴について考えてみたいと思います。まずはその前に、気になる3つの声についても見ておきましょう。

① If you build it, he will come.「お前がそれをつくれば、彼が来る」<00:04:27>
② Ease his pain!「彼の苦痛を癒せ」<00:34:11>
③ Go the distance!「やり遂げろ」<00:54:15>

①は、とうもろこし畑を刈り取って野球場をつくれば、今は亡き往年の名メジャーリーグ・プレーヤー、シューレス・ジョー・ジャクソンが現れるということ。
②は、かつて若者を鼓舞しリーダーシップを発揮していたにもかかわらず、現在は社会的批判を浴びて傷心の隠遁生活をおくるピューリッツァー賞作家、テレンス・マンの苦痛を癒すこと。
③は、メジャーリーグで1イニングだけ守備について現役を引退した無念のマイナーリーグプレイヤー、アーチー・グラハムを探しだし、その夢をかなえること。

3つの天の声は以上のことを表していることが次第に明らかとなっていきます。そしてこれらをやり遂げたレイ達に向かって、ゴーストのジョー・ジャクソンが、とうもろこし畑の先にある「冥界」を見に来ないかと誘うのでした。しかし、誘われたのは、テレンス・マン一人だったのです。レイは招かれていないことが分かり、その理不尽さに腹を立て、ジョーに向かって次のように言うのでした。

Not invited? What do you mean I’m not invited? That’s my corn out there. You guys are guests in my corn. I’ve done everything I’ve been asked to do. I didn’t understand it, but I’ve done it. And I haven’t once asked what’s in it for me.「(俺は)招かれてないだって。どういうつもりなんだ。それは俺のとうもろこし畑だ。君たちはそこのゲストにすぎない。俺は言われたことはみんなやったんだ。訳が分からなくとも、ちゃんと実行したんだ。俺にとって何の得があるのかを尋ねもせずにな。」
<01:30:53>

これに対してテレンス・マンは以下のように釈明します。

Ray, there’s a reason they chose me just as there’s a reason they chose you in this field.「レイ、この畑で君が選ばれたのに理由があるように、私が選ばれたのにも理由があるんだ。」<01:31:29>

この後、彼は自分が野球に興味がないと言って嘘をついていたことを告白します。そして、「冥界」を見た後、それらのことを本として出版することで、この野球場とその不思議な出来事について多くの人々に知らしめることを約束します。このようにしてテレンス・マンは自らが選ばれた理由の正当性と、その結末がレイにとっても、今後この野球場を人々の心のオアシスとして一般公開する上で大いに役立つことを、訴えかけます。

さて、これらのシーンでレイの怒りを鎮め、納得へと導いたものは、「正当な言語的理由づけ」であったことが分かります。一方で「嘘」を正し、もう一方で「本を書く」、すなわち文字化によって経験を一般共有できる情報へと変化させることが、“What’s in it for me?”「自分の得は?」というレイの個人的な問題を溶解させ、納得へと導きました。これらの交流には、たとえ死者という「超越者」が相手であっても、出来事の理不尽さに対しては、あくまでも自己の視点から意識的、言語的な明確化を求める「西洋的自我」の特徴がよく表れていると思います。これは自らと何等かの関連を感じる死者などの超越的存在に対して、一方的な願い事をすることはあっても、議論を挑んだりすることはまずあり得ない日本人の文化的慣習とは明らかな対照をなすものでしょう。

この映画では、このような出来事に対する意識的、言語的納得の先に、レイがこれまで抑圧してきた亡き父との関係が焦点化され、3つの天の声の根源的意味が1つに重なり合う感動のクライマックスへと一気に進んで行きます。この納得のあとの言葉を超えた感動体験については、映画を是非観てください。


2013年7月24日

タイトル: ジェンダーと英語
投稿者: 國友万裕(同志社大学・非)

私事で恐縮なのですが、私はジェンダー(男らしさ・女らしさ)の視点から映画を見てきました。2年ほど前に、このテーマで、『マッチョになりたい!? 世紀末ハリウッド映画の男性イメージ』(彩流社)という本を出版することができました。この本を学生に紹介すると、「先生、マッチョになりたいんですか(笑)?」と言われます。「筋トレのプログラムを作ってあげましょうか」と冗談で言われたこともありました。「細マッチョ」という言葉がすっかり定着してきたせいでしょうか。私はこの本のなかで、「マッチョ」という言葉を精神・肉体・地位・能力・性格など様々な意味で使っているのですが、今の若い世代は、マッチョというと、「肉体的な」マッチョに特化して考えているようです。

おそらく、日本の若い世代は、性格的にマッチョな男性は「肉食系」、社会的にマッチョな男性は「勝ち組男性」、性格的に優しい男性は「草食系」と区別しているようです。「おねえ系」という言葉も流行っていますが、この言葉は私には定義できません。必ずしも、ゲイの人を指すわけではなく、また必ずしも仕草や言葉が女性的な男性を指すわけでもないようです。わりと恣意的に使っているみたいですね。

性同一性障害を扱った映画で有名な作品の一つに『ボーイズ・ドント・クライ』(キンバリー・ビアーズ監督、1999)があります。女として生まれながら男として生き、最終的には惨殺されてしまう実在の人物を、当時は無名だったヒラリー・スワンクが演じ、いきなりアカデミー賞主演女優賞に輝きました。

この映画のオープニングの場面。男装をしている主人公ブランドン(ヒラリー・スワンク)と男性の間で以下のような会話が交わされます。

男性: Now, if you was a guy, I might even wanna fuck you.
ブランドン: You mean if you was a guy you might even wanna fuck me.

Fuckという言葉は、映画などでは頻出する卑語で「性交する」という意味であることは言うまでもありません。この場面で、この男性はゲイで、男装したブランドンに、「あなたが男だったらつきあってもいい」という趣旨のことを言っていることがわかります。一方でブランドンは、「お前が男(ここでは異性愛)だったとしても、俺くらいのイケメンの男だったらつきあってもいいんだね」と返しているのです。

これが字幕では次のように訳されています。

男性: あんたが男ならヤッてもいい
ブランドン: 俺は男だよ。あんたは違うけど

面白いですね。アメリカの場合も、queer(同性愛者), faggot(男の同性愛者), effeminate(女々しい) など、同性愛者や男性的でない男性を侮蔑する様々な表現はあります。しかし、アメリカの場合は、一人称は一貫して「I」です。日本では、同一性障害やジェンダーの問題で悩んだ経験のある人のなかには、男性なのに、自分のことを「俺」とか「僕」と言えなくて、逆に、女性なのに「私」と言えなくて、苦しい思春期を送った人は多いのですが、アメリカではこの問題は起きないでしょう。男も女も一人称が一緒ですから。日本では、とりわけ、男性の場合は、状況によって、「私」「僕」「俺」と一人称が変わりますが、私が字幕を読んでいて、翻訳者の人に感心するのは、その人のキャラクターやコンテクストに合わせて、この3つの一人称を使い分けているところです。人物を理解していなければ、不似合いな一人称となってしまいます。

ジェンダーを研究していると、こうした些細な点にも興味深い英語と日本語の違いを発見することがあります。自分独自の視点を持って映画を観てみることで、思わぬ発見に遭遇し、それは英語と日本語のみならず、アメリカと日本の文化の違いの問題にもつながっていることがわかります。


2013年7月24日

タイトル: 人生の楽しみ方-「『雨に唄えば』(Singin’ in the Rain 1952)」
投稿者: 田中美和子(京都ノートルダム女子大学・非)

『雨に唄えば』は、サイレントからトーキーに移る時代を背景に、俳優ドンが成功する舞台裏が描かれたミュージカル映画です。ドンを演じるジーン・ケリーが、雨の中、唄を唄いながらタップダンスを踊る場面はあまりにも有名です。日本では、東山紀之さんがドン役で舞台化されたり、また宝塚歌劇団では二度も演目に選ばれました。

人気とお金は手に入ったが、本当にしたい仕事ではなく、ゴシップも本物の恋ではなかったドンは、ある夜ファンから逃げるうちに知らない女性の車に乗り込みます。そして、相手のことを何も知らずに恋に落ちてしまいます。その恋は、相手キャシーが新人女優だとわかった後も続き、唄も踊りも上手な彼女とミュージカルを作ることになります。

キャシーをアパートまで送り届けた後、有名人のドンはタクシーも断り、夜の雨の中、一人で歩き始めます。まるで踊るような軽い足取りで。それは、売れなかった頃の、元気のよい、昔のドンを見るようです。

ドン: Doo-dloo-doo-doo-doo-doo-dloo-doo-doo-doo-doo-doo-… <01:07:50>

弾む心を抑えきれず、遂には土砂降りの中、さしていた傘をたたみ勢いよく肩にかつぎ、タイトルナンバーを歌いだします。ドンがとても若々しく見えてくる瞬間です。

ドン: I’m singing in the rain(雨のなか唄を唄うよ)
   Just singing in the rain(ただ雨のなか唄うんだ)
   What a glorious feelin’(なんて素敵な気持ち)
   I’m happy again(また僕は幸せになれた)<01:08:10>

そして、舗道でタップを踏みながら歌いだし、あのダイナミックなダンスシーンが始まります。この後の数分間は、ジーン・ケリーの独擅場。数万トンのお水を降らせて作った水溜りの中を、タップを踏み鳴らしながら、縦横無尽に踊りまくります。その踊り方は、体から余分な力がすっかり抜けていて、生きていること(雨にぬれること)が楽しくてたまらない、という爽快な様子です。最後に、ドンは通りかかった人に自分の傘をあげてしまい、自分は意気揚々と雨の中を去っていきます。幸せなドンには傘は不要だったのです。生きることは楽しいことだ!土砂降りの雨の夜でも傘などいらないよと、有名なこのシーンを通して、ドンが教えてくれているようです。


2013年6月7日

タイトル: 形容詞由来動詞(deadjectival verb)
投稿者: 中山麻美(名古屋学院大学)

2011年6月5日にアップされた田中先生の名詞由来動詞と類似する現象に、形容詞由来動詞というものがあります。これは名前の通り元の形容詞の意味を引き継いだ動詞です。動詞化される際、「転換」(ゼロ接辞ともいう)と「派生接辞」の2つの方法があります。「転換」による形容詞由来動詞には、clear, empty, thin等があり、形容詞のスペルは変えずに動詞化しています。一方、「派生接辞」によるものには、en-rich, modern-ize等があり、形容詞に接辞が付加されて動詞として用いられます。今回は私たちが日常生活で頻繁に耳にする形容詞が多く使用されている「転換」による形容詞由来動詞にスポットをあててみます。

(1) Nancy is a calm person. (ナンシーは穏やかな人です)
(2) Calm down, Nancy! (落ち着きなさい、ナンシー!)

(1)と(2)をみてください。(2)は形容詞であるcalmが動詞に転換し、downの意味と相まって「落ち着かせる」という句動詞になっている例です。その形容詞がどのような状態を示しているかを知っていれば、容易に意味を推論できます。では形容詞のemptyが転換され使われている例を、映画『エターナル・サンシャイン』(Eternal Sunshine 2004)からみてみましょう。

Dr. Mierzwiak: CD’s you may have bought together, journal entries. We want to empty your home. We want to empty your life of Clementine.
「一緒に買っただろうCDや日記の書き込み。あなたの家も消し去りたいんだ。あなたの人生からクレメントを消すんだ。」<00:28:58>

この映画では記憶を消す手術を施す会社のドクターがemptyという形容詞由来動詞を使っています。「空っぽである」という形容詞を使うことで、全て記憶が抹消されたという臨場感を出しています。ちなみに、この映画は最後にストーリーのどんでん返しがあるので、是非観てみてください。


2013年5月15日

タイトル: “You were a trout.” ― あなたはマス、注文者、それとも…?
投稿者: 濱上桂菜(大阪大学大学院・院生/京都外国語大学・非)

映画のストーリーの中で登場人物が面白い話をしているシーンは、観ている側にとっても興味深いものです。しかし、字幕だけ見ていても、何が面白かったのかが解らない時があります。面白いに違いないのに、その面白さがわからない…というのは少し残念ですよね。そこで今回は、次の「登場人物が笑うシーン」から、英語のちょっぴり面白い話をしたいと思います。

次の会話は、『お買いもの中毒な私』(Confessions of a Shopholics 2009)の中で、ルークがアリシアという女性の注文を確認しているシーンです。

ルーク: Oh, Alicia, remind me. Were you a salmon or a trout?
     (アリシア、どうだったかな。君はサーモンだった?マスだった?)
レベッカ: You were a trout.
     (あなた(=アリシア)はマスでしたよね)<01:00:00>

レベッカの最後の台詞を受けて、同席していた他の女性が声を殺して笑います。そして、レベッカは自分の発言が誤解を招くものだったと気付き、複雑な顔をする…。なぜこのような事になったのでしょうか。もちろん、日本語の意味だけではそれを知ることはできません。

実は、“trout” は「小言をいうおばさん」という意味で使われることがあります。つまり、レベッカが「あなたはマスでしたよね」と言うつもりで発言した “You were a trout.” は、「あなたは小言をいうおばさんでしたよね」とも解釈できる文だったわけです。しかもこれは、若いレベッカが年上の恋敵(アリシア)に対して言った言葉だったので、ますます意味深な発言になってしまいました。

ここでもう1つ英語として面白いのは、“You were a trout.” と言うだけで「あなたはマスを注文した人だ」と意味することができる点です。学校で習った関係代名詞を使うなりして、“You are the person who ordered …” などと複雑な文を言わなくてもいいのですから少し驚きですね。注文したものがテーブルに来たとき、日本語でも「僕は鰻丼」とか「私はカレーライス」などの鰻文(unagi sentence)と呼ばれる表現法を用いますが、今回の英語の表現もそれと一緒です。

これには、認知言語学でいうメトニミ―(metonymy、換喩)という現象が関わっています。メトニミ―とは、意味のずれが起こる現象のことです。レストランで注文した料理を待っている時には、“a trout”「マス」に関して、その種の魚以外に様々なことが連想されます。マス料理、マス料理がのったお皿、マス料理を作る人、マス料理を注文した人、マス料理を食べる人、等々です。そこで今回は “a trout” が、この注文の確認というシーンにおいて、魚の「マス」の意味から「マス料理を注文した人」の意味にずれて用いられ、そして同時にその意味にずれて理解されているわけです。(笑いを押し殺していた女性は、違う意味にも聞き取れたみたいですが…。)

このように「あのシーンでどうして笑っていたのかな?」という純粋な疑問を出発点に英語表現の背後にある意味を調べてみると、面白い発見がたくさんあります。最近ではDVDで英語字幕を容易に調べることができますから、皆さんも面白そうなシーンを見つけたら是非その奥に潜む意味を調べてみてはいかがでしょうか。


2013年5月15日

タイトル: 「未来進行形の意味とは?」
投稿者:上田聖司(大阪府立花園高等学校)

日本では春は新しい学年が始まる季節です。高校1年生の英語の授業では、この時期に文型や時制など基本的な文法の学習から始まることが多いので、文法用語に慣れていない1年生にとっては頭の痛い時期でもあります。高校では「時制」は基本的な文法事項として位置づけられていますが、意味が微妙で理解するのが難しい形もあります。

「未来進行形」という形を知っていますか。形は「will + be + 動詞のing」で、意味は「~しているでしょう」と未来のある時点での進行中の動作をあらわすと学習します。1本の映画の中に1度は使われているといっていいほどの未来時制の表現です。2009年にアカデミー作品賞を受賞した『スラムドッグ$ミリオネア』(Slumdog Millionaire 2008)には、次のような台詞があります。

Jamal: She’s alive isn’t she?(彼女は生きてるんだろ?)
Arvind: More than alive. She’s on Pila street. They call her Cherry.
(ちゃんと生きてるさ。ピラ通りに住んでる。チェリーって呼ばれてるよ)
Jamal: Thanks.(ありがとう)
Arvind: I’ll be singing at your funeral.(君の葬式できっと歌うことになるよ)< 00:53:59>
     ※注 映画ではヒンズー語です。

最後のArvindのセリフに未来進行形が使われています。高校で学習する通りに訳すと、「君の葬式で歌っているでしょう」となります。そうすると、悪党たちに殺されるかもしれないという危険を冒してまで、Latika(Cherryという名で働いている)という女の子を必死に捜そうとするJamalに対する忠告としては何か物足りません。Arvindにすれば、Jamalの葬式なんて考えたくもないはずです。でも、葬式で歌を歌うことが想像できるくらい、Latikaを探すことが危険なのだと、Jamalに言いたかったのです。

未来進行形のもう一つの意味として、「当然の成り行き」(matter of course)があります。『ナイト・ミュージアム』(Night At The Museum 2006)で、Ben Stillerが演じるダメお父さんLarryは、博物館での警備中に思いもよらない恐ろしい目に遭います。この仕事は無理だと前任者であるCecilに伝え、警備の制服を返却し、挨拶する場面で次のように言います。

Larry: So thank you very much, and, uh, I left my uniform in the office, and I will be seeing you.
    (そんなわけで、お世話になりました。え-と、制服は事務所においておきましたから。またどこかでお会いしましょう) <00:42:16>

ここでも最後に未来進行形が使われています。Cecilとはもう会うはずもないのに、「あなたとあっているでしょう」はおかしいですね。意思の力でそうしなくても、きっと会うだろうという表現をとることで、話し手の意思と無関係であるという印象を与え、丁寧な響きにしています。

『メイド・イン・マンハッタン』(Maid in Manhattan 2002)では、上院議員候補のクリス(レイフ・ファインズ)は、マリサ(ジェニファー・ロペス)と恋に落ちますが、実はマリサがホテルの従業員であることがわかります。身分を考えない行きずりの恋…。選挙戦にも影響を与えかねないスキャンダルに発展しかけます。取材陣がざわめく中を側近のJerryがあせりながら言います。

Jerry: We will not be taking any questions right now.
    (今は、質問をお受けできないかと思います)<01:27:47>

Jerryは、We won’t…と言いかけてから、この台詞に修正しています。話し手の意思がはっきり出ないという未来進行形の効果をうまく利用しながら、記者たちに対して「質問は受けません」ときっぱり言うのではなく、控え目な表現にしています。

未来進行形は、すべての未来表現の中でも特徴を説明するのが最も難しいと言われます。未来をあらわす表現のなかで使用頻度が一番高いのはwillです。次に現在形、be going to do、be …ingと続き、未来進行形は一番低いのですが、最近では口語表現でよく使用されるようになってきたそうです。だからこそ、映画の中でよくみかけるのかもしれませんね。ストーリーを考えることで、未来進行形の微妙な意味を理解するきっかけをつかむことができるのです。


2013年5月12日

タイトル: 映画で史実と英詩を学ぶ(『Vフォー・ヴェンデッタ』(V For Vendetta, 2006)
投稿者: 河野弘美(京都外国語短期大学)

映画の中には様々な学習要素が含まれていますが、『Vフォー・ヴェンデッタ』(日本2006年公開)では、17世紀の英国で実際に起きた事件が内容の中核となっているため、映画を通して英国の歴史を知ることができます。映画の冒頭では、英国で長く親しまれている詩が紹介されます。その詩は、英国伝統行事(北アイルランド等の一部地域では実施されていませんが)の一つである11月5日の「ボンファイヤー・ナイト」あるいは「ガイ・フォークスナイト」に関連したものです。「ボンファイヤー(bonfire)」とは「大きな焚き木」という意味ですが、この日、英国の多くの町では沢山の花火が上がります。日本とは違い、英国では花火が冬の風物詩となることも、冒頭の詩をきっかけに理解することができます。映画の冒頭の詩をここで紹介しましょう。

Remember, remember, the fifth of November, (忘れるな、忘れるな、11月5日を)
Gunpowder, treason and plot.(火薬陰謀事件を。)
I see no reason why gunpowder treason, (どうしてその陰謀と反逆を)
Should ever be forgot! (忘れてよいのか!)

まず、物騒な内容の詩が紹介され、その後に“I know his name was Guy Fawkes and I know in 1605, he attempted to blow up the Houses of Parliament.”(彼の名前はガイ・フォークス。1605年に国会議事堂の爆破を狙ったのを私は知っている。)と続き、史実の説明が加えられていきます。映画を見るまで「ガイ・フォークス」という名を知らなかったとしても、この映画を通して、英国の歴史を知ることができます。

史実とは別の学習要素としては、冒頭で紹介されている詩を通して英詩の特徴を知ることが出来ます。それは「音の響き」で、日本語の詩ではあまり見ることのできない特徴です。英詩の多くは、各行の最後(あるいは最初)の語が他の行の語と同じ音で終わる(始まる)、すなわち「韻を踏む」要素が取り入れられています。「Remember~」の詩には、2行目と4行目の最後の語(2行目「plot」、4行目「forgot」)が同じ音で終わる脚韻が踏まれています。一方、1行目と3行目では一行内で複数の韻を踏む語があります。1行目では「ber」で終わる語がリズミカルに3回登場し、3行目では「reason」と「treason」の語尾の音が呼応しています。

『Vフォー・ヴェンデッタ』にはその他にも英国の社会や文化を理解することのできる情報が沢山散りばめられています。原作コミックや英国の歴史を学習した後に再度鑑賞することで一層内容を深く楽しむことができるでしょう。


2013年4月6日

タイトル: 相づちになる-ly副詞
投稿者: 松井夏津紀(チュラーロンコーン大学)

相づちはコミュニケーションを円滑に行うという大切な役割を担っています。相づちには、相手の話を聞いているという合図や相手の話を促進する合図もあれば、同意、驚き、疑いなどの感情も表すものもあります。日本語話者は英語話者と比べると、相づちを打つ回数が2倍近くになるという研究もあります。そのような日本語からの影響で、日本人が英語を話すとき、相づちの回数が多すぎて相手の発話をさえぎってしまうこともあるようです。円滑なコミュニケーションを行うための相づちですが、逆にコミュニケーションの妨げなることもあります。

英語は日本語と比べて相づちの回数が少ないとはいえども、英語においても相づちはスムーズな会話を行うために有効な手段です。では、英語の相づちには、どのようなものがあるでしょうか。短い相づちの、“Uh-huh.”、“Yeah.”、“Okay.”、“Wow!”、“Really?”などがすぐに思い浮かぶのではないでしょうか。また、文タイプの相づちでは“I see.”、“I agree.”、“You’re right.”、“I don’t think so.”などがあります。これらの相づちは初級や中級の学習者にも馴染みがある相づちだと思われます。しかし、このような相づち以外で、英語では-ly副詞が相づちの役割を果たすことがあります。

Let’s get out of here. /Absolutely. <00:31:11> 『ラブ・アゲイン』(Crazy, Stupid, Love 2011)
Yeah, we should… / Totally. Totally. <00:09:53> 『抱きたいカンケイ』(No String Attached 2011)
You don’t wanna ruin it with ads because ads aren’t cool. /Exactly. <01:09:48>『ソーシャル・ネットワーク』(The Social Network 2010)

Absolutely は日本語の「そうね」、totally は「そうよね」、exactly は「そう、そう」に近いと思われます。しかし、exactly は少し違う用法の相づちとしても使われます。

Who does that? /Exactly. <00:09:12>『遠距離恋愛~彼女の決断~』(Going the Distance 2010)

こちらのほうは“Who does that?”という文に対しての賛同の“Exactly.”ですが、前述の「そう、そう」のexactlyではありません。実は、この疑問文は質問ではなく「そんなこと誰もしない」という反語の意味で使われています。ですから、このexactlyは「そうでしょ」(=「そんなこと誰もしないわよね」)という相づちに対応すると考えられます。

他にも相づちとしても使える-ly副詞には、apparentlycertainlydefinitelyfinallyhopefullypreciselyseriouslyなどいろいろなバリエーションがあります。“Uh, huh.”や“Yeah, yeah.”や“Really?”に加えて、もう少し詳細な情報を伝えられる-ly副詞を英語話者はどのように使っているか、映画を観ながら「ちょっと気の利いた相づちリスト」を作っていくと、会話をするときに役に立つこと間違いなしです。


2013年3月20日

タイトル: 語彙の再登録(re-entry)
投稿者: 小野隆啓(京都外国語大学)

人間の脳内には、その人の母語(native language)の語彙部門(lexicon)というものがあります。そこには、その言語の語彙項目(lexical item)(=単語)の音韻・形態・統語・意味情報が納められています。この心内辞書(mental lexicon)は固定した静的なものではなく、日々の経験などで変化する柔軟なものです。古くなって一般には用いられなくなった語彙項目は、アクセスされることが徐々になくなっていきいつかは不活性な、つまり用いられることのないものになってしまいます。その一方では、新しい語彙項目が形成され心内辞書に登録されるものも出てきます。例えば、「iPS細胞」とか、TPP、PM2.5などというような語彙項目は少し前の我々の心内辞書には登録されていませんでした。

新しい語彙項目は心内辞書に登録されるわけですが、言語にはすでに登録されていた語彙項目が別の項目として再登録(re-entry)されることがあります。例えば次の例を見てみましょう。映画『ワーキングガール』(Working Girl, 1989)からのセリフです。

(1) Tess: No lunch. I got speech class. <0:03:03>
  (昼食はいいわ。話し方教室があるの。)

これは映画の出だしの部分で、主人公のTessと友人のCynがStaten Island Ferryを降りてくるところでの会話です。ここで奇妙なのは動詞gotです。gotはgetの過去形であることは明白ですが、この場面ではどうしても過去形ではなく、現在形の意味にしか解釈できないのです。DVDの日本語字幕では『昼休みは”話し方教室”よ』となっています。gotなのに、なぜ現在形なのでしょう?

最も容易に推測されることはI have got speech class.のように、実は過去形ではなく現在完了形のhaveの省略だとすることでしょう。確かにそう考えるのが良さそうです。

ところが、そうだと簡単に結論づけることもできないのです。同じ『ワーキングガール』の中に次のようなセリフが出てきます。

(2) Turkel: You know, you have to remember, you’re up against Harvard and Wharton graduates. What do you got, some night school … some secretarial time on your sheet? <0:06:10>
  (忘れるなよ。君はハーバードやウォートン卒の奴らを相手にしているんだぞ。君は履歴書ではせいぜい夜学と秘書の経験だろ?)

ここでは、what do you gotとなっています。gotが過去形の動詞なのならばwhat did you getとなるはずのところですね。でもそうなっていないし、意味的にも過去ではあり得ないのだから、やはりこのgotはgetの過去形とは考えられません。現在完了形の過去分詞のgotとも考えられません。gotという新しい「現在形の動詞」なのです。

同様の例が映画『ツインズ』(Twins, 1988)にも次のように出てきます。

(3) Vince: But, Al, I’m desperate, Al! I mean, what do you got? You got anything for me? <0:09:54>
  (アル、とにかく必死なんだ。アル、何とかしてくれ? いい物ないか?)

この場合もdo you gotになっていて、過去形のgotではなく、意味的にも現在を表すgotなのです。

この現象は、現在完了形のhaveが省略されたというだけではなく、gotというgetの過去形の動詞が、現在形の意味を持って心内辞書に再登録されたと考えるべきでしょう。英語母語話者の心内辞書には普通のgetと、それとは別の、getの過去形ではないgotという語彙項目が登録されているということになるのです。

このような現象は他にもあります。次の例は同じく『ワーキングガール』からのものです。

(4) Tess: Um, Mr. Alagash is on the phone. He’s real, real anxious to talk to you. <0:04:41>
  (アラガッシュさんから電話です。とっても話したがっておられます。)

本来なら形容詞を修飾するのは副詞ですから、really anxiousとなるべきところですが、realとなっています。これもrealという形容詞と、realという別の副詞が心内辞書に登録されているのです。最近の日本語の「すごいおいしい」という表現と同じです。本来なら「すごくおいしい」ですね。日本語の心内辞書にも再登録が起こっているのです。


2013年3月6日

タイトル: サルが言葉をはなせたら?!(『猿の惑星:創世記』Rise of the Planet of the Apes 2011)
投稿者: 藤本 幸治(京都外国語大学)

人間と他の地球上の生物の最も大きな差はことばを操る能力の有無です。人間に最も近い存在といわれるチンパンジーですら、彼らの見せる驚くべき認知能力にも関わらず、人間のようにことばを操ることはできません。

しかし、もし将来彼らが人間と同じようにことばが理解でき、使用できるようになったとしたらどうでしょうか。映画の世界でも、この将来起こりうるかもしれない話を紹介しています。それが、今回紹介する『猿の惑星:創世記』です。

あることから、科学者である主人公ウィルは実験室のチンパンジーのシーザーを自宅に持ち帰ります。彼は新薬の影響を受け脳に驚異的な進化を遂げることになります。そして、ついに人間と話をするようになっていくのです。

もし猿が人間のことば(英語)を話すとしたら、最初に発することば(品詞)やそれを含んだ構文はどのようなものでしょうか。実は、映画でシーザーが最初に発することばは、mommyやdaddyのような名詞ではないのです。彼はあることば(結構難解な構造や意味を持ちます)に反応して、自身の初めてのことばを発します。彼に向けられたことばは次のようなものです。

Take your stinking paw off me, you damn dirty ape! <01:13:00>
命令文               感嘆表現(主語)

人間あるいは、人間に値する動物が存在とするとしたら、そのことばの発芽は、喜びや興味関心でなく、時に抑えきれない感情がことばを生み出させるのかもしれませんね。真実のほどはさておき、劇中、彼は自身に浴びせられた酷いことばに何というのでしょうか。ぜひ、実際に観て確認してみてください。

劇後半、仲間とともに人間と袂を分かとうとするシーザーに、かつてのご主人、ウィルが次のように語りかけます。

Please come home. If you come home, I’ll protect you. <01:34:42>
命令形        従属節(条件節)  主節

これに対してのシーザーの答えには、驚かされます。見事に英語の構造を保って話すのです。

Cesar is home. <01:35:07>(英語の規範的文型はSVO)
 S V C

いわゆる第2文型ですね。かつて文法偏重だと批判された中学校1年生の英語の教科書は、I am a boy.やThis is a pen.のような文が初めに使われていたことを思い出します。しかし昨今では、How are you?とかWhere are you from?などの文がコミュニケーション英語の名のもとにいきなり使用されているのです。

この映画は、環境破壊が叫ばれる現代において、人間と自然界や他の動物との関係を再考させられるのと同時に、ヒトの言語の起源や言葉の習得と発展という点でもいろいろと考えさせてくれる映画です。あなたが生まれて初めて話したことばや文、覚えていますか?無意識に達成される言語獲得の謎を改めて実感しますね。


2013年3月6日

タイトル: 比喩表現“like peas and carrots”(『フォレスト・ガンプ 一期一会』Forrest Gump 1994)
投稿者: 山内圭(新見公立大学)

昨年11月、調査と校務のためニューヨークを訪問しました。マンハッタンのタイムズ・スクエアの近くのホテルに宿泊し、夕食をどこで食べようかと歩いていると目に入った看板に“Bubba Gump Shrimp Co.”の文字が書かれていました。これは、映画『フォレスト・ガンプ 一期一会』にちなんだレストランに違いないと思った私は、早速店内をのぞいてみると、映画にちなんだグッズが数多く売られていました。そこで私はエビのカクテルとテンプラとフライがセットになった料理を食べました。食事の際、ウェイトレスがテーブルにやってきて、映画『フォレスト・ガンプ』にちなんだトリビアクイズを出題し、それに正解できたらキャンディをもらえました。

さて、この映画『フォレスト・ガンプ』では、比喩表現“like peas and carrots”が印象的に次のように3度にわたって使われています。

From that day on, we was(sic) always together, Jenny and me, like peas and carrots.
(その日から僕らは豆と人参のようにいつも一緒) <00:14:18>

Jenny and me was just like peas and carrots again.
(ジェニーと僕はまた豆と人参に) <01:07:20>

It was like olden times. We was like peas and carrots again.
(僕らはまた昔のように“豆と人参”になった) <01:46:52>

いずれも主人公のトム・ハンクス演じるフォレストと幼馴染のジェニーが仲睦まじくなったという場面で使われています。

映画を見た当時(1995年)、この表現を知らなかった私は、いろいろな辞書をあたってみましたが、掲載されている辞書はありませんでした。そこで、当時普及し始め、自分でも使い始めて間もないインターネットの検索機能でこの表現を検索してみました。そうしたら、自分のガールフレンドを自慢するホームページで使われていたり、友人として馬が合うという意味で使われていたり、物の組み合わせがぴったりだというような意味で使われていたりと、さまざまな文脈で使われていることがわかりました。

自分のガールフレンドを自慢することでこの表現を使っていたジョージア州の男性がメールアドレスも公開していたので、私は思い切って、その男性にメールを送り、この表現を映画『フォレスト・ガンプ』から得て使っているのかどうか尋ねてみました。すると、数日後、彼から返事がきたのです。彼も見知らぬ日本人からこのような質問メールが来たことに驚いたようでしたが、この表現は彼の祖母も使っていたということ。この表現は、アメリカ南部料理からきているそうで、豆だけ煮てもおいしいし、人参だけ煮てもおいしいのだが、両方を一緒に煮ると相乗効果でなお一層おいしくなるというところから、二人でいるとお互いのいいところが引き出され楽しさが倍増するというような意味であることを見知らぬ私に親切に教えてくれたのでした。

それまでは、わからない英語表現がある場合、辞書等で調べたり、手近な英語母語話者に尋ねたりするしかなかったのですが、インターネットを使えば、瞬時にして用例も得られるし、場合によっては見知らぬ人にも尋ねることもできる、なんと素晴らしい仕組みができたのだろうと感動したことを今でも覚えています。今ではインターネットやコーパスで検索することが当たり前になってしまいましたが、この映画のこの表現で私はまさにインターネットの素晴らしさに魅了されてしまいました。

マンハッタンのBubba Gump Shrimp Co.のエビ料理、とてもおいしかったです。このレストランで興味深かったのは、ウェイトレスやウェイターにテーブルに来てほしいときには“Stop, Forrest, stop”の表示を、ウェイトレスやウェイターに用がないときには、 “Run, Forrest, run”の表示を出しておくことになっていることでした。また、メニューが卓球のラケットの形をしていたりと、映画『フォレスト・ガンプ』ファンにとっては本当に楽しめるテーマ・レストランでした。


2013年2月4日

タイトル: 映画を活用した仮定法の指導(『シャレード』Charade 1963)
投稿者: 角山照彦(広島国際大学)

『シャレード』(Charade 1963)は、オードリー・ヘプバーンがケーリー・グラントと共演したコメディタッチのおしゃれなサスペンス映画です。サスペンスの帝王アルフレッド・ヒッチコック監督の作品を彷彿させるようなサスペンスの連続で、「ヒッチコックが作らなかった最もヒッチコック的な作品」と評されることもあります。ちなみに、この作品は、制作当時著作権者の表示が欠落していたためにパブリックドメイン(公共資産)となったもので、パブリックドメイン映画としてはかなり新しい部類に入るものです。

一般に映画はリスニングや英会話の教材として捉えられることが多いですが、教材としての可能性はそれだけにとどまるものではなく、多くの学習者が苦手とする英文法を指導するための教材としての活用も考えられます。例えば、本作品の中には、次に挙げるように、仮定法の例文として活用できそうなセリフが数多く含まれています。

If I had a quarter of a million dollars, believe me, I’d know it!
(もし25万ドル持っているとしたら、絶対に知っています)<0:24:20>
Supposing I had it, which I don’t, do you really think I’d just hand it over to you?
(仮にそれ [=25万ドル] を持っているとしても、俺がお前に渡すと思うのか)<0:54:26>
I wish I knew.
(全く知りません)<1:22:00>
If I were you, I wouldn’t stay in pajamas.
(私ならパジャマのままではいませんよ)<1:22:26>

映画の場面を踏まえた上でこれらの例文を確認すると、学生にも現実の状況とは違うという仮定法の基本がよく理解できるようです。特に2番目のセリフではwhich I don’tと現実とは違うことを補足していますからなおさらです。

上記のような単文のセリフも役に立つのですが、ヘプバーン扮する未亡人レジーナと友人の子どもジャン・ルイがホテルの部屋の中で盗まれた25万ドルを探す場面では、次のように仮定法がふんだんに使われた一連のやりとりがあり、さらに様々な活用法が考えられます。

REGINA: Now, if you had a treasure, where would you hide it?
(ねえ、もしあなたが宝物を持っていたら、どこに隠す?)
JEAN-LOUIS: I would bury it in the garden.
(僕なら庭に埋めるよ)
REGINA: That’s swell, but this man doesn’t have a garden.
(いいわね、でもこの人にはお庭はないの)
JEAN-LOUIS: Oh, neither do I.
(ああ、僕もだ)
REGINA: You don’t? Well, if you had to hide it in this room, where would you put it?
(そうなの?じゃあ、この部屋の中に隠さないといけないとしたらどこに隠すかしら?)
JEAN-LOUIS: Up there.
(あの上だよ)<1:05:36-1:05:54>

授業では、仮定法の部分のみ日本語として提示しておき、英作文をさせてから場面を視聴して確認しますが、多くの大学生がかつて習ったはずの仮定法の基本的な用法で苦労をします。また、確認が終わった後は、部屋の中が大写しになった場面で映像を一時停止させ、学生たちに自分だったらどこに隠すかという会話をQ&A形式のペアワークでさせます。短い場面を活用しながら、英文法を中心に、英作文、リスニング、スピーキングと総合的な演習ができるのが映画活用の醍醐味と言えるでしょう。

果たしてジャン・ルイの言ったように、箪笥の上に25万ドルは隠されているのでしょうか?DVDで是非確認してみてください。


2013年2月4日

タイトル: 英語の句動詞で超効率的英語学習!
投稿者: 倉田誠(京都外国語大学)

英語の語彙の大半を占めているものに、アングロサクソン系の語彙とラテン語系の語彙があります。今回は前者と後者の動詞表現を比較しながら、前者に属するput togetherという句動詞にスポットを当て、その汎用性の高さ(用途の豊富さと便利さ)を提示します。

(1) a. Max put together the machine last year.
  b. Max assembled the machine last year. 「機械を組み立てる」
(2) a. Max put together the book last year.
  b. Max compiled the book last year. 「本を編集する」
(3) a. Max put together the music last year.
  b. Max composed the music last year. 「音楽を作曲する」

まずラテン語系の動詞で書かれている(1b)、(2b)、(3b)から見ましょう。(1b)のassembleは機械や家具系の目的語を従える場合が多く、「組み立てる」と意味になります。(2b)のcompileは本のような印刷物系の目的語と相性が良く、(3b)のcompose も音楽や詩文などの目的語の「形を整える」という意味です。つまり、(1b)、(2b)、(3b)の動詞に対する目的語は限定されている場合が多いので、動詞と目的語を入れ替えることは難しいと言えます。一方、(1a)、(2a)、(3a)のput togetherというアングロサクソン系の句動詞は、目的語が機械や印刷物でも、音楽や詩文であっても、何の問題なく文を成立させることができます。実はput togetherの意味は無色透明に近く、「<バラバラの状態のもの>を組み合わせる」という極めてルースな意味のみで目的語と融合し、文の意味を決定づけます。その結果、辞書で見るとこの句動詞は多義性が高いように見えますが、実は汎用性が高いというのが正確な表現なのです。この点を映画の例で実証してみましょう。(4)は映画『ロッキー』(1976)からのセリフです。

(4) Paulie: I don’t get married because of you! You can’t live by yourself!
       I put you two together! And you…and don’t you forget it, you owe me! < 01:27:33>

酒に酔ったポーリーが妹のエイドリアンとその夫のロッキーに向かって、「俺がお前ら2人を結びつけてやったんだ」と叫んでいるシーンです。2人の男女を組み合わせるという意味ですが、ラテン語系の硬い表現ならconnectで置き換えが可能です。次に(5)のようなput the two togetherというセリフが『ワーキング・ガール』(1988)にもあります。

(5) Trask: The impulse. What led you to put the two together? < 01:42:54 >

ここでのthe twoは2つの会社を指しますので、ロッキーの例とは違い「合併させる」という意味になります。ラテン語系の語彙ならmergeという難しい動詞が相当するでしょう。

またこの句動詞は新聞のような書き言葉で使われることも少なくありません。(6)はThe Japan Times onlineの2012年9月7日の記事の冒頭部分です(下記URL①を参照)。

(6) Osaka Mayor Toru Hashimoto formally announced Thursday that he will head the new political party he is putting together for the next general election while concurrently serving as mayor of the nation’s third-largest city.

橋下徹大阪市長が国政選挙に向けての新党を作ることを表明したという内容ですが、目的語が下線部のthe new political partyですので、「結成する」という意味になります。この後続文脈では、同様の内容がcreateというラテン語系の動詞で表現されていますので、ご確認ください。

更に、TOEICTest公式サイトのサンプルのリーディング問題(下記URL②を参照)にもput together a contract(契約書を作成する)が使われており、誤答と結びつくように編まれています。併せてご確認ください。

put togetherのみならず、アングロサクソン系の句動詞表現は汎用性の高さが特徴ですので、うまく利用すると英語学習を一石二鳥どころか一石十鳥にも効率化できます。

参考サイトのURL
①http://www.japantimes.co.jp/text/nn20120907a2.html
②http://www.toeic.or.jp/toeic/about/tests/sample07.html


2013年2月4日

タイトル: 話し手の視点と和訳(2)
投稿者: 横山仁視(京都女子大学)

投稿者は2011年6月5日付けのコラム「話し手の視点と和訳」と題して、「単純な言い回しでも、発話状況と対人関係を考えることは、話し手の「心的態度」を伝える大切な視点である」ことを述べました。

今回は続編として、『バーレスク』(BURLESQUE, 2010)のオーディションの場面から、次の下線部分のセリフの和訳を考えてみましょう。

TESS: What is she doing?(何やってるの?)
SEAN: I think she’s auditioning.(一人オーディションだ)
TESS: Hey, Dave, cut it!(ちょっと、デーヴ、止めて!)
ALI: Hold on a second, I can do this.(ちょっと待って、私も踊れます)
TESS: And I think it’s sweet that you think you can.(その勘違いぶり、可愛いと思うけど)
ALI: Tell me what you’re looking for.(どうすればいいか言ってください)
TESS: Someone who can do the routine.(ちゃんと踊れる子を探してるのよ)
ALI: Excuse me? I’m talking to you!(???)<00:32:20>

オーディションは、テス(シェール)にとって看板ダンサーとなる逸材を発掘することができずに残念なものに終わってしまいます。そこに、ウェイトレスとして働いている主人公アリ(クリスティーナ・アギレラ)が会場の音に誘われるようにやってきて、オーディションが終了するやいなや思わずステージに駆け上がり踊ってしまいます。テスに制止され相手にされず、逆にその場を立ち去ろうとしているテスにアリが言うセリフです。ここでは、次の3つの点を考えてみましょう。

(1) 現在進行形(「今まさに私は(あなたの目の前で)…という行動をとっている」)
(2) talk toの意味(「(一方的に)…に話しかける」)
(3) ノンバーバル的な側面(話しかけられているのに、背を向け対話することを断ち切ろうとする姿勢)

これら3点を考慮すれば、「私は今こうしてあなたの目の前であなたに話しかけているのよ →(対話する姿勢を示さず背を向けられる)→ 無視しないで」と読み解くことができます。仮に、最後のセリフの前にト書きとして「テスはアリの問いかけに答えようとせず、背を向けその場を立ち去ろうとする」とあれば、実際に映像を見なくても文字上のみで判断してアリの気持ちを和訳にすることもできるでしょう。

映画のセリフを和訳することは状況依存によるところが大きいと言えます。平易なセリフであっても、誰が誰にどんな気持ちを伝えているのかを適切に読み解くことが大切です。文法や語彙がどう関わることで「コミュニケーションが成立しているのか」を垣間見ることのできるシーンです。

(『バーレスク』のあらすじ)
この映画の見所は、ミュージカル・エンターテイメントとアメリカン・ドリーム(トップダンサーとしての地位を勝ち取る)を実現する爽快サクセス・ストーリーです。特に新旧の歌手クリスティーナ・アギレラとシェールの歌唱力と表現力の共演は、まるでライブハウスそのものです。アリは、アイオワの田舎町でウェイトレスとして働いている女性です。歌って踊れる歌手になる夢を抱いてロサンゼルスにやってきます。都会に出てくるもダンサーとしての仕事もなく、テスの店でウェイトレスとして働き始めます。先輩ダンサーたちが豪華な衣装に身をまとい華やかな舞台で舞う姿に、ウェイトレスとして働くことに満足できないアリは、店のオーナーのテスにステージに立たせてくれるよう懇願します。そんな時、妊娠したバックダンサーのニックの代役として歌うチャンスが巡ってきます。アリの才能に嫉妬するニックは、本番中にマイクのジャックを抜く嫌がらせをしますが、逆にこれが裏目にでてしまいます。マイクなしでもホールに響き渡るアリの圧巻な歌唱力とダンス・テクニックは、テスのみならず会場の皆を納得させ、一躍「バーレスク」のスターダムに躍り出ることになります。しかし、そこには新たな問題が…。


2013年1月1日

タイトル: 『コーチ・カーター』 Coach Carter 2005
投稿者: 藤枝義之(京都外国語短期大学)

「学生」という言葉は、英語のstudentと同様、もともと「努めて学ぶ者」という意味。そう理解した上で周囲を見渡すと、名前だけの学生のなんと多いことでしょうか。いや、嘆いている場合ではないかもしれません。それは、本来の学生を充分育てていない、私たち教育者の責任でもあるのですから。

カリフォルニア州北部の町でスポーツ店を営むケン・カーターは、母校リッチモンド高校からの依頼を受け、かつて自分が所属したバスケットボール部のコーチに就任します。カーターは高校時代、数々の輝かしい記録を残した伝説のプレーヤーでした。貧困と組織犯罪が蔓延する町の環境を反映して、今のバスケットボール部は、ラフプレイや喧嘩が日常茶飯事という、荒んだ弱小チームに成り下がっていました。

カーターは、部員が守るべき約束を盛り込んだ契約書を作って部員と保護者にサインを求めます。曰く、「GPA3.2以上の成績を収めること」「授業には必ず出席し、最前列に座ること」「試合当日にはネクタイを着用すること」など。部員は反発し、退部者も出ますが、カーターの厳しい特訓によってチームは生まれ変わり、連勝街道を驀進する…。と、ここまではスポ根ドラマのパターン通りですが、その後、映画は意外な展開を見せます。

カリフォルニア州選手権に向けて快進撃を続けていたある日、カーターは多くの部員の学業成績が基準点以下なのを知り、激怒します。成績が上がるまで練習はさせないと体育館の扉に鍵をかけ、部員を図書館に集めて勉強させることに。このロックアウトは大きな波紋を呼び、カーターは批判の嵐に曝されます。部員の親たちは、「貧しくて未来のない子どもから人生最高の晴れ舞台を奪うな」「子どもがNBAのプロになるチャンスをつぶすのか?」と激しく反発。しかしカーターの言い分はこうです。今が部員たちの人生のピークではない。NBAに入ることは難しくても、バスケットボールの実績とある程度の学業成績があれば、奨学金を得て大学に進学できる。そうすれば将来に大きな可能性が広がり、犯罪に手を染めなくても自立して生きていけるはずだ-。

結局、教育委員会の裁定でロックアウトが解除されることになります。コーチを辞任する決意を固めたカーターが荷物を取りに体育館に向かうと、すでに扉の鍵は開けられていました。不審に思いながら中に入ったカーターは、目を瞠ります。なんと、部員たちが全員、机と椅子を持ち込んで勉強しているではありませんか。部員の一人が言います。「俺たち、成績が上がるまでバスケットはやらない」

その後、学業成績の目標を達成したチームは、練習を再開。カリフォルニア州選手権の決勝まで進みますが、惜敗します。残念だった、とカーターは落ち込む部員たちを慰めます。「しかし君たちは王者のようにプレーした。決して投げ出さなかった。王者は胸を張るもんだ」。そして、部員たちの成長を讃えてこう言うのです。

 “I came to coach basketball players, and you became students. I came to teach boys, and you became men.”「私はバスケットボール選手のコーチに来たが、君たちは学生になった。私は子供を教えに来たが、君たちは大人になった」
<1:48:52>

この台詞は、Iとyouが対比され、cameとbecameが韻を踏んで、心地よいリズムを作っていますね。
これは教育の意味を問い直す、良くできたストーリーだ、と思うでしょ? ところが驚くなかれ、すべて実話だそうです。もちろんコーチ・カーターも実在し、メーキング映像で温厚そうな笑顔を見せています。


2013年1月1日

タイトル: レクター博士のレトリック(『羊たちの沈黙』The Silence of the Lamb 1991)
投稿者: 井村誠(大阪工業大学)

『羊たちの沈黙』(The Silence of the Lambs 1991)は、その年のアカデミー賞主要5部門を制したサイコ・ホラーの最高傑作ですが、主人公である食人鬼(cannibal)のレクター博士(Dr. Hannibal Lecter)の名を一躍有名にしました。今回は、この天才的な精神科医でもあるレクター博士の巧みな会話のディスコースから、人の心を翻弄する言語技術の一端を垣間見てみたいと思います。

猟奇的な(psychotic)連続殺人犯(serial killer)を追うFBIは、犯人の手掛かりを得ようと、FBI実習生のクラリス(ジョディ―・フォスター)を、精神病院に隔離されているレクター博士(アンソニー・ホプキンズ)に面会させます。そこでクラリスは逆に精神分析され、自分の生い立ちや、つらい過去の心の傷などを全てえぐり出されるような強烈な心理的揺さぶりを受けます。まずは、初対面のシーンから。

Dr. Lecter: Good morning.(おはよう)
Clarice: Dr. Lecter, my name is Clarice Starling. May I speak with you?(レクター博士、私はクラリス・スターリングといいます。お話ししてもいいですか?)
Dr. Lecter: You’re one of Jack Crawford’s, aren’t you?(君は、ジャック・クロフォードの部下だね)
Clarice: I am. Yes.(そうです)
Dr. Lecter: May I see your credentials?(身分証明書は?)
Clarice: Certainly.(はい、ここに)
<0:12:32-0:12:47>

きちっと居住まいを正し、クラリスの来訪を待ち受けていたレクター博士は、自分から「おはよう」と声をかけます。この時点で、クラリスは早くも「先」を取られ、最初からインタヴューする側とされる側の立場が逆転し、あたかも医者と患者のようなポジショニングが設定されます。また身分証明書を示させ、クラリスが未だ実習生の身であることを明らかにすることによって、圧倒的な力関係を明確にしています。

Dr. Lecter: Sit, please. Now then, tell me. What did Miggs say to you? “Multiple Miggs” in the next cell. He hissed at you. What did he say?(どうぞ、お掛けなさい。さて、ミグズが君に何と言ったか、教えてくれるかい。隣の房にいる多重人格のミグズだよ。君に何か囁きかけていただろう?)
Clarice: He said, “I can smell your cunt.”(「お前のアソコが臭うぞ」と)
Dr. Lecter: I see. I myself cannot. [smelling the air] You use Evyan skin cream. And sometimes you wear L’Air du Temps. But not today.(そうか、僕には臭わない。[空気の臭いを嗅いで] 君はエビアンのスキンクリームを使っているだろう。そして時々レール・デュ・タンをつける。今日はしてないがね)
<0:13:44-0:14:34>

この僅か二言三言のやりとりで、クラリスは身も心も素裸にされてしまいます。ただ、クラリスがこの相手を辱めるような(embarrassing)質問に正直に答えたことによって、レクター博士は、ある意味でクラリスと信頼関係(rapport)を築き得ることを感得し、少し協力してやろうかという気になります。さて、この後もさらにやりとりは続きますが、心の中を全て掴み取られてしまったら…クラリスが危ない!