2011年

【投稿一覧】
2011年12月06日
「家族の思い チャーリーとチョコレート工場 Charlie and the Chocolate Factory(2005年)」藤枝善之
2011年12月06日
「様々な強意表現投稿者」吉川裕介
2011年12月06日
「原作と映画――The Notebook, 2004(邦題:「きみに読む物語」)」藤倉なおこ
2011年11月04日
「<動き>と<方向性>を表す前置詞と副詞」横山仁視
2011年11月03日
「助動詞doの強調用法」中山麻美
2011年11月03日
「映画、インビクタスに見るWorld Englishesの一例」中井英民
2011年10月07日
「英詩と映画」福田京一
2011年10月07日
「動画サイトで楽しむスターのインタビュー」三村仁彦
2011年09月13日
「映画で学べる様々なニックネーム」飯田泰弘
2011年09月13日
「映画と英語と多読」近藤嘉宏
2011年09月12日
「『レオン』における”No women, no kids.”を巡って」北本晃治
2011年08月13日
「動詞の用法を変える接頭辞out」平井大輔
2011年8月5日
「Phatic Communion(交話機能)」(GRAN TORINO 2008)井村誠
2011年08月05日
「運命の人―Twilightシリーズの中の刻印」松田早恵
2011年07月19日
「Shane and Non-Verbal Communication: creating a place for reflection」クレイグ・スミス
2011年07月03日
「映画における性差撤廃の表現」倉田誠
2011年07月03日
「映画で語彙学習」山本五郎
2011年06月05日
「副詞と比較級が同時に表れる文」石川弓子
2011年06月05日
「名詞から動詞への転移」田中美和子
2011年06月05日
「話し手の視点と和訳」横山仁視
2011年05月23日
「『シェーン』が表す思想」藤枝善之
2011年05月07日
「アンストッパブル」に考えるtoo…to構文」藤本幸治
2011年05月07日
「『ドリームズ・カム・トゥルー』2006から学ぶ語彙学習法」上田聖司
2011年04月09日
「映画の台詞でもよく耳にする描写述語」松井夏津紀
2011年04月05日
「英語字幕で英語の学習」河野弘美
2011年04月03日
「意図的誤解によるユーモア・センス」成田修司
2011年03月05日
「I don’t know.」佐藤弘樹
2011年03月05日
「英国国教会と女王の苦悩ー『エリザベス』」奥村 真紀
2011年03月05日
「イカとクジラ The Squid and the Whale(2005年)」荘中孝之
2011年02月07日
「Aging is Growth」近藤暁子
2011年02月07日
「声にならないおもしろさ―看板の文字にもご注目!―」飯田泰弘
2011年02月07日
「話をすり替える談話辞 speaking of A」倉田誠
2011年01月13日
「二重目的語と前置詞」小野隆啓
2011年01月06日
「『次へ渡す』(Pay It Forward)」井村誠


2011年12月06日

タイトル: 家族の思い チャーリーとチョコレート工場 Charlie and the Chocolate Factory(2005年)
投稿者: 藤枝善之(京都外国語大学・短期大学)

生きていく上でお金が大切なのは言うまでもありません。最低限のお金がなければ、空腹を満たすことさえできないのですから。しかし、家族の誰かが生活のために夢を、千載一遇のチャンスをあきらめようとしていたら?自分は飢えてでも愛する者の夢を叶えさせてあげたい-それが家族の思いというものではないでしょうか。

イギリスの町はずれに住むバケット家は、絵に描いたような貧乏一家。小学生のチャーリー、父、母、二組の祖父母が、今にも倒れそうなボロ家で身を寄せ合うようにして暮らしています。夕食は一皿のキャベツスープだけという生活。育ち盛りのチャーリーは、毎日お腹が空いて仕方ありませんでした。

そんなチャーリーの何よりの楽しみは、もうすぐやってくる誕生日。この日には、お菓子作りの名人、ウィリー・ウォンカの板チョコを買ってもらえるのです。そのウォンカのチョコレート工場はこの15年間人の出入りがないのに、世界的人気商品を毎日出荷しているという不思議な工場でした。ある日、驚くべきニュースが新聞のトップを飾ります。ウォンカ氏が、謎に包まれたそのチョコレート工場に、ゴールデン・チケットを引き当てた5人の子どもを招待するというのです。世界で5枚しかないその金色のチケットは、ウォンカの板チョコの包み紙の中に隠されています。各地で次々に発表される当選者たち。しかし、年に一度しかチョコレートを買えないチャーリーがその幸運を手にする可能性は、まずありません。しかし何ということでしょう、チャーリーは最後のゴールデン・チケットを引き当てるのです!喜びに沸くバケット一家。しかし、いざチョコレート工場に行く準備をという段になって、チャーリーが言います。「やっぱり行かない。500ドルでチケットを買いたいという人がいたんだ。家にはお金が必要でしょ」一瞬、みんな黙り込んでしまいます。その時、ジョージおじいちゃんがチャーリーを傍らに呼び寄せ、おもむろに言って聞かせます。

“There’s plenty of money out there. They print more every day. But this ticket… there’s only five of them in the whole world… and that’s all there’s ever going to be. Only a dummy would give this up for something as common as money. Are you a dummy?”「お金なんてものは、世の中にたんとある。毎日印刷されとる。しかしな、このチケットは、この広い世界にたった5枚しかないんじゃ。これから印刷されることもありゃせん。お金みたいなありふれた物のためにこれを手放すなんて、バカじゃ。お前は、そのバカか?」<0:32:30>

祖父が孫に与えた励ましの言葉。貧乏の辛さをおくびにも出さず、「お金なんてありふれた物」と、毅然と言い放つところが素敵です。

本作品の原作はロアルド・ダールが1964年に発表した同名の児童小説ですが、映画では家族愛というテーマを強調する新しいエピソードが加えられています。ウィリー・ウォンカが子どもの頃、父親の愛を充分受けられなかったためにトラウマを抱えるという設定や、最後にチャーリーの手引きでウィリーが父親と和解するという話は、原作にはありません。また、今回採り上げたシーンも映画のオリジナルです。ティム・バートン監督は、この映画で理想の家族像を描きたかったのでしょう。


2011年12月06日

タイトル: 様々な強意表現
投稿者: 吉川裕介(佛教大学・非常勤)

たとえば、The children broke the vase into pieces.「子供たちが花瓶を粉々に壊した」のような文は、「行為と結果」を表し、このような構文は結果構文と呼ばれます。今回は、この構文を使って行為の甚だしさを強調する使い方を紹介します。まず、レイ・チャールズの伝記映画である『Ray/レイ』(2004)のとある場面を見てみましょう。

Billy: I’m gonna have to put some glasses before he scares somebody half to death. (サングラスをかけさせないと。客をひどく怖がらせてしまうぞ。) <00:05:55>

これは幼少期に視力を失ったレイに対するセリフです。結果を表す述語to deathは実際に死に至る解釈にならず、動詞scareの程度を強調する強意句として用いられています。普通、恐怖のあまり実際に死に至ることはまずありえません。日本語では「死ぬほどびっくりしたよ!」などの表現に相当します。様々な動詞に付けることができ、場合によっては大好きな人にI love you to death!(めっちゃ好きや!)と言うこともできます。他にも、『南極物語』(2006)に使われている強意表現で次のようなものがあります。

Jerry: Now that you scared the hell out of me, can we go home? (ホントに冷や冷やしたよ。さぁ帰ろう) <00:29:44>

このthe hell out ofという表現も強意句の一種で、本来の「地獄」という意味は擦り切れてしまっています。興味深いのは、表現規制に厳しいことで知られるディズニーの映画でもこのような一見すると下品と思われる表現が使用されていることで、このthe hell out ofという表現が日常的に使われていることを物語っていますよね。このような強意表現を意識することで、日頃の会話に一つパンチの効いたアクセントを付け加えることができるのではないでしょうか。
このような表現は『映画で学ぶ英語学』(くろしお出版)にたくさん掲載されていますので、是非ご一読下さい。


2011年12月06日

タイトル: 原作と映画 ――The Notebook, 2004(邦題:「きみに読む物語」)
投稿者: 藤倉なおこ(京都外国語大学)

映画を観た後、「原作と違う!」と思ったことはありませんか?ここで紹介する映画は、原作では自立し毅然と自分の人生の最期をまっとうした女性が、映画では夫に依存する悲劇のヒロインとして描きかえられてしまった例です。

映画、The Notebookは、2004年にアメリカで公開されヒットしました。同名の原作は米国の作家、ニコラス・スパークスのデビュー作です。小説、The Notebookは小さな町の高齢者施設に入所している80歳を超えた男性が、同じく入所している79歳の女性のもとに毎日かかさずNotebookに綴られた物語を読み聞かせに通っているというところから始まります。物語はある男女の十代からの恋愛、出会い、別れ、再会が描かれています。小説の最後で実は男性とその女性は夫婦で、物語は彼らのことを綴ったものだということが明らかになります。女性の名前はアリー、男性はノア。アリーはアルツハイマー病でノアが夫であることを忘れてしまっています。

小説のアリーは聡明で自信に満ちた有名な画家です。彼女はアルツハイマー病と診断されてからも毅然としています。夫に迷惑をかけないために施設への入所を決め、Notebookを綴りました。病気で記憶をなくしてもこの物語を読み聞かせてほしい、きっと二人のことを思い出すからとNotebookを夫に託します。しかし、映画のアリーは病気になすすべもなく、ただノアから庇護される弱い女性として描いています。

小説ではアリーの最期にノアがキスをすると アリーは“Oh, Noah … I’ve missed you.”「ノア、会えなくてさびしかったわ。」とやさしくささやき、ノアを自分の愛する夫であると認識します。Notebookを読み聞かせてくれたら、“… in some way I will realize it’s about us. And perhaps, just perhaps, we will find a way to be together again.”「二人のことだと思い出すわ。そしたらきっと、きっとまた二人が一緒になれる方法を見つけ出せるわ」と約束したとおり、アリーはノアの腕の中に戻ってきます。それは、“intelligence, confidence, strength of spirit, passion”「知性、自信、精神の強さ、情熱」のすべてを備えもったアリーが自ら手にした彼女の人生の完結でした。

しかし、映画は違います。映画のアリーは、最後までただ夫に依存する弱い妻です。そしてノアは、どこまでも“patriarchal”「家父長的」な守護者として描かれています。映画ではノアがアリーの病室を訪ねこのような会話が交わされます。

Allie: I didn’t know what to do. I was afraid you were never going to come back.
「どうしたらいいかわからなかったの。あなたがもう二度と戻ってこないかもしれないと思って怖かったわ。」
Noah: I’ll always come back. 「必ずきみのそばに戻ってくるよ。」
Allie: What’s gonna happen when I can’t remember anything anymore? What will
you do? 「何も思い出せなくなったら、どうなるのかしら。あなたはどうする?」
Noah: I’ll be here. I’ll never leave you.” 「ここにいるよ。きみを絶対に一人にしない。」

なぜこのように原作と映画は違っているのでしょうか。映画、The Notebookをヒットさせるためには、観客に最も親しみがあり、最も受け入れやすい「メロドラマ」に仕立てる必要があったのでしょう。映画でノアは守護者、アリーは恐ろしい「老い」に翻弄される美しい犠牲者です。アリーの苦しみと老いの衰えを強調し、その末路の悲惨さを女性はみんなこうなるのだとでも言うように映像で伝え、より劇的に犠牲者となるアリーを描いています。小説のように自立した高齢の女性が毅然と最期をまっとうし、夫は自らの老いにもとまどいながら彼女の傍らにいるというのでは、ヒットしないということなのでしょう。たとえそれがベストセラーであったとしても。しかし、ここで危険なのは映画製作者が意図的にアリーという女性を加工し、その過程で単純な“ageist”「高齢者差別的」 かつ “sexist”「性差別的」な女性高齢者のステレオタイプにはめ込んでいることです。こうして商業的な成功のために時に映画は、女性や老いについての人々の偏見をそのまま定着させ、広げ、存続させる役割を果たしてしまってはいないでしょうか。


2011年11月04日

タイトル:「動き」と「方向性」を表す前置詞と副詞
投稿者: 横山仁視(京都女子大学)

前置詞や副詞が動詞の後に付くことによって、その動詞に「動き」と「方向性」を与えることがあります。特にこれらが映画のセリフや小説に使用されると、読み手や聞き手が、人や物の移動をリアルな映像としてイメージすることができます。

以下は、映画『アポロ13』(1995)のあるシーン。宇宙飛行士が月面着陸前の宇宙船内を移動している場面です。
(1) JACK: Well, folks, let’s head on down to the lunar excursion module. Follow me. Now, when we get ready to land on the moon…Fred Haise and I will float through this access tunnel…into lunar module. <00:47:30>
(それでは続いて着陸船の中を案内しましょう。こっちだよ。月面着陸の準備が整うと、フレッド・ヘイズと僕はこのトンネルを抜けて着陸船の方へ移動します。)
(2) JACK: Okay, we’ll head back up the tunnel now and back into the Odyssey. <00:48:23>
(それじゃ、そろそろトンネルを抜けて、オデッセーに戻りましょうか。)

(1)では、今いる船体(オデッセー)から浮遊してトンネルを通り、別の船体(月着陸船)へと入っていく「動き」を、また(2)はその帰り道の「動き」を表しています。この二つの台詞を聴くと、ある場所から新しい場所へ宇宙飛行士がどのように移動するのかを、リアルなイメージとして思い描くことができますね。


2011年11月03日

タイトル:助動詞doの強調用法
投稿者: 中山麻美(立命館大学・非常勤講師) 

学校文法では、助動詞のdoは原形動詞(主動詞)の直前に置かれて、その主動詞の行為を強調することがあると説明され、そのようなdoは「強調のdo」と呼ばれます。しかし実際は、動詞の行為を強調するのではなく、直前に出てくる文章の否定的な意味を打ち消し、動詞の表す事実を強く主張する役割があります。

ジュリア・ロバーツ主演で実話に基づいている『エリン・ブロコビッチ』(2000)の映画に出てくる助動詞doの働きを実際に見てみましょう。離婚し、貯金も尽きかけたエリン・ブロコビッチが強引に弁護士事務所のアシスタントとして働き始めることになります。そして大企業の工場が有害物質を垂れ流しにしている事実を突き止めます。その後遺症に苦しむ住民たちに訴訟を起こすよう説得し、ついに問題の大企業と交渉の場を持ちます。訴訟に持ち込ませないように和解金を提示してくる大企業の顧問弁護士に向かって発せられたのが、以下のエリンの言葉です。

Erin: They may not be the most sophisticated people, but they do know how to divide. 
「この人たちは教養は大してない人たちかもしれないけど、割り算の仕方くらいは知ってるわよ。」<01:22:33>

その提示された金額が十分なものではなく、エリンは怒りをあらわにします。彼女は住民のことを無知だと思っている弁護士の心理をうまくつき、住民は和解額が不適切であることはお見通しだと断言します。素晴らしい交渉戦術です。つまり、この文では助動詞のdoを使い、butの前の文に含まれた否定の意味を打ち消し、事実を強く浮き立たせているのです。またこの強い肯定の意味は音声的にも現れており、助動詞のdoを文中で最も強く発音されます。この助動詞のdoを映画の中で見つけることができたら、話し手の心の動きが分かり、さらに台詞の奥行きを感じることができるでしょう。
このように学校文法ではあまり教えてくれない英語学をもっと知りたい人には、『映画で学ぶ英語学』(くろしお出版)がお勧めです。


2011年11月03日

タイトル:「映画、インビクタスに見るWorld Englishesの一例」
投稿者:中井英民(天理大学)

2011年10月に行われたラグビー・ワールドカップは、ニュージーランドの優勝で終わりましたが、1995年のラグビー・ワールドカップは、南アフリカで開催されました。この大会での同国の優勝を描いた感動作『インビクタス』(クリント・イーストウッド監督)では、アパルトヘイトの終焉直後に選ばれた黒人大統領のネルソン・マンデラ氏が、これまでの差別と抑圧の歴史を乗り越え、黒人に白人と団結することの大切さを訴えます。

黒人で占める国家スポーツ評議会は、アパルトヘイトの象徴だった白人中心の南ア、ラグビーチームの名前とチームカラーの廃止を決めますが、マンデラ大統領が乗り込み、見事な演説で黒人たちに怨讐を乗り越えようと説得します。

This is no time to celebrate petty revenge. This is the time to build our nation using every single brick available to us. (今は卑屈な復讐を果たす時ではない。使えるレンガはすべて利用して、我々の国家を築く時なのだ。)
<00:43:28>

さて、「国際語としての英語」の発音を研究するジェニファー・ジェンキンス氏は、「もはやアメリカやイギリスの英語を真似る必要はない」とし、英語のリズムと考えられてきた「強勢リズム」を否定し、「音節リズム」でも良いと述べています。事実World Englishesの研究では、アフリカで話されている多くの英語は「音節リズム」をとると報告されています。「インビクタス」ではこの南アフリカ英語の(少し間延びしたように聞こえる)特徴を、マンデラ大統領を演じた俳優、モーガン・フリーマンが見事に再現しています。映画を通じて様々な「世界の英語たち」にも親しんでみてください。


2011年10月07日

タイトル:「英詩と映画」
投稿者:福田京一(京都外国語大学)

映画の重要な場面でしばしば詩が使われる時があります。60年代初めアメリカの高校生の愛と性を扱ったElia Kazan監督の青春映画の傑作Splendour in the Grass(『草原の輝き』1961年)では、表題にもなっています。作中、愛するBud(Warren Beatty)が級友の女性にこころ移りしたのを知ったDeanie(Natalie Wood)は授業中、物思いに沈んでいるとき、突然先生から指名されて、William Wordsworth,”Ode on Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood”の次の一節を読まされます。

“Though nothing can bring back the hour / Of splendour in the grass, of glory
in the flower;/ We will grieve not, rather find / Strength in what remains behind;”

そして、詩人は “splendour in the grass”と”glory in the flower”によって何を表現しているのか、と質問されます。Deanieは混乱しながらも、やっと次のように答えます。

“Well, I think it has some…. Well, when we’re young, we look at things very
idealistically I guess, and I think Wordsworth means that…that when we grow
up… that we have to forget the ideals of youth, and find strength…”

彼女は、失恋の痛手を乗り越えねばならないというせっぱ詰まった思いをこの一節の中に読み込んだのでしょうか。だから、ここの”Strength”は、おそらく”strength to accept things as they come”と続けるつもりではなかったのでしょうか。とにかく、彼女はここで心神喪失の状態になり、それ以後精神病院で1年半を過ごすことになります。

病気が癒えた彼女が結婚を前に、Budとの気持ちを整理するために彼に会いに行きます。結婚をして、牧場で働く彼とその家族に会って何もかも納得したDeanieは、帰りの車の中で友人Hazelから,”Deanie, honey, do you think you still love him?”と尋ねられます。それに対して、彼女は何も言わず、心の中で”Though nothing can bring back…”とつぶやくのです。このラストシーンでの”Strength”は何を意味するのでしょうか。Wordsworthは生きる力とか勇気を言っているわけではありません。では、苦しみを乗り越えて、いま新たな生活に旅立つDeanieは、数年前に教室で読んだこの一語に同じ意味を見いだしていたのでしょうか。さて、皆さんはどう考えますか。

ちなみに、この映画の台本は劇作家William IngeがKazanのために書き下ろしたものです。Ingeは友人の質問のあと、詩のつぶやきではなく、次のように続けています。

  D: I don’t know. He’s a totally different person to me now.
  J: What do you mean?
  D: I’d always worshipped Bud like he was a god. But all this time he’s been
   a man, hasn’t he? Like other men all over the world, trying to get along.

私は、Kazanがこれを詩に変更して良かったと思っています。


2011年10月07日

タイトル:「動画サイトで楽しむスターのインタビュー」
投稿者:三村仁彦(関西学院大学大学院研究員、京都外国語大学・非)

このコラムを楽しみにしておられる皆様には、お気に入りの俳優・女優が、少なくとも一人や二人はいらっしゃることでしょう。そういったお気に入りのスターのインタビューが、今はYouTubeなどの動画サイトで手軽に視聴することができます。出演した作品の裏話はもちろん、スクリーン上では見られない素顔を垣間見ることができ、ファンとしては嬉しいものです。

もちろん、そこで話されている英語はウィットに富むものも多く、英語学習者にとっては、生きたフレーズを学ぶうえでの有効な手段の一つと言えるでしょう。また、英語学の観点から見ても、興味深いものも少なくありません。

下記はイギリス人女優Emma Watsonが、アメリカのトークショーに出演した際の抜粋です(動画はリンク先へ)。Harry Potter作品のシリーズを通して主要キャラクターのHermione Grangerを演じている彼女は、以前アメリカの有名大学に在籍していたことがありますが、その当時に経験した、ちょっとした「言葉の壁」について話してくれています。

YouTube(http://www.youtube.com/watch?v=EtM_ILeTzQw

<0::53>
You know, I find day-to-day there are things that I’m unable to communicate. I really needed a, uh, what I would call a plaster, the other day. I was bleeding, quite heavily. And, uh, I was running around, saying, “Wait guys, please. I really need a plaster. I really need a plaster,” and they just … had no idea what I was talking about. And, uh, honestly it took five or six minutes to work out that what I wanted was a Band-Aid.(斜字体は筆者)

<試訳>
そうねえ、「うまく伝えられない物事がある」って毎日思い知らされるわ。つい先日のことだけど、私がplasterって呼ぶものがすぐに必要になったの。ひどく出血してしまってね。だから走りまわって、「みんな、ちょっと待って。plasterが必要なの。plaster持ってない?」って言ったわ。でも、みんな私が何を言ってるのかさっぱりわからないの。おおげさじゃなく、私がほしいのはBand-Aidだってみんなが気づくのに5~6分かかったのよ。

アメリカ英語とイギリス英語では、音声や語彙の面で異なる部分があるという事実はよく知られています。後者については、米/英で「一階」がfirst floor/ground floorであったり、「エレベーター」がelevator/liftであったりすることが有名ですが、「バンドエイド」がBand-Aid/plasterと異なっていることはあまり知られていないのではないでしょうか。ちょっとしたことではありますが、こういった知識を、世界的なスターの口を通して学べるのは、一映画ファンとしても、一英語学習者としても刺激的で嬉しいものです。インターネットが生活の一部となっている現代では、楽しく英語を学べる手段として、このような動画サイトを利用するのもよいのではないでしょうか。

ちなみに、上記の動画では、もうひとつのエピソードが紹介されています。やや大人向けの内容になりますので、ここで詳細を明かすことは控えさせていただきますが、興味のある方はぜひリスニングにチャレンジしてみてください。

なお、こういった動画では、当然字幕などはついていないのが普通です。視聴して楽しむには、ご自身のリスニング力のみが頼りとなりますが、そこにまだ自信のない方は、よく知っている映画が話題になっているインタビューから始めてみてください。背景知識が助けとなって、聴き取りが比較的しやすくなりますよ。


2011年09月13日

タイトル:「映画で学べる様々なニックネーム」
投稿者:飯田泰弘(大阪大学大学院博士後期課程)

映画の中では、特定の地域に付けられた様々なニックネームを聞くことができます。たとえばアメリカのニューヨーク市にはBig Appleという愛称があり、シカゴの場合はWindy Cityという愛称を持っています。また、ロサンゼルスはCity of Angelsとも呼ばれ、『バイオ・ハザードⅣ アフターライフ』(2010)では、壊滅状態になったロサンゼルスの街を見た主人公が “City of Angels….”<00:29:16>と嘆くシーンがあります。

ここで余談ですが、「ロサンゼルス(Los Angeles)」という名前は、スペイン語でthe angelsを表すlos angeles に由来していますので、この都市名の場合は「天使(angel)」の複数形の語尾が、特別に-esになることに注意してくださいね。ですから、数年前にアナハイムからロサンゼルスに本拠地を移したMLB球団の「ロサンゼルス・エンジェルズ(The Los Angeles Angels)」のスペルでは、都市名の方はAngeles、チーム名の方はAngelsと、語尾が異なっています。MLB中継を見るときは是非チェックしてみてください。

さて、地域だけではなく、その地域出身の人々を指すニックネームも映画では確認することができます。この種の有名なニックネームとしては、インディアナ州出身の人を指すHoosierというものがあります。このニックネームの語源には諸説あるのですが、『ザ・ホワイトハウス シーズン4 エピソード1』の会話でも確認することができます。ここでは、政府の職員であるトビーが、地元の少年にHoosierが何を意味するか尋ねています。

Toby: What’s a Hoosier? 「フージャーって何のことだ?」
Tyler: A Hoosier is someone from Indiana. 「フージャーというのはインディアナ州の人のことだよ」<00:36:18>

では、国のニックネームとしてDown Underというものがありますが、これはどの国を指すかご存知でしょうか?そう、答えは南半球にあるオーストラリア(またはニュージーランド)です。しかし『アナライズ・ユー』(2002)では、イタリア系マフィア役のロバート・デ・ニーロが、 Down Underの意味がわからず、”Down under what?”「何の下?」と聞き返してしまいます<00:49:49>。

映画を見る際には、その物語がどの国や街を舞台としているかにも注目して見てみると、その地域独特の言い回しや表現を知ることができて楽しいですよ。


2011年09月13日

タイトル:「映画と英語と多読」
投稿者:近藤嘉宏(京都経済短期大学・非、京都成章高校・非)

知的障害のため7歳程度の知能しか持たない父親のSamが一人娘のLucyにベッドで物語を読み聞かせている場面 (I am Sam. 00:18:05) 。

Sam: And I will eat them here and there. I will eat them anywhere. I do so…I do so like green eggs and ham. Thank you, thank you, Sam-I-am.
Sam: One more time?
Lucy: Yeah.
Sam: Okay. Green Eggs and Ham by Dr. Seuss. And I will eat them here and there. I will eat them anywhere. I do so…I do so like green eggs and ham. Thank you, thank you, Sam-I-am. One more time?
Lucy: Daddy, it’s my first day of school tomorrow. I don’t want to be too sleepy.

読む力を上げるのに効果がある方法の一つに、多読(extensive reading)がある。この場面で取り上げられているGreen Eggs and Ham by Dr. Seuss も有名なリーディング入門用の絵本である。Lucy の父親思いの性格が、この場面から見て取れる。

この場面のすぐ後で、少しレベルの高い本を読み聞かせようとするが、Samには難しすぎて読めない場面がある。私たちも自分のレベルにぴったり合った、または自分のレベルよりも少し上のレベルの本に挑戦し続けることが、練習を続けていく秘訣だと分かる。この場面でも、Lucyの父親思いの優しい気持ちに触れることができるので、ぜひ自分で確かめてほしい。

映画を観て面白いと思ったら、そのシナリオを読んでみよう。いっそう面白さが倍増することだろう。スクリーンプレイ社から多くのシナリオが詳しい解説付きで出版されている。 そのシナリオが少し難しいと感じたら、多読用のgraded readerを読んでみよう。初級レベルから段階的に様々な種類のものが発行されている。Rain Man(Penguin Readers Level 3 1200 headwords)やTitanic!(Level 3)などいろいろな映画のリライト版が出版されている。映画が好きになり同時に英語力も向上し、一石二鳥である。それでもまだ少し歯がたたないと感じる人には、Just like a movie(Cambridge English Readers Level 1)、Does he love me?(Foundations Reading Library 300 headwords)、Goodbye, Mr Hollywood(Oxford Bookworms Library Stage 1)がお薦め。このレベル1やStarterレベルのものにとても面白いものをたくさん見つけることができる。


2011年09月12日

タイトル:「『レオン』における”No women, no kids.”を巡って」
投稿者:北本晃治(帝塚山大学)

映画『レオン』(1994)では、タイトルそのものとなっている主人公のレオン(ジャン・レノ)は、迅速、確実に仕事をこなすニューヨークで一番の「殺し屋」です。現場に登場すると、彼は開口一番、”No women, no kids.”と高らかに宣言して、何らかの人間関係の泥にまみれた野郎どもを、あっという間に次々と射殺して、さっさと姿をくらましてしまいます。そのスピードと迫力に私たちは思わず息を呑んで引き込まれてしまうのですが、 この”No women, no kids.”というのは、レオンの職業上の倫理コードで、女子供に対する殺しの依頼は受けないし、現場でも絶対に殺さないという意味の宣言となっています。この言葉は、「殺し」という非情の世界にありながら、レオンの心根の優しさを示すもので、どのような依頼でも受ける普通の殺し屋とは一線を画すものであることを意味しています。

さて、ここまでが映画の中で表面から見える”No women, no kids.”の意味なのですが、ここに隠された意味を探ってみましょう。

この映画の主要な登場人物は、レオンの他にあと3人います。それは、飲食店を装いながら、レオンに殺しの仲介を行っているトニー(ダニー・アイエロ)。家族を皆殺しにされて、レオンのアパートに助けを求めてやって来る少女マチルダ(ナタリー・ポートマン)。麻薬捜査官でありながら実は麻薬中毒者で、マチルダの家族を平気で殺すなど、職権を乱用して甘い汁を吸っているスタンスフィールド(ゲイリー・オールドマン)です。

レオンは成り行き上、偶然マチルダを助け、奇妙な共同生活に入っていきます。そして、レオンが殺し屋だと知ったマチルダからの「(依頼されれば)誰でも殺すのか?」との質問に、”No women, no kids. That’s the rules.” <00:37:40>と答えています。ここではそれ以上の詳しい説明はありませんが、この言葉は映画の展開を考える上で大変重要な鍵となっています。

それは、”No women, no kids.”「女子供は殺さない、関わらない」というモットーで仕事をしてきたレオンのもとを訪れたのが、正に、「女でかつ子供」のマチルダだったからです。そしてその結果、レオンは直観的に敬遠していた麻薬捜査官のスタンスフィールドと関わりを持つことになり、自らの命と引き換えに、マチルダの願い(家族の仇を討つ)を実行することになります。

ここでレオンとスタンスフィールドのそれぞれの特徴について見てみましょう。

(レオン)
1.悪の組織(殺し屋)の中の善人
2.女、子供(未来の命の可能性)は殺さない。
3.ミルク(母子一体感、全能感の象徴:体を養う液体)を飲む。
4.トニー(殺しの仲介人)に利用されている
5.マチルダに愛されている
6.スタンスフィールドに殺される

(スタンスフィールド)
1.善の組織(警察)の中の悪人
2.女、子供でも、命乞いする者を殺すことに悦びを覚える。
3.麻薬(母子一体感、全能感の象徴:体を蝕む粉末)を飲む。
4.トニー(殺しの仲介人)を利用している
5.マチルダに憎まれている
6.レオンに殺される

どうでしょうか?まるで陰陽の大極図のように、両者が全く正反対の相対する存在であることが分かるでしょう。

レオンにとっての”No women, no kids.”とは、職業上の倫理コードであるのと同時に、「女」で象徴される感情の世界と、「子供」で象徴される未来の明るい可能性とは関わらないことで、非情の殺し屋の世界で生きていくための「安全弁」ともなっていたのですね。「感情」に流されたり、「未来の明るい可能性」を夢見ていたのでは、決して勤まらない「仕事」だというわけです。この映画の面白いところは、その避けて通ってきたものが、まるでベートーベンの「運命」のように、マチルダとなってあちらからノックして舞い戻ってきたこと。そしてその結果、自らの影であるスタンスフィールドとの出会いが必然のものとなったというところにあるように思います。レオンはそのことで、これまでのような、直観的に可能な仕事のみを選択しクールに立ち回る有能な殺し屋ではいられなくなり、「他者の死」と「自らの死」が重なり合う究極の危機へと追い込まれていってしまいます。悲しい結末ではありますが、孤独のなかで暮らしていたレオンにとって、自分の命よりも大切な愛すべき存在を見つけられたことは、何よりの救いであったことでしょう。

皆さんもこの映画を通して、これまで当たり前として考慮することのなかった自らのコード(取り決め)や、不意に自分の人生に働きかけてくる人や物事の隠された意味について、改めてじっくりと考えてみられてはいかがでしょうか。

尚、この映画の関連事項を『元気がでる! 映画の英語 ~この台詞で人生が変わる~』(藤枝善之編著、近代映画社、2009年)にも書いておりますので、よろしければ、そちらの方も合わせてご一読下さい。


2011年08月13日

タイトル:「動詞の用法を変える接頭辞out」
投稿者:平井大輔(近畿大学)

“The Hours”『めぐりあう時間たち』(2002)に、以下のような表現が出てきます。

Laura: It’s a terrible thing, Miss Vaughan, to outlive your whole family.
(ヴォーンさん、家族に先立たれるのって、辛いものですよ。)

このセリフの中で、outliveという動詞が使われています。この単語を分解して見ると、その面白さが分かります。outliveは、2つの部分に分解することができます。すなわち接頭辞の”out”と元来の動詞”live”です。皆さんご存知の通り、liveは本来そのあとに直接目的語を取らない自動詞です。だから、

*She lived her mother.

という英語は文法的ではありません。しかし、接頭辞outを自動詞liveに付けることによって、自動詞が他動詞化され、outlive ~は「~よりも長く生きる」という意味になるのです。

このoutは、非常に比較的生産性が高く様々な自動詞につけることができます。他にも、”Stand by Me”『スタンド・バイ・ミー』(1986)にも同様の例がみられます。

Gordie: You only outweigh him by 500 pounds, fat ass!” <00:29:00>
(お前は、アイツより500ポンド太っているだけじゃないか、このデブ。)

outがweighに付いて「~よりも重さがある」という意味になっていますね。


2011年8月5日

タイトル:「Phatic Communion(交話機能)」(GRAN TORINO 2008)
投稿者:井村誠(大阪工業大学)

親しい間柄での挨拶や、軽妙な会話のやりとりは、しばしば字句どおりの意味を失って、もっぱらお互いの関係がつながっていることを確認する働きを担っていることがあります。人類学者のマリノフスキー(Bronislaw Kasper Malinowski 1884-1942)は、このようなことばの儀礼的あるいは社交的使用をphatic communion(交話機能)と名付けました。

グラン・トリノ(ワーナー 2008)でWalt(クリント・イーストウッド)が、馴染みの散髪屋で髪を切ってもらった後に、主人のMartinと交わす会話はこんな具合です。

Martin: There. You finally look like a human being again. You shouldn’t wait so long between haircuts, you cheap son of a bitch.(ほーら、ようやくまた人らしく見えるようになったろ。あんまり間を空けんなよ、このドケチ野郎。)
Walt: Yeah. Well, I’m surprised you’re still around. I was always hoping you die off and they’d get somebody in here who knew what the hell they were doing. Instead you just keep hanging around like the doo-wop dago you are.(ああ、しかしおめぇもよくまだ生きてんな。早ぇとこくたばっちまって、誰かもうちーとまともに仕事ができる奴が替わってくれりゃいいのによ、まったく。いつもぶらぶらしやがって、このイカれたラテン野郎。)Martin: That’ll be ten bucks, Walt.(お代は10ドルだ、ウォルト。)
Walt: Ten bucks. Jesus Christ, Martin. What are you, half Jew or something? You keep raising the prices all the time.(10ドルだと?おったまげたな、マーチン。いったい何モンだ?ユダヤ人のなりそこないか?いっつも値上げばっかりしやがって。)
Martin: It’s been ten bucks for the last five years, you hard-nosed, Polack son of a bitch.(5年間ずっとかわってねぇよ、この石頭のポーランド野郎。)
Walt: Yeah, well, keep the change.(まぁいいや、釣りはとっとけ。)
Martin: See you in three weeks, prick.(3週間後にまたな、おたんこなす。)
Walt: Not if I see you first, dipshit.(気が向いたら来てやるよ、クソガキ。)
Martin: (chuckles)(クスクス笑う)
DVD Time <00:30:56>~<00:31:36>

言葉は悪くても、二人が互いに信頼し合っていることが伝わってきます。この映画には、他にもスウェアリング(罵り言葉のスラング)や、移民に対する侮蔑的呼称がたくさん出てきます。移民の国アメリカを理解するには、必見。


2011年08月05日

タイトル:「運命の人―Twilightシリーズの中の刻印」
投稿者:松田早恵(摂南大学)

かつて、ある芸能人が発した「会った瞬間ビビビッときた」という言葉が流行語になったことがありますが、4巻からなる「トワイライト・サーガ」シリーズの3作目『エクリプス』(2008)にはさらに強い「運命のビビビッ」が出てきます。それが、”imprint”(刻印)と呼ばれるもので、人狼(shape-shifter)であるジェイコブ・ブラックが原作では次のように説明しています。

It’s not like love at first sight, really. It’s more like… gravity moves… suddenly. It’s not the earth holding you here anymore, she does…. You become whatever she needs you to be, whether that’s a protector, or a lover, or a friend. Stephenie Meyer (2008) Eclipse Chapter 8, p.176
(一目惚れとは違うんだ。突然引力がシフトするというか・・・地球にではなくて彼女に引っ張られる。自分は、保護者だろうが、恋人だろうが、友達だろうが、彼女が求める通りのものになる。)

一方、映画『エクリプス/トワイライト・サーガ』(2011)では、以下のようなセリフになっています。

Jacob: Imprinting on someone is like… like when you see her, everything changes. All of a sudden, it’s not gravity holding you to the planet. It’s her. Nothing else matters. You would do anything, be anything for her. <00:22:45>
(誰かにインプリントするっていうのは、彼女を見た瞬間に全てが変るっていうことなんだ。突然、引力にではなく彼女に繋ぎとめられる。他のことはどうでもよくなる。彼女のためなら何でもするし、何にでもなれる。)

ある種、動物的本能とも言える(狼なので当然か・・・)この「ビビビッ」とその後の無償の愛(selfless love)、永遠なる忠誠(eternal loyalty)を皆さんはどう思われますか?

最終的に、ジェイコブは誰に”imprint”するのでしょうか?最終章の『ブレーキング・ドーン』は、『ハリーポッターと死の秘宝』のように前編・後編に分けて公開されるようです(日本公開は未定)。それまでに結末がお知りになりたい方は、是非Breaking Dawn (Stephenie Meyer, 2010)をお読みください。


2011年07月19日

タイトル:”Shane and Non-Verbal Communication: creating a place for reflection”
投稿者:クレイグ・スミス(京都外国語大学)

The film Shane is a monumental Western movie in many ways. The script was a wonderful tool for Shane’s actors. It is true that the words of the script are very important, but it is much more than the words of Shane which capture the hearts and minds of its viewers. We do not say we ‘listen’ to films; we say that we ‘watch’ films. The words are brought to life not only by the actors’ speaking skills but also by their expressive body language, one type of non-verbal communication. The sets, the lighting, the costumes, the camera work, and the ways scenes are planned by scriptwriters and directors are among the many aspects of non-verbal communication which help us understand film stories. There is a well-known actors’ maxim: ‘Don’t just say it. Show it.’

Joey, the young son of a farming couple, is the principal observer of Shane. Joey is our representative and we watch the film through his eyes. Indeed, in every scene observers are present on the sidelines but we are always especially aware of Joey, a child in the midst of learning some very important lessons about his society. He listens to the words of the adults but most importantly he watches carefully, and critically, every detail of what they do. Indeed, Shane, to an unusual degree, is energized by observation, and thus, the film’s non-verbal communication is rich.

The first and last scenes frame the film’s message with Shane’s arrival and departure in a similar setting and in a similar manner. The Teton Mountains that the telephoto camera lens bring in close and high above the actors symbolize the permanence and power of the natural world and man’s temporary fragile presence. However, our main interest is in our own place in the world and Joey dominates both scenes as Shane’s interactive observer.

In the first scene Joey’s father, Joey’s mother, and Joey who calls attention to Shane, all silently watch Shane’s long slow arrival. The parents’ domestic tasks and dress, typical of their farming roles, contrast with Shane’s apparently aimless travel on the open range and his cowboy clothing. Shane’s life style is highlighted when we see him framed by the antlers of a deer. There is a suggestion that although he may be free for the time being, he is a hunted man.

Shane greets Joey by pointing out the central, not marginal, and active, not passive, role of Joey as observer.

Shane: Hello boy. You were watching me down there for quite a spell, weren’t ya?
Joey: Yes, I was.
Shane: You know, I like a man who watches things going around. It means he’ll make his mark some day.

As Shane says, Joey’s understanding of his society does grow and the last scene is more about Joey than Shane. As Shane rides away, probably seriously injured, into the mountains, Joey’s face fills the screen and Shane confirms Joey’s personal growth and his readiness to take part in his family’s life as well as his parents’ need for Joey’s support:

Shane: You go home to your mother and father and grow up to be strong and straight. And, Joey… take care of them, both of them.

Shane seems to be saying that he will never return because his help as a sort of unofficial policeman will no longer be needed. In a regulated society it is clear that policemen only use their guns in a very controlled manner to protect society. Shane’s role as a gunslinger is not as clear. In response to Joey’s admiration of his skill and achievements with his gun, Shane makes an ambiguous comment:

Shane: A gun is as good or as bad as the man using it.

This meaning of this statement is shown in non-verbal terms in the climatic shoot-out scene. The actors Alan Ladd and Jack Palance who play the two gunslingers, look so similar that they appear to be two aspects of a single character. Indeed, they seem more like brothers than enemies. They are dressed in similar fashion, and they move in similar ways with almost identical timing and skill. At first, it is not even clear which man wins the gunfight.

Moral ambiguity defines their roles as killers. Shane may be a reluctant killer but the killing has gravely wounded his own spirit and he has sacrificed the chance to have a family life like Joey’s. Both men are strong silent cowboys who do not talk of their past, nor of their future. They are men of few words with gravelly voices, who rely mainly on non-verbal communication. By revealing in words no more than the slightest suggestions of their feelings, we can see in their actions the essence of their manliness.

Shane is a movie that does not just happen to its viewers in the way a roller coaster ride happens to its passengers.
Shane provides an opportunity for its audience to participate in the making of its meaning. Non-verbal communication sets the slow thoughtful pace of the film in its scenes which are like portraits of the society it describes.

Watching Shane with its quietness and opportunities for sustained concentration gives us time to reflect on important aspects of life. We are distracted, and at times overwhelmed, by some films which have more information than we can take in comfortably. It seems socially useful to immerse ourselves in a movie like Shane that allows us enough space and time for reflection.

Shane creates a place of stillness in its non-verbal communication that encourages its audiences to think seriously about making responsible decisions in a world that sometimes seems scary and unmanageable.


2011年07月03日

タイトル:「映画における性差撤廃の表現」
投稿者:倉田誠(京都外国語大学)

世界各国で差別のない言語表現(political correctness: PC)に変えようという動きが活発になってきています。英語の性差に関する表現もその一つであり、初期は男女に別々の職業名を与える、ジェンダーフェアーな表現方法(例:chairman⇒chairman & chairwoman)に治まろうとしました。しかし後に、男女に関係なく使える、ジェンダーフリーな表現方法(例:chairman⇒chairman & chairwoman⇒chairperson or chair)に移行させようという動きになり、現在もマスメディアを巻き込んだ言語工作が行われています。そのような表現方法の移り変わりに関する興味深い一例が、”13 Going on 30″『13 LOVE 30 サーティンラブサーティ』(2004)という映画に観られます。ジェンダーフェアーな職業名を使って、マットが彼女であるウェンディーを知人に紹介しようとすると、ウェンディーが間髪入れず、ジェンダーフリーな職業名でマットの表現を訂正しているシーンです。

Matt: Wendy’s an anchorwoman.「ウェンディーはアンカーウーマンなんだ。」
Wendy: Anchorperson. I do the weather for WWEN in Chicago.「アンカーパーソンって言ってよ。私、シカゴのWWENでお天気コーナーを取り仕切っているの。」<00:45:03>

ご存じの通り、アメリカを筆頭に英語圏の国々では20世紀後半から性差別を廃し、男女の平等性を職業名に反映させる努力を始めました。しかし、英語の場合は一筋縄ではいかない場合も少なからずありました。というのは、英語の職業名の多くは-manという男性を表しているように見える接尾辞(例:anchorman、businessman、cameraman、chairman、congressman、policeman、etc)を伴っていたからです。語源的には、この-manは男性の意味ではなく、「人間の総称」として用いられていたのですが、社会からの反発は強く、ジェンダーフリーな表現にするために、-personや他の形式(例: policeman→police officer, fireman→fire fighter, cameraman→photographer)への変更を余儀なくされてきました。そんな一例が”Random Hearts”『ランダムハーツ』(1999)という映画に観られます。国会議員であるケイが脅迫してきている相手に釘を刺そうとするシーンでのセリフですが、表現がcongressmanやcongresswomanではありません。また中立的と思われがちなcongresspersonでもなく、他に類を見ないa member of Congressというジェンダーフリーな表現方法です。

Kay: Do you know what happens when a member of Congress accuses you of harassment?
「国会議員が嫌がらせ行為であなたを訴えたら、どういうことになるか分かっているの?」<01:01:50>

実は、この『ランダムハーツ』には、このジェンダーフリーなa member of Congress以外にも、ジェンダーフェアーなa congresswomanも<00:31:51>で出てきます。社会言語学的な性差の表現にご関心がある方はご覧ください。

このような英語学の諸分野に関する実例が『映画で学ぶ英語学』(くろしお出版)には、満載です。またこの本は『英語教育』(大修館書店)9月号の書評コーナーでも扱われる予定です。乞う、ご期待!


2011年07月03日

タイトル:「映画で語彙学習」
投稿者:山本五郎(広島大学)

映画を観ていると「ん?今のなんて言った?」ということがよくあります。そんな時は英語の音声特徴や語彙表現などを学ぶ絶好のチャンス。気にせずにストーリー全体を楽しむのも大切ですが、時には集中して英語力を伸ばしたいものです。今回は語彙に注目してセリフを2つ選んでみました。どちらの表現もさらっと分かればかなりの実力です。

Arthur: Son, we done here, so why don’t you go find your mommy, a’ight?(もうここはこれで終わりだ、ママを探しに行ったらどうだ、わかったか?)
Evan: I don’t know where she is.(どこにいるか分からないんだ)
Arthur: Good, that’s just great.(よし、そりゃよかった)
Uh, cops show up around six. Tell them you’re AWOL.(6時ごろ警察が見回りにくる。AWOLだって言っとけ)
They’ll send you back where you come from.(警察が来たところへおまえを連れ戻してくれるよ)
August Rush(2007)『奇跡のシンフォニー』<Ch.9. 00:30:43>

もう一つ見てみましょう。

Fairy Godmother: You’d better have a good reason for dragging us down here, Harold.(ちゃんとした理由があってこんなところに呼び出したんでしょうね、ハロルド)
King: Well, I’m afraid Fiona isn’t really warming up to Prince Charming.(申し訳ないんだが、フィオナはチャーミング王子のことはあまり乗り気じゃないようだ)
Prince Charming: FYI, not my fault.(FYI、僕のせいじゃないよ)
Fairy Godmother: No, of course it’s not, dear.(もちろん、そうじゃないわ)
Shrek 2(2004)『シュレック2』<Ch.13. 01:02:11>

AWOL(エイウォル)とFYI(エフ ワイ アイ)の意味はとれたでしょうか。AWOLは、「無断欠席、無断外出」を意味し、もとはabsent without leaveからできた単語です。Be動詞+AWOLやgo+AWOLのような形で使います。FYIは、「ご参考までに」という意味で、もとはfor your informationです。セリフの例にもあるように通例文頭で使います。

これらのように、構成する単語のかしら文字を並べて作った単語のことを頭字語と呼びます。英語では、AWOLのように一つの単語として発音するものをacronym(アクロニム)、FYIのように各アルファベットを一つずつ読むものをinitialism(イニシャリズム)と呼びます。

頭字語は別段珍しいものではなく、scuba(スキューバ)、radar(レーダー)、laser(レーザー)などもアクロニムです。DVD、CDなどのイニシャリズム は日本語にも浸透していますね。それぞれどんな単語から構成されていてどういう意味を持つのか興味がある方は英和辞書で調べてみてください。

ちなみに、もともと頭字語ではないのに後付けで単語を集めて頭字語のような意味を持たせたものを、作り方が逆ということでbackronym(バックロニム)と呼ぶことがあります。例えば、自動車メーカーのFord社は創設者であるヘンリー・フォードの名前からついていますが、これに’First on Race Day (レースの日は一番)’や’Fix or Repair Daily(毎日修理)’のような単語を当てはめるものです。

映画のセリフで聞き慣れない単語はひょっとしたら頭字語表現なのかもしれませんね。セリフの中でどのような頭字語が使われているのかもう少し見てみたい方は、『映画で学ぶ英語学』(倉田誠編・くろしお出版)をご一読下さい。


2011年06月05日

タイトル:「副詞と比較級が同時に表れる文」
投稿者:石川弓子(大阪大学)

比較級を作る時は、動詞の語尾に-erをつけます。例えばsmartの場合、(1a)のようにsmarterになることは中学校で習いますね。比較級にしたい語が長い時は、(1b)のように、その語の直前にmoreを挿入することもまた、中学校で習うことです。

(1) a. John is smarter than Bill.
  b. John is more intelligent than Bill.

では、下記の(2)の文を比較級にする時はどうすれば良いでしょうか?

(2) John is amazingly smart.

答えは2通りあります。1つ目は「賢さ」を比較する方法で、(3a)のようにsmartに-erをつけます。もう1つは「驚くべき賢さ」を比較する方法です。この場合、 (3b)のようにamazingly smartを1つのまとまりとみなし、intelligentの場合と同様に、前にmoreを挿入します。

(3) a. John is amazingly smarter than Bill. (驚くほどに、ジョンはビルに賢さで勝っている。)
  b. John is more amazingly smart than Bill. (ビルも驚くほど賢いが、ジョンはそれ以上に驚くほど賢い。)

また、(3a)はジョンの方が賢いことしか述べておらず、ビルが賢いか否かは分かりませんが、(3b)は、和訳が示すように、両者が驚くほど賢いという意味を含んでいます。

では、次のセリフは(5a)、(5b)のどちらを意味するか考えてみましょう。

(4) Harry Potter and the Goblet of the Fire 『ハリーポッターと炎のゴブレット』(2005) <00:40:17>
  Rita: So tell me, Harry,… about to compete against three students,… vastly more emotionally mature than yourself… (セリフが長いため一部省略)「ねぇ、ハリー、自分よりずっと情緒的に成熟している3人の(年上の)生徒と競争することについて、どう思っているのか話してよ。」

(5) a. 情緒的面では、ハリーよりも競争相手の成熟度が勝っている。
  b. ハリーも情緒的に成熟しているが、競争相手の方が情緒的な成熟度が勝っている。

emotionally matureにmoreが付いているので、答えは(5b)です。emotionally maturer(またはemotionally more mature)であれば、(5a)の意味になります。ハリーは過酷な経験を通じて、同級生よりも情緒的に成熟していると思われるので、ハリーと競争相手の双方が情緒的に成熟しているという意味を含む表現がしっくりきます。

では、次のセリフは何を比較しているのでしょうか?

(6) G.I. JANE 『G.I.ジェーン』(1997) <00:03:07>
Reporter: And what about those that say women aren’t suited for all jobs, they’re physically weaker?
「女性が(軍の)仕事に向いていないと言われているのは、身体的に(男性よりも)弱いから ですか?」

weakが比較級になっているので、「弱さ」を比較しています。このセリフは裏を返すと「男性は身体的に頑強なので、その仕事に向いていると考えられている」ことを意味しているため、「(女性だけではなく)男性も身体的に弱い」という意味を含むmore physically weakに置き換えると、矛盾が生じます。

このように、比較級と副詞が同時に表れている文を解釈する時は、注意が必要です。このような言葉の謎に興味を持たれた方は、是非『映画で学ぶ英語学』(倉田誠編・くろしお出版)をご一読下さい。


2011年06月05日

タイトル:「名詞から動詞への転移」
投稿者:田中美和子(京都ノートルダム女子大学・非)

英語の名詞由来の動詞(denominative verb)は、名詞がその形のまま動詞として用いられます。このように、名詞が形を変えずに動詞に転換するという現象は、他の言語にはあまり見られない英語の特徴だと言えるでしょう。

例えば、telephone (=give a call)「電話をする」、fax (=send a fax)「ファックスを送る」、email(=send an email)「メールをする」、また最近ではGoogle(=search for information on Google)やFacebook(=contact on Facebook)も動詞として使われるようになりました。
これらの表現は映画の台詞にも見られます。『メイド・イン・マンハッタン(Maid in Manhattan)』(2002)と『40男のバージンロード(I Love You, Man)』(2009)から、見てみましょう。

Ty: Why did they break up? (なぜ別れたの?)
Marisa: Who? (だれが?)
Ty: Simon and Garfunkel. (サイモンとガーファンクルだよ。)
Marisa: You got me. You can google it at school. (さあね。学校でネット検索してみたら。)
— Maid in Manhattan : <00:03:18>

これは、マリサが息子のタイを学校へ送っていきながら、親子で交わす会話です。ここからは、小学生たちが日常的にインターネットで調べ物をしていることもわかります。

次は、留守録を再生させる場面です。仕事関係のメッセージの中に混ざって、友人からの個人的なメッセージが流れます。

Tag: Best of luck with Sydney, if you’re not still together, you can Facebook me. (シドニーとお幸せに。もし別れたら、僕にフェイスブックで連絡して。)— I Love You, Man : <01:31:14>

フェイスブック(Facebook)はソーシャル・ネットワーキング・システム(SNS)の1つで、実名を使って交流するという特徴があります。

そして今、京都市環境政策局では”DO YOU KYOTO?”を合言葉に、エコ活動の輪を広げていくプロジェクトを行っています。KYOTOが、京都議定書に因み、「環境にいいことをする」という意味の動詞として用いられているのがわかりますね。


2011年06月05日

タイトル:「話し手の視点と和訳」
投稿者:横山仁視(京都女子大学)

映画『ユー・ガット・メール』(1998)に次の対話があります。イタリック体の箇所はどんな和訳が考えられるでしょうか。

ウェイター:  Can I get you something?
キャスリーン: No, no. He’s not staying.
ジョー:  Mochaccino, decaf, nonfat.
キャスリーン: No, no. You are not staying.
ジョー:  I’ll stay here until your friend gets here. Gee, is he late? <01:01:55>

ジョー(トム・ハンクス)とキャスリーン(メグ・ライアン)はインターネットのチャットを通して知り合います。ジョーのハンドルネームはNY152で、キャスリーンはa shop girl。ジョーは全米チェーンのFox書店を経営する社長の御曹司。一方、キャスリーンは親の代から続く街角にある小さな書店の店主です。お互いに同棲相手がいますが、チャットを通じて恋に落ちて行きます。そして、お互いに会ったことのない二人はとうとう喫茶店で待ち合わせをすることになります。上記の対話は、ジョーがキャスリーンにバッタリ出会ったふりをし、空いている席に座ろうとするシーンです。

文法的にも語彙的にも何も難しいものはありません。ここで考えて欲しいのは次の3点です。
①主語、つまり、誰が誰に言っているセリフなのか。
②話し手の気持ちを考える。
③stayの意味を考える。

最初のキャスリーンのセリフはウェイターに、2つ目はジョーに言っているセリフです。キャスリーンが待ち合わせをしている相手は、今、目の前にいるジョーではなくチャット相手の別の男性です。そんな人と待ち合わせをしているキャスリーンにとっては、ジョーは邪魔な存在です。今すぐにでも帰って欲しいと思っているはずです。そうしたキャスリーンのジョーに対するイライラした気持ちが感じ取れるはずです。また、動詞stayに対して「彼は滞在していない」「あなたは滞在していない」と和訳する人はいないでしょう。場所を表す副詞句がありませんね。つまり、stayにはto remain in a place rather than leaveの意味があることを知ってさえいればいいのです。

ここでは、キャスリーンの視点から、「この人すぐ帰るから」「帰ってちょうだい(このまま居座る気なの?)」、と和訳に気持ちを反映させる工夫をしたいものです。
映画のセリフを和訳することは、状況依存によるところが大きいと言えます。コミュニケーション・ギャップが生じてしまう理由は、誤った文法や語彙の取り違え、不正確な発音といったことだけによるものではありません。読み手や聞き手は、書き手や話し手の気持ちを正しく理解することで初めてコミュニケーションが成立するのです。そのためには、平易な英文であっても、誰が誰にどんな気持ちを伝えているのかを意識することが大切です。文法・語彙はその人の気持ちを代弁してくれる役割を担っているのです。


2011年05月23日

タイトル:「『シェーン』が表す思想」
投稿者:藤枝善之(京都外国語短期大学)

西部劇の名作『シェーン』。この映画は、第26回(1953年度)アカデミー賞において作品賞などの主要部門の受賞は逃しましたが、半世紀を経た今日では、映像文学として当時の受賞作以上に高い評価を得ています。何よりもまず、その人物造形が巧みです。登場人物それぞれのキャラクターが際立っているだけでなく、本作は、彼らを通して、アメリカ人が持つ典型的な思想のいくつかを垣間見せてくれるのです。2010年12月28日の本欄のコラムで、この映画の粗筋と「暴力」に対する思想を紹介しました。今回は、「時代」に対する考え方を見ていきます。

この映画の基本的思想は、開拓農民たるジョーが代弁しています。

JOE: This is farmin’ country, a place where people can come and bring up their families.(ここは開拓地だ。誰でも入植できて家族を養える土地なんだ)

ジョーは、政府を全面的に信頼し、無条件で開拓を「良きもの」と見ています。また、西部は常に変化し、進歩するという素朴な発展史観の持ち主でもあります。時代の変化を基本的に良しとするその考え方は、アメリカの国民思想とも言えるでしょう。世界は進歩し、時代は良き方向に変わっていく。その流れを妨げてはならない。だとすると、シェーンたちガンマンは歴史の流れを妨げる邪魔者でしかありません。この映画はシェーンにどんな役割を与えているのでしょうか。それは、自らを犠牲にして新しい時代を招き入れる「殉教者」ではないでしょうか。ちょうど、キリスト教のイエスが、旧約から新約へ時代を転換させるために十字架の上で犠牲になったように。

映画の終盤、シェーンはライカー一味と対決しますが、その時の遣り取りには、真に名台詞と言える珠玉の言葉が並びます。

SHANE: You’ve lived too long. Your kind of days are over.(お前は長く生き過ぎたんだ。お前の時代は終わった)
RYKER: My days? What about yours, gunfighter?(俺の時代が? そういうお前はどうなんだ?)
SHANE: The difference is, I know it.(お前と違って、俺は分かっているよ)

ライカーとシェーンは、共に腕っ節を頼りに自分の力で西部を生きてきた、同じ種類の人間です。しかし、そんな時代は終わった、とシェーンは言います。自分の時代の終焉を理解しつつ、さらにそれを徹底的に終わらせるためにシェーンは突き進みます。対決にかろうじて勝利したシェーンは、ジョーイに別れを告げます。一緒に家に帰ろうと懇願するジョーイにシェーンは言います。

SHANE: A man has to be what he is, Joey. You can’t break the mold.(人には器がある。それを壊すことはできないんだ)

いくら新しい時代の価値観を理解していたとしても、一度殺人に手を染めれば流れ者から定住者への、またガンマンから農民への変身は不可能に近く、また新しい時代を招く歴史の流れを邪魔することになりかねません。この台詞は、時代に合わせて自分を変えていけない不器用な男の悲哀を表すと共に、シェーンに時代の殉教者としての役割を全うさせようという、この映画の「思想」を語っているのかも知れません。

藤枝善之(ATEM理事・関西支部長)


2011年05月07日

タイトル:「アンストッパブル」に考えるtoo…to構文」
投稿者:藤本幸治(京都外国語大学)

So that 構文(A)とtoo…to~構文(B)の書き換えは、高校英語の定番。そこで、例文AをBに書き換えてみましょう。

A. Tom spoke so fast that I could not understand him.
B. Tom spoke too fast to understand.

となりますね。皆さんも不思議に思ったことはありませんか。Bではなぜ目的語のhimを削除しなければならないのか?これは、to understandという述語の前に音声形式を持たない主語が存在していると考えられるからです。たとえば、Tom is too young to drink.という文の場合、これは実は単文ではなく、複文なのです。そして、各述部が示す若いのも、お酒を飲むことが出来ないのも各々の主語のTomとなりますね。では、Bに主語を入れるとどうでしょう。あら不思議、

C. Tom spoke too fast for me to understand him.

と言うことができるのです。ところが主語を入れないと、to understandの主語は音声形式を持たない主語となってしまい、Tomを示してしまいます。そうTom understands himという解釈になり、himはTom以外の人を指してしまいます(cf. Tom understands himself.)

では、さらに、例文Cでhimを削除することは出来るのでしょうか?

時速100キロ以上で走る超大型の無人貨物列車、早く止めないと大事故になってしまう!そこに立ち向かう勇気ある二人の男たちがいた。実話に基づく映画『アンストッパブル』の劇中この不慮の暴走列車事件を伝える速報テレビニュース!

“The engineers, they say, made an error in controlling the train. Before leaving the locomotive, he intended to apply the independent brakes. And by the time he realized his mistake, the train was going too fast for him to climb back on.

さて、どうしてこのような省略が可能なのでしょうか。彼らが電車を止めるが先か、あなたがこの答えを見つけるのが先か!?「アンストッパブル」に考えてみましょう。


2011年05月07日

タイトル:「『ドリームズ・カム・トゥルー』2006から学ぶ語彙学習法」
投稿者:上田聖司(大阪府立八尾翠翔高等学校)

単語の中には、よく使用される語とそうでない語がありますが、ある研究によると、2000語程度の英文の単語を平均すると、そのうち50%から75%くらいが各英文中で一度しか使われていないそうです。つまり、使用頻度の低い単語のほうが圧倒的に多いのです。したがって個々の単語の記憶をするよりも、学習方法に焦点をあてたほうが効率よく学ぶことができると言えます(I.S.P.Nation,1990)。

『ドリームズ・カム・トゥルー』(Akeelah and the Bee)は全米スペルコンテストで黒人の女の子が勝ち抜いていくストーリー。映画の中では主人公AkeelahがLarabee教授や周りの人たちに助けてもらい、苦労しながらスペルを覚えていくシーンがいくつも出てきます。単語カードで覚えるだけでなく語源から覚えたり、縄跳びでタイミングをとりながらなめらかにスペルを言う練習をしたりします。

Akeelahのコーチ役、Larabee教授の部屋には、Marianne Williamsonの次のような言葉がかかっています。”Our deepest fear is not that we are inadequate.”「われわれが一番恐れるのは自分の無力さではない」 “Our deepest fear is that we are powerful beyond measure.” 「一番恐ろしいのは、われわれが計り知れない力をもっているということだ」。”We ask ourselves ‘Who am I to be brilliant, gorgeous, talented and fabulous?” 「頭脳明晰にして華麗、才能にあふれ驚嘆の人物に自分はなれるのだろか」。 “Actually, who are you not to be?” 「実際、なれないわけがない」。 “We were born to make manifest the glory of God that is within us. ” 「われら自身の内なる神の栄光を世に示すために生まれたのだから」。(00:40:28- 00:40:58) 

そしてコンテスト当日、最後の問題となります。それは、”pulchritude”(容姿端麗)という語。Akeelahは語源とともに答えます。 “It’s derived from the Latin word ‘pulcher,’ meaning beautiful, isn’t it?”(その語は、ラテン語の美しいという意味のpulcherに由来する語ですね)”P-U-L-C-H-R-I-T-U-D-E, Pulchritude.”(00:46:56-00:47:15)

この物語は、現在のアメリカの貧困、格差、教育などの問題を背景にしながらもお互い切磋琢磨しながら育っていく子供たちを描いた佳作となっています。また、シナリオを元に書かれた同名のペーパーバック(NewmarketPress, 2006)もありますので、興味のある方はご一読下さい。


2011年04月09日

タイトル:「映画の台詞でもよく耳にする描写述語」
投稿者:松井夏津紀(Chulalongkorn University, Thailand)

英語では形容詞句や名詞句を使って、文の主動詞が表す行為に伴う主語や目的語の一時的な状態を表すことができます。このようなS+V(+O)+A/N構文は描写構文と呼ばれ、A/Nの部分は主動詞に対して二次述語(描写述語)と呼ばれます。描写構文の描写述語は、意味的に様態を表す副詞に似ています。しかし、様態副詞が主動詞の表す行為が「どのように」行われたのかという様態を表すのに対し、描写述語は行為が「どのような状態で」行われたかという状態を表します。例えば、 “Matt drove a car drunkenly.”という様態副詞を用いた文ではMattが実際に酔っているかどうかということは問われず、ただ酔っ払い運転みたいな運転をしたということが述べられます。一方、 “Matt drove a car drunk.”という描写述語を用いた文ではMattが実際に酔っているということが含意されます。

描写構文は特別な構文ではなく会話でも非常によく見られる構文で、映画の台詞にもよく出てきています。『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』(2008)の主人公ベンジャミンは老人として生まれ、年を取るにつれて若返っていくのですが、ベンジャミンは “I was born old.” <00:49:37> という台詞を使って自分が生まれたときの様子を語っています。この台詞ではoldという形容詞が使われていますが、描写述語に名詞句が使われているものもよく耳にします。例えば、『キル・ビル2』(2004)では、 “Superman didn’t become Superman. Superman was born Superman.” 「スーパーマンはスーパーマンになったんじゃなくて、スーパーマンとして生まれたんだ。」<01:46:10> というSupermanが描写述語になっているユニークな例も見られます。

次に、『トロピック・サンダー 史上最低の作戦』(2008)の例を見てみましょう。俳優のTuggが、自分が知的障害者を演じたとき、普段の生活でも常にその役になりきっていたというときの台詞で「歯を磨くときでもバスに乗るときでもそうなりきっていた」というものです。

I mean, I brushed my teeth retarded, I rode the bus retarded. <00:42:21>

通常、retardedは一時的な状態にはなり得ませんが、Tuggが演技派の役者であるという背景があるので、この構文が成り立っています。一方、この台詞に対して同業者のKirkは 次のような台詞を言っています。

You went full retard, man. Never go full retard. You don’t buy that? Ask Sean Penn, 2001, I Am Sam. Remember? Went full retard? Went home empty-handed. <00:44:10>

「お前は完璧にやりすぎた。完璧に演じちゃだめだ。”アイ・アム・サム”のショーン・ペンに聞いてみろ。見ただろ?完璧に演じて、手ぶらで帰宅だ。」とempty-handedを使って、ショーン・ペンが何の賞ももらえなかったということを表しています。描写構文を使うと長々とした複文でなくすっきりとそのときの様子が表せます。

描写構文のその他の例は、構文や現象を映画の台詞に出てくる例を挙げて説明した『映画で学ぶ英語学』(倉田誠 編、くろしお出版)という本の中でも挙げています。書店でお見掛けになられたら、是非、お手にとってご覧ください。


2011年04月05日

タイトル:『選挙』(『Campaign』) 2007年 監督:想田和弘、「英語字幕で英語の学習」
投稿者:河野弘美(京都外国語短期大学)

まもなく統一地方選挙が始まります。行方が大いに気になるところでありますが、選挙というと思いだす映画があります。それは『選挙』(『Campaign』)です。『選挙』は日本が舞台の日本語の映画ですが、2007年2月開催のベルリン国際映画祭を皮切りに海外での評価が高く、多言語による字幕が作成され多くの国で上映されてきたすぐれた邦画です。日本の題名は『選挙』ですが、海外では『Campaign』として知られています。

『選挙』はその名の通り選挙の裏事情をリアルに映し出したドキュメンタリー映画です。ナレーションが一切使用されていないため、日常生活上で見聞きする実際の行動や会話が映画の素材となっており、視聴者が理解しやすい設定となっています。日本語を聞きながら耳にした表現は英語でどのように言うのだろう?という疑問が即解決できるのが英語字幕のいいところであり、邦画の英語字幕を英語教育に大いに活用できる利点であると思います。

本編の内容はさかのぼること2005年、主人公の山内和彦氏が当時の小泉首相率いる自由民主党からの要請をうけ川崎市の補欠選挙に突如立候補し、素人が初めての選挙戦に挑む話です。東京都民であった山内氏は急きょ神奈川県川崎市へ引っ越し、市議会議員の立候補者名簿に名を上げます。山内氏のように選挙地区とは無関係だった人が立候補することを「落下傘候補」(字幕:parachute candidate)といい、映画の中でも山内氏が自分のことをそう呼んでいます。山内氏の応援をしにかけつけた自民党の大物政治家の「大物」を英語字幕ではbig-shots、「改革を進める」という表現の英語字幕はI’ll advance reform. や I’m committed to reform.と、政治にまつわる英単語やフレーズが全編を通して学べます。

また、政治の世界で使用されている伝統的な言葉の一例として、候補者の奥さんのことを「妻」(字幕:wife)とは呼ばず「家内」(字幕:housewife)と呼び、日本語と字幕英語をそれぞれ照らし合わせながらそれぞれの単語の微妙な意味の違いを理解することが可能となります。

上記以外にも、政治に関連した沢山の有益な英語の表現や単語が『選挙』の中につまっているので、英語字幕を付けてぜひ観賞してみてください。


2011年04月03日

タイトル:「意図的誤解によるユーモア・センス」
投稿者:成田修司(京都外国語大学他・非)

海外の映画やドラマを観ていると、相手の言葉を誤解したふりをして、わざと文脈にそぐわない応答をすることがあります。例えば次のシーンは、1987年に始まったアメリカの古典的ホームコメディ「フルハウス」です。コメディアンのジョーイを好きになったコリーナは、彼に恋人がいるか探りを入れます。

Corinna: Joey, . . . Your girlfriend must adore you.(あなたの彼女はあなたにゾッコンね)<ep8. 14:12>
Joey: Oh, I don’t have a girlfriend. (いや、彼女なんかいないよ)
Corinna: You’re not seeing anybody? (付き合ってる人いないの?)

ここでジョーイはbe seeing someone(特定の異性と付き合う)という慣用表現を無視して、わざと「会う」と文字通りに解釈します。
Joey: Well, sort of. I’m seeing the dentist next Wednesday.(まあ、いるかな。水曜日に歯医者と会う)
もちろん資格試験的に考えると、このような「とんちんかん」な応答ではイカンとされています

ジョーイらしいユーモアにすぐ気付いたコリーナは、合わせて話を進めます。
Corinna: Well, if things don’t work out between you and the dentist, maybe you and I could get together.
(じゃあ、もし歯医者との恋がダメになったら、私達がデートしましょう)

この殺し文句にメロメロになったジョーイは、これ以上じらし切れなくなります。
Joey: Well, Dr. Hoffman’s pretty cute, but he is married. So pick a time.
(ホフマン先生はとても可愛いけど、彼は結婚してるんだ。だからいつでもOKだよ)

歯医者は男だから、既婚未婚の関わらず恋愛対象にならないというのがこのジョークの「オチ」。ここはつまり「僕も君が好き」と言っているようなものです。感情をそのまま伝えるだけが生きた英語ではなく、むしろこんな笑えるセリフにこそ語学を学ぶ醍醐味があります。真面目過ぎるとしばしば批判される日本人が取り入れたい会話テクニックの一つです。

これ以外にもユーモアの手法は多様ですが、特に「フルハウス」等のテレビシリーズは1話の実質20分にエッセンスが凝縮されて、お手本となるウィットの効いたセリフを探すのに事欠きません。


2011年03月05日

タイトル:「I don’t know.」
投稿者:佐藤弘樹(FM京都α-stattionエアーパーソナリティー、京都外国語大学(非))

1988年の映画『レインマン』は、アカデミー賞主要4部門(最優秀作品賞・監督賞・主演男優賞・オリジナル脚本賞)を獲得した珠玉の名作であるのみならず、自閉症を世に広く知らしめた功績でも特筆されるべき作品です。

物語は、事業に失敗して破産寸前のチャーリー(トム・クルーズ)が、父親の死をきっかけにそれまで存在すら知らなかった自閉症の兄レイモンド(ダスティン・ホフマン)と徐々に心を通わせていくふれあいを描いたヒューマンドラマです。

この映画の中で自閉症のレイモンドは I don’t know. (初出<00:23:04>、これ以降も何度も出てきます)というセリフを何度も繰り返します。

彼のこのセリフは、短く平板で文全体の抑揚は無視して発音されます。その違和感を、日本語訳の吹き替えでは「わかんない」と表現しています。(字幕では「わからない」となっています。)この簡単な英語 I don’t know. を日本語に訳す際には無数の日本語が考えられますが、「わからない」「わかんない」「わからん」「わかりません」「わからないです」「さぁね」等の中で、子供の幼さを感じさせるのは「わかんない」であり、成人男性がそれを連発する事によって作中の人物描写をより精緻なものにしていると思います。

また、一人称代名詞の I もチャーリーは「俺」、レイモンドは「僕」、チャーリーの恋人スザンナは「あたし」と吹きかえられています。「わたし」ではなく「あたし」という女性言葉であることに注目したいですね。

邦画の傑作「寅さんシリーズ」で寅さんは自分の事を、冒頭の自己紹介では「わたくし」(生まれも育ちも葛飾柴又)と言い、ふだんは「俺」「あっし」「おいら」を使い分け、マドンナに恋すると「僕」に変わります。こんな芸当ができるのも、人称表現が多彩な日本語ならではの事であり、相手が赤ん坊でも大統領でも、先生でも先輩でも後輩でもみんな You で済んでしまう英語では You がどのニュアンスで発話されているかを考えながら映画を見るのも日本語と英語両方の勉強になるでしょう。

ちなみに、アニメ「クレヨンしんちゃん」では、母親は自分のことを「ママ」と呼ぶのに対して、しんちゃんは自分の事を「おいら」と言います。この落差の可笑しさを英語で表現するのは至難の業ですね。


2011年03月05日

タイトル:「英国国教会と女王の苦悩ー『エリザベス』」
投稿者:奥村真紀(京都教育大学)

英国のエリザベス女王の父王を描いた映画、『英国王のスピーチ』がアカデミー賞を受賞し、また4月にはウィリアム王子の結婚式も予定されていて、何かと話題に上がっている英国王室。現在のエリザベス二世も人気のある女王ですが、今から500年くらい前の女王、エリザベス一世は英国では大変人気のある女王の一人です。1998年にアカデミー賞にノミネートされ、衣裳デザイン賞を受賞した『エリザベス』は、英国の繁栄の基礎を作ったこの女王を描いた映画です。

時は16世紀。英国王ヘンリー八世の離婚問題が原因で、王は英国で信仰されるべき宗教を、ローマ法王を中心とするカトリックではなく、英国王を中心とする英国国教会にすると定めます。しかし、ヘンリー八世の亡き後、王位を継いだのは女王メアリ。真っ赤なカクテル、「ブラディ・メアリ」の名前のもとになった女王ですが、彼女のお母さんは熱心なカトリックだったので、彼女も熱心なカトリック教徒で、国教会の信徒を弾圧します(その激しい弾圧から、カクテルの名前「流血のメアリ」がついたと言われています)。しかし彼女には子どもがなく、女王の周りでは跡継ぎをめぐる陰謀が渦巻いています。周りから、王位継承権を持つ腹違いの妹、エリザベスは国教会派の人物なので始末するべきだと説得されたメアリは、エリザベスを呼びつけます。<00:17:31>

E: Madam, you are not well. (陛下、お加減がすぐれないのですね)
M: They say this cancer will make you Queen-but they are wrong! Look there! It is your death warrant. All I need do is sign it!(みんな私のこのできもののせいでお前が女王になると言うのだよ。でもそうはさせない!ご覧!お前の死刑許可証があるわ。私は署名するだけでいいのよ)
E: Mary, if you sign that paper you will be murdering your own sister.(メアリ、あなたがその書類に署名されたら、自分の妹を殺すことになるのですよ)

最初、従順な臣下として、「陛下」と呼びかけるエリザベスが命の危機に際し、姉である女王を「メアリ」と名前で呼んでいることが、その距離感を絶妙に表していますね。その後、メアリに「もし自分が死んだら、カトリック教徒を保護して欲しい」と頼まれたエリザベスは次のように言います。<00:17:53>

E: When I am Queen, I promise to act as my conscience dictates, (エリザベス:女王になったら、私は自分の良心が命じるままに行動します)

“If?”ではなく、”When?”を使っていることに注目。メアリの死と自分の即位が、条件ではなく、近い未来に確実に起こるとエリザベスが確信していることが分かります。

英国国教会を国教として定め、絶対君主として栄光を築いたエリザベス一世。その時代の光と闇を描きながら、国王として生きることを選ぶ一人の女性の栄光と苦悩を見事に表現した、素晴らしい映画です。


2011年03月05日

タイトル:「イカとクジラ The Squid and the Whale(2005年)」
投稿者:荘中孝之(京都外国語大学)

ねえ君、希望なんか全くないなんて言わないでおくれ。僕たち一緒だと立っていられるけど、バラバラになったら倒れてしまうんだよ。
Hey you, don’t tell me there’s no hope at all. Together we stand, divided we fall. <00:06:03>
ウォルト(ジェス・アイゼンバーグ)

偶然聞いた歌が、「今の自分の気持ちを代弁してくれている」、と感じた経験はおそらく誰にでもあるでしょう。この映画に登場する青年ウォルトも多分、そんな風に思いながらこのフレーズを、あるメロディに乗せて歌ったのです。しかしそれにはちょっと問題がありました・・・。

これはある家族の物語です。ウォルトは父バーナード、母ジョーン、そして弟のフランクと、ニューヨークの隣、ブルックリンに暮らす一見ごく普通の高校生。しかしこの家族、どこか変です。父は”元”人気作家で、母は”今”人気作家。そして夫婦のあいだはすでにぎくしゃくしており、二人はある時、ついに離婚を決意します。

でもそれからがまた大変。バーナードとジョーンはjoint custody、つまり二人で共同して親権を持つ方法を選びます。ウォルトがそのことを友だちに話すと、それを聞いた彼が”Joint custody blows. . . . It’s miserable.”(共同親権は最悪だよ。あれは惨めだね。)と言うように、子供たちはそれから親の勝手な都合に振り回されていきます。

弟のフランクはそのストレスからか、幼くして酒に走り、学校で問題を起こし、父親に反抗します。兄のウォルトは恋人にも、そして母親にも素直になれません。親の離婚で一番傷ついているのは子供たちなのです。そんな時ウォルトの学校で、あるコンテストか開かれます。そこで彼は両親を前に、自分で作ったものだと言って、上記のフレーズが含まれた曲を、どちらかというと陰鬱なメロディに乗せて歌うのです。

ウォルトはコンテストで見事優勝し、賞金の100ドルを手にします。そしてその歌を聞いた誰もが皆「いい曲だったよ」と褒め称えます。ところが両親は後日学校に呼び出され、それがイギリスのロックバンド、Pink Floydの曲であることがわかったと告げられます。これはplagiarism、剽窃や盗用と呼ばれる行為で、教育の現場でなくとも絶対に許されないことです。

当然賞金は返さなければなりませんし、ウォルトは精神的に問題ありということで、カウンセラーのところへ行くよう勧められます。しかし”Can you feel me?”(僕を感じる?)”Would you touch me?”(僕に触れてくれないか?)”Can you help me?”(僕を助けてくれよ?)というフレーズが繰り返されるこの歌は、ウォルトの痛ましい魂の叫びでもあったに違いありません。

ちなみに”Together we stand, divided we fall.”という部分は、”United we stand, divided we fall.”(団結すれば立ち、分裂すれば倒れる。)という諺をもじったものです。その諺も元々は、John Dickinson(1732-1808)というアメリカの政治家がアメリカ独立戦争を鼓舞するために作ったThe Liberty Songの一節、”By uniting we stand, by dividing we fall.”に由来します。ウォルトはこのフレーズを歌いながら、家族も一緒だとなんとかやっていけるけど、バラバラになってしまったらお終いじゃないか、と両親に訴えたかったのかもしれません。


2011年02月07日

タイトル:「Aging is Growth」
投稿者:近藤暁子(奈良工業高等専門学校)

アメリカで最も影響力のある女性の一人オプラ・ウィンフリーが原作に感動して映像化したTuesdays with Morrie(1999年)には生きること、死ぬこと、人を愛すること、人生をどう生きるかについて考えさせてくれる多くの名言が散りばめられています。その中から、教え子のミッチからの若い時に戻りたいと思わないかという問いかけに答える場面があります。

Morrie: Aging isn’t just decay, you know. It’s growth. <00:27:00>
「年をとるってのはただ衰えていくことじゃないんだよ。成長することなんだよ。」
Mitch: How come nobody ever says ‘Gee I wish I were old’?
「じゃあどうして誰ももっと年をとったらいいのになんて言わないのかな。」
Morrie: Because this culture worships youth. Me, I don’t buy it. I’ve had my time to be 22, This is my time to be 78.
「だって、世間はなんでも若いのがいいって思ってるだろ。私はそれは全くいいことだと思わないね。22才の時もあった。でも私は78才の今を生きてるんだからね。」
Mitch: So, you were never afraid of getting old?
「じゃあ年を取ることは怖くないの?」
Morrie: Oh, the fear of aging. You know what that reflects you, Mitch? Lives that haven’t found meaning.
「あぁ、老いへの恐怖のことかい。ミッチ、何がそれを表しているかわかるかな?それってのは人生の意味を見つけられないことなんだよ。」

世の中、何でもかんでも若いことが美しい素晴らしいと賞賛され、逆に老いることのネガティブな面ばかりが取り上げられる傾向にあります。人々の思考もそのようにコントロールされていますが、年を取ることは成長すること、そして若いときは良かった、若い時に戻りたいと思うより、生きている今の時間を意味のあるものにすることが大事だとモリー先生は説いています。彼は年を重ねることは学ぶ機会を得る事ととらえて人生を楽しむことが大事だと、そして人生に目的があり意義を見出せるなら年を重ねることのポジティブな面を享受できるのだと教えてくれているのではないでしょうか。


2011年02月07日

タイトル:「声にならないおもしろさ―看板の文字にもご注目!―」
投稿者:飯田泰弘(大阪大学大学院博士後期課程)

映画のセリフ が英語を深く学ぶ上で役立つ 素材になることは言うまでもありませんが、映画に登場する看板や標識にも、非常におもしろい ものがあります。ユーモアを利かせたものとして日本でも、踊った赤ちゃんの絵の横に「赤ちゃんがのっています」と書かれた車のステッカーを見かけますが、『リーサル・ウェエポン4』(1998)では、激しいカーチェイスの後、犯人の車と同じく大型トレーラーと衝突した主人公の車の前には、このカーチェイスのオチとして次のようなステッカーが映ります。

If you can read this, you are TOO close!
(この文字が読めたら近づきすぎ!) <01:17:20>

また同じ看板表現でも、時代設定が昔の映画ではその時代を反映する表現が出てきます。日本語の別れのあいさつ、「さようなら」が「左様ならば」に由来しているのと同じく、英語のGood-by(e)という表現は、God be with you「あなたに神のご加護がありますように」という表現から来ています。GodがGoodになり、beがbになり、withが消え、youがy(e)になったということです。ここで、なぜyouがy(e)という表記になるかというと、昔の英語では「あなた」が「ye」だった時代があるからです。つまり、God be with yeだったということですね。

映画『パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち』(2003)、主人公のジャック・スパロウがある港に入港するシーン。彼が到着した港の入り口には、ミイラになった海賊が3体つり下げされており、「海賊たちよ、この港に来るとこうなるぞ」という見せしめがなされています。そして、その下にあるのが次の文字が書かれた看板です。

Pirates Ye Be Warned
(海賊たちへの警告) <00:09:37>

海賊が幅を利かせている時代が舞台の映画ですから「あなた、お前」にあたる単語としてyeが使われていてもおかしくないですよね。Good-byeの最後のeの存在が確認できる、おもしろいシーンだと思います。今や、映画のセリフ はすぐ手に入る便利なサイトやソフトがある時代ですが、「音」にならない看板などの表現は、ぜひ 、映画をスクリーンのすみずみまで観ながら味わってみてください。
時代を反映するといえば、よくハリウッド映画は近未来を予言すると言われます。10年以上前の映画『ディープ・インパクト』(1998)には(1970年代以降のハリウッド大作ではおそらく初めて)黒人の大統領が登場し、近い将来の米国大統領像を予感させますが、その大統領が地球に隕石の衝突の可能性を初めて発表した際、大騒ぎになったテレビ局では次のようなセリフが出てきます。

Paris, London, Tokyo, Tel Aviv. I want everybody.
(パリ、ロンドン、東京、テルアビブ。全てに連絡して) <00:28:24>

一方、『ディープ・インパクト』から約10年後の映画『サロゲート』(2009)では、人間の生活を全て代行してくれる人型ロボットが米国で一斉に停止した際、テレビのアナウンサーはこう述べます。

Paris, London, Beijing, all reporting the same thing.
(パリ、ロンドン、北京からも同様の報告が届いています) <01:23:52>

この10年間で、ハリウッドが見る主要都市の優先順位では、東京が北京にぬかれた、とうがった見方をしてしまうのは私だけでしょうか?


2011年02月07日

タイトル:「話をすり替える談話辞 speaking of A」
投稿者:倉田誠(京都外国語大学)

会話の談話の流れや方向性を決める第一の要素はその発話の内容ですが、その方向性をクリアに示す標識のようなものがあります。そのようなことばの標識を「談話辞」と呼びます。例えば、文中に”by the way”と出てくると、それまでの情報の流れが完全または多少変わるのだなと、聞き手は判断しますね。今回はそのような談話辞の1つである、”speaking of A”に焦点を当ててみます。

多くの学習英和辞典には、”speaking of A”という談話辞は「Aのことだが、Aといえば」という意味が載っているだけで、使い方の記述は全くありませんので、なかなか使いこなせないですね。でも実は、”speaking of A”という談話辞は、相手の発話情報の一部を利用して、新たなトピックに転換させる時に使う「話題のすり替えの標識」なのです。Cast Away 『キャスト・アウェイ』(2000)<00:15:33>で具体例を見ましょう。主人公のチャック(トム・ハンクス)は、婚約者のケリー(ヘレン・ハント)の実家で彼女の親戚とクリスマスディナーを食べます。その場で、チャックは彼が勤務する世界最大の宅配会社である、Federal Express社の最新技術管理システムについて雄弁に話をします。チャックの話し相手は、ケリーの叔父のモーガン。姪のケリーと結婚しないチャックに少し焦燥感を覚えていたモーガンは、チャックが流暢な話の中で、「融合」という意味でmarriageという語を使った瞬間に、原義である「結婚」の話題にすり替えます。Chuck: It’s a perfect marriage between technology and systems management.「それは技術とシステム管理の完璧な”融合”です。」 Morgan: Speaking of marriage, Chuck, when are you gonna make a honest woman out of Kelly?「チャック、”融合”といえば、いつになったらケリーと”いっしょに”なってくれるんだ?」姪の幸せを願う叔父モーガンの機転がきいた話題転換術ですね。

上記のような英語学の様々な知見を映画の用例で説明する、『映画で学ぶ英語学』(くろしお出版)という本をATEM関西支部の有志で書きました。全国の大手の書店に陳列されていますので、お手にとってご覧ください。


2011年01月13日

タイトル:「二重目的語と前置詞」
投稿者:小野隆啓(京都外国語大学)

英語には、動詞の後に2つの目的語が現れる構文があり、二重目的語構文と呼ばれます。これは、中学校の英文法で学ぶことで、基本五文型で言うとSVOOの第4文型です。例としてはgiveのような動詞がよく上げられ、John gave me a book.の ような文です。この間接目的語meを前置詞句で置き換えると、John gave a book to me.のように前置詞toが出てきます。では、次の例はどうでしょう。

Malfoy: You lost me my servant! <02:25:22>

この英文は映画Harry Potter and the Chamber of Secretの最後の方に出てきます。ハリーがうまく策を使って、ドビーという奴隷のように扱われていた召使いエルフをマルフォイ家から救い出した後で、激高したマルフォイ氏がハリーに向かって言う言葉です。この場合のmeは前置詞を伴わせて書き換えるとfrom meになります。つまりYou lost my servant from me. で、「きさま、俺様から召使いを奪っkqwqwkたな」のような意味です。

giveで作られる二重目的語構文を前置詞toを用いた与格構文(Dative Construction)に変換することを与格交替(Dative Alternation)と呼びますが、この言い方をすれば、上のlostの場合は、奪格交替(Ablative Alternation)とでも呼ばれるものです。このような交替に は、ほかにも前置詞forで交替させる受益者交替(Benefactive Alternation)があります。例えば、Cut me some.という例文です。一見、この文は変な意味に思えませんか?「私を 切る?someの意味は「少し」?」。この文の場合、隠れている前置詞はforなのです。Cut some(piece of cake)for me.の意味になります。ほかには、前置詞withで交替 させる随伴格交替(Comitative Alternation)があります。例えば、She played John three games of chess.のような例文です。この場合のJohnはwith Johnの意味で、「彼女はジョンとチェスを3ゲームした」というような意味です。二重目的語の間接目的語、前置詞を思い浮かべてもらうと、結構興味深いものがあります。


2011年01月06日

タイトル:「『次へ渡す』(Pay It Forward)」
投稿者:井村誠(大阪工業大学)

恩を受けたら、恩返し(pay it back)をするのが普通ですが、その代わりに他の恵まれない人たちや、助けを必要としている人たちに救いの手を差し伸べるというアイデアはいかがでしょうか。

両親は離婚、母親はアル中、「世の中なんか最低だ!(The world sucks!)」と思っている少年の心をとらえたのは、社会科の先生が言った「世界は変えられるかもしれない」という言葉でした。シモネット先生は、生徒たちの1年間の課題として黒板に次のように書きました。

“Think of an idea to change the world — and put it into ACTION!”
(世界を変えるアイデアを考えてみよう-そして、それを行動に移せ!)<00:10:11>

この課題に対して、トレバーが考え付いたのが、Pay It Forward(次へ渡す)というアイデアです。トレバーは、クラスのみんなに次のように説明します。

Trevor: That’s me. And that’s three people. And I’m going to help them, but it has to be something really big…something they can’t do by themselves. So I do it for them…then they do it for three other people. That’s nine. And I do three more….(ここに僕がいて、他に3人の人がいます。僕は3人の役に立つことをします。でもそれは何か大きなことでないといけない…彼らが自分ではしようにもできないことです。だから僕がそれを彼らのためにしてあげて、そして彼らはまた別の3人の人に同じようにする。そうすると9人になります。そしてまた3人にやれば…)<00:33:04>

こうしてトレバーは、彼の周りにいる人たちを助けようとしては失敗を繰り返しますが、「小さな勇気で世界が変わる」というメッセージは少しずつ広がっていきます。

この感動的な作品Pay It Forward(2000年、Warner Bros.)と楽しいNight Museum (2006年、Twentieth Century Fox)を併せて2本の映画を題材とした大学英語教科書STEP UP WITH MOVIE ENGLISH(金星堂、2010)を、昨年刊行しました。英語の苦手な学生が(1)興味を持ち(Intriguing)、(2)やる気を出し(Motivating)、(3)学習習慣を身につける(Habit-forming)ための工夫が凝らしてあります。どうぞご参照ください。